小3&4歳と見るアート:落合陽一氏の山紫水明∽事事無碍∽計算機自然
こんにちは、ゆっか(@neotenylab)です。
先週末、表参道GYREで開催中の展示、
メディアアーティスト落合陽一氏(@ochyai)の「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」へ子連れで行ってきました。
子連れOKと目立って謳われてない場所に、子供と一緒に行くことは、それ自体色々と悩むものです。
子供向けのものは娯楽性が高すぎて、「ゆさぶる」という意味でのアートの効力が弱すぎる、とか
興味云々の前に触れていないと、そもそもそういう世界があることを認知できない、とか
概念が固定化する前に幅広く本物を見せたい、とか。
行く動機はたくさんあるけれど、感覚を研ぎ澄まして味わう場に、子供が行くことによって鑑賞の妨げてしまうかも、という懸念があり、なかなか機会を持てずにいました。
しかし、今年メディアアーティストの落合陽一氏(@ochyai)の作品を知り、これは子供向けでなくても、子供にこそ鑑賞してほしい、という思いが募り、勇気を出して行くことにしました。
今日はその経緯や、行ったときの子供の様子を書きます。
Twitterで行った人に雰囲気を聞いてみた
決めた、とは行ってもやはりほんとに大丈夫か不安な私。
すでに行った方がTwitter上に写真をあげまくっていたので、鑑賞者の方の意見を聞いてみようと、質問してみました。
めっちゃ親身なアドバイスに感動…。
(そして自分の誤植に愕然…。正しくは「内容」→「ないよう」です 笑)
しかも、隣に子供が楽しめる場所もある。それなら、万一無理でも、こっちで楽しめる。
結果、行くことを(再)決意しました。
一人で下見に行き、自分だけ先に満足できるまで味わった
とはいえ、本当にいきなり行ってダメそうでも、きっと私は見たくなってしまうだろう。
そう思ったので、先に自分だけ行ってくることに。
時間をかけてじっくり味わい尽くして、胃から溢れるまで鑑賞。
とりわけ、入り口の「Colloidal Display」は、
「しゃぼん」という儚さを象徴する物質の膜に、デジタルデータという非物質を使って「蝶」という魂や再生、進化のメタファーを投影する
という、神視点の可視化具合がヤヴァすぎて、語彙力崩壊して萌え死にしそうになる作品だったのですが…、
こういうのは、一人じゃないと、絶対味わい尽くせないですね…!
先に一人で行っといてマジで良かったです。
(子供が味わう前にテンション上がりすぎて、フルスロットルで自分の解釈をぶちまける危険を防ぐという意味でも…)
これで、子連れで行ったときは、子供の手を引いたり、鑑賞のサポートをすることに集中できます。
実はこのとき、もう一つの「Levitrope」の玉が一個足りない状態でした。
(子供といったときには戻っていました)
おそらく破損か紛失したものと思われます。
作品が本当に間近で、子供でも手の届く距離にあるので、密着しての鑑賞は必須だなと、心にメモ。
一方、照明が暗く、驚かせるような演出はない。
子供にも「静かに見る場所」だと伝わりやすいので、約束事は事前の説明で理解できると判断しました。
小三の娘が最初に感動した作品とは
そして、本番土曜日。いざ表参道へ。
娘が最初に「すごい…ママ!これきれい…!」と興奮させてしまったのは、
丸窓を外から覗いた「Levitrope」。
そこから見る!?
いやもう、いきなり窓ガラスに顔面近づけちゃって焦りましたが…、実際見て見て、自分もうっとり。やばい、ここいい。
すみません、ひとりのときは、この位置から鑑賞してませんでした。
子供の管理最優先なんで、写真はメモレベルなんですけど、子供と一緒の鑑賞体験は、一人で味わうときにはない視点(そもそも背の高さが違うし)があり、しょっぱなから驚かされます。
(…って思ったら、公式ページに丸窓の外から見た画像もあり、
むしろそこから見ろ的なものでした。展示内容調べてなかったので、非推奨行為かと、焦ってしまいました…)
次に感動していたもの
さて、いよいよメインの展示空間へ。
(監視に必死なので、ここからしばらく写真なしが続きます)
目の前に現れた鯖の擬態の作品の前に、娘が釘付けになったのは、
床。
壁見る前に床鑑賞始まる。
「想定外」なんですが。
やっぱりこどもは視点が違いますね…。
解説補助する前から、自分の感覚の鈍感さに打ちのめされつつあります。
(すいません、自分は床そこまでじっくり鑑賞してません…ふかふかで気持ちいな的な感想)
あ、4歳は蝶の作品を見つけるまで無言でした 笑
「海の波の絵」
鯖の模様を描いた、「波の形,反射,海と空の点描」は、わたしが一番心に響いた作品です。
この絵を見て、娘に何の絵か聞いてみたら、
「海の波の絵」
と答えました。
ストラーイク…!!ちゃんと騙されてくれた!
鯖も数千万年分の時を露光して擬態した甲斐があるというものです。
親の望む反応を期待する、というのはあまりよろしくないな、と思っていましたが、正直これはうれしい瞬間で、連れてきてよかったなあと思いました。
9歳と4歳で違う「命」への確からしさ
さて、ずっとビビっていた4歳ですが、ちょうちょ(モルフォ蝶)の動く模型を見て笑顔に。
これは、「計算機自然, 生と死, 動と静」という作品。
「生ける死体」と「電子じかけの模型」。
(写真は模型の方)
「どっちがホンモノと感じる?」「どっちが生き物だと感じる?」
とふたりに質問してみました。
すると、異なる答えが。
長女は死体を選び、次女は模型を選んだのです。
4歳にとっては「動く」ことがより生命を感じさせるけれど、
小学三年生の姉にとっては博物館で見たことがある標本と同じ死体こそが本物であると判断したようです。
おそらく長女は、過去の知識からくる概念でものを見ていて、下の子は純粋に現象から理解したように感じました。
それは知識によって眼は変わる、そんなことを感じさせられた瞬間でした。
仕組みが見えるおもしろさ
公式サイトにも記載されていますが、この展示の面白いところは、すべての仕組みがむき出しになっていることです。
「なんで?」期以降の子供の仕組みへの関心は、ただならぬものがあるのは、全親ご存知の通り。
ドライバーを引っ張り出しては勝手に電池の裏蓋を開けたり、花の蕾をバラバラにしたり、しかけ絵本を解体してしまったり…。
特に基板とか、子供大好きですよね 笑!?
この展示は、触れるまでもなく、視覚的に仕組みがわかります。
これが、仕組みを愛する子供にとって、いかにエキサイティングで、親しみやすいことか!
入り口のカエルのオブジェ、「波面としての古蛙」も、すぐに磁力で突起が形作られていることを発見して目を輝かせたり、
通電することで虫の音が鳴ったり、音を波として可視化するのも、とても興味深そうに見ていました。
そして、吹き抜けの作品「Morpho Scenery in GYRE」や、
別の生物の視覚を疑似体験できる、「深淵の混, 内と外, 人称の変換工程」は、子供が山や図鑑で親しみのある生き物がモチーフとしてあるのも、子供にも「語れる」のでとてもありがたかったです。
ちなみに、長女が一番好きと言ったのはこの視覚体験ができる「深淵の混, 内と外, 人称の変換工程」です。
未来的なビジュアル<<<自然物に近いビジュアル
落合陽一氏の代表的な作品であり、私が一番見せたかった、おそらく感銘を与えるだろうと思っていた作品があります。
それは、「Silver Floats」と「Levitrope」です。
このSFぽさはきっと子供にウケる…!と。
連れてこよう、という決定打となったもの。
その鑑賞部屋にいよいよ入室。
ファーストインプレッションは、もちろん「すごーい!」
が、
「これ、磁石で浮いてるのかな?」
興味はソッコーで仕組みへ。
下の子は何か大いなるものを感じてビビり始めたので、ハイライトと思っていた部屋は、すぐに退出することになりました…。
どちらの子もこの作品は適齢期ではなかったのかもしれません。
(人の手で作ったものに大いなるものを感じる体験に価値はあると思いますが)
自分は一番キャッチーでわかりやすいだろうと思っていたのに、むしろ逆だったのは本当に意外でした…。
子供は抽象よりも具象が好きなのかも
よくピカソの絵を「子供の絵」みたいと言うように、子供のアート、というとクレヨンにあるようなはっきりした色と抽象的なビジュアルをイメージする方も多いと思います。
実際、子供向けの絵本や商品、デザインも、そのような絵作りが多いです。
けれども、実際子供の好みに寄り添って見ると、そうではないことに気がつきます。子ども=抽象的な絵が好きというのは誤解です。
全ての子が、とは言いませんが、少なくとも自分の子に限って言えば、好みは圧倒的に、抽象<<<具象です。
子供たちは抽象的な絵を描きます。
けれどもそれは道具と発達の問題であって、子供が抽象的な絵を描くことと抽象的な絵を好むことはイコールではありません。
なのに、大人から見た子供の絵のイメージで子供に与えるものをデザインするのは、ちょっと滑稽にも思えます。
わたしが未来的で抽象的な彫刻を、子供が喜ぶだろうと誤解したのも、そのような浅はかさによるものでした。
大人にとって、ちいさな子供は「未来」ですが、子供にとっては「未来」よりまず、「今現在」の生活の仕組みに関心がある。
まだ生活感を感じられない未来的な表現より、
子供は自分の知っている「生活」に近い、仕組みがわかる、「自然」に近いものを好む。
ということを改めて思い知らされました。
また子供たちにとって、この工業的物質感のある風景は、工業化した社会の「自然」として、虫や野山と同じように親しいものとして感じられているのかもしれない、と。
まさに、子供たちは工業社会のヴァナキュラー民なのかもしれません。
2度目の今日はサポートに徹す!と意気込んで来ましたが、
「鑑賞する子供を鑑賞する」という、また新たな鑑賞体験をすることができました。
アートの領域を拡張しまくった1日
この日は、展示の前に西智弘(@tonishi0610)さんの「奢られる人・奢る人」というリレーショナルアートにも参加していました。
医療の未来から、プロ奢ラレヤー(@taichinakaj)さんの話まで、初対面の相手と深い話も。
子供は横でアイスを食べてお絵かきをしているだけですが、初対面の大人との会話に同席することは、それなりに印象深い経験だったようで。
舞台は元住吉のカフェ。こちらの感想はまた別記事にまとめる予定です。
そして、帰宅後は落合陽一さんと同じ筑波大出身のアーティスト、
斉藤ノブヨシ(@knob3110 )さんの「ビー玉テレビジョン」を鑑賞。
これも、ビー玉という原始的な玩具で、ドットを描く過程や仕組みが見えるのがおもしろく、子供たちのお気に入りになりました。
デジタルで入力してビー玉という子供の玩具の象徴的なツールを使ってアナログに出力する逆転構造や、最後のオチまで考えたデザインがすばらしく、私も大好きな作品。
ピタゴラとか好きな子なら、絶対にハマる、傑作です。
アートに触れるタイミングは、年齢では決められない
子供を親子歓迎以外の展示に連れて行っていい、と思う年齢は人それぞれだと思います。
わたしは、子供自身がアート好きで、ルールを理解し、触るのではなく見るだけで味わうことができるだけの育ちが満ちているなら、大人向けの空間であっても幼児の鑑賞は可能だと思っています。
逆に、目だけで味わう経験があまりなかったり、そもそも関心が薄い場合は、退屈を我慢できる年になるまでは、敢えて連れて行くこともないと思います(ただ、興味はなくても大人になる前にプライベートでの鑑賞体験が、一度はあったほうがいいと思う派です)。
文字を覚える時期が子供によってまちまちなように、鑑賞を楽しめる年齢も、人それぞれです。
鑑賞はルールやマナーが多いので、嫌な思い出にしないためにも、本人に「見たい」という意思がある、目や耳だけで味わう楽しみを知っていることを確認したうえでデビューするといいな、と思います。
大人は作品との対話をサポートする
はじめて子連れでギャラリーへ行くとき、自分の鑑賞は先に済ませておく、これはやってみてとても良かったと思いました。
逆に、やらないほうがいいと思うこともひとつあります。
それは、「お友達と一緒に行くこと」です。
鑑賞体験はとても個人的なもの。一緒にいる人に関心が向いてしまうと、作品との対話ができにくくなります。
普段は鑑賞好きの子でも、友達と一緒になったり、大人よりも子供の人数が多くなりすぎると、非日常に興奮しがちになるので、いつもと違う姿を見せることも…。
友達と行くことはルール違反ではありませんが、すでに関心のある他人が隣にいることで、展示空間も作品の一部であることに気づきにくくなり、作品として味わう領域を狭めてしまう可能性もあることは、心に留めておいてほしいな、と思います。
アートに正解がないように、鑑賞方法にも正解はありません。
子供がアートスペースにいること自体を不快に感じる方もいるでしょうし、もっと気軽に立ち寄るべきだ、という方もいるでしょう。
あくまで、一個人の体験として、ご自身のスタンスを考えるときの情報のひとつとして取り扱っていただけたら幸いです。
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芸術に関心を持つ、多くの子供がアート作品との良い出会いを経験してくれることを願い、この記事を書きました。
このアートの紹介が、
次世代の美意識を育てる種を撒く、そのきっかけになりますように。
以上、ゆっか(@neotenylab)でした。
↓ 落合陽一氏の展示は今月28日木曜まで ↓
「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」公式サイト
https://gyre-omotesando.com/artandgallery/yoichi-ochiai/
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。