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許せん!!とムカついてどうしようもない時

今日ね、すんげーーーーーームカついたことがあったんですわ。

なんていうのかしら
モンスターペアレントレベルの言いがかりを、電車の中でつけられたんよ。。

詳しい詳細を書くのはやめとくけど
3歳児がマスクしてないし、うるさいってね。
一応弁解しておくけど、マスクはしてなかったけど、大きな声は出してないし、泣いてもないし、ぐずってもない。
ただ、初めての電車に興奮して「すごいね!」って連発はしてた。

本当に可愛いレベルよ?
もちろん、私も愚図らないよう、叫ばないように(ありがち)
シールブックとかおもちゃ持って、お菓子もって、ジュース持って準備してったわよ?

それでもうるさいんだと?!意味わからんわ。
小学生の子供連れてて「うちの子は静かです」って・・そこ?
10歳と3歳比べるってアホ?アホなの?

とかまあ、突っ込みどころ満載な人やったのね。

はい、電子の中で大喧嘩しましたよ、私。
私が一番うるさかったと思うわ〜
3歳児の孫より、ずーっと迷惑(笑)

車掌さんが来て、電車降りたら駅員さんが3名待ってました。
(私たちを)
宥めすかされ、事情聴取させて欲しいって言われたけど
『一切合切お断り!』しました。

もうね、不愉快指数マックスでこれ以上話が長くなったら、まじで夫も暴れそうだったから(夫婦とも気が短い)

相手もそのまま、電車で目的地に向かって行っちゃったし。

はあ?なんなん?
もう、限界無理でした。
孫も泣きそうだったし、本当むり。

50年生きてますけど、意味不明な言いがかりを、まるで正義のように上から言われたのは初めてだったし、ムカついてムカついて、怒りを引きずり続けました。
もう、孫との楽しいひと時も半分しか楽しめないくらい。

さて。
今、私はスッキリしてます。
もちろん相手に対しては、ムカついてるし怒りもある。でもそれは遠いところで感じてる感じ?
痛みの記憶がムカついてて、私はそれを見てる感じ。
うまく言えないけど、まあ、ほぼ思い出さないくらいスッキリ幸せな感じ。
(これ書いてる時点で少しいらっとしたけど、もう大丈夫w)

相手がモンスターではなくてもさ
誰でもムカついて忘れられない時ってあると思うのよ。
許せないクソやろうとか。うん。

眠れないほどだったり、思い出してまたムカついたり、ああ言えばよかった、こうすればよかった、ってかなんでこんな目に合うんよ!!!と怒りマックスのまま、未消化の感情に振り回されて苦しんだりしちゃう。

そこで!

私、今日はこんな風に怒りをやりくりしました。
ってやつ書いてみます(前振り長い)


まず、心と頭がぜーんぶ、痛みの記憶(エゴ)に持ってかれちゃってるので、何を考えても怒りがおさまることはないの。
なんとなく忘れることができても、またすぐに思い出して不快感が増えていく感じ?
なんで思い出す!って自分に突っ込むよね。わかるー!

今回は、もう事故レベルの相手だったからさ
「ああ、誰も怪我しない事故でよかった」って思いました。
心は傷ついたし、ちょっとしたトラウマになりそうだけど、それでも、これは小難だったと思うように思考を変化させました。

そうすると不思議なもので、なんとなく落ち着くのよ。思考が。

それから落ち着いたところで、思考が「私が正しい、相手が間違ってる」っていうところで怒ってることに気づくように内側で話し合いが始まりました(笑)。

怒りってね、基本「自分こそ正義」って思ってるから出るのよ。
(今回は私が正義だけど!って言える時ほど怒りが深い)
(のでモンスター相手だと、本当に私が正義だとしか思えないので深い怒りにハマったのだと気づいた)

この真実に気づくと、また一段階楽になります。

私が正しいとか、相手が正しいとか、それはね、ぶっちゃけどうでもいいんです。
本当、大事なのはそこじゃない。

私たちが欲しいのは「自分が正しい」ことなのか
それとも「愛と平和」なのか。

そこをしっかり意識して欲しいの。ここキモよ、キモ。

その私が正しいのだ、という思考そのものが戦争を起こしている、という真実に思考を持っていくこと。

ここまで思考が変化できるようになると、いろんなことがわかってくるようになるのです笑

私は自分が正しいと思う痛みの記憶に支配されている、その痛みの記憶は「自分の正しさ」を証明しないと、この怒りが治らないように誘導しているエゴなのだ。ということに気づけば、あとは時間が解決していきます。

あ、痛みの記憶っていうのはエゴの元のようなもんです。
私たちは痛みの記憶でできているので、本当に生き辛い思いをしてます。
この痛みの記憶の扱い方を「メタスキル」としてご紹介する本書いてるので待っててね(余談)

そして、最後の最後の極め付け。
相手に対する怒りの感情や思考は、今目の前にある「大切なもの」を感じることができないようになってます。

戦争する感情で苦しんでいるのはわかったのに、まだ怒りのカケラが私の思考を占領しようとしてます(しつこいのよ本当)

そんな私を見て、夫が「肩揉んであげる」と言ってくれました。


これが最後の仕上げでした。

私たちの痛みの記憶は、自分の正しさを証明したいあまりに、常に悪い相手に意識を飛ばし続け、なんとかギャフンと言わせたいという思考に捉われます。
それができなくても、です。

夫が肩を揉んでくれている、その手の温もりを感じた時

「あ、あんなくそ女のことを考える時間って不毛やし不幸やわ、私を大切に思って、心配してくれる夫の優しさと、その手の温もりに意識を置くことが、私の愛と平和だわ」

と、ふと思えたんですね。
これが「意識の切り替え」というやつです。

痛みの記憶はどこまで行っても「間違ったことをした、あの嫌なやつ」のことばかり試行し続けます。
愛ではないものばかりに集中させ、むかつくばっかりの思考を作ります。

止めようとしても、止まらないのですよ・・・・

この思考を止めるためには、愛の方に意識を向けること以外に方法はありません。

自分を大切に思ってくれる人
自分を労ってくれる人
今、この瞬間にそばにいてくれる人
イライラして、そこにいない相手に対する恨みや怒りを持ち続ける自分なのに、そこで一緒にいてくれる人

または、自分が愛しいと思う人に意識を向ける。

これができると、ものすごく楽になります。

うーん、難しい。。。って思っちゃう人は。

「あいつは今頃すっかり忘れて、パフェとか食べてるぜ」

って思ってみてください。

ほら、なんかムカつく方向が、ちょっと変わってきたでしょ?
それが「意識の方向転換」です^^
割と簡単。

テツは熱いうちに打て、というわけで
一気に今日の出来事を例に、私がどうやって意識化してるかっていうのを書いてみた。

自分でなんとかしようと頑張っても、痛みの記憶(エゴ)はしつこく巧妙で、狡猾なので、なかなか脱出できません。

そして、まずはそれでいい、というところからです^^
脱出できない、イライラが止められない、恨みをなくせない、許せない相手がいる。

痛みの記憶で生きている限り、それが普通だっていうこと。
自分を責める必要はないってことを、知って欲しいなと思います。


うわーすげー書いてる(笑)
意味不明だったらごめんね。
基礎知識がないと、わかりづらいことばっかやと思うので、早く描けるように頑張ります。

いつもありがとうございます^^


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