ディズニーランドで歌います
わたしが歌を教えている子どもたち、音楽教室ミューレのクワイヤクラスとパフォーマンスクラスが、東京ディズニーランドで歌を歌うことになりました。
吹奏楽やチアダンスなどがよくディズニーランドで演奏したり演技したりしているのを目にしたことがありませんか?
歌で合格している例はほとんどなく、難しいだろうなとは思ったのですが、せっかくディズニーの曲をメドレーで上手に歌えているので、チャレンジしてみることにしたのです。
浜松からですから、ただ行って帰るだけでも相当なお金がかかります。時間によっては宿泊しないといけません。また、応募にはとても厳しい条件があり、そのひとつとして、服装は靴にいたるまで全て、衣装としてきちんと揃えなくてはいけない、ということがありました。
ご家庭ごとにお考えもあるかと思いましたので、希望制にすることにしました。また、出演希望者は教室内でオーディションを行いました。
金銭的なことから送迎などのご協力まで、ただ「行きたい!」というだけでは済まないくらいのご負担をかけてしまいますので、以下の約束のもと、本人と保護者の署名をいただきました。
□「やりたい!」という強い気持ちを持っています
□スケジュールを空けられます
□歌詞を覚え、ひとりでも歌えます
□リハーサル、特別レッスンに優先して出席できます
□衣装購入に協力できます
□出演料を支払えます
□キャンセルしません
□小学生以上です
□SNSやブログ、広告などでの顔出しOKです
□保護者様が送迎、支払い、メールでの連絡確認などに協力できます
□ミューレの代表としての自覚を持ち、自分を精一杯出し切って本番にのぞみます
高校受験、大学受験の子もいますので、わたしとしては、5名の応募があればわたしも歌に加われば申し込みできるかな、と思っていました。
するとなんと、30名近い応募がありました!
よほどのご理解をいただけているのだと、引き締まる思いがしました。本当にありがたいことです。
オーディションでは、小学校1年生の子も、一生懸命、自分の言葉で「どうして申し込んだか」などお話でき、わたしともう一人の先生の前でひとりで歌を歌うことができました。
また、オーディションの結果を出す前から、レッスンに対する取り組み方がガラリと変わりました。
でも、全員通すということはしませんでした。残念ながら落ちた子にも、ひとりひとりと保護者様に理由のお手紙を書き、郵送で審査結果を送りました。
このオーディションだけでも、やってよかったと思えるくらい、ひとりひとりにドラマがありました。良いドラマもあったし、マイナスのドラマもありました。保護者も泣きました。けれど、たとえマイナスであっても、わたしは何もないよりずっとずっと良いと思います。こういう経験がどれだけあったかが、人生を豊かに強くします。
普段は隠れている、我が子のふがいなさを目の当たりにして、辛い思いをした保護者様もいました。それでも、わたしは、今、このような形で分かってよかったと思いました。分かったら行動するのみですから。
ディズニーランドに応募してから結果が送られてくるまで、1ヶ月くらい時間がありました。
本当の本当に、正直なことを言いますと、わたしは半分以上、諦めていました。子どもが悪いのではありません。
わたしは、こういうときに「受からない」という人生をずっと歩んできました。いいところまではいっていると思います。でも、受からないんです。詰めが甘いからです。ずっとそういう人生でした。
だから、こうして「応募できる」というところまではできるけれども、たぶん、今回もだめだろうと思っていました。
ところが、合格のメールが届き、わたしは飛び上がりました。自分でも笑っちゃうくらい、ちょうど、長男が目指す大学の合格通知をもらったときと同じ反応でした。
合格したことをすぐに応募者にメールで伝えたところ、小学生たちは大喜びした、と保護者様から聞きました。でも、中高生は案外、冷静でした。
わたしは、「もしかして、自分たちの歌がうまいと思ってるのかな。だから受かったと思ってるのかな。だとしたら、そんなに甘いもんじゃない、もっともっと精度を上げないといけないよということと、大人が動いたから合格したんだから、それを忘れるな、ということを伝えなくては」と思いました。
それで、中高生に聞いてみたところ、「受かると思ってた」と言うのです。
それはなぜかと聞いたら、
「ミューレで挑戦したことがダメだったことがないから。
ミューレでやることは、全部うまくいくから」
とのことでした。
へぇ、と思いました。
ともかく、成功体験が重なっていて、こういう自信があるんだなと思いました。わたしとしては、前述した通り、「自分はうまくいかない人生を送っている」と思っていましたから、生徒がこのように思っていることがとても意外でした。
さて、ダメだろうなと思っていたわたしですが、考えてみたら、ここのところ、そういえば申し込んだものが「通る」という経験が増えているな、と気づきました。
わたしは子どもの頃から「一生懸命がんばって、その証を出せば受かるはず」と思っていたように思います。勉強も音楽も、すごくがんばっていたと思います。
けれど、「やり方=通し方」を教わっていなかったように思います。通し方があるとも知りませんでした。
こういうものは一か八かで、がんばって身につけたものがズレていたり足りなかったりしたら落ちるし、当たれば受かると思っていました。
でも、わたしは、わたしの息子たちが「まず目標を明確に定め、それをクリアするために何をどうするかという作戦を立て、着々と”相手が求めているものを出せる”まで準備を重ねる」という方法で、着実に狙ったことを成し遂げている姿を見て、ようやく、「先方が求めているものを過不足なく提出する」という方法を学んだのです。
目標と作戦、相手の求めているものさえはっきりすれば、あとは、しつこく、しつこく、受かるまでしつこく挑戦し続けるのです。その間、気持ちの浮き沈みは全然なく、たとえばうまくいかないことがあったり点が悪かったりしたとしたら、落ち込むのではなく、また分析をして作戦を立て直す。ずっとそうやって、淡々と目標に向かう姿を見続けてきました。目標を失っていないので、「諦める」ということもありません。
この方法は、わたしが教えたのではないのに息子たちが二人とも身につけているということは、偶然ではなく、育ちだろうと思います。それは何故だろうかと考えました。明確にこうだ、ということは分かりませんが、わたしとわたしの両親とで、決定的に違うことは、以下の二つです。
・「あなたならできる」と心から思って伝えていたこと
・金銭的にも地理的にも時間的にも制限をかけなかったこと
もし、わたしが幼いころからやろうとしたことを「きっとできるよ」と言われていたら、そして、「うちにはお金がない」とか「そんなこと無理に決まっている」というようなキーワードを無意識のうちに植えつけられていなければ、もっと早く、「うまくいく」という経験を重ねていくことができたのではないか、と思います。
けれど、これは後悔や恨みではなく、ただの分析です。
「ミューレでやることは全部うまくいく」と子どもたちが思っているのは、わたしが生徒にも「あなたならできる」「可能性は無限だ」ということを伝えてきたからではないかと思います。そして、うまくいくまでやり続けているからではないかと思いました。
出演するのは6月23日です。子どもたちにとって、保護者にとって、わたしにとって、教室にとって、大きな大きな夢の体験になります。
でもね・・・、写真や動画は一切、ネット上に上げてはいけないという決まりがあるんです・・・。見ていただけないのはとても残念です。
これでやり方は分かったから、数年に一度は挑戦し続けようと思います。