濁流にのまれる自分を覚悟した夜。「死」は他人事でなくなった。
朝、目が覚める。ベッドから起き上がる。おなかを空かせた猫たちが、朝ごはんを催促して一斉に鳴き始める。「わかったわかった」と言いながら玄関に向かい、ドアを開けて郵便受けから新聞を取り出す。そして目にする、死者の数を報じた一面のトップ見出し。また、増えている。気持ちが沈む。心が立ち往生して、しばらく動くことができない。
あの日、岡山はありえない豪雨にさらされた。「ありえない」。ほんとうに。それが全県民の心境だったと思う。
1988年から「晴れの国おかやま」を標榜する。降水量1mm未満の日数が、全国で一番多い(1981年~2010年までの30年間の平均:岡山県庁HP)。中四国の中でも台風の被害が抜きんでて少ない。地震の被害もほとんど経験していない。県内を貫く一級河川が東西にバランスよく3本も流れていて水量が豊富。県南に広がる肥沃な岡山平野では米や野菜、果物の収穫が盛ん。その安定した環境が魅力となり、「3.11」以降、移住先として全国都道府県の中で常に上位にランクインしてきた。
台風の直撃が伝えられても、途中から進路が変わり、難を逃れる。隣県で甚大な被害が出ても、岡山は「警戒警報」のレベルで終わる。「やっぱり岡山じゃ」「岡山ぐらい安全なところはないのぅ」ーこれまで何度も実感してきた地元への自信が、実は「過信」だった。そう思い知らされた人は多かったはずだ。
「高梁川」「吉井川」「旭川」の一級河川のみならず、支流までみな危険水域に達した。岡山市、倉敷市をはじめ、県内ほとんどの市町村で全戸に避難指示が出た。深夜にかけて刻々と伝えられる緊迫した状況。けたたましく鳴り響くスマホの緊急速報。岡山市街地の支流の堤防が決壊したという一報が入った後、県内を流れる河川が次々に赤色の表示に変わり、いつ重大な危険が襲い掛かってもおかしくない異常事態を示した。
わが家の1km圏内には、西に県下最大の河川である旭川、東に旭川の放水路でもある百間川がある。この2つの川が、7日未明に決壊寸前までいった。後日、消防団の人から聞いた話では、堤防を超えるまであと2センチまで迫っていたそうだ。
NHKのアナウンサーは「夜は家の外に出ることがかえって危険な場合があります。そういうときは家の中に居て、2階以上に上がって避難してください」と繰り返した。あいにくとわが家は平屋で、物置代わりの屋根裏部屋が一番高い場所。四の五の言っている余裕はない。そこで一夜を過ごすことにして、まっさきに犬1匹と猫4匹を追い立てるように上げる。
床上浸水の場合を想定して、被害が最小限でとどまるように、造りつけの棚やタンス、キッチンの流し、テーブルなどへ、上げられるものは片っ端から積んだ。そして、家じゅうを見渡し、命が助かったときに最低限これだけは手元に置いておきたいものを考える。私が手にしたのは、財布と免許証入れ、保険証券の類、ノートパソコン。そして、泥水の中を歩くとき用に、底の厚いスニーカーを一足。着の身着のまま、屋根裏部屋に上がった。
5畳ほどの部屋で、明かりをつけたまま、すやすやと寝息をたてる犬猫5匹の姿を見て、堤防が決壊したときのことを想像する。その日は私が膝の手術をしてちょうど1週間。痛みと腫れが引かない左足で、まともに歩けない状態だった。ましてや、この子たちを連れて逃げることなんて絶対に不可能。かといって置いて逃げることなど、はなから選択肢にない。
万が一のときは、濁流にのまれるしかない。57歳。いろいろあって、苦しいこともつらいことも多かったけど、やりたいことはやってきた。おしなべていい人生だった。娘たちも成人して、立派に独り立ちをしている。やりたいことはまだまだあるけど、悔いはない。私の癒しであるこの子たちと最期を共にするなら、不足はないじゃないか……そんなことを考えなら、ほとんど眠ることなく長い夜を明かした。
そして、朝を迎えた。家の中には雨水一滴たりとも入らずに済んだ。「ありがとうございます」。口に出して、目に見えないものに感謝した。つけっぱなしにしていたテレビから、被害の状況が次々に報じられている。倉敷市真備の、二階屋根近くまで泥水に埋まった映像は、数時間前にわが身に降りかかることを覚悟した場面そのものだった。画面の中に自分を投影した。ひとの死が今回ほど近く感じられたことはない。
その後、日を追って報じられる死者の数は、自分の死とつながっている。私は画面の中で、新聞の記事で、何度も何度もみずからの死と向き合う。遠い世界の出来事ではない。だれかの死は、私の死でもあったのだ。あの人が亡くなって、私が生きているのは、ほんのちょっとした行き違いに過ぎない。
どこに住んでいるとか、過去に災害がなかったとか、地理も統計も、今ほどあてにならない時代はないのだと感じる。大きな自然災害が起こるたびに「岡山は安全」「ここはやっぱりいいところだ」と思った自分の驕りが恥ずかしい。なんと不遜な人間であったのか。たまたま生かされているだけの自分を、私はまだ生かしきれていない。そんなジレンマの中に、いる。