dymamic meditation
久しぶりのnoteです。
ブッダスクールのWSの解放のワークから一週間経ちました。
https://ameblo.jp/turi-saito/entry-12692532308.html
『外を見るものは夢を見、内を見るものは目覚める』
そして、終了後、参加された皆さんと共にダイナミックメディテーションを一週間続けてきました。
一人では一週間続けるのが、なかなかしんどい部分もあるので、
サポートがあると言うのはとても嬉しい試みだったように思います。
解放のワークは、自分の中で日常には出てこないけど奥にある苦しみや悲しみにリンクしていきます。
何度も何度も解放してきたはずなのですが、最終日の今日は本当に最も奥にあるものが出てきた様に思いました。
それは、決して普段は見ることのできない、深い悲しみでした。
許される事のない、行き場の無い悲しみに触れ、
最も情け無い思いをしたときの感覚が浮上しました。
インストラクターで入ったのに、入り込みすぎて、申し訳ないですが、
終わった後、ものすごく泣いてあげました。あのときの自分に、辛かったね、って言ってあげられました。
誰からも許されない、拒絶されたとき、というのは
それは、もしかしたら誰にでもあるもの。
つい先日、DAIGOさんが、炎上したのも、彼本人がそのように扱われていたことを許せないまま、解放できないまま、ホームレスの人への言動としてあらわれ、結果的にまた自分に返ってきたということなのでしょう。
本当は、見たくない自分を許して解放してあげたいけれど
理性的に生きる場面ではそれはとても難しく、なかなか奥深く見ることが出来ないため、
成功した自分とは関係の無いものとしてみてしまう。
そんなとき、きっと自分の中ではその深い悲しみがマックスになる。それは悲しみから怒りになり、蔑みや偏った愛着にもなる。
蔑みや愛着の目線は、自分そのものを蔑んで、自分も傷つけて、奥底では忘れられない痛みを自分以外のものとして感じ続けていたいからなのかもしれません。
自分の中にそれが見つけられ、解放出来たなら、もうそれはきっとあのときの情け無さや辛さを、誰かに当てはめることはないだろうと思います。
皆、誰でもがそういうものを持って生きている。
もし、一生の中でその解放のチャンスが来たならば、全ての人に向き合って見てほしいと思います。
インストラクターなのに、どっぷりしちゃってごめんなさいでした。