ちいかわと、舞妓さんのまかないさんのチヨの共通点に胸が痛い(注:ネタバレ含)
ちいかわのアニメで、遂にゆるふわの世界から一歩出てしまう草むしり検定
編がはじまった。
この草むしり検定編は、
「同じ気持ちでいたい」
という、社会的な生き物である人間のねっこにあるニーズがテーマで、
そのために買った一冊の参考書から物語が動き出す。
大好きなちいかわと「同じ気持ちでいたい」
ただ、それだけだったのに、
その先にあるのは試験という結果が未来を分けるゲートで、
むしろその願いが粉砕されてしまうという、
強制的に競争の世界に投げ込まれた、文明社会を生きる私たち全員が感じたことのある痛みが描かれる。
あとからノリではじめた人間があっさり勝って、必死で戦っていた人間が負けてしまうこともある、残酷な世界。
「こんなハズじゃなかった」、「ズルい」と言ったところで負けた側は自分の無能さから目を逸らすこともできないし、
悪意がないままに大切な人を絶望に陥れた罪の意識も、癒しようがない。
負けた側にも、勝った側にも、深い傷を残すつらい、つらい経験。
それで、ケンカ別れになったり、なんとなく気まずくて疎遠になったり、、友情が壊れてしまうことは少なくないんだけど、
どうしょうもない、しかたないって自分を慰めながら、だんだん思い出さなくなっていく、そんな思い出を秘めている人は少なくないように思う。
でも、ちいかわには
「そうじゃない未来だってありえるんだ」っていう、
そこに、なんか現代だれもが信じたい人間性が描かれていて、胸を打つんだよね。人じゃないのに。
この、
「才能の差が明らかでも、同じ世界を生きられるかもしれない」
っていう、格差社会が信じたい世界を描いてくれている作品で思い出すのは、
「舞妓さんのまかないさん」のキヨだ。
この作品のキヨも、舞妓さんとしての才能を発揮していく友達を横で見ながら、
純粋にその才能に心を開いて感動し、応援し、支えていこう、と
開き直るでもなく、ごく自然にそうすることもできるという、格差のなかにも穏やかに共に生きられる可能性を見せてくれている。
ぜんぜん違う作品だけど、
隠しきれない格差に身を引き裂かれるような社会の生き方は、
教育がなんだとか、政治がなんだとか仕組みを変えるまでもなく、
自分の身ひとつで選べるんだっていう希望を示してくれている点で、とても似ていると思った。
ナガノさんも、小山愛子さんも、
めっちゃすごいよね、ほんと。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。