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タイムスパン・ラブ

第一章 はじまりの誤差

昼夜を問わず輝き続ける未来都市、オーバーゼロ。
その空は、宙に浮かぶ自動車や光の帯を描く高架鉄道で埋め尽くされている。地上の目線に目をやれば、無数のホログラム広告が絶え間なく点滅し、人々は最新の拡張現実メガネを装着しながら行き交っている。だが、この高度な文明の奥には、ある一つの秘密があった。

タイムトラベル技術。それは「ゼロポイント・キャタリスト」と呼ばれる装置によって実現された夢の技術であり、50年前の発明以来、人類は自由に過去と未来を行き来できるようになった。もっとも、それは一部の特権層や科学者、タイムガイドの資格を持つ人間だけに許された特権だった。

秋津レイは、その「タイムガイド」として働く若者だった。整った顔立ちに短く刈り込んだ黒髪、やや痩せた体つきが、彼の真面目で物静かな性格を物語っている。仕事中、彼は常に銀色の制服を身にまとい、ホログラムディスプレイが立ち並ぶターミナル内で観光客や研究者たちの移動を管理していた。

「ターミナルC、目標時代を1956年に設定しました。」

透明なキーボードを操作しながら、レイは自分の端末に表示された移動リストを確認した。その作業は慣れた手つきだったが、その瞬間、彼の目が端末に映し出された警告表示に吸い寄せられた。

「誤差発生。移動先に存在しない搭乗者を確認。」

不審な記録に胸騒ぎを覚えたレイは、移動ログを急いで調べた。そこに記されていたのは、名簿にない一人の女性の存在だった。記録上、彼女の情報は一切存在しない。顔写真も身元情報も空白だ。ただ、ログは確かに彼女が「昭和50年代」へと飛んだと示している。

レイの指先は迷わなかった。誤作動や時間犯罪を未然に防ぐのも、タイムガイドの重要な任務の一つだったからだ。すぐにタイムジャンプの準備を始めた彼は、ほんの数分後には光のトンネルに包まれ、昭和の時代へと向かっていた。


第二章 出会いの時空

昭和50年代の東京。ビルが連なる現在の都市とは異なり、赤レンガの建物や木造家屋が街並みに混じり合う、どこか温かみを感じさせる風景だった。路地には商店が並び、店先には炭酸飲料の瓶や、鮮やかなポスターが並べられている。スピーカーからは古い演歌が流れ、行き交う人々の服装はどれも素朴で、未来のスーツや制服とはかけ離れたものだった。

レイは歩道に立ちながら深く息を吸い込んだ。未来の空気清浄システムとは違う、どこか土の匂いを含む空気が鼻をくすぐる。

彼は街中を歩き回り、ようやく喫茶店「紅葉亭」と書かれた木製の看板を見つけた。中へ入ると、店内は薄暗い照明に包まれ、落ち着いた雰囲気が漂っている。壁には映画俳優のポスターが貼られ、床には赤いタイルが敷き詰められていた。

その一角に座っていたのが凪沙(なぎさ)だった。

彼女はレイが来たことにすぐ気づき、椅子から立ち上がった。黒髪をポニーテールにまとめ、落ち着いた色合いのワンピースを身にまとった彼女の姿は、昭和の空気に自然に溶け込んでいた。しかし、その瞳には不思議な鋭さがあり、時代を超えたような知性を感じさせた。

「あなたが未来の人ね?」

声をかけてきた凪沙の言葉に、レイは内心驚いた。通常、一般人がタイムトラベルの存在を察することはあり得ない。しかし、彼女は微笑みながらレイの隣の席に座り、話を続けた。

「ごめんなさい、勝手に巻き込まれちゃったみたい。たぶん、未来のあなたたちの技術のせいかもね。」

冷静な口調だったが、凪沙の声にはどこか悲しげな響きがあった。その理由を探るように、レイは彼女の瞳をじっと見つめた。

「僕が君を未来に連れ戻すべきなのか、それとも……」

凪沙は小さく首を振った。

「いいえ、私はここにいたい。でも、あなたとはもっと話したいの。」

二人はその日、喫茶店で何時間も話し込んだ。凪沙は、未来の技術の断片的な記憶を持っていると語り、それが偶然の事故で昭和に投げ出された理由を探ろうとしていた。レイもまた、自分の生きてきた未来の都市について話した。技術の進化がもたらす希望と孤独。凪沙は目を輝かせながら耳を傾けた。

彼らの間には、時間という壁が存在しているにも関わらず、不思議な共感が生まれていた。

第三章 時空の追走劇

レイと凪沙の出会いは奇跡のようだったが、それが永遠に続くわけではなかった。凪沙の存在がタイムラインに及ぼす影響を恐れたタイム監査局は、彼女を昭和の時代から排除し、レイを連行するために追手を送り込んできた。

レイがその情報を知ったのは、未来からの緊急メッセージだった。ターミナルで働く同僚が密かに送ったメッセージには、こう記されていた。

「監査局が動き出した。時間軸を守るため、凪沙を消去する計画だ。」

それを聞いたレイの心臓は強く鼓動を打った。消去、という冷酷な言葉が意味するのは、凪沙が二度と存在できなくなるということだった。

「私のせいであなたまで巻き込まれてしまったね。」

レイが焦りながら彼女に状況を説明すると、凪沙はそう言ってうつむいた。だが、すぐにその表情を引き締め、レイを見上げた。

「逃げよう。あなたの未来の技術を使えば、私たちはどんな時代だって隠れられるでしょ?」

レイは一瞬ためらった。凪沙を連れて時間を越えるのは規約違反だし、彼自身の命すら危険に晒される。だが、彼女の決意に満ちた瞳を見た瞬間、そんな迷いは吹き飛んだ。

「わかった。僕が君を守る。」

夜明け前の昭和50年代、東京の裏路地。薄暗い空の下、レイと凪沙は古い木造家屋の影に身を潜めていた。彼らが隠れ潜む小さな一室には、畳の匂いがかすかに漂い、古びたラジオからは低い音量で演歌が流れている。

「どうして、追ってくるの?」

凪沙は未来の技術に触れるたびに感じる恐れを隠しきれない様子で、レイに尋ねた。彼女の黒髪は乱れ、肩で息をしている。数日前から続く監査局の追撃は容赦がなく、二人はほとんど眠る暇もなく時代を移動し続けていた。

「君の存在が、タイムラインにとって『不自然』だからだ。」

レイは未来の監視システムに刻まれた絶対的なルールを思い出しながら答えた。それは冷徹で機械的な法則だが、彼にとっては現実の一部でもあった。

「でも、不自然ってなに?私はただここで生きてるだけなのに。」

その言葉に、レイは一瞬返答を詰まらせた。彼もまた、凪沙の存在がどうしてそんなに脅威なのか、正確には分かっていなかった。ただ一つ分かるのは、彼女と共に過ごす時間が、自分にとって何よりも大切なものになりつつあるということだった。

そのとき、遠くから低い金属音が響いた。

「監査局の追跡ドローンだ。」

レイは凪沙の手を取り、部屋を飛び出した。狭い路地を駆け抜けながら、二人は息を切らせ、靴音を響かせた。背後ではホバードローンの赤いセンサーライトが路地を埋め尽くしている。


19世紀末のパリ:夢の中の逃亡劇

追っ手を振り切るため、二人は次に19世紀末のパリへと跳んだ。光のトンネルを抜けると、そこはガス灯が柔らかな橙色の光を放つ夜の街並み。華やかなカフェのテラスには、帽子をかぶった紳士やドレス姿の女性たちが集い、響き渡るアコーディオンの音楽に酔いしれていた。

「ここなら少しの間、彼らを撒けるかもしれない。」

レイは息を整えながら、街の人混みに紛れるよう凪沙を促した。石畳の道を歩きながら、凪沙は目を輝かせて辺りを見回した。

「なんて素敵な場所なの……。」

彼女が足を止めたのは、街の小さな劇場の前だった。赤いベルベットのカーテンが開け放たれ、中では劇団が道行く人々に即興劇を披露している。

「ねえ、しばらくここに隠れてもいい?」

凪沙の提案に、レイは少し迷ったが、劇団の人々の中に紛れるのは悪くない案だと考えた。劇団員たちは二人の姿を見て、一瞬驚いたものの、彼らの怪我や疲れた表情を見て察したのか、衣装や化粧道具を貸してくれた。

その夜、二人は舞台の袖で初めて肩の力を抜き、穏やかな時間を過ごした。凪沙は劇団員たちの陽気な冗談に笑い、レイは彼女の無邪気な笑顔を見て、わずかに胸の痛みが和らいだように感じた。

だがその安息も長くは続かなかった。監査局の兵士たちが劇場に現れたとき、二人は再び逃げ出さざるを得なかった。


戦国時代の日本:静寂の裏切り

次に二人が飛び込んだのは、戦国時代の日本だった。彼らが辿り着いたのは霧深い山間の村。農民たちが静かに暮らすその地には、竹林が広がり、風が吹くたびに葉がざわめいていた。

「ここならきっと追いつけない。」

そう言って村人たちが提供してくれた茅葺きの小屋で、二人は数日間静かな生活を送った。凪沙は山菜を摘み、未来にはない素朴な味の食事を楽しんだ。

「不思議ね。時間を旅するのに、こうしてどこかで落ち着いて過ごしたくなるなんて。」

凪沙が呟いたその言葉に、レイも同意するように微笑んだ。

しかし、その平穏もまた束の間だった。ある夜、監査局の追跡兵たちが村を包囲した。無数の赤いライトが竹林を埋め尽くし、村人たちの間に緊張が走った。

「もう行くしかない。」

凪沙を抱きかかえるようにして、レイは再び光のトンネルをくぐった。その背後では、監査局のドローンが竹林を焼き払うように迫ってきた。


第四章 未来の自分たち

逃亡の果てにたどり着いたのは、荒廃した23世紀の未来だった。かつて輝いていたオーバーゼロの街は、砂塵と廃墟に覆われていた。空は薄汚れた灰色で、かつて流れていたはずの光の帯は消え失せ、静寂が辺りを支配していた。

「ここが未来……?」

凪沙は崩れかけたビルの中を歩きながら呆然と呟いた。そのとき、二人の前に現れたのは未来の自分たちだった。

未来のレイと凪沙は、どこか疲れ果てた表情を浮かべていた。

「これが、君たちが選んだ未来の結果だ。」

未来のレイがそう告げたとき、二人は目の前の光景に言葉を失った。

「私たちがこうならないようにするために、選択肢がある。」

未来の凪沙が静かに語り始めた。その選択肢とは、時間を安定させるために、現在のレイと凪沙がそれぞれの時代に戻り、二度と会わないということだった。


第五章 別れと再会

未来の自分たちの説得を受け入れた二人は、最後の別れを決意した。

「君を一人にするなんて、本当はしたくない。」

レイの声は震えていたが、凪沙はそれを優しく遮った。

「大丈夫よ。私たちは時を超えた。だからきっと、また会える。」

涙を浮かべながら、二人はそれぞれの時代へと戻っていった。

年月が過ぎ、未来でレイが静かに過ごしているとき、一通の手紙が届いた。昭和の凪沙が残したメッセージだった。

「どんな時間でも、私はあなたを愛しています。またきっと会えると信じて。」

レイはその手紙を胸に抱きしめ、未来の凪沙の姿を見つける。

「待ってた。」

「ずっと待たせたね。」

時間を越えた愛は、再び二人を結びつけた。

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