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渦は生活のあらゆるところに存在する。水が流れ込む排水口、スープをかき混ぜた器の中、頭のつむじにも渦がある。何か1つが中心となって螺旋状に作られているもの。
そして自分も今、渦の中にいる。情報の渦。不安の渦。思考の渦。目に見えない渦もこの世界には確かにあり、様々な人たちがそれぞれの渦の中心にいる。
今日近所のスーパーに行くと、店員の人たちがビニールカーテンで遮られたレジに入り、手にはゴム手袋をつけてレジ作業をしていた。ごく普通のいつも顔を合わせるおばちゃん。もしかすると同級生のお母さんかもしれないおばちゃん。話したことはないけど顔見知りの人たちがいつもとは違う様子と格好でいつものようにレジをしている。自分もいつ感染するか分からない不安の渦の中、多くのお客さんと接客し続けているのだろうか。働き続けてくれる人たちがいるからこそ自分の生活が保たれているという感謝の思いとともに何か複雑な思いが心に浮かぶ。
この渦はなぜ出来てしまったんだろう。いつどこからか発生したよく分からない渦の中に自分は気がつくといた。いつのまにか世界には大きな渦が現れ、いつのまにかその中に自分も巻き込まれてしまっていた。なぜこの渦に入ったのか、どうしたらこの渦から出られるのか、何もわからないまま時は過ぎていく。
この渦における非日常の連続の中で生きる僕たちはこれからどうしていくのだろう。人間はあまりにも非日常の中に長くいるとそこで日常を送りはじめる。人は良くも悪くもその環境の中で適応していく。今目の前にある近所のスーパーの非日常的な風景も日常的になって驚かなくなっていくのだろうか。いやもうすでにどの店に行ってもあるこの風景に自分は慣れつつあるのかもしれない。
もうすでにこの大きな渦によって大切な存在が消えたり、消えようとしたりしている。これからどうなるか誰も分からない。ただ分からなさの渦が蠢いてる。その分からなさの渦の中でただ生きていくこと、今の自分にはそれしかできない。しかしそれこそが自分たちにできる唯一の“強さ”なのかもしれないとふと思ったりしている。