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魔法使いの婚約指輪

第一章 - 異世界での目覚め

窓から差し込む朝日が、重厚な深緑のカーテンの隙間をすり抜けて、私の頬を優しく撫でる。天蓋付きベッドの白い天井を見上げながら、今朝も例のごとく深いため息が漏れた。

シーツの上で手のひらを広げ、何度目かもわからない詠唱を口ずさむ。

「フラム・ルミエール」

初級魔法使いの子供でも簡単に使える、炎の灯火の魔法。しかし、私の手のひらには小さな火花すら宿らない。

「また...ダメか」

諦めの色を帯びた言葉が、静寂の朝の空気に溶けていく。

私の名は篠原直人――この世界ではシノハラ・ナオトと呼ばれている。二十年前、気がついた時には既にこの異世界で生を受けていた。記憶は前世のものを全て保持したまま。そして、この世界で生きていく上で決定的な「欠陥」を背負っていた。

魔法が使えないのだ。

この世界――フェルディナ王国では、魔法は水や空気のように当たり前の存在だ。街頭の灯りは魔法の光で灯され、料理は魔法の火で調理される。洗濯すら魔法で行うのが一般的な世界。その中で、私だけが魔法を扱えない「異常者」として生まれてきた。

「坊ちゃま、お目覚めでございますか?」

重厚な扉をノックする音と共に、執事のヘンリーの声が響く。彼の声には、いつも温かみのある落ち着いた響きがあった。白髪まじりの髪に、深いしわの刻まれた顔。しかし、その姿勢は常に凛として、執事としての誇りを感じさせる。

「ああ、入っていいよ、ヘンリー」

扉が開くと、銀のティーセットを載せたワゴンが、車輪の軽い音を立てて入ってきた。

「本日の紅茶は、アルディーン産の『フェアリーズブレス』でございます。バラの蕾とハニーを添えて」

艶のある濃茶色の液体が、華麗な放物線を描いてカップに注がれる。立ち上る湯気には、甘く華やかな香りが乗っていた。

「ところで坊ちゃま」

ヘンリーが、やや遠慮がちに口を開く。

「本日はロイヤルメイジアカデミーの入学式でございます。既にご準備は――」

その言葉に、私は思わずカップを握る手に力が入る。魔法が使えない身で、魔法学院に通うことになるのだ。まるで悪い冗談のような話だった。

「準備は大丈夫。制服も昨日アイロンがけしたし」

力なく答える私に、ヘンリーは心配そうな目を向けた。

「坊ちゃま、ご心配には及びません。シノハラ家は代々、魔具商として名高い商家。魔法の使用能力に関わらず、その知識と見識は誰にも引けを取りません」

その言葉には、温かな励ましが込められていた。確かに、シノハラ家は魔具の取引で財を成した名家だ。魔法は使えなくとも、魔具についての知識なら誰にも負けない自信があった。

それでも、不安は消えない。

着替えを済ませ、鏡の前に立つ。ロイヤルメイジアカデミーの制服は、深い紺色のジャケットに白いシャツ、同じ紺色のパンツという組み合わせ。胸元の銀の校章が、朝日に照らされて煌めく。

褐色の髪に優しく櫛を入れながら、ふと考える。この制服を着る資格が、本当に自分にあるのだろうかと。

第二章 - 運命の出会い

アカデミーへ向かう馬車の中で、窓の外の景色を眺めていた。石畳の道路の両側には、魔法の光で満ちた街並みが広がっている。店先では魔具店の主人が新作の展示に勤しみ、通りでは魔法で動く清掃機械が せっせと働いていた。

「もうすぐロイヤルメイジアカデミーでございます」

ヘンリーの声に顔を上げると、丘の上に聳える巨大な建造物が見えてきた。

純白の大理石で建てられた校舎は、まるで一つの芸術作品のよう。尖塔が空に向かって伸び、魔法の結界が虹色に輝いている。正門には魔力で描かれた校章が浮かび上がり、新入生たちが続々と登校してくる様子が見えた。

馬車が正門前で止まり、私が降り立った瞬間だった。

「きゃっ!」

突然の悲鳴と共に、空から一冊の本が舞い落ちてきた。見上げた先では、一人の少女が階段の手すりにつまずき、今にも転げ落ちそうになっていた。

「危ない!」

咄嗟に駆け出した私は、間一髪で彼女をキャッチした。腕の中に柔らかな体が収まる。銀色の長い髪が風に舞い、甘いバニラの香りが鼻をくすぐった。

「大丈夫ですか?」

抱きとめた少女の顔を見た瞬間、私は息を呑んだ。

透き通るような碧眼は、まるで深い湖のよう。雪のように白い肌に薄紅色の頬。整った顔立ちは、まるで人形のような美しさだった。そして何より目を引いたのは、その左手の薬指。

青く輝く宝石をあしらった銀の指輪――クリスタル家に代々伝わる婚約指輪。この国で最高位の魔法使い貴族の証だった。

「申し訳ありません...」

彼女も私の顔を見て、どこか意外そうな表情を浮かべた。その瞬間、彼女の指輪が不思議な青い輝きを放ち始める。まるで満月の夜に輝く湖面のような、神秘的な光だった。

「これは...!」

少女――エステラ・クリスタルが驚きの声を上げた時、既に周囲の学生たちが私たちを取り囲み始めていた。

「見たか?クリスタル家の婚約指輪が反応している!」 「あの指輪は相手の魔力と共鳴するって言うじゃない?」 「ってことは、あの男性が運命の相手...?」

ざわめきが広がる中、エステラは決意に満ちた表情で私の手を取った。その手は少し震えていたが、握る力は確かだった。

「申し訳ありませんが...少しの間だけ、私の婚約者のふりをしていただけませんか?」

その言葉は、まるで運命の糸が紡がれる音のように、私の心に響いた。

第二章 - 運命の出会い

「婚約者の...フリ、ですか?」

私の声が少し震える。周囲の視線が刺さるように感じられた。エステラは周囲を警戒するように素早く視線を巡らせ、より小さな声で続けた。

「詳しい話は後ほど...今は、どうかお願いします」

その瞬間、エステラの瞳に浮かんだ不安と懇願の色に、私は心を動かされた。魔法は使えなくとも、目の前で助けを求める人を見過ごすことはできない。それが前世から変わらない、私の信念だった。

「...承知しました」

私が頷いた瞬間、エステラの指輪がより一層鮮やかな光を放った。その青い光は、まるで私たちの約束を祝福するかのようだった。

「おや、朝から賑やかですね」

芳醇な声が群衆を切り裂く。振り向くと、そこには一人の教授らしき人物が立っていた。深い紫のローブに身を包み、口元に微笑みを浮かべている。しかし、その瞳には鋭い光が宿っていた。

「ミレイユ教授...」

エステラの声から緊張が伝わってくる。

「入学式の準備がありますので、皆さんそろそろ大講堂へ」

教授の言葉に、群衆は徐々に散っていった。最後にミレイユ教授は私たちに意味ありげな視線を向け、「おめでとう」と言い残して去っていった。

***

入学式は大講堂で執り行われた。天井まで届きそうな巨大な窓からは陽光が差し込み、床に描かれた魔法陣が七色に輝いている。

私はエステラと並んで座っていたが、周囲からの好奇の視線が痛いほど感じられた。エステラは凛とした姿勢を保っているものの、その手が少し震えているのが分かった。

「大丈夫ですか?」

小声で尋ねると、彼女は僅かに頷いた。

「はい...ありがとうございます」

その時、講堂の扉が大きく開かれ、学院長が入場してきた。銀色の長い髭を蓄えた老魔法使いは、まるで昔話に出てくる賢者のような風貌だった。

「新入生の皆さん、ようこそロイヤルメイジアカデミーへ」

力強い声が講堂に響き渡る。そして、学院長の演説が始まった。

しかし、私の心は別の場所にあった。エステラが抱える秘密と、これから始まる偽装婚約生活。そして何より、魔法が使えない自分に何ができるのか――。

式典が終わり、私たちは中庭の片隅に場所を移した。噴水から湧き出る水は魔法の力で虹色に輝き、周囲には色とりどりの魔法花が咲き誇っている。

エステラは深いため息をつくと、私に向き直った。

「改めて...先ほどは本当にありがとうございました」

彼女は丁寧にお辞儀をする。その仕草には気品が漂っていた。

「シノハラ・ナオトと申します。ご事情があるのでしょう?」

エステラは周囲を確認してから、声を潜めて説明を始めた。

「私は...政略結婚を強要されているんです」

その言葉に、私は目を見開いた。

「クリスタル家の令嬢である私に、いくつかの貴族家が婚約を迫っています。特に最近は、父が病に倒れてから...」

彼女の声が震える。

「この指輪は代々、クリスタル家の者が運命の相手を見つけるための魔具なんです。本来なら、魔力の相性が完璧な相手にしか反応しないはずなのに...」

彼女は不思議そうに私の顔を見つめた。

「シノハラさんの魔力は...とても特別です。これまで見たことのないような...」

その言葉に、私は思わず苦笑いを浮かべた。

「申し訳ありません。実は、私には魔力がないんです」

エステラの瞳が大きく見開かれる。

「そんな...でも、指輪が...」

「私はシノハラ家の跡取りではありますが、魔法は一切使えません。この学院には魔具の知識を学ぶために入学しました」

告白を終えた私は、エステラの反応を恐れて目を伏せた。しかし――。

「それなら、なおさら不思議です」

エステラの声には、意外にも好奇心が滲んでいた。

「もしかしたら...これは運命かもしれません」

彼女は真摯な表情で続けた。

「シノハラさん、どうか私と契約を――偽装婚約を結んでいただけませんか? 私には時間が必要なんです。本当の自由を掴むための...」

夕暮れの光が彼女の横顔を照らし、瞳に決意の色が宿る。その姿に、私は心を打たれた。

「承知しました」

今度は迷いのない声で答える。

「ですが、一つだけ約束してください。もし本当の相手が現れたら、すぐにこの契約を解消すると」

エステラは少し驚いた表情を見せた後、柔らかな笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。約束します」

私たちは固い握手を交わした。その瞬間、指輪が再び淡い光を放つ。

この時、私たちはまだ知らなかった。この偽りの契約が、やがて真実の絆へと変わっていくことを――。

第三章 - 日々の発見

朝靄の立ち込める中庭で、エステラは杖を優雅に振りかざしていた。

「フロス・テンペスタス!」

青白い光が渦を巻き、彼女の周りに小さな竜巻が幾つも現れる。それらは美しい螺旋を描きながら、的として設置された木製の人形たちを次々と倒していく。

「さすがですね」

私は記録用の羊皮紙に観察結果を書き留めながら声をかけた。婚約者を装う以上、エステラの魔法の特訓に付き合うのも自然な流れだった。

「ありがとうございます。でも...」

エステラは少し困ったように眉を寄せる。

「何かおかしいんです。シノハラさんの近くにいる時と、離れている時では、魔法の出力が全然違うように感じて...」

その言葉に、私は手を止めた。確かに、この一ヶ月の間、気になることがあった。エステラの魔法は私の近くにいる時の方が、明らかに威力が増しているように見える。

「試してみましょうか?」

私の提案に、エステラは頷いた。

実験は簡単なものだった。まず、私が十メートルほど離れた場所で、エステラに魔法を発動してもらう。次に、私が彼女の傍らに立ち、同じ魔法を放ってもらう。

結果は歴然だった。

「驚きました...威力が倍以上違います」

エステラは興奮した様子で測定結果を見つめている。その横顔が朝日に照らされ、銀色の髪が煌めいていた。

「ねぇ、シノハラさん」

彼女が真剣な眼差しを向けてくる。

「本当に魔力がないって、確信されているんですか?」

その問いは、私の心に静かに響いた。

「ええ、何度も確認しました。魔法省の診断も受けています」

「でも、これは明らかに異常です。私の魔力が増幅される原因が、どこかにあるはずで...」

その時、図書館から駆けてくる足音が聞こえた。

「エステラ様!」

声の主は、エステラの侍女であるマリーだった。普段は物静かな彼女が、珍しく慌てた様子で近づいてくる。

「大変です!お父様が...!」

その言葉に、エステラの表情が凍りついた。

***

クリスタル伯爵邸の書斎は、重苦しい空気に包まれていた。

「政略結婚...ですか」

エステラの声が僅かに震える。彼女の父、アルフレッド・クリスタル伯爵は、寝台に横たわったまま苦しそうに咳き込んだ。

「すまない、エステラ。だが、これも家の存続のため...」

「しかし、私には既に婚約者が...」

その時、書斎の扉が乱暴に開かれた。

「おや、そんな話は聞いていませんでしたが?」

入ってきたのは、グランツ家の当主、ヴィクター・グランツだった。禿げ上がった頭に、太った体型。その目は、打算に満ちていた。

「確かに噂では聞いておりましたが...」

ヴィクターは私を値踏みするような目で見る。

「魔力のない商人風情が、クリスタル家の令嬢と婚約?笑わせないでください」

その言葉に、エステラが身を震わせた。しかし、彼女は凛とした態度を崩さない。

「グランツ様、私の婚約者を侮辱するのはお止めください」

「侮辱?事実を述べただけですよ」

ヴィクターは薄笑いを浮かべる。

「伯爵様、私めからの提案です。明日、魔法力の実力試験を行いましょう。もし、この若者がクリスタル家の令嬢の婚約者に相応しいと証明できれば、私は身を引きます」

その言葉に、書斎の空気が凍りついた。

私は咄嗟にエステラの手を取っていた。彼女の手が冷たく、小刻みに震えているのが分かる。

「お受けします」

私の声が、静かに響いた。

エステラが驚いた様子で振り向く。確かに、魔法の使えない私が魔法試験を受けるなど、自殺行為に等しい。

しかし――。

「ただし、条件があります」

私はヴィクターを真っ直ぐに見つめた。

「勝負は魔法の知識と実践力、両方で判断する。魔具の性能評価も含めて」

ヴィクターは軽蔑的な笑みを浮かべる。

「面白い。承知しました」

彼が立ち去った後、エステラが心配そうに私の顔を覗き込んできた。

「シノハラさん...大丈夫ですか?」

「はい」

私は彼女の手をそっと握り返した。

「信じてください。きっと、道は見つかるはずです」

その時、エステラの指輪が、かすかに温かみを帯びて輝いた。

第四章 - 真実の力

アカデミーの図書館は、夜になると特別な雰囲気を纏う。

魔法の灯りが柔らかく本棚を照らし、古書の香りが漂う静寂の中で、私とエステラは黙々と資料を探していた。試験まで残された時間はあとわずか。

「これは...」

エステラが突然、声を上げた。彼女の手元には、古びた羊皮紙の書物。表紙には『失われし魔法の考察』という文字が、かすかに金色に輝いている。

「触媒の系譜...」

私も思わず身を乗り出す。エステラの指が、慎重にページをめくっていく。

「ここです!」

彼女の指が一つの段落を指す。

『古来より、魔力を持たぬ者の中に、稀に「触媒」の資質を持つ者がいるという。彼らは自身では魔法を使えないものの、他者の魔力を増幅させる特殊な体質を持つ。しかし、その力は本人が自覚しない限り、眠ったままとなる』

私たちは顔を見合わせた。

「シノハラさん、これかもしれません」

エステラの瞳が興奮で輝いている。

「でも、どうやって...」

その時、図書館の入り口から物音が聞こえた。

「おや、こんな夜遅くまで、仲睦まじいことで」

声の主は、ミレイユ教授だった。しかし、その表情には普段の柔和さがない。

「教授...」

「お二人とも、明日の試験の準備でしょうか?」

教授は私たちに近づきながら、意味ありげな微笑みを浮かべる。

「実は、私からも面白い話をご提供できそうです」

ミレイユ教授は、自身の左手の指輪を見せた。それは、エステラの婚約指輪とよく似た青い宝石をあしらったもの。

「これは...」

「ええ、かつてのクリスタル家の婚約指輪です。私の祖母が身につけていたもの」

教授は懐かしむように指輪を見つめる。

「そして、私の祖父もまた、『触媒』だったのです」

その言葉に、私たちは息を呑んだ。

「指輪は単なる飾りではありません。それは、触媒の力を引き出し、制御する道具なのです」

エステラが自身の指輪を見つめる。

「では、シノハラさんが近くにいる時、私の魔力が増幅されるのは...」

「そう、あなたの婚約指輪が、彼の触媒としての力を引き出しているのです」

ミレイユ教授は、私に向き直った。

「シノハラさん、あなたの中には確かな力が眠っています。それは魔法とは違う、しかし同じくらい貴重な才能です」

深夜の図書館で、教授は私たちに触媒の力の使い方を教えてくれた。

それは決して簡単なものではなかった。触媒の力を引き出すには、強い意志と集中力が必要だった。そして何より――。

「相手への深い信頼が不可欠です」

教授の言葉が、静かに響く。

「触媒の力は、心が通じ合っていなければ、決して目覚めません」

***

試験の朝を迎えた。

アカデミーの決闘場には、既に大勢の観衆が集まっていた。噂を聞きつけた貴族たちが、我先にと詰めかけている。

「準備はよろしいですか?」

審判を務めるミレイユ教授が、私たちに声をかける。

片や魔法が使えない商家の若者、片や名門魔法貴族の跡取り。結果は誰の目にも明らかに思えた。

しかし――。

「エステラ」

私は彼女の手を取った。

「信じてください」

エステラは、迷いのない瞳で頷いた。

「ええ、信じています」

その瞬間、私たちの間で青い光が弾けた。

婚約指輪が、かつてない輝きを放ち始める。

そして私は、初めて感じ取った。体の中を流れる不思議な力。それは魔力とは違う、しかし確かな存在感を持つエネルギー。

「では、試験を始めます」

ミレイユ教授の声が響く。

グランツが不敵な笑みを浮かべながら、杖を構える。

「覚悟は良いかな?」

「フレイム・バスター!」

グランツの放った炎の弾が、轟音と共に決闘場を揺るがす。しかし――。

「フロス・アエギス!」

エステラが詠唱すると、私たちの周りに青白い風の壁が立ち上がった。グランツの炎は、まるで紙切れのように吹き飛ばされる。

「な...なんだと!?」

グランツが驚愕の声を上げる。確かに、通常の風の盾では、あれほどの炎を防ぎきれるはずがない。

私はエステラの背後に立ち、両手を彼女の肩に添えていた。体の中を流れる力が、まるで小川が大河に注ぐように、彼女へと流れ込んでいく。

「これが...触媒の力」

エステラの囁きが聞こえる。彼女の魔力が、私の力と共鳴して増幅されていくのを感じられた。

「くっ...こんなものか!」

グランツは次々と攻撃魔法を繰り出す。しかし、もはや私たちには通用しない。

「シノハラさん、行きましょう」

エステラの声に頷き、私は魔具商の知識を総動員して助言を送る。

「風と水の属性を組み合わせれば...」

「はい!」

エステラの杖が優雅な弧を描く。

「アクア・テンペスタス!」

巨大な水流が竜巻となって渦を巻き、グランツを包み込む。彼の放つ炎も、この混成魔法の前では消えていった。

決闘場が静寂に包まれる。

倒れ伏すグランツを前に、ミレイユ教授が高らかに宣言した。

「勝者、エステラ・クリスタルとシノハラ・ナオト!」

歓声が沸き起こる。エステラが嬉しそうに振り返り、私に抱きついてきた。

「やりました!私たち...」

その時、婚約指輪が今までで最も鮮やかな光を放った。それは、まるで私たちの絆を祝福するかのようだった。

***

「触媒としての才能、見事でしたね」

式典後、ミレイユ教授が笑顔で声をかけてきた。

「まさか、ここまでの力を引き出せるとは」

「いいえ」

私は首を振る。

「これは、エステラを信じ、エステラに信じてもらえたからこそです」

エステラが、照れたように頬を染める。

「でも本当に不思議です」 彼女は自分の指輪を見つめた。 「最初から、この指輪は分かっていたのかもしれません。シノハラさんが、私にとって特別な存在になることを」

「そうかもしれませんね」

教授は意味深な微笑みを浮かべる。

「さて、これからが本当の始まりです。触媒の力を極めるには、まだまだ修行が必要ですよ」

私とエステラは顔を見合わせ、笑みを交わした。

これは終わりではなく、新たな物語の始まり。魔法は使えなくとも、私には自分にしかできない方法がある。それを教えてくれたのは、隣で輝く彼女だった。

夕陽が沈む校舎を背に、私たちは肩を寄せ合って歩き出した。

これから先も、きっと多くの試練が待っているだろう。 しかし、もう恐れることはない。 私たちには、互いを信じ合う強さがあるのだから。

「ねぇ、シノハラさん...」

「なんですか?」

「もう、ナオトって呼んでもいいですか?」

「もちろんです、エステラ」

二人の笑顔の上で、婚約指輪が静かに輝きを増していった。

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