はじめてのおともだち(下)
30年かけて熟成されたコミュニティに、新参者として加わって1年。人見知りの56歳おんな一人世帯へ、猫を見るためにやってきた小学2年生の“かほちゃん”。
猫ハウスに足を踏み入れるなり、「靴を脱げるの、いいねー。きもちいい」と、レンガタイルの床を気に入った様子で興味津々。方や猫たちは、案の定、子どものハイテンションに驚き、最大級の警戒レベルで一番高い見晴らし台に駆け上がり、引き気味にふたりを観察している。
数分前、「猫を見たい、触りたいという子どもの期待にこたえつつ、猫たちも守る」という誓いを心の中で立てたわたしは、両者の友好的コミュニケーションのため、かほちゃんたちにまず、猫の取扱説明をすることにした。
「猫と仲良くするための約束を説明するから、聞いてね。それを守らないと、きっと触らせてくれないし、引っ掻いちゃうかもしれない。猫はすごく怖がりなの」と説明すると、「うん、わかった」と神妙にうなずく。「あっ、その前に。猫の毛とか大丈夫?」の質問には、「だいじょうぶ! アレルギーじゃないよ」と即答。ふたりともしっかりしてるなぁ。いまどきの事情なんだろうけど、自分の小学生時代を振り返って感心しきり。
・猫は怖がりで、こっちが近づいていくと逃げるから、がまんして待つこと
・近づいてきても、大きな声を出したり、急に抱っこしようとすると、怖くて逃げてしまうこと
・とにかく、そーっとそーっと。だよ。守れる?
本題であるわたしの説明に、うんうんと素直にうなずくふたり。興奮を抑えておとなしく待つうちに、人懐っこく警戒心の低い双子コンビ(のんきちとアイルー)が近づいてきた。うれしくて、おもわずはしゃぐふたり。驚いて、後ずさりする2匹。「あー、ほらっ、怖がってるよ。静かに静かに」と諭すわたし。「猫ちゃん、ごめんね。怖くないよ」「そーっとよ」とすぐに修正するかほちゃん。
そんなやりとりが10分ほど続いて、ふたりは2匹と猫じゃらしで遊べるまでに猫の扱い方を会得。わたしに抱っこの仕方を教えてもらったかほちゃんは、一番体格の良い茶トラのアイルーを抱きかかえ、もはやおかあさんごっこの体である。
しばらくして、末っ子のぶんきちが近づいてきた。「わたし、あの子が抱っこしたい」と、最初からぶんきち一番目当てのかほちゃんが、サービス精神いっぱいに猫じゃらしで気を引こうとする。遊びたい盛りのぶんきち。けれど、かほちゃんの猫じゃらしの動きが速すぎて、なかなかうまく遊びに引きこめない。
「かほちゃん、ぶんきちは左目が見えないの。赤ちゃんのときに病気をしたみたい。今は元気いっぱいなんだけど、片目しか見えてないから、速い動きについていけないの。もうちょっとゆっくり動かしてみて」とアドバイスした直後。かほちゃんは、視力検査のように自分の左目をてのひらで押さえ、周囲をぐるぐると走り回る。そして一言。「ほんとだ!目が見えなくても走れる!」
子どもって素晴らしい。
大人は「左目が見えないこと」を聞いて、理解する。いや、正確には、理解した気になる。けれど、「左目が見えない世界」を、かほちゃんは自分で確かめた。理屈ではなく、感覚で、身体で。そのみずみずしい感性に、わたしはこころを撃ち抜かれた。そして、気づかされた。自分がいつからか失ってしまったものと、失ったことさえ自覚していないサビ付いた感性を。
かほちゃんは、軽々と塀を乗り越えてやってきた。そしてくもりのないこころで、猫とわたしの警戒心を、軽々と解いてみせた。子どもは子どもであるだけで、いい。それだけで素晴らしい存在。そう感じ入ることができたのは、皮肉だけれど、経験と年齢のせいなのだろう。ふたりの娘を育てているときはとてもそんな心の余裕がなかった。頭では理解できても、心がついていかないことが多かった。自分と娘との、ほろにがい記憶がよみがえる。
その日から、かほちゃんは私のとても大切なともだちになった。
夕方や週末、家の中に私の気配を見つけて、
「おばちゃーーーん」とかわいい声で叫ぶ。
「今から行っていい?」
「いいよー」と答えるときもあれば、
「今日はダメなの。ごめんね」と断るときもある。
それで雰囲気が悪くなることはない。
「じゃあ、いつがいい?」とお互いの予定を相談して、次の約束を決めるだけの話だ。
かほちゃん。
このコミュニティに引っ越してから初めてできた、年の差46歳の女ともだち。
けっこう、話が合う。本音トークが交わせる間柄。
これからもよろしくね。
おばちゃんは、あなたが大好きです。
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