「WHEN WE WERE YOUNG」90年代の音楽シーンを作ったバンド・アルバムを振り返る
先日Blink-182にトム・デロングが復帰し、オリジナルメンバーでバンドを再始動させ、アルバム発売とワールドツアーを行うというエモいニュースを目にしました。
そして再結成と同時に2023年に開催される「When We Were Young」というフェスのヘッドライナーをGREEN DAYと共に務めるという発表も。
この「When We Were Young」ってスゴいフェス名だな〜と思って調べてみたら、名前だけでなくラインナップもとにかくスゴい。
を筆頭に昔聞きまくっていたバンド達が勢揃いするじゃあありませんか。
「When We Were Young」というフェス名の通り、完全におっさんホイホイなイベント過ぎます。
この一連のニュースやイベントで昔の名前を目の当たりにし、あまりにもエモい気持ちになったので、年端も行かぬガキンチョの頃から聞いていた音楽で特にエポックメイキングだったなと思う90年代のアルバムを振り返ってみたいと思います。
お付き合い下さいませ。
1991年
日本ではバブルが崩壊し、しばらく続いていたこの世の春が終焉を迎えている頃、中東ではイラクと多国籍軍の湾岸戦争が勃発。欧州ではソビエト連邦が消滅。ユーゴスラビアでは内戦が泥沼化していきました。また南アでアパルトヘイトがついに撤廃された時期でもあります。
そんな陰鬱とした時代の世相を反映するかのような象徴的な2枚のバンド・アルバムがこちら。
Metallica|Metallica(ブラック・アルバム)
リリース:1991年8月12日
言わずとしれたヘヴィメタル界の帝王・メタリカの最高傑作「ブラック・アルバム」です。
このアルバムは彼らの5thアルバムで、それ以前の1st「Kill ‘Em All」から常に傑作を作り続けていたメガバンドですが、「ブラック・アルバム」以前はあくまでヘヴィメタルファンというマニア(それでも市場は大きかったですが)の中での人気に留まっていたんじゃないかと思います。
それがこの「ブラック・アルバム」で作風が従来のヘヴィメタル、スラッシュ・メタルの踏襲ではなく、時代の空気を感じ取ったヘヴィロックに昇華されたことで、マスマーケットまで突き刺さり、累計3,000万枚を売り上げたモンスターアルバムになりました。
今でも代表曲「Enter Sandman」の耳に残るイントロから始まり、ドラムが入り、ギターリフが始まる流れを聞いた時の興奮が忘れられません。
「なんじゃこりゃあ、俺の好きだった「Master of Puppets」とかと全然違う!でもかっけえ〜〜!!」と頭をぶん殴られたような衝撃でした。
そんなメタリカですが、Netflixの超人気作品「ストレンジャー・シングス」にてエディというキャラが「Master of Puppets」を演奏するシーンで再度脚光を浴びています。
このシーンの影響で現代のキッズ達がメタリカに初めて触れ、再びメタリカが人気になっているというのはオールドファンとしては何とも嬉しい限り。
そして、そんなヘヴィロックの一時代を築いた「ブラック・アルバム」に続いて発表されたのがこちら。
NIRVANA|Nevermind
リリース:1991年9月24日
NIRVANA(ニルヴァーナ)の「Nevermind」です。
信じられますか?「ブラック・アルバム」の1ヶ月後に、のちに「文化的革命」と言われるまでの金字塔になったアルバム「Nevermind」が発売されたなんて…
「Enter Sandman」のイントロも衝撃的でしたが、ハッキリ言ってこの「Smells Like Teen Spirit」のイントロはそれを上回る衝撃でした。
それまでに聞いたことのないギターリフから始まり、それに続く印象的なドラムイントロ。そして2音だけで構成された静かなAメロ。それが徐々に大音量でハードになるサビまでの一連の美しい流れはまさに「完璧」の一言。
ちなみにカート・コバーンが初めてベースのクリス・ノヴォセリックに「Smells Like Teen Spirit」を聞かせた時の反応は「Louie Louie」の盗作のような退屈なリフで下らねぇと一蹴されたとの事w
元ネタ知らなかったので聞いてみましたが、確かに「Smells Like Teen Spirit」のエッセンスが詰まっててニヤリとしてしまいました。
そして特徴的なドラムイントロは「ギャップ・バンド」の影響みたいですね。当時ドラムを担当していたデイブ・グロールが自ら語っていました。
こちらも「Burn Rubber On Me」のイントロを聞いてみましたが、確かに完全に一致しています。
そんなNIRVANAですが、カート・コバーンの死も含めて若き日の自分の心に深く突き刺さり、最も影響を与えたバンドなんじゃないかなと思っています。
「Nevermind」は掛け値なしに人生で一番再生したアルバムかもしれません。本当に大好きでした。
1994年
ソ連崩壊により長く続いていた米ソ冷戦が終了し、アメリカ・資本主義が一強時代の到来。前年の1993年にはEU(欧州連合)発足と中東和平が実現。ネルソン・マンデラが南アフリカ大統領に就任し、それまでの「どんな未来が到来するかが分からない」といった重苦しさがあった世相から、にわかに未来が開けてきて、時代の空気が明るくなりつつありました。
そんな時代背景の中、世に出てきたバンド・アルバムがこちらです。
GREEN DAY|Dookie
リリース:1994年2月1日
3年前の「ブラック・アルバム」「Nevermind」と比較するとアルバム・ジャケットから段違いにアホさ加減が伝わってきます。ちなみに「Dookie」というタイトルも俗語で「うんち」という意味なので、正真正銘のアホさ加減が分かるでしょうw
後にフロントマンのビリー・ジョーが
と回想しているので、その底抜けに脳天気になりつつある時代の空気感を感じさせてくれます。
音楽性としてはそれまでの怒り・不満を過激に表現していたパンクミュージックを明るくキャッチーにした、いわゆるポップ・パンクへ昇華。
シンプルなコード進行によるメロディアス&キャッチーな楽曲群は一気にマスマーケットに届いていきました。
代表曲「Basket Case」は至るところで流れまくり、アルバム「Dookie」は1,500万枚のセールスを記録しました。
OFFSPRING|SMASH
リリース:1994年4月8日
GREEN DAYの「Dookie」発売から2ヶ月後、インディーズシーンからもう一つのモンスターアルバムがドロップ。
GREEN DAYがパンクをポップ・パンク昇華させたエポックメイキングなバンドだとすると、OFFSPRINGはハードコアにポップなエッセンスを取り入れ、それをマスに届けたバンドと言えるでしょう。
バンド名の「OFFSPRING」はバカ息子的な意味ですが、「ロックの次に来るもの(ロックが産み落とした子ども)」という意図を込めて付けていたようですので、俺達が新たなムーブメントを作るんだという気概を持ったバンドだったというのが分かります。
実際「メロコア」と呼ばれる後の一大ミュージック・シーンは彼らの登場と共に大きくなっていきました。
代表曲「Come out and Play」の耳に残るエスニック的要素が取り入れられたメロディは非常にキャッチーで、GREEN DAYの「Basket Case」と共にこの時代を象徴するアンセムになりました。
「SMASH」は累計1,300万枚を売上げ、インディーズ・アルバムとして歴代1位のセールスを記録しています。
1997年
Windows95の発売をきっかけに一般家庭にパソコン・インターネットの普及が始まり、世界に大きな変革をもたらし始めた時代です。日本は未だバブル崩壊の余波が続く中、消費税5%がスタート。唯一の明るい話題はサッカー日本代表が初めてのW杯出場を決めたことくらいでしょうか。アメリカは景気拡大7年目に入り、我が世の春を謳歌。イギリスではアイコンだったダイアナ元皇太子妃が交通事故死するというセンセーショナルな事案が発生していました。
そんなイギリスからリリースされ、世界に大きな衝撃を与えたバンド・アルバムがこちら。
The Prodigy|The Fat of the Land
リリース:1997年6月30日
メタリカ、ニルヴァーナ、グリーン・デイ、オフスプリングがメタル、パンク、ハードコア、ロックのあらゆるジャンルを開拓しつくしていた中、突如ロックとテクノやダンス・ミュージックを融合させ、暴力的でスーパーヘヴィなアルバムを引っさげてマーケットに殴り込んで来たのがThe Prodigyです。
フロントマンだったキース・フリントの逆モヒカンでアイシャドウを塗った先鋭的な風貌もインパクト抜群で、彼らがBBCの音楽番組に登場した際は同局史上最多のクレームが入ったとの事。
代表曲の「Smack My Bitch Up」はタイトルから分かるように、キースの風貌同様、様々な方面から批判が巻き起こったチューンですが、そんなことはお構いなしに文句なしの大成功を収めました。
最終的に「The Fat of the Land」は1,000万枚のセールスを記録。ダンスミュージックのジャンルとして史上最も売れたアルバムに認定されています。
それくらい衝撃的だったThe Prodigyの登場で、当時アンダーグラウンドな存在だったレイヴ、ダンスカルチャーがメジャーシーンに引き上げられました。また、彼らが一般化させたダンスミュージックこそが、現代全盛を誇っているEDMの原典と言ってもいいかもしれません。
また、PC・インターネットの一般化と共に生まれ始めた音楽のデジタル化の流れを確固たるものとし、新時代の到来をも体感させてくれたモンスターバンドでした。
1999年
時は世紀末。いよいよ90年代を締めくくる最後の年です。90年代は既存の様々なジャンルをかけ合わせた新ジャンルが多数勃興してきましたが、ミュージックシーンにもう1つの新たなジャンルを生み出したモンスターバンドの集大成的なアルバムがドロップされました。
Rage Against the Machine|The Battle Of Los Angeles
リリース:1999年11月16日
ブラックミュージック(ヒップホップ、ファンク)にロック、ヘヴィメタルを融合させたRATM(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)の「The Battle Of Los Angeles」です。
そのRATMが生み出した最高傑作は発売された直後にアメリカ合州国当局の要注意著作物のリストに載るというほどの物議を醸し、彼らの影響力の大きさを見せつけました。
代表曲の「Guerrilla Radio」は日本でも総合格闘技団体PRIDEのテーマソングとして採用されお馴染みの名曲。これを聞くと未だに血湧き肉躍るという人は非常に多いでしょう。
ザック・デ・ラ・ロッチャの過激で政治的なラップ、ハーバード大学出身のトム・モレロが奏でる変態的なギターが生み出す音楽は他の誰もが真似できない唯一無二の個性派バンドと言っても過言ではないでしょう。
彼らの生み出したブラックミュージック×ロックは「ミクスチャー」と呼ばれ、後世のバンドに多大な影響を与えたました。
補足:2000年
90年代のミュージックシーンを彩ったバンド・アルバムを紹介するという趣旨でまとめ始めた記事ですが、この激動の90年代の総決算的なアルバムが2000年に発表されているので、最後にそちらを紹介しないとこの記事を締めくくれません。
Linkin Park|Hybrid Theory
リリース:2000年10月24日
このLinkin Parkの「Hybrid Theory」はまさに90年代に勃興した様々な音楽の集大成的なアルバムと言ってもいいでしょう。
ロック、ヒップホップ、ハードコア、エレクトロニックと前述したメガバンドがメジャーシーンに引き上げた音楽の全てを取り入れつつ、美しく調和させた楽曲群はこれぞ「ミクスチャー」という名作です。
チェスター・ペニントンは卓越したメロディラインのボーカルからシャウトまでこなし、マイク・シノダが適切なタイミングで非常に印象的なラップを差し込み、非常に難易度の高い楽曲を完璧に奏でるハイクオリティなバンド隊は当時珍しいDJまで擁していました。まさにミクスチャーを体現する為に死角のないメンバー構成です。
しかもこの「Hybrid Theory」が凄まじかったのはアルバム内に収められている楽曲が全て名曲。捨て曲なしの超絶ハイクオリティなアルバムというのも衝撃的でした。
このアルバムを初めて通して聞いた時に出た感想は「このアルバムでついにあらゆるジャンルを飲み込んだロックというものが完成された。もうLinkin Parkを超えるバンドは二度と出ない」という確信めいたものでした。
実際Linkin Parkはその後も売れ続け、全アルバム累計のセールスは1億枚を超え、21世紀で最も売れたバンドとされています。
以上、自分がリアルタイムで聞いてきたバンドアルバムの中でも最もエポックメイキングだと思うアルバムを紹介してきました。
個人的に他にも好きなバンド、アルバムはたくさんあるのですが、今回は中でもシーンを変えた・生み出した、歴史に残るアルバムというのが選定ポイントです。
同年代の方は馴染みのあるアルバムばかりだと思いますが、若い世代の方で聞いたことがないという方は是非これらの作品に触れて、現代音楽のルーツを感じてみて欲しいです。
それではまた!
こちらも合わせてどうぞ↓
YouTubeもやっています^^