中絶の権利とは、女たちのチンポに対する執着である
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"中絶の権利"とは何だろうか?
それは女性たちのチンポに対する執着である。
「中絶が出来ない!」と言って(やる事やっておきながら)被害者面している女性もいるが、彼女たちを苦しめているのは保守派でも、キリスト教徒でも、まして胎児でもない。
己のチンポに対する執着である。
そうだろう。チンポを入れなければ中絶の必要など発生しないのだから。
仏教において、「執着(しゅうじゃく)」は、苦しみを生む原因としてとらえられている。
彼女らは「チンポが欲しくてたまらない…」という己の執着(欲望)に苦しんでいるのだ。
そして、その苦しみを胎児を殺すことで解決しようとしているのである。
プロチョイスではない。プロチンポだ。
「プロチョイス」などという言葉があるが、セックスは妊娠・出産に繋がるという事を理解してセックスに臨んだなら、女性は既に"自由意思による選択"(性交をするという決定)を行っている。
すなわち"チョイス"しているのである。
従って、強姦被害や母体の保護など、"女性の自由意思による決定が存在しない"、もしくは"決定を覆すに足る問題が発生している"という状況を除き、中絶を望むのはプロチョイスではなく"プロチンポ"である。
彼女たちは、"女性の選択肢"ではなくチンポを望んでいるのだ。
チンポへの強烈な執着が捨てられないのである。
チンポのために中絶を良しとするのは、己の欲望(性欲)に振り回されている証拠であり、とても恐ろしい事なのである。
余談だが、男性の性欲に寛容なヤリマン女性がプロチンポ派となるのは、中絶の是非は別として筋が通っている。
しかし、フェミニストを始めとするプロチンポ派の女性達は、男性に"見るハラ"だの"告ハラ"だのと言って、セックスはおろか、視線を向ける事すら控えるように要求している。
それにも関わらず、自らはチンポへの執着が手放せないというのは、公平・平等の観点からも酷い話だ。
プロチンポから脱チンポへ。
中絶の支持、もといプロチンポは、チンポを入れるために胎児を殺め、人を不幸にする間違った考えである。
女性達がチンポに対する執着を捨てれば、中絶の必要性は(母体の危険などごく一部の例外を除いて)無くなり、多くの胎児が救われる。
もちろん、女性自身も負担から解放されるのだ。
プロチンポから脱チンポへ。
中絶の問題は、これで解決する。
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