生きる力って何?
先日、地元のイベントに、わたしの教室の生徒たちが出演しました。
会場は、フルーツパークという施設で、いつもは入場料が必要ですが、この日は特別に無料開放されました。Googleマップで見てもらえると分かるのですが、浜松でもかなりの外れの方にポツンとあり、そこへ向かうには1本道を通ります。
見渡す限りの畑の中を通るのですが、わたしの車も大渋滞で全然動かないし、はるかかなた、田んぼの向こうにもミニカーみたいに車の列ができているのが見えました。この2本が合流して、踏切を渡り、一本道を進むのです。
どう考えても間に合いません。
わたしは生徒をふたり乗せていました。それで、本番用のCD音源と進行表を託し、出演受付を済ませ、音響さんにCDを渡すように頼みました。生徒たちは歩いて会場へ向かいました。
途中、のろのろと動くわたしの車の横を「行ってくるよ〜!」と楽しそうに手を振る生徒が何人も通過して行きました。
中高生のLINEグループに「到着できないかも(汗)あとはよろしく!」とメッセージを送りました。「りよ」だのスタンプだの、「○○ちゃんと合流した!」だの「着いて甘酒飲んでる」だの、呑気な返事が続々と返ってきました。
わたしは、ひとつも焦ることなく、強いて言えば「本番が見られないかも(涙)」という、保護者のような残念な思いはありましたが、わたしがいなくても何も心配はしていませんでした。
まぁ、素晴らしいステージにするだろうとは思っていましたが、そうでなくても、今できる最大限の力を尽くすだろうと思っていたからです。
できれば練習通りの歌をお聴かせしたいけれど、これはハプニングですから、起きたことの中でなんとかするしかない。5才から中高生までの子ども30人が全力で対応するだろうとわかっていたので、わたしはその結果に対しては受け止める以外、何もすることはありません。
結果として、なんとか間に合ったのですが、わたしがやったことは「記念品のジュースを配るおばちゃん(笑)」と、最高に邪魔なポジションでただただノッている1ファン、というありさまでした。なんなら、いない方が緊張感あふれる素晴らしいステージになったかもしれません。ごめん、みんな!
***
さて、こんな風に思うのには、もちろん、根拠があります。
練習段階で、わたしはこんな二つの指導をしていました。
ひとつめ。
本番の1週間前に、立ち位置を変えました。変えてから、1回通してみました。当然のことながら、グダグダでした。全然自分の立ち位置が分からず、おろおろしていました。幼稚園児や低学年の子は、ぼーっと立っていました。それで、わたしはこう言いました。
「こんなこと、幼稚園の子には難しいし、先生がやらせようとしていることの方がおかしいって分かってる。
けど、やって。
ひとりひとりがちゃんと頭使えば、あなたたちならできると信じてる。
5才でも6才でも、頭を使って。自分がどう動くか、ひとりひとりが考えて」
一度も、こう動くの、あなたはあっち、とやり直しませんでした。3年生が幼稚園児に「向こうだよ」「ここだよ」と教えたくらいです。
2回目。
全員が一発で完璧に立ち位置に立ちました。
次の週、つまり本番前日、一度も誰も立ち位置を間違えませんでした。
正確に言うと、たぶん分かっていない子、忘れていた子もいたと思います。でもわたしには分かりませんでした。すべて、子どもたちの間でこっそりと修正が行われていたからです。
"ちゃんと"できなくてもいいのです。対応すれば。
お客様に分からなければいい。
そのことを、少なくとも3年生以上の子には身に沁みて理解できています。わたしはいつもそのことを言っているからです。
さて、本番前日。
「どうしようかな・・・。よく歌えてるからな・・・。もういっこ、演出を増やそうかな・・・」
わたしがそうつぶやくと、2〜3人の子が
「え〜〜〜〜〜っ!!!!」
と言いました。
例のアレ。子どもがよく言うやつです。
そういう、中身のないセリフに厳しいわたしは、すかさず、
「やりたいか、やりたくないか。
どっち」
「やりたい」
「じゃあ、とっさにそういう意味のないセリフを言う癖をやめなさい。損するよ」
「はい・・・」
それで、新しい演出を増やしました。
そして、最後にこう言いました。本番前はいつも言うことです。
「もうやることはやった。何かあったら対応して」
"渋滞で先生が到着しないかも"は「何かあったら」の「何か」なわけです。
だから、子どもたちは頭を使って考えるだろう、と。
考えた末にどうするかは問題ではありません。
なんとかしようとすること。
対応すること。
失敗してもいいのです。
よくないのは、言われた通りにちゃんとやろうとするあまり、練習と違うことが起きたら総崩れしてしまうこと、人のせいにすること、自分に不満を残してしまうことです。
本番は、リハなしの初めての舞台ですから、練習とは全然違いました。立ち位置もズレズレになりました。でも、大事なことは「歌を届けること」です。「もともと、どういう立ち位置だったか。ちゃんとその通りにやっているか」はお客様には関係のないことです。
そうして、歌った本番の様子がこちらです。ひとりひとりが、それぞれに今できることをやっている様子を、ぜひ見てください。
何かあってもなんとかする。
それが「生きる力」です。
"なんとなく"では身につきません。いちかばちかではなく、生きる力を確実に身につける唯一の方法は、「教育」です。
もちろん、音楽教室ですから歌も上手です。でも、それ以上に、この対応力=生きる力がつくこと、しかも、生まれ持った性格は関係ないことがわたしの自慢です。先生がいなくても、この教室を辞めても、ずっと消えない力だからです。
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