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『君には見せたい素顔があると思います』

神聖かまってちゃん『美ちなる方へ』のワンフレーズである

世の中は素晴らしい。

核家族世帯が増えているし
未婚の割合は増えているし
離婚率も増えている
飲み会は減り
村社会はなくなり
したくもない人間関係は、しなくてよい社会になっている

そして交流したいタイプの人とはインターネットで交流できる
素晴らしい社会だ

孤独感の正体とは


皆さんには大事な友達がいるでしょうか?
その人は、自分にとって完璧な人間なのでしょうか?

僕は、ある環境が与えられた時にどんな人間が好かれるのかという事を認識する能力が高い気がする。
どこまでグイグイ行けばいいのか
どこで引けばいいのか

この人と一緒にいる為には、どんな振る舞いをしてどんな人間でいればいいのか
ある程度はわかってしまうのだ

時にそれは、本当に苦しいと感じる
僕にとっては誰かといるには理由がいるのだ


現代社会では、都合の悪い人間関係は断ち切ればいいのでコミュニティというのは常に流動的だ

こんなに色んな人と会う機会があるのに、我々は真を食った人間関係を形成する事が本当に難しい状況にある。

結婚なんか可能なのか?と考えたりもする

年収がそこそこあって経済的にも安心で
身長はそこそこだけど清潔感があって
朗らかで明るくて頼り甲斐があって
いつも私を元気つけてくれる
彼氏に求めている刺激はそういう感じな気がする

自分の周りでも、年収がなくても結婚できている人は屈託のない明るい人である傾向は特に感じる

でも、実際にはそんなに単純な男など存在しない。
男というのは常に色々と悩んでいる。
それに気付くと
「思った人と違う」「出会った頃と違う」
そう言い始めるのだ

後は、リスクを感じない男性はモテる傾向にあるように見える。要は重くないというヤツだ。

そんな相手を選ぶから、今度は浮気されただ、ぞんざいに扱われただで、また心を乱される。


男は男で彼女とか結婚とか言ったところで、結局は単に友達が欲しいだけである。
女性の言う『真剣な出会い』などと言う文言は間に受けない。というか、男からしたらいつだって真剣な出会いだ。
ついでに、可愛くてセックスの相性が良かったらなお最高だ。

故に、恋愛の破綻が友達関係の破綻に繋がる事を直感的には理解できない。

ある意味で極端に扱われた男は、結果として女を根本的に重視しない。
どうせなくなる人間関係なら、ヤレたらそれでいいや〜とそんな感じになる。

大丈夫。女なんか幾らでもいるのだ。


こんな状況で、孤独を感じずにいられるだろうか

女は自分の都合のいい相手を自分本位に探し、それが男にどういう影響をもたらすのか理解しようとしない
男は恋愛とか結婚という謎の掟に付き合わされ、友情が得られない事に耐えかねて女という娯楽を搾取しようとする


最初の質問に戻るのだが
皆さんには大事な友達がいるでしょうか?
その人は、自分にとって完璧な人間なのでしょうか?

僕は、親友と呼べる友達が数人いる。
そいつらとは、よく喧嘩するし、この部分嫌いだと感じることも多々ある
僕もすごい迷惑をかけてきてるし、めちゃめちゃ許されてきている

だからこそ、友達なのだ
それは我々が忌み嫌っている村社会のように根本的に不動なのだ
彼らのおかげで、僕の孤独は和らいでいる。

大切な人間関係の為に嫌われる勇気を


こういう孤独を感じた時
神聖かまってちゃんの『美ちなる方へ』を思い出したりする

なるべく楽しいフリをするさ誰だって
憂鬱になると気ずけば誰もいないんだ
知っているからたまに狂っちまうんだ
君には見せたい素顔があると思います

神聖かまってちゃん/美ちなる方へ

この現代社会でそんな事したら
すぐ切られるだろう。

神聖かまってちゃんの歌詞は、常に陰鬱としていて名状し難い感情を誰かにぶつけたいという
そういう孤独感を感じる歌詞だ

世の中の悲しみを言い表している。


大切な友達の条件に安心感というのがある。
いつ切られてもおかしくないこの人間関係の軽薄な時代には難しい事だ。

それは勝ち取る為には、
世の中を憂うのではなく、僕たちが勇気を持つ事が必要だと最近思う。

素顔を見せなくちゃ

素顔を見せなくちゃね

勇気が出ない時に良い方法がある。
嫌われたらしゃあなし!と思おうぜ

100人に嫌われても1人の親友ができたら、御の字じゃん!

嫌われたら嫌い返せばいいよ
そういう軽薄な人間を目指していこうぜ

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