23.7.23.
「毎日更新」のタグをつけた瞬間に更新を途絶えさせてしまった。今この文は25日に書いている。なんてことだ。
この日は日常性に関するレポートを書いていた。深夜遅くまで書き進めてそのまま倒れて寝てしまい、次の日は家に友人を呼んでいたのでずるずると書けないまま二日が経ってしまった。
レポートはバルト『テクストの快楽』を援用しつつボリスヴィアン『うたかたの日々』の幻影性と若さについて言及した。日常は認識できないからこそ日常だ。ならば日常の描写とは、日常そのものというよりは認識し得ぬものについての「幻影」だと言える(バルト)。その観点からすると、コランの恋と美への想像と固執を描いた『うたかたの日々』は、美的なオブジェの描写という表現の次元においても幻影的なのであり、クロエの死によって幻影が崩れ去ってもなお過去に執着するコランは、日常=認識の諦め=老いを受け入れることができず、いつまでも若いままなのであった。
せっかくなので、授業の振り返りもかねて日常性の一般的な性質についてまとめた第一節を以下に引用しておく。
毎日更新のタグつけるのいったんやめます…。