ピアノを触ってはいけないの?
おさんぽリトミックでは、ピアノを使ってレッスンをします。
ピアノに興味のある子どもたちが嬉しそうに集まってきます。
楽器に興味を示すのは良いことだよね?
レッスン中も弾いていいの?
いつやめさせればいいの?
難しいですね。
ピアノを触ってはいけないの?
おさんぽリトミックの先生がこんなことをおっしゃっていました。
「嬉しそうにピアノを触りにくる子を見ると、「どうぞ、どうぞ♪」って思うんだけど、結局はレッスンが始まって話し始めたりするとやめてもらわなくちゃいけない。
それで泣いちゃって、お母さんも困って・・・という姿を見ていると、こんなことなら最初から「ピアノは触らないでね」って言えばよかったのかなぁ、「いいよ」って言わない方がいいのかなぁ、って悩みます」
そうなんです、先生たちにもどうしたらいいか、答えがなくて、すごく難しい問題です。
他のお母さん方からもご意見がありました。
まるで私のことかと思ってしまいました。私も、習い事の先生に泣きながら謝った事があります。上の子のピアノのレッスンに下の子を連れていったら、少し騒いで注意されたときです。
この世の中の人は、(佳織)先生のように、子供だから、と思ってくれる方ばかりじゃなくて、母親の教育が悪いから、と思う人が大半なんですよね。
受付のスタッフさんによると、「この先生はピアノを触ってもいいんですか?」「この先生はダメですか?」っていう質問があるそうです。
これは、今まで受けてきた教育の中で、理由をきちんと説明もされず怒られたり、人によって判断が違うことをまるで世の中の決まりかのように叱られたり、そうやって「少しずつ学んで自分で判断できるようにする」というプロセスをすっ飛ばされた結果、「とにかく、その場にいる一番偉い人が言う通りにしておくのがもっともトラブルが少ない」と学んでしまったんですよね。
上記の方のような経験があると、そりゃあいくら「おさんぽリトミックでは子どもの成長に合わせて暖かく見守りましょう」なんて言ったって、「結局、どうしたらいいの?」って思っちゃいますよね。
ただ、この方の例とおさんぽリトミックが違うのは、おさんぽリトミックの場合は「ピアノを触っている子が対象のレッスン」であること、上記の方の場合は「上の子のレッスン」であること、そういう状況が少し違いますね。
だけど、大人のお母さんが泣きながら謝るほどのことではないのは確か。よほど「常識ない!」とか怒鳴られたのかな・・・?せつないですね。
困った子の話、途中で帰ってしまったお母さんの話を読んで。
子どもは、私の作品、私の一部。
特に一番上の子のときは感じていました。○○ができる→私が教えた
△△できない→なぜ?私の教え方が悪いの??→自己嫌悪
この繰り返しでした。
だから、子どもが注意されたことは、私の作品が注意され、つまりそれは、私の制作過程(子育て)が悪い?こんなに頑張ってるのに、否定された気持ち。
私自身のあるあるでした。
子どもを複数育てて、同じように育てたつもりだけど、当然第一子とは、環境が違うし、私も知恵を付けるし、頑張ってやっても、できないこともあると諦めもできるようになったことで、子育ての感覚が変わったと思ってます。
なるほど、そういうこともあるでしょうね。
そして、そのことに気づけたら、冷静に考えられるんだけど、渦中にあるときは聞く耳も持てないですよね。
時間をかけて、母も成長ですよね。
一年前、初めてのおさんぽリトミックに参加した日は、雪景色が素敵な日でした。
あいホールの広いお部屋で、
英語のCD(?)が流れていて、
かおり先生のやさしい声とピアノ~
ワクワクしていました。
ところが…
「えほん」
の場面だったと思いますが、
一人のお子さんが、
結構、タイミングよく、ピアノを鳴らしてしまって…
効果音みたいで、私としては、アリ⁉とも思いましたが、
あるお母さんが、(自分の子ではないのに)その子を「うるさい」と言って、ピアノのイスから抱えて下ろしました。
かおり先生も他のスタッフの先生も、
参加している親子も、
その後は、何事もなかったようにしていました。
一緒に参加していた夫と、
「どうすると良かったのかなぁ?かおり先生はどんな考えだったのかなぁ?話をしてみたいね~」
と会話をしていました。
数回後、
別の先生でしたが、
「レッスンの前は良いけれど、
レッスン中は、先生がピアノを弾くので、
さわらないでね。」
と話してから、レッスンがスタートしました。
はい、このときのこと、よく覚えています。
おさんぽリトミックの場では、わたしはただ観察して「そうか、こういうこともあるか」に留めます。
「どうするとよかったか」で言うと、これはわたしの考えですけれど、誰にも悪気がないわけなので、本当は、「ほどほどのところ」で弾いている子のお母さんが「今はやめようか」とそうっと引き離すのが誰も傷つかずに済んだかな、と思います。
椅子から下ろしたお母さんも、きっと、そんなことまではしたくなくて、ギリギリまで待っていたんじゃないかと思います。
でもね、「ほどほどのところ」って、じゃあ、いつよ?ってことは、「何音くらい?」「何秒くらい?」って測れないです。
1才くらいの子が弱〜い力で鍵盤を触ったか触ってないかくらいの音量だったら全然邪魔じゃないです。
でも3才くらいの子がバンバン!!!って低音や高音を弾いちゃうと、すごく耳障りです。
そんなの、測れないし、誰にも決められないですよね。
「レッスンの前は良いけれど、
レッスン中は、先生がピアノを弾くので、
さわらないでね。」
って決めてくれると、みんな考えなくて済むから楽チンかもしれないけど、いつまで経っても「ほどよい加減」って学べないじゃないですか。
音楽教室ミューレでは、長いスパンで責任持ってフォローできますから、わたしの対応はまったく違います。
もし、ミューレで同じことがあったら、その後、それぞれの家庭環境、育ってきた過程、性格などをひたすら観察します。
そして、わたしの場合は、当事者ではなく、その周りで見ている親子、要するに、切羽詰まってない余裕のある方々に、周りから固めていくように問いかけたり考えたもらったりして、
「ある程度、おおらかな気持ちで、子どもも親も成長を待ちながら、ほど良い加減を模索していきましょう。
それを待てる空気を、余裕のある方から率先して作りましょう」
というように指導していきます。
そうして、ピアノをバンバンと弾いてしまう子がいたとしても、そのお母さんがゆとりを持って観察しながら「今はやめようか」と穏やかに教えることができ、その親子を見守って待ってあげ、「うちの子は触らないけど、あなたの子は触る」という区別はナシに、「縁あって同じグループで共に成長する仲間」として全員が当事者意識を持てるようにじわじわと集団を育てていきます。
どんな場面でも通用する「たったひとつの正解」なんか出さなくてもいいじゃん、そのときに集まったメンバーによっても違うし、タイミングによっても違うし、その都度、誰がどう動いて判断したら一番いいかなぁって、みんなが考えて、できる人がやればいいじゃん、っていうのが、ミューレの方針です。
本当は、おさんぽリトミックでも、そんな風に「みんなで育つ」ことができたらいいなと思っています。