小1の女の子がレッスン中に泣き出したわけ
世の中には、子どもを「こういう風にすれば、スムーズに言うことを聞かせることができる」というノウハウがあふれています。
求める人がいっぱいいるからです。
わたしは、それは人間を育てる教育だとは思いません。
人間を育てる教育は、もっと泥臭く、自分も悩み、ぶつかりながら、考えて考えて、心を動かして、最後まで答えなんか分からないものだと思います。
答えのない問いを投げかけるだけ投げかけて、子どもは大人からぶつけられた問いを「なにくそ!」と思いながらひとつひとつ、実体験として味わっていく。心と脳を動かして、人間らしい思慮深さを身につけていく。それが教育だと思います。
だから、大人は、自分だって何が起こるか分からないところに身を置いて、問いを投げかけ続ける必要があると思います。
答えがない。それが人生だよ、って。
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1年半ぶりに歌のクラス(クワイヤ)を再開しました。今でも、これでいいのか、悩んで迷ってます。
わたしは、自分の教室は、私立の教育機関だと思ってます。
家でも学校でも学べないことを教える機関。
グループレッスンで、未来の人材を育てる機関。
自分で考え、自分で行動できる子どもを育てる機関。
音楽は手段です。
中でも異年齢で歌う歌は、練習の過程に、生きる上で大切なことを具体的にたくさん教えることができます。
とはいえ、それはわたしのエゴなのでは?フジロック開催と同じなのでは?と、本当に悩んでいます。
ひとつの方法として、全員、毎回、簡易PCR検査をしてからレッスンすることにしています。「だから大丈夫」と思っているわけじゃないんだけど。。。
初回には、「検査が怖かったか」という話をしました。
わたしも怖かった。だから、子どもと共有します。
「何が怖かった?
検査そのものが怖かった人〜?
陽性が出てしまうんじゃないかって怖かった人〜?
先生も怖かった!!
死ぬほどドキドキするよね。
これは犯人探しじゃなくてね、陰性だから合格ってことでもなくてね、陽性にはなるんだよ、誰でも。
そうなのだとしたら、早く分かって対処できた方が絶対にいいの。
検査するってことは、自分の体がなんともないってことでしょう。
自分の体がなんともなくて、でも検査で陽性ってことは、それは「無症状」って言うの。
無症状、って意味、分かる?元気です、問題ないです、ってことなんだよ。あなたは病気じゃありません、って。
けど、体の中にはウィルスがいるから、家でじっとしておいてね、そうしたらうつさないから、って、ただそれだけのこと。わかった方がいいの」
6才の子にも、今、わたしが大人として伝えられる、本当のことを、真摯に語って聞かせます。
こういうことを繰り返すことで、子どもたちは「深く考える」「自分の頭を使う」という練習になり、大人と真剣に話すことに慣れていきます。
だからいいってことでもない。
本当に悩ましいです。
コロナ禍お休み後、はじめての歌として、かりゆし58の「オワリはじまり」を教えて歌いました。
「もうすぐ今日が終わる
やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい
燃えるような恋をしたかい」
もうすぐ今日が終わる時間って、何時だろう?
親友って何?
子どもたちと話し合う。
そうして、ようやく出だしを歌ったとき、1年生の女の子が急に泣き出しました。
しゃくりあげて泣いているから、教室の外に連れていき、「どうした?何があった?」と聞いたら、
「あのね、あのね、いい歌だったからさ…」
って。
よしよしって背中をなでながら、歌の力、音楽の力って、生きる力だと思ったんだよね。
終わったあとに、「クワイヤ、楽しかった…」「だよね」って、小5と小6がポツリと言っていた。
決して楽しくも面白くもない、クソ真面目なレッスンなんだけど、子どもって、まじめさを求めてる、本当のことを大人と話したがってると思うんだよね…
それって、「脳を使いたがっている」っていうことだと、わたしは信じて子どもに向き合います。
子どもはけっして、「何も考えずに、楽に大人がコントロールできる状態」を望んでいるわけではないと思います。
何も考えず、言われた通りに行動して、ダラダラとやる気も覇気もなく、人生に夢と希望を見出せなくなるのは、小さい頃に大人がラクするようにノウハウで育てた結果だと思います。
じゃあ、やる気ってどういうところで培われるかというと、「明日はもっと大きな砂山を作るぞ!」っていう、そういうしょーもない意欲からだと思います。