「バズらない戦略」がゆるすぎる件
13日に投稿した日記、「文字化するというテクノロジー」にハートマークの通知が入り続けている。
こんな著名人でもない、キャッチーな話題の波を無視した内容の日記にハートマークがつくことはまれで、基本は0個、ときどき1個つくときもある程度。
2個以上つけば、自分のなかではちょっとした事件である。
どっかのノートで書いた気もするけど、自分は基本「バズらない戦略」で生きている。
なぜなら、バズったら最後、女神の前髪をつかまないと、そのチャンスをミスミス逃したことになり、なんか損した気分になるのがひとつ。
ほかにも理由はあるけれど、それは5分じゃ語れないので飛ばす。
なんていうんだろう、セール情報に踊らされるのに疲れたから、定価で買い物をすることに決めたのに、買い物をした後に、その買う予定だったもののワゴンセールを見てしまったような気持ちと言えばいいだろうか。
なんか違う気がするけど、自分の基準でないものにひっぱられて、心を乱されるのが嫌なのかもしれない。
だから、ハートが1日で1000個とかついたらきっとわたしは困っちゃうんだけど、ここはそういう事件が著名人の記事にもあまり起こっていないようなので、平和で好きだ。
多分、あまりハートをつけあう営業的コミュニケーションもそんなにない。
記事についた、6つのハート。
だから、ほんと純粋にうれしい。
文字というテクノロジーに支えられている仲間がここにはたくさんいるのだろう。
また仲間がいるよ、っていう通知が来たらうれしいな、という欲がふつふつと湧いてきているのを感じながら、この程度で軸を揺るがされて、リンクを末尾にもう一回貼ろうとしている自分に屈している。
13日の日記はこれ:「文字化するというテクノロジー」
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。