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マロウンは死ぬ

サミュエル・ベケットの小説を読んだ。
ベケットの作品といえば、戯曲『ゴドーを待ちながら』しか読んだことがなかった。ある日、知人から「ベケットは小説の方が面白い」と勧められ、本を借りて読むことにした。せっかく貸してもらったので、お礼の意味も込めて感想をここに記す。

率直な感想は「訳がわからない」 
第四の壁からエロ、グロ、ナンセンス、話の筋が見えない。
登場人物は文章の中において文章を書くという行為に言及し、文章の中にまた物語が立ち上がる。読者は現実と文章と物語を行き来させられる。

私は昔からSFが好きだった。そして、ミステリーが好きではなかった。ミステリーは作者の頭の中で閉じている気がした。物語の中で起こる全ての事象、そして解き明かされる全ての謎は、作者の頭の中から考えだされた領域を出ない。作者の用意した箱庭の中でいかに優れたトリックを用意し、それをいかに鮮やかに解明するかを見させられている。対して、SFは世界に開かれている。世界と接地している。作者が説明する謎は科学という道具を使って準備されたスコープを通して私が生きているこの世界について何かを(それがただの想像であるにせよ)教えてくれた。私は世界について知りたいと思う。別の言い方をすれば、世界について何かを知れる/知った気になれる作品が私を満足させてきた。

主人公のマロウンは物語を紡ぎながら自らを物語の中に捩じ込もうとする。マロウンが書く物語の登場人物はマロウンに影響を与える。その関係は読者とマロウンとの関係と相似であり、読者はマロウンとベケットを重ね合わせざるを得ないだろう。今、ベケットについての情報を得ているのか、ベケットが考え出したマロウンについての情報を得ているのか、はたまたベケットが考え出したマロウンが小説の中で書いた小説の登場人物についての情報を得ているのか、混乱しながら半ば認識が不完全な状態で読み進める。マロウンもまた認識が不完全なまま小説を書く。きっとベケットも朦朧としながら書いたのかしらん。

御託を並べたが、訳がわからないながら面白かった。同じようなページ数の他作品と比べて、読むのに数倍の時間がかかった。そして、それだけの時間をかけかいはあったと思う。もう一度読みたいかと訊かれたらきっと「いいえ」と答える。しかし、もしこの本が本棚の奥の方にあって、数年後の自分が上記の御託を一切忘れてこの本を目にすることがあれば、きっと最初の数ページをペラペラとめくって、同じ轍を踏むだろう。しかし、私はこの本をまた元の知人に返すのできっとそれは実現しない。この文章を最後に私はマロウンとお別れをする。しかし、この作品はその世界に開かれた性質ゆえに、私の現実に作用をし続ける予感がする。

そんな本だった。




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