入院前 周囲の応援とナーバスな私
入院まであと数日に迫ったころ。
職場の親しい人たち数人に、何によって入院し何をしてくるかを伝えておいた。
反応は様々で、そのひとつひとつが励みになったし、私の心を揺さぶった。
パートタイムの60代女性
先日も記述した、子宮全摘出の大先輩である彼女。
「取ったら楽だよ。ちょっと寂しいかもしれないけど、あとですっきりするって、絶対」
経験者は積極的かつ肯定的に捉えてくれる。
応援の追い風と感じて、心強く感じた。
受付窓口の40代女性
職場の受付窓口をいつも担当している40代の女性。
他の20代の受付2人を束ねる頼れる姐さん。
大学生の息子さんと小学生の娘さんをもつ二児の母。
キャリアは長いが、お局さま化することなく、明るく柔軟で誰からも好かれるキャラクター。
「練りものちゃん、今度長く休むみたいだけど、どうしたの?」
廊下で通りすがりに尋ねられる。
周りに誰もいないので、話してもいいかなと思った。
「実は、子宮筋腫がなかなか悪くて、子宮全摘出しようと思って…」
「えっ…」
みるみるうちに目が赤くなっていく。
「ごめん、ちょっとショック…」
「や、泣かないでください」
ふわっと手を握られ、泣かれてしまった。
「これは別に、悲しい決断じゃないんです。今よりもっと元気になるための、前向きな手術です」
「…そうだよね、前向き。前向きに考えなきゃね!ごめんね、私のほうがこんな…」
ぐすぐすと鼻をすする音。
「自分の子どもは産めないけれど、子どもを育てる方法はそれだけじゃないと思ってますし!」
「そっか、そうだよ。それだけじゃないもんね」
実は、彼女の上の息子さんは、再婚相手の連れ子なのであった。
彼女であれば、私のこの言葉をわかってくれると思った。
「じゃあ、手術、頑張ってね。応援してるから!」
細い指で手をぎゅっと握られ、その暖かさで私も少し泣きそうになった。
パートタイムの40代女性
パートタイムで職場に来てくれるおっとりした女性。
中学生と小学生の2人の娘さんを育てる母でもある。
昼休みの雑談の中で、この話題に至った。
「いやぁ、子宮取ることにしたんですよ。前の手術でも取りきれなくて、あまり良くならなかったもんで…」
私がそう打ち明けると、
「…そうですか…そうなんですね…そう…」
と彼女はつぶやきながら俯いてしまった。
「…うん、でも…そう決めたんですよね…」
鼻水をすすり上げる音が聞こえる。
そんな、困らせたくてこんな話をしたつもりではなかったんだ。
「そ、そうです!貧血とか出血の不便とか、今のこの困った状況を、より改善するためのね!最善の選択というか!」
またも泣かれてしまい、動揺してしまう。
こういうときに道化を演じようとしてしまうのは、小さいころからの私の悪い癖だ。
この場合、泣いていることをこちらから認めるべきではないな。
私はできる限り柔らかい表情で、彼女を見つめながら何度も頷いてみた。
やっと顔をあげて目が合う。
目が赤い。
こんな私を思って泣いてくれた、というよりも、大事な2人の娘が同じ選択をしたら、ということを思って泣いているのだろうか。
「そういうことなら…これから良くなるといいですね」
まだ心にわだかまりがあるのか、少し困ったような微笑みだった。
92歳の認知症の祖母
入院前夜。
母は毎晩、92歳の祖母に寝支度をさせ寝かしつけるが、私の入院の前の晩も同様だった。
「さっきおばあちゃんに『練りもの、明日入院して手術するんだよ』って言ったら『なんで?』って返してきて、『子宮を取るんだよ』って伝えたら、『かわいそうに、かわいそうに』って何回も言ってたよ」
「へー」
平静を装って返事をしたものの、内心ではかなり狼狽えた。
「あの状態でもわかってるのかねえ」
母は笑う。
祖母の中にある女としての本能みたいなものが反応したのだろうか。
「そのあとトイレに行って、出てきて布団に入るまでにも、何回も『かわいそうに、かわいそうに』って言ってたわ」
それを聞き、少し目が熱くなってしまった。
同情されたのが単純に嬉しかったのだろうか。
しかし祖母の言葉は、これまでの人たちの反応とは明らかに違う。
直接言われたわけではないとはいえ、こうもストレートにかわいそうと言われたのは初めてだ。
皆思ってはいても言わなかっただけなのだろう。
「子宮が健全ではない女は可哀想」
こうした世間の見方が一般的なのかもしれない。
あの認知症のおばあちゃんにまで心配されたことが、かなり衝撃であった。
入院前日ともなると、私の気分はかなりナーバスになっていた。
何でもないようなことで泣きたくなり、いつも涙を堪えている状態。
でも恥ずかしいし、目が痛くなるから泣かない。
出血していないかわりに、水分が目に回ってきたかのようだ。