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臓器も骨髄も角膜も血液も~19歳 大学の寮がなかなかの軍隊だった件~
あなたは人に臓器をあげたいと思ったことはありますか?
これは初めて臓器提供に興味を持った15歳から、高校、大学、就職、転職、独立、結婚、出産、離婚などを経験し、新たに出会ったパートナーが腎臓移植が必要な人であったという15歳から50歳までの(現在も更新中)日記です。
■19歳
私は高校をこの春卒業する。
みんな付属の短大や、専門学校に進学したり
地元の会社に就職するので、上京するのはまわりで私一人だ。
卒業式、我らが担任は厳しくて有名で、あだ名はパンチ。
ご想像通り、ヘアスタイルから来るものだ。
3年間パンチが担任だ。
私はパンチにより学級委員長を3年間つとめることになったのだ。
パンチは30代半ば独身。
毎年「特別進学クラス」の担任をやってて、
私たちの入れ違いに卒業していった先輩たちから相当嫌われていたらしく、卒業式ではみなパンチから卒業証書をふんだくっていった、らしい。
でも、卒業証書くれんの担任じゃなくて校長じゃね?
って思ったけど、別にいっか。
そんなパンチだったけど、私たちの代からはすっごい好かれていたかと言えばそうでもないけど、すっごい嫌われていたかと言えばそうでもない。
パンチがなんで独身なのか、恋バナだってして、離れ離れになった昔の恋人を探してあげよう!って話になるくらいの関係だ。
もうすぐ卒業。
卒業証書をふんだくられるような噂があるくらいだから、卒業にあまりいい思い出もないだろう。
ってことで、団結力だけは自信があった特別進学クラスの1組。
なんてったって3年間クラス替えなく共に過ごしたのだ。
パンチに最後歌を贈ろうよ!
と誰が言い出したかわかんないけど、みんなめちゃ同意。
何の歌にしたかは、さっきまで覚えてたけど
これを書いてる最中に忘れた。
でもたぶん
「中島みゆき/時代」
だったと思う。
歌詞から言ってもたぶんこれ。
みんなで練習して、ハモリまでつけたよね。
そして当日。
パンチは泣いた。
教室から走り去ったよね。
わたしたちだって、大号泣よね。
最後に涙があると、なんかすっごいいい思い出になるね。
そんなこんなで私は春から大学に進学する。
東京は昔住んでいたとはいえ、子どもの頃だ。
全くもって未知だ。
いきなり一人暮らしもさみしい。
結果、私は大学の寮に入ることにした。
両親が車で東京まで送ってくれた。
段ボール2つとラジカセ1個。
そんだけ。
今どきの大学はきっとマンションごと借り上げて、一人ずつ部屋があるんだろうなぁ。
シャワーもトイレも全部ついてるんだろうなぁ
でも私が入った寮は「すみれ寮」
すてきな名前でしょ?
でも意外と衝撃的よ。
すみれ寮は、大学の敷地内に建てられてて、外観は校舎と変わらない。
かなり年季の入った建物だ。
あまりの衝撃に母親は「いつでも帰ってきていいからね」と涙ぐむ始末。
父親は「これは面白そうだなぁ!」と喜んでいた。
私もどちらかというとそっち側だ。
中に入ってみる。
学部ごとにフロアが決まっているようである。
8畳くらいの部屋。
両サイドに2段ベッド。
上に寝て下に荷物を置くか、下に寝て上に荷物を置くか、
それは同部屋の先輩(部屋長)に従うのだそうだ。
なんだそれ最高。
突き当りに長机があり、真ん中にテレビが1台。
テレビは二人で1台のようだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1657429905064-GtGTD2Pv9A.jpg)
両親に別れを告げ、寮内を案内してもらう。
廊下を挟んで10部屋ずつ。
各フロア20部屋くらい。
真ん中に共同のトイレとキッチン、洗濯機とかがある。
キッチンは冷蔵庫が1台で、食材や飲み物を入れるときは自分の名前をマジックで書く。
洗濯するときは後輩がかごをもって順番待ちをするらしい。
ガスは10円入れると3分?火がつくタイプ。
10円玉たくさん並べて料理するらしい。
トイレは学校のトイレみたいなタイプ。
個室が8個くらいあるやつ。
朝は混雑するよって言われた。
行くときは支給されるトイレットペーパーを持っていくんだよ、って。
斬新。
何もかもが斬新だ。
極めつけはお風呂。
校舎と校舎の間にある。
え?
みんながサークルやってる間を通り抜けるのだ。
きらきら輝いてる大学生の先輩の間を
ラベンダー色のジャージで風呂桶もってお風呂に向かうのだ。
斬新かつ最高。
嫌いじゃない。
そして、湯船につかるのは先輩が先。
先輩が湯船につかっている間は、後輩は直立不動で湯船の周りに立っているのだ。
やばい。
最高すぎる。
あっという間に私はその斬新かつ新鮮かつ最高の寮生活になじんだ。
冬にはこんなこともあったよね。
「カンゲイコ」があると言われ、歓迎コンパの略?と頭の隅っこで思いながら朝の5:00に集合する時点で、んなわけないと思いつつ、それが「寒稽古」だと知った時の衝撃。
それでもみんなと一緒に朝から走ったよ。
ゴール地点に豚汁があるってゆーから、「豚汁!豚汁!」って言いながら走ったよね。
東京の大学生って大変なんだなぁ~って思いながら走ったよね。
豚汁。
美味しかったなぁ。
そして、私はその斬新かつ新鮮かつ最高の寮生活を満喫して数か月がたった時。
言われたのだ。
「なっちゃんて運動やってる風に見えないよね。何やってるの?」と。
そこで私は知るのだった。
私は柔道部、剣道部、空手部、フェンシング部の体育学部フロアにいることを。
同じように間違って入寮しちゃった文系の女子たちは、1か月もしないうちにとっくに退寮していることを。
最、高!