「とる、という行為。」
とるたべる。
最近のテーマは、「どれだけ全力で"とるたべる"がやれるか。」
みんなの"当たり前"を壊したい。
生産、消費が当たり前の社会。
様々なことが経済で解決する。
あることが当たり前。
そのスーパーにならんでいる野菜の奇跡を知ってもらいたい。
その"当たり前"が壊れることで、自分の命に血が通い、"実(じつ)"を"感じる"ことができる。
あらゆるものが当たり前にある世界は、どこかで虚構を感じる。だれかが何かを用意してくれていて。自分でやらなくても誰かがやってくれる。まるで自分の人生では無いように。誰かの人生を代行しているような。
でもそれは、ひとつひとつが命のつながりで、連鎖で、あらゆる意図が含まれていたり、いなかったりすその中で、奇跡的に自分の手元に届いている。
その当たり前が、実は奇跡であったこと知る。自分の人生そのものが奇跡であることを知るためのきっかけになる。
ぼくはそれを「畑」に見る。
畑はあらゆる意図と、自然とが混ざりあう。地球のリズムを借りながら、そこにぼくらのリズムを潜り込ませる。
とるたべるは、「体感」をそのすべての軸に置いている。体で感じること。頭で考えることではなく。
リズムやおいしさ、虫のこと、草のこと、土のこと。環境、天気、汗。
とる、という行為。確かに目の前にぶらさがっている生命から、その一部をもぎ取り、自分自身が摂取すること。殺すことでもあり、生きることでもある。つなぐ、という行為。そこに"消費"は無い。命のやりとり。
命は美しい。それは、生きているとなかなか得にくい。ただ、目の前の生命と本気で向き合ってみると、相手の輝きにつられて、鏡のように、自分の命も輝いてくる。
消費社会は、与えられるようで、奪われることでもある。輝きを失うこと。与える人が一番得をする。与えられることは、失うことでもある。
与えられるよりも、受け取ること。そして次につないでいくこと。
とるたべるは、本来あるあなた自身の命の輝きを、再発光させる活動。
命に本気で向き合うこと。
相手の輝きを、受け取ること。
生きているんじゃなくて、生かされていることを知ること。
畑にはそのすべてが詰まっているように思う。
土があり、太陽があり、風があり、雨があり。
人がいて、道具、文明があって、その向こうにまた人がいて。
地球と人類とのコミュニケーションのすべて。
自分たちが生かされていることを体感する場所。
ぼくらは畑で人を楽しませたい。
命の輝きを増大させたい。
あなたにとっての残りの人生を、より美しいものに。
そのきっかけとして、畑での時間をプレゼントしたい。
それがとるたべるの想い。
ぜひ、畑に遊びに来てください。
杉山でした。