『千歳くんはラムネ瓶のなか』五巻の感想を書くためにNoteを始めた男
初めまして、矢五八寝倉(やごはち ねくら)と申します。
普段はツイッター上でちょっとした小説や映像を作ったりしている者です。とは言っても、大半の時間はゲームやってたり動画見てたり大学の課題をしているのですが。
私の自己紹介は手短に済ませることとして、早速ですが本題……の前置きに入らせて頂きたいと思います。おおよそタイトルの通りです。
『千歳くんはラムネ瓶のなか』という作品について
まず、先日、4月20日に『千歳くんはラムネ瓶のなか』という、小学館によるライトノベルレーベル、ガガガ文庫から刊行されているシリーズの、第五巻が発売されました。
このシリーズは2019年6月に「第13回小学館ライトノベル大賞」の優秀賞受賞作として刊行が開始されたシリーズで、その歴史は二年弱とまだまだ短いながら、『このライトノベルがすごい!2021』にて、ありとあらゆる強力なライバルを退けて一位の座に輝くという快挙を成し遂げています。
ジャンルは青春ラブコメとなっているこのシリーズですが、なんと言っても一番の特徴は「主人公が最初からリア充」だということ。
……いや、まぁそりゃ視野を広げれば世間一般的にリア充と言えるようなキャラクターが主人公として活躍している青春群像劇なんて、一般文芸とかには結構あるんですけど。
『はがない』や『俺ガイル』を契機に、10年ちょっと前からライトノベル界では「残念系青春ラブコメ」や「ひねくれ系主人公」に焦点を当てた青春ラブコメが数多く生まれ、そして決して少なくない数のシリーズが人気を博しました。そのためか、少し前まではライトノベルで出ている青春ラブコメと聞くと、「ちょっとイタい感じで陰キャっぽい主人公が、なんやかんやあって美少女と仲良くなるみたいな展開が多いんでしょ」、という感じの雰囲気があったように思います(少なくとも私は一時期そういう認識がありました)。
しかし、近年はそういった括りに縛られることの無い、新しいタイプの青春ラブコメが現れ始めました。同レーベルから刊行されており、2021年冬クールにアニメも放送された『弱キャラ友崎くん』なども「人生攻略系青春ラブコメ」と謳っており、出発点こそ上述の「ラノベっぽい青春ラブコメ」に近しいものでしたが、結構新しい切り口の青春ラブコメとして、一巻発売当時から話題になっていたように思います。
その後を追うようにして現れた『リアル〝強キャラ〟系青春ラブコメ(第一巻初版時帯より引用)』が、この千歳くんはラムネ瓶のなかなのです。
主人公の千歳朔(ちとせ さく)は、いわゆる「イケメン」で、常にクラスの中心にいるような、まさに強キャラ、もっと平たく言えば「陽キャ」な男子生徒。
となると、必然的にその周囲も強キャラが集うわけで。
テニス部所属の天真爛漫な少女、柊夕湖(ひいらぎ ゆうこ)、バスケ部のツートップにしてライバル同士の七瀬悠月(ななせ ゆづき)と青海陽(あおみ はる)、吹奏楽部所属で努力家な内田優空(うちだ ゆあ)、男子バスケ部のエースである浅野海人(あさの かいと)、サッカー部のブレーン的存在、水篠和希(みずしの かずき)といった、まさにリア充がリア充でリア充するために集ったような、THE・リア充なグループが形成されています。
物語の多くは、そんな7人の少年少女、あとまぁ途中から我らがオタクくんの山崎健太(やまざき けんた)約一名が増え、更には時折風のように現れる謎めいた先輩、西野明日風(にしの あすか)も含めた9人を中心に動いていきます。
さて、ひとえに強キャラ強キャラと言いますが、弱キャラから見れば順風満帆な人生を送っているように見える強キャラだって、決して楽に人生を生きているわけではありません。
強キャラだって一人の人間です。人並みに様々な困難が襲いかかります。
時には、不登校生の説得を押しつけられ。
時には、不良高校の生徒と衝突し。
時には、進路のことで悩み。
時には、部活のことで仲間とギクシャクしたりする。
文章にしてみれば、たったそれだけ。ありがちな青春の一ページ。ましてや青春ラブコメなんて謳い文句で、ライトノベルとして世に出ている作品としては、他の作品と比べてしまえばあまり派手な出来事ではないかもしれません。
ヘンテコな部活に参加するわけではない。まして立ち上げるわけでもない。同人ゲームを作るわけでもなければ、ゲームのランキングで一位を目指そうとするわけでもない。確かに、抜きん出た特徴は無いようにも思えてしまいます。
けれど、そんな意見をいとも容易く覆してしまえるほど、この作品には圧倒的なまでの「質感」があるのです。
それは例えば、叩き割った窓ガラスの破片。
初夏の日暮れに公園を包む雨の音。
宵闇を煌々と照らす都会の喧噪。
夏空に吸い込まれていく汗の匂い。
ほんの些細な一つ一つの描写を、これでもかというほどの表現力で読者に突きつけていくのです。さながら、まるで自分がその場にいて、同じ景色を共有して、体感しているかのように。
そうして、気付けば引き込まれていく。朔たちの青春を、人生を、彼らと共に追っていきたくなる。その結末を、この目で見届けたくなる。
『千歳くんはラムネ瓶のなか』とは、そういう作品なのです。
もし私のNoteをきっかけにこの作品のことを知った、という方がいれば、以下の内容を読む前に一度でも、一巻に目を通してみてはいかがでしょうか。こちらのリンクに試し読みもありますので、興味が沸いた方は是非。
――何かアフィリエイトっぽくなってない?大丈夫?
如何せんこういう媒体で文章を書くこと自体が初めてなもので、もしこういう書き方が何かしらに引っかかるかもっていうのがあればコメント等で教えて頂けると幸いです。
……因みにですが、公式の略称は「チラムネ」となっています。
狙ってんのか狙ってないのか分からないけど、多分狙ってる。何をとは言わない。
チラムネ第五巻感想(ネタバレ注意ワンクッション)
さて、前置きが長くなってしまいましたが、ここからは2021年4月20日に発売されたチラムネ最新刊である、第五巻に関する感想を長々と書いていくことになるかと思います。
未読の方や、何がどういう経緯でかさっぱり分からんけど目に入ったから読んでみただけでチラムネとか知らんわって方は、ここでブラウザバックを推奨します。知らんわって人はどうせなら試し読みしてから帰って。後悔はさせないから。多分。
……といったところで。
Ⅰ:ロールプレイングゲーム
改めて、先日発売されたチラムネ第五巻。私はなんとか発売日当日に購入することが出来ました。まだ昼下がりだというのに、棚に残っていた冊数は通常版、特装版それぞれ一冊づつのみ。このシリーズの人気を体感するとともに、「あとちょっと遅れてたら特装版逃してたな……」と少し冷や汗をかきました。次巻以降もこうなるのだろうか……。
こちら、私の持っているチラムネの4巻までの写真。
帯に注目してもらえると分かる人は分かると思うのですが、個人的にチラムネは一巻の発売当時からずっと追い続けていたシリーズなので、こうして人気になってくれるのは1ファンとしてもとても喜ばしいことだな、と思います。
そして今回発売された五巻の特装版がこちら。
特装版が出るたびに「通常版の表紙もいいな~」「初版帯欲しいな~」となるのですが、倹約の強いられる学生生活を送っているので流石にそこまで手は出せませんでした。無念。
相変わらず、表紙絵の透明感が凄まじい。reamz先生は素晴らしい。描かれている季節が本編の夏からはややずれて秋になっているのは、今後の展開の暗示か、はたまたあり得たかも知れない風景として終わってしまうのか。まぁその辺は今語るべきではないでしょう。
……そう言えば、これまでの巻で必ず表紙に描かれていたラムネはサイダー瓶の方でしたが、今回の表紙は駄菓子のラムネなんですよね。私は未だに何故こんなにも違う二つが同じ名前を冠していて、しかもそれぞれが『ラムネ』として定着しているのかが不思議でならないのですが、一体どっちが先なのでしょう。やっぱり飲み物の方かな。後で調べてみることとします。
いや厚っっっっっっっっつ
いくら小冊子付き特装版とはいえこれまで見たこともないくらい厚かった。友崎くん7巻の特装版とか俺ガイルの10.5巻ですらこんなに厚くなかった気がする。どっちかっていうとされど罪人は竜と踊る(ガガガ文庫刊)クラスの厚さ。
一般的な程度の厚さであれば「ガガガ」で済むはずの背表紙上の英字も、あまりの厚さに「アガガガガガ」と唸っています。今にもはちきれて爆発しそうな唸り方してんな。
本編は、柊夕湖のモノローグから始まります。
通常版の表紙を飾っていたのも彼女でしたし、これまでの2~4巻の法則に則れば「やはりか」という感想がまず第一に浮かびました。
さぁ、今回のメインヒロインは夕湖。これまでなかなかその腹の内を見せなかった彼女が、ついにスポットライトを浴びるときが来たのだ。……そう思っていたわけです。
チラムネの文章の一番の醍醐味は、比喩表現の秀逸さにあります。今巻も、第一章の最初の一行からフルスロットルでした。一見すると、過剰ではないかと思えるほどに例えに喩えを重ねる文章。しかし、咀嚼し、反芻すればするほど、そこで登場人物たちの思い描いている景色が克明に頭に浮かんでくる。その辺りの匙加減がやはり素晴らしくて、開幕1分で何度も膝を叩きました。「そうそうこれこれ!」みたいな。裕夢先生はやはり天才だと思いました。開幕一分で。まだ何も始まってない。
作中の季節は夏真っ盛り。
蝉の声の一つすら文章では書かれない、一学期終業式の放課後。しかし、夏休みに向けて話を膨らませる千歳たちや蔵センとの会話、夕暮れに染まる帰り道の背景には、確かに蝉が鳴いていたような、そんな気がしてしまいました。
夏休み初日の朝、耳に届いたラジオ体操。
それはきっと、冒険の始まりを告げるファンファーレ。ドラゴンクエストのタイトル画面で流れる『序曲』を彷彿とさせます。
さらに続いた、「さぁ、冒険に出かけよう」という明日姉の台詞をもって。
『ぼくのなつやすみ』は、こうして幕を開けるわけです。
第三巻で大きく印象が変わり、第四巻では正直出番も押され気味だった西野明日風こと明日姉。二巻以前のような独特の掛け合いを見ることはもう叶わないのだろうか……と半ば諦め掛けていた中での、二人きりの冒険。
変化した印象、そして心情は変わらないまま、どこかミステリアスな雰囲気を纏っていた頃の明日姉を彷彿とさせるような、詩的な会話の数々。
その心の内に見え隠れする想い。一人称のモノローグを巧みに切り替えながら、はっきりと示された「初恋」。
――青い。あまりにも青い。
読み進めれば読み進めるほどに、開いた口から金平糖の礫がザラザラと流れていきそうなくらい、美しく儚い青さが、そこにありました。
Ⅱ:軋み始めた物語
特別扱い、とは、なんなのでしょう。
文字通りの意味を受け取ってしまえば、贔屓にされることも、仲間はずれにされることも、人気者になることも、いじめられることも、等しく「特別扱い」ということになってしまいます。
それは、本当に特別なのだろうか。
何が、本当のトクベツなのだろうか。
今巻で何度も出てきた言葉だけあって、大きく印象に残っています。
人一倍優しくしてあげることも、人一倍厳しくしてやることも、それぞれ受け入れられる人と受け入れられない人がいる。柊夕湖は、後者でした。
一人の人間として、みんなと同じ生き物として。等しい扱いを受けてみたい、と。
彼女にそんな願いを抱かせた決定的な出来事があったかどうかは語られていません。本当に「無い」のかも知れません。ただ、もう取り返しのつかないこれまでの人生の1ページ1ページが積み重なって、ハリー・ポッターよりも厚くなった頃、その思いは強くなってしまっていた、ということなのかも知れません。
今巻にて初登場した夕湖の母、柊琴音(ひいらぎ ことね)、そして、遂に解禁された夕湖の一人称、千歳朔との出会いの回想。綾瀬なずな(あやせー)に向けて吐露した弱音。
今まで靄がかっていた夕湖の解像度が、これでじわじわ上がっていくはず。そう思っていました。
しかし逆に、彼女が内に秘めている想いはどんどんと底へ沈んでいきます。彼女がいったい何を考えているのか。何を踏み出そうとしているのか。その言葉の意味は、行動の意味は何なのか。
生まれ持った天真爛漫さ。その影には、もしかしたらまだ見たことのない彼女の本心があるのかも知れない。そう勘ぐらずにはいられません。
そして、千歳朔のモノローグにも、はっきりと違和感が表れ始めます。それはまるで、恐れているように。怯えているように。
この辺りから、はっきりと分かってきました。
今回のチラムネは、明らかに何かが違う、と。
日常的なシーンすら、その違和感は付き纏ってきました。
夏合宿に向けて水着を選ぶ女性陣。そこには確かな友情が描かれていましたが、夕湖の内心は穏やかではない様子(諸々の描写や解説が本当に細かくて、思わず「へぇ~」と声を上げた部分もありました。彼女たちのファッションに掛ける情熱がひしひしと伝わってくるシーンです)。
その帰りに偶然であった海人。談笑して別れる去り際に、陰りのある笑顔を見せました。
浴衣を身に纏った夕湖が、優空に強く抱きついた場面。そのモノローグの先にあった言葉は何なのか。
徐々に明確な亀裂が浮かび上がりながらも、物語は夏祭りへと進んでいきます。
花火大会とは、始まれば終わるもの。朔は、そんな花火を、自らの青春の日々と重ねたのかも知れません。
この日々が終わらなければいい、ずっと続けば良い、そう希う彼の姿が、実際に目の当たりにしたかのように、目に焼き付いて離れませんでした。
2巻でフォーカスを当てられた七瀬悠月。
偽りの恋人として過ごしたかつての縁日。思えば、これも「戻ることのない日々」の象徴であったように思います。
その日々を上書きすることは、きっともう出来やしない。だからあくまでも、その思い出が、延長線が途切れてしまわないように。
朔の着物の袖を掴んだ指には、どれだけの力が籠もっていたのでしょうか。
それを影から見ていた彼女は、どれだけの力で胸を締め付けられていたのでしょうか。
「また、来年」と呟いた誰かは、この物語の行く先を悟っていたのでしょうか。
Ⅲ:蛮勇引力
夏祭りを終え、次に待ち構えるは夏合宿。イベントが多くてうらやましい限り。クラスメイトと共に乗るバスがやたらと楽しい気がするのは、一体何故なんでしょうね。
夏だ!海だ!水着だ!なんてノリばかりの言葉もかなり使い古されてきましたが、第三章は本当にそれを体現したかのようでした。
まず水着の描写がやたら細かい。それを完璧に再現するreamz先生もすごい。質感を通り越して臨場感すら感じるほどの細かさです。千歳朔も、何だかんだで一人の男なんだよな……。
男子勢の下世話な雑談も、とにかくリアリティがあって何度も吹き出しそかけましたし、彼らの四者四様な笑い声が、今にも耳に届いてきそうでした。
……そして、やはりここでも、水面下で軋轢が大きくなっていきます。
水篠の独白、海人との会話、そして「男の約束」。
それらは夏ゆえの美しい青春の一ページのように見える。けれど……。
きっと、いつか来るであろう終わりを理解して恐れていたのは、千歳朔だけではないのです。だからこそ、一日一日を、大切に、丁寧に、慎重に、崩さないように生きようとする。
――まるで、小さな子供が、ピカピカの泥団子を落とさないように持ち歩くみたいに。
4巻でメインヒロインを務めた青海陽。彼女はきっと、変わっていない。
「青春とはかくあるべし」を具現化したかのような、第4巻。その熱量は凄まじく、中盤からは最後の最後まで常に年間最高気温を更新し続けるかの如く「熱さ」を軸に描かれたエピソードでした。上村亜十夢(うえむら あとむ)の株が爆上がりした巻でもあります。
彼女は最初からずっと、ひたむきにまっすぐな少女でした。朔と出会って、それが変わったわけではありません。前へ前へと突き抜けていく大きな矢印の一部が、朔へと向いた。きっと、変化と言えるのはそれだけなのです。
故に、力強く、まっすぐに、正面から、朔に好意をぶつけてしまえる。そこに行き着くまでに様々な苦悩はあるのでしょうが、それも自分の力だけで、壁を素手で乗り越えてしまえる。そんな強い女の子なのだと思います。
だから、願うのです。「気にして欲しい」と。
自分のことを見て欲しいと。
その願いが、誰かにとっての壁になることを知っても。
青臭い。雨上がりの芝よりも、よっぽど青臭い。
あまりにも遠くて、綺麗で、出来過ぎた、完璧な青春。
けれど、そんな「臭さ」こそが、彼らをそこに留めていて。
それこそが、彼らの青春なのだと。
私たちがこの作品からそのことを真摯に受け止めることが出来るのは、そこに彼らの人生があることを理解できているからなのだと思います。否応なしに理解できてしまえるほど、美しい物語だからなのだと思います。
そして物語には、終わりがつきものです。
第四章。
柊夕湖は、一つの大きな決断をしました。それはとても勇敢な決断でした。
「このまま何も伝えられずに終わるくらいなら、伝えて終わりたい」と。
時期尚早だったのかも知れません。それでも、その決断が正しかったかどうかを決めるのも、やはり私たちではなくて彼女自身です。きっと、彼女にとっては、これが正解だったのでしょう。
無邪気さは、時に人を引きつけ、人を突き放す。
柊夕湖の姿に惹かれて集った仲間たちは、そんな彼女の「蛮勇」とも取れる決断に引きつけられ――そして、遂に亀裂はサイダーのように弾け、かつての窓ガラスのように、粉々になって散った。
夕日を背に砕けていったガラスの破片は、今まで読んできたチラムネという作品の中で、最も綺麗でした。最も綺麗な、「夏の終わり」でした。
――それでも。
Ⅳ:終わる夏、終わらない物語
季節は巡ります。
物語は終わりません。
月のように、太陽のように、或いはラムネ瓶のなかに閉じ込められたビー玉のように、誰の手も届かないところに立ち続けることを選んだ朔。
そんな彼の横に立っていたのが、内田優空でした。
そんなガラス瓶、かち割ってやるとでも言わんばかりに。
夕暮れ時に河川敷を流れたチューバの音色は、重く重く、そして高らかに鳴り続け――
――えっあとがき!?
――お、俺が今まで読んでいたチラムネ5巻は……!?
というわけで、ここまでが第五巻の感想となります。
感想っていうかもう要約じゃねぇかみたいな声が聞こえてきそうな気もしますが、とにかく全部書いてなければ気が済まなかったので許して頂きたい。あとNote書くのも初めてだから許して頂きたい。今度は初心者マークを免罪符に使うなという声が聞こえてきそう。
Ⅴ:「青春のその先に」あるものは
こんなにも、こんなにも本を読んでいて呼吸を止めかけたのは初めてでした。
読後に残る強烈な虚脱感、どうなってしまうのだろうという不安、暫く動悸が収まりませんでした。
開いたまま塞がらなくなってしまった口からは、きっと砂が流れていた気がします。
二度とひっくり返ることのない、砂時計の中身が。
ふと気がつけば刊行開始当時高校二年生だった私も今や大学生。この作品のような日々を夢見たところで、もう全ては過去となってしまいました。
それでも、もし。
もし、この作品のような青春を送っている高校生が、この世の何処かにいるとしたら。
彼らの幸せを願わずにはいられないのです。
さて、ここからはちょっと他作品のことも絡めつつ、私がこの作品を読んで「感じてしまったこと」について書き連ねていきたいと思います。やや人を選ぶような内容かも知れません。不快に感じた際には即座にブラウザバックして頂ければ幸いです。
今回この第五巻を読んで、私は『僕は友達が少ない』の終盤の展開を連想しました。
友達と笑い合う何気ない日々を守るために、仲間から向けられた好意を見て見ぬ振りする。そんな決断をしたはがないの主人公、羽瀬川小鷹(はせがわ こだか)と、今巻の千歳朔。取った行動もその後の展開も全く違うものですが、根底にあった意思は似たものであったように思います。
はがないといえば結末が賛否両論を巻き起こした作品としても有名ですが、なんとなくチラムネは最後まで一筋に書いてくれそうだな、という期待のようなものを抱いています。
そしてもう一つ、第五巻のラストに見開きの挿絵。これ。
勘の鋭い方は何を言おうとしているか分かったでしょう。因みに今月刊のガ報(ガガガ文庫の本に大体挟まってるアレ)にも載ってましたし。
そう、私は俺ガイルの構成を連想しました。
物語の決定的なターニングポイントとなった、主要人物二人のすれ違い。それをシンプルに、そして美しく描いた挿絵が、俺ガイル第五巻のラストに見開きで置かれていました。
これはなかなか面白い偶然の一致。
ましてや、一時代を築いた二大青春ラブコメを連想させる展開。
――「青春のその先へ」って、そういう?
…………深読みが過ぎました。気にしないでください。
さて、書きたいことは書き切りました。
五時間くらい掛かりました。9000字近く書いてしまいました。
……小説書くときもこのくらいのスピードで書けたらいいのにな!
といったところで、今回はこの辺りにしようかと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました。
https://twitter.com/nequra_858
良ければツイッターで今小説書いてるところなので、作品が出来上がった暁にはちょっと目を通して頂けると泣いて喜びます(小声)。
……チラムネ6巻はどこにありますか?
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