しごと③支店配属でお金の暗黒面を知る
後に就職氷河期と呼ばれる1993年から2005年の時期のピーク期間である1999年に大学を卒業して就職した私はいわゆるロスジェネ世代になります。もちろん就職活動をしていた時期にはそのような言葉は無く、後になって厳しい時代だったと言われるわけですが、就活生当時は去年より厳しいなとか、ましてやバブル期と比べて最悪とかいう感覚は無かったのです。
ロスジェネ世代の生まれた背景として就職氷河期のせいで望むような仕事に就けず非正規雇用労働者になってしまったということが語られることが多いのですが、バブル期ですら全員が自分の望む会社や仕事に就けるわけではなかったのですから、すべてを就職氷河期のせいにすることはできないと思います。ただ、多くの人が当時の景気悪化の状況で良い就職先へ就職出来なかった事は事実だと思います。この当時の良い就職先とは、大手で安定している企業とほぼ同義だったのではないでしょうか。
そんな状況の中、私は1999年4月から消費者金融会社N社の総合職として配属先の大宮支店で仕事を始めたのでした。
この会社(N社)は、愛媛県が本社の同族経営企業で、地場での成功と業界の興隆に乗って全国展開を推し進めて業績を拡大し一気に東証1部にまで上場した会社でした。今でこそ消費者金融のイメージは最悪から少しマシというレベルでしょうが、1999年当時は、TVCMをバンバン流していましたし、街中には無人契約機がどんどん設置されていて、認知度があがっていましたし、決してイメージは悪くはなかったと思います。ましてや上場企業を中心にしてサラ金、街金的なイメージからの脱却を積極的に図っていたのだろうと思います。
私は実家のある埼玉県の草加市から同じ埼玉県の大宮にある職場まで通勤をしていました。自宅から最寄り駅まで自転車やバスで移動して、東武線とJRを乗り継いで、大宮駅東口から約10分のところにあった大宮支店に約1時間半の通勤でした。
支店には支店長以下、支店長代理と正社員が8人、派遣社員さんが3名、そこに私も含めた新入社員が6名配属されたのでした。支店長は、当時30歳だったと思います、支店長代理は高卒の3年目だったので、21歳か22歳で大卒の新入社員より若いのでした。先輩社員もみな若く、1年先輩の女子社員が2名、2年先輩の男性社員が2名、3年先輩の女子社員が3名、4年先輩の女子社員が1名でした。
私たち新入生5名は、入社初日のあいさつや自己紹介はそこそこにその日の午後から実業務にどんどん入っていったのです。
消費者金融の仕事がどんな仕事かを説明すると、大きく分けると2つになります。一つは貸付です。貸付は文字通りお金を融資する業務です。もう一つは管理です。管理は簡単に言うと取立てです。
私たち新入社員は主に貸付業務を担当する営業として仕事を始めるのでした。
貸付、管理と言葉にするとたった2文字ですが、そこには学生には想像もつかなかった様々な人間模様があったのでした。
つづく