日記 5/29
実家でリモートワーク。終わって美容院へ。
半年前に引っ越してから行きつけの美容院がなくなってしまって、新しく開拓するのも面倒なので前回は適当に安いところに行ったらあんまり上手くなかった。
せっかく地元に帰ってきているので、ずっと通っていた美容院で切ってもらおうと思い立ち、ダメ元で今日予約できますか?と電話してみたらできた。
ここは小学生の時からお世話になっている。ずっと店長さんに切ってもらっていて、いつもマスクをしている彼は初めて切ってもらった時からほとんど年が変わっていないように見える。そういえば彼のマスクの下の顔を知らない。
マスクの彼を鏡越しにぼんやり見ながら、そういえばみんなマスクするのが当たり前だった時期があったなーと遠い昔のように思い出したけどたった1年前くらいの出来事だった。
あの頃はいつまでこのマスク生活が続くかわからなくて、先が見えない感じがした。毎日毎日テレビで感染者数の情報が流れてそれに左右されて飲食店の規制ができたり外れたり、医療崩壊のニュースが度々流れたりしていた。
世間全体がその状況に振り回されて一喜一憂していたように感じた。
私はその時まだ学生で、幸いにもコロナによって仕事や家族を失うことなく済んだけれど、コロナのせいで人生が変わった人は、元通りの日常に戻ったかのような今の状況に何を感じるのだろう。
電車で天満に向かう。阪和線の車内で男子中学生2人が服の話。
この前堀江でめっちゃおしゃれな人見た、大人の男って感じやったわ
あそこおしゃれな人しかいーへんもんなあ
そうなんや。大人の男、って感じのファッションに憧れる男子中学生かわいいな、君たちも大学生になればすぐそう見えるようになるしなんならそう見えてる大人だって心はまだまだ中学の頃と変わんなかったりするよ。
電車の中で聞こえてくる会話が全部関西弁で嬉しい。
地元の駅前でお母さんが中学生くらいの子どもに「はよ食べろ」って言っててこの感じ久々やなと思った。うちの地元では親が子どもにお前、とか〜しろ、とか普通に言葉遣いがきつい。
はよ食べろ、はよせー、遅いねん、はよこい
うちの親は違ったけど、街中で聞くだけで自分が言われてるわけじゃなくてもちょっと怖かった。東京ではこういう言葉遣い聞かないな。
裏天満の飲み屋で友達と合流。
彼女と前回会ったのは1年半前。異例の大学院1年目と社会人1年目を両立させていた彼女は社会人3年目になった今、年の1/4をNYで過ごし来年から5年間NY駐在の可能性があるらしい。
NY出張どうやった?って聞くと、総務の仕事でテニスコート取ったり夜食手配したり、そんなんばっかやったよーって彼女は笑うけど、アメリカ人8割の職場で難なくそれができていけるのがすごいよ。
同じような環境で似た価値観を持って過ごした高校時代の友達も、社会人3年目ともなれば色々と価値観も人生設計も変わってくる。
だからこそ、たまに会ってそれぞれの人生の現在地を共有し合うことが別の人生の追体験のようで、未知の世界について知るようで、楽しい。
高校時代のように、ずっと一緒にはいないからこそ味わえる楽しさがあるなんて、大人になって良かった。それぞれ全然違う環境に進めて、良かった。
おわり。