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「女性は洋服や美容にお金がかかるから、デート代は男が払うべき」という主張の醜く恐ろしい真意

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最近、デート代を「男がおごる・おごらない」論争が芸能人らの間で起こっている。

先日はYouTuber・ヒカル氏の意見が「素敵な考え」と評価されていた
「素敵」と言われるという事は、女性に都合の良い意見なのだろうと思っていたら案の定であった。

ヒカルは「俺は相手が女性なら誰が相手でも自分が出す」と投稿

スポニチ

この一件は"女の悲鳴は信じるな"という警句で(私の中で)お馴染みの狂人・小山氏も取り上げていた。

本日は、そんな話題の「デート代は男がおごるべき」という主張が、如何に非人道的で醜い主張なのか、そしてそれがより大きな社会の流れの一部である事を述べようと思う。

主張の醜い真意

なぜ(一部の)女性たちは「デートをするにあたって、女性は多くの負担があるのだから、デート代は男が払うべき」という意見を述べるのか?

本当にデートに臨む上での"経費"を請求しているだけなのだろうか?そんなはずはないだろう。

"デートの経費"なんてものを真面目に考えている売春婦マインドの強い女性も中にはいるだろうが、多くの女性は違うはずだ。

当然のことだ。洋服もメイクも美容代も、それらはデートの有無に関わらず必要なのだから。
「彼氏がいない間は全裸で過ごしている」なんて愉快な女性はいないだろう。

それに、"デートにかかる経費"というのなら、男性に車を出してもらっただけでも女性が全額奢る事になってしまうし、ハイスペ男性とデートした日には、奢りは勿論、手土産でも用意しなければ釣り合わない。

ではなぜ女性達は、「デートをするにあたって、女性は多くの負担があるのだから、デート代は男が払うべき」と意味不明な事を述べるのか?

その真意は、酷く醜く悪質なものだ。

責任を逃れ、人権を蹂躙する女たち

「デートをするにあたって、(以下略)」という意見を述べる女性達は、言うまでも無くデート代を男性に奢って欲しいのだ。

ではなぜ、シンプルに「男性に奢って欲しい」と言わないのか?

それは、彼女らが"男性にあらゆる責任を押し付けたい"という卑怯な本性を持っているからでる。

女性が「デート代は男性に奢って欲しい」と言ってしまうと、それは"女性の要求"という事になってしまう。

つまり、「女性がデート代を男性に支払わせた」という形になり、金銭を要求した責任を女性が負う事になってしまうのだ。

そうなれば、その女性は「卑しい」と評価されかねないし、程度によっては経済的DVと捉えられてしまう可能性もある

交際相手の気持ちを考えず、いつもお金を払わせることも暴力になります。

政府広報オンライン

だが、「女性はデートするにあたって(以下略)」と言えば、「女性の負担を理解して奢らない男が悪い」という形にもっていくことができ、責任を全て男性に押し付けることが出来るのだ。

こうする事で、自分が経済的DVを行った加害者とされる事態を防ぎ、従わない男性こそが女性の負担を理解しない問題のある人間(≒加害者)とする事ができるのである。

現に、今回「男性が奢るべき」と語って話題になった連中は、女性達の為に代弁してあげたかのような言い回しを使い、さも自分らの醜い要求とは無関係であるかのように印象付けている。

「可愛いって言って欲しくて、その為に凄く早起きして準備してる」と女性側の気持ちを代弁すると、「それを考えた上で、女性に出してあげて欲しいって思う!」と男性側に訴えていた。

AV女優・深田えいみ

デート代をめぐる論争に「男性に出して欲しいって女性のほとんどが思っている」「器おっきくして財布も広げろよ」などと持論を展開

YouTuber・あいかりん

デートのために女性は美容室に行きます、ネイルに行きます、新しい服を買うことだってあります。あなたよりも2時間早く起きてメイクをしています。あと、あなたのために新しい下着を買っています

元AKB48・大島麻衣

さらに今回の件とは無関係だが、11年前には伊藤春香氏(はあちゅう氏)も同様の話をしている。

私たち女の子は今の形態にいたるまでに総額いくら払ってんだって話ですよ(で、男の子たちよ、君たちは、一体いくらかかっているの?)

はあちゅう

「デートで奢ってくれるような器の大きい男性が好きです」「私とデートするなら、デート代くらい負担してほしい」などと言う素直な女性はいない。

みな揃いも揃って、自身の発言はあくまで「世の女性の気持ちを代弁した」という体を保っている。

彼女らは、自分の要求にすら責任を持てないのだ。

攻撃に気付かぬ愚かな男たち

以上のことから、「女性はデートするにあたって様々な負担が云々」という主張は、単なる愚かな女の我儘ではない。

金銭を要求し、経済的DVを正当化した挙句、それに抵抗する男性を加害者ないし"器の小さい男"に仕立て上げる極めて計略的な人権蹂躙なのだ。

しかし、Twitterを見ていると、「女性はデートするにあたって(以下略)」という意見をそのまま受け取り、「男女平等の時代に、古臭い事を言う女は馬鹿で愚かなカスである」と考えるミソジニーに溢れた男性が観測でき、とても悲しい気持ちになる。

女性は愚者ではない。女性は狡猾なのだ。

女性から発せられた言葉をそのまま受け止め、騙されてはならない。

彼女らは愚者のフリをして、金を出さない男性を器の小さな奴だと蔑視し、女性の苦労を理解しない愚かな悪人に仕立て上げる非人道的な加害者なのだ。

即ち、これは論争ではない。
男性は既に、愚者を装った醜い権力者・女によって攻撃を受けているのである。
しかし、世の男性らは女性を愚者だと見下し、この事実に気付かないのだ。

この事実に気付かなければ、世の男性は今後も女性プレデターに搾取され続けるだろう。

余談:性的経済学

そもそも、デート代において、「男が奢るべきか否か」という前提からして不公平な話がなぜ成り立つのだろうか?

それを理解する上で、経済学者のロイ・バウマイスター氏とキャスリーン・ヴォース氏により提唱された「性的経済学」という視点は非常に役立つと思う。

バウマイスター氏らはセックスを経済学の原理から捉え、「セックスは女性が持つ数少ない資源の1つだ」と指摘しています。バウマイスター氏らが提唱する性的経済学においては、男性は女性よりもセックスを欲しているという大前提が存在します。この前提において、経済活動における女性は資源の供給者、つまり売り手であり、男性は買い手と見なすことができます。こう考えると、性行為をする男女は同じことをしていますが、社会的には全く異なる行為が行われていることになります。

狩猟採集や農耕の時代では男女は別々の社会的役割を担い、後に広まったより広範な経済的・社会的活動は主に男性の領域から生まれ、富や権力は男性を中心に構築されるようになりました。バウマイスター氏らは、歴史上、セックスの供給を制限しておくことは女性にとって有利であったと主張しています。バウマイスター氏らは「セックスは社会の富の一部を得るために男性に提供できる女性の資源だった」とし、女性はセックスの価値を高めるためにセックスをできる限り制限していたのではと考えています。

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