生きるのが不器用なひと必読! 今再び、おれの中で『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』が熱い
漫画『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(略称・わたモテ)が、今、青春群像劇として最高に面白く、また生きるのが不器用なひとにとって希望となる作品だなと思ったので紹介したくなった。
わたモテは2012年にアニメ化され、そのBlue-rayのブックレットのライティングにはぼくも携わったことがある。
だからぼくとしては元々思い入れの深い作品なのだけれど、その当時は、陰キャでコミュ障でオタク女子な主人公の黒木智子(もこっち)が、高校に入学してからクラスメイトに馴染もうと孤立奮闘し、毎回空回りしては全く友だちができない姿がコミカルに描かれていた。
作風としては友だちがひとりもできない「ぼっち」のもこっち視点でストーリーが展開。もこっちが自分の事を相手にしてくれない周囲のクラスメイトをリア充認定して、一方的に恨んだり嫉妬したりしていくのだが……。でも実は彼らは単なるいいひとだったりと、もこっちのその歪んだ性格と自意識過剰な思い込みによって、周りと全然噛み合わないところがこの作品の面白さでもあり、切なさでもあった。
そしてそれは、本当は他者と繋がりたいのに、自分が不器用で努力してもうまくいかないから周りを悪い奴らだと思い込むしかない学生時代を送った多くの人たちの共感を呼んだ。「ああ、自分の学生時代もこんなこと考えていた」「今でも会社でこんな感じだ」と。
人とのコミュニケーションにおいて自意識の中で駆け巡って勝手に消耗する主人公というのは古今東西数多くの作品に登場するが、萌えの系譜の漫画作品でここまで主人公の独り相撲のルサンチマンに溢れたものは珍しく、新鮮で滑稽だった。
もちろん、こういう負の感情を人とのコミュニケーションの問題で勝手に持ってしまうことは大なり小なりぼくら自身にも当てはまることだ。だからこそ、これは自虐的な笑いでもあり、オタクたちの心を辛いながらもギュッと掴んだのである。
ただ、この内面で勝手にドタバタしているもこっちというパターンには限界があって、アニメ化1年後くらいには話題にあがることも少なくなってしまった。いくらギャグ漫画とはいえ、ずっとそんなもこっちを見続けるというのは読者としても辛かったというのもあったのかもしれない。
それから数年の月日を経た現在、連載はまだ続いているが、もこっちにも少しは友だちができたのだろうか。
するとどうだろう。最新巻14巻ではなんともこっちが女友達たちに囲まれ、まるで百合ハーレム状態になっているのである!
「え、何これ?同タイトルで別の作品!?」状態。もしくはもこっちが交通事故にあい、植物人間状態で見ている幸せな夢だったりするのだろうか。
いや、これは夢オチでも別作品でもなんでもない。紛れもなくあのもこっちの物語なのである。
というのも、単行本8巻に収録されている「修学旅行編」から作風の構造が大きく変化した。それまで、もこっち以外のクラスメイトは基本的に全員モブキャラだったのだけれど、修学旅行で強制的にグループを組まされてからは、そのグループでもこっちと一緒になった吉田さん、ゆりちゃん、うっちーというキャラクターが描かれていくようになったのだ。
具体的に言うと、もこっちは元々人との付き合い方が不器用。だから毎回不用意な発言や行動を取ってしまい、それに対するリアクションとして彼女たちの性格やタイプがわかってくるといった感じなのだ。さらにそこから彼女たちが内面で考えていることにもフォーカスされていく。
これまでもこっちのモノローグだけで進んできた作品が、ここに来てそれぞれの内面にスポットを当てた群像劇へと大きく舵を取るのだ。その移り変わりが本当に絶妙で上手い!いつしか、読者はもこっちだけではなく、ほかのキャラクターにも感情移入できるようになっていく。その人間関係の環が回を重ねていくごとにどんどんと広まっていった。
そういった中で、もこっちのモノローグだけでは見えてこなかった、リア充に見えたほかのクラスメイトも実は色々なコミュニケーション問題を抱えており、仲間はずれにならないように人の顔色ばかり伺っている子もいれば、表面上、仲良さそうに取り繕っていても自分の本当の夢などは馬鹿にされるのが怖いから明かさない子がいたりといった側面が見えてくる。
なんだ、羨んでいた人たちもそれぞれの立場でそれぞれの悩みは持っているんだという当たり前の事を改めて気付かせてくれる。もこっちもそうやって話せる友だちができたことで、勝手な決めつけや嫉妬をする度合いが少しずつ減っていく。自意識過剰なところと性格の悪さはあまり変わらないのだけれど笑
そんなもこっちの人間的成長が見られるのが12巻に収録されている卒業式のエピソード。3年生の今江生徒会長と言葉を交わしたことで、もこっちはこれまで彼女がもこっちのことを陰ながら気にかけていてくれたことに気付く。
修学旅行前の人と関わっていなかったもこっちだったら過去の恥ずかしい黒歴史として流していただろう事柄が、今江会長から優しさを与えられていたという鮮やかな思い出へと変わっていく。そして自分のことだけしか考えてこなかった事を反省するのだ。
1巻の頃、クラスメイトの輪に入れないからと一方的に周囲を恨んでいたもこっちを見てきた身としては、この成長っぷりにはやはり感動を覚える。また、先にも書いたが何よりこれはぼくら自身の投影でもあるのだから、自分のことばかりではなく、自らが与える側にならないと大人にはなれない(卒業できない)という事を突きつけられ、感情を大きく揺さぶられるのだ。
しかし、そんな与える側の人間ではないと反省するもこっちだが、実は既に他の子に対して与える側になっていた事がそのあとで明かされる。それはリア充だと思っていたクラスメイトのネモのエピソードでだ。
ネモの友達たちはみんな陽キャでネモ自身も陽キャとして振る舞ってきた。しかし、実はネモは声優を志望しているアニオタで、それを学校の友達たちには隠しているのだ。「もしオタクだとバレたらハブられるんじゃないか?」いつも明るく振る舞っていたネモにとってそれは恐怖だった。しかし、そんな表面的な付き合いをしないでずっと「ぼっち」でいたもこっちを見て、ネモは一歩踏み出す勇気をもらうのだ。
もこっち自身は気付いてないが、十分に与える側の人間でもあったのだ。明るくてポジティブな人間だけがひとに勇気を与えるわけではない。一見すると誰の役に立っていないように見えても、ネガティブだったとしても、それが回り回ってひとに力を与えていることもあるのだと。
どんな人間であれ、生きているだけで周りのひとを元気付けたり役に立っていることもある。そんなメッセージ性をぼくはこのシーンで強く感じ、勇気をもらえた。
なので、ひととのコミュニケーションが苦手、ひきこもり、陰キャなど、生きるのが不器用なひとにはぜひ読んでもらいたい作品である。
最初はもこっちと一緒に世界に対して毒を吐きまくり、8巻以降はもこっちと共に個性的なキャラクターたちに囲まれながら癒やされてもらいたい。
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