バレンタインの思い出

今日はバレンタインデーなので、人生で一番印象に残っている小学3年生のバレンタインの話を。

バレンタインデーの存在は当時仲良しの友達から教えてもらった。一緒にチョコレートを作ることになり、放課後の私の家のキッチンで、製菓用チョコレートを湯煎で溶かして、型に注いで固めて、という工程を楽しんで遊んだ。母にも手伝ってもらった。

その夜帰ってきた父がテーブルの上に残っていたチョコレートに気づくと母が、「それね!ねむいがお父さんのために作ったんだよ!」と叫んだ。反射的に私が、「え!?違うよ!」と言うのを、母は「ね、ねむちゃん」とウィンクで制した。

私は体が固まった。全身が怒りでいっぱいになった。母は嘘の強要をとうとう家の中にまで持ち込んだのだ。それが許せなかった。

母は気を利かせたつもりで言ったのだろうけど、私にとって内容など関係なかった。母が私に絶対服従の立場を強いていた状態でそれをしたことが問題だった。否定したい時に否定できる関係だったら何でもないことだったかもしれないけど、私たちはそうじゃなかった。

本当のことを言いたかったのに、言葉がひとことも出てこなかった。言ったところで母がブチギレるまでしなかったとしても、言った場合の母の反応を気にする以前の問題で、私は母に逆らうことを許されていなかった。たぶん母は、この件で私が母に従った理由が「親に逆らえないから」だなんて思っていないと思う。かと言って母もまた、私が母の発言を否定した場合、それを認めるか否か以前に、その場合を想定すらしていなかったはずだ。私が母に逆らうはずがないのだから。母は今でもそう信じて疑わない。

この状況が理解できない人は、「お父さんのために話くらい合わせてやれよ」と思うだろう。今でもこんな風に語るなんて、しつこい奴だと思うだろう。

言いたいことを言えない、自分の気持ちを否応なく母のストーリーに合わせられることの辛さ。そうやって生きていると、自分の気持ちがどこにあるのか自分でもわからなくなっていく。

私は今でも自分がよくわからない。抑えつけられてきた子ども時代はもちろん、今大人になって自由を取り戻したところであまり変わらない。子ども時代に作られた空洞に今の自分をいくら注いでも、一向に溜まる気配はない。上から覗いても見えないくらいに底は暗くて深い。もしかしたら底なんかなくて、垂れ流しなのかもしれない。

あのとき私は「違うよ!」と大きな声で言ったわけだけど、子どもの発言なんて取るに足らないものは父の耳には入らなかった。父はチョコレートをひと口食べて、「お父さんはビターの方が好きだな」と宣った。全員大嫌い。くたばっちまえ〜

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