仲野佑希 『ザ・ダークパターン ユーザーの心や行動をあざむくデザイン』 : Amazon が、 まさにこれ!
書評:仲野佑希『ザ・ダークパターン ユーザーの心や行動をあざむくデザイン』(翔泳社)
本書は、商用ウェブサイトにおける「欺瞞的手口」の解説書であり、主にウェブサイト制作者に向けてその問題点を解説し、こうしたものを安易に作ってしまうという罠に陥らない(共犯者になってしまうことのない)ようにするための、正しい考え方を指南した本である。
つまり、利用者である顧客目線ではなく、基本的には、そうしたウェブサイトを作ったり運用したりする側に対し、具体例を示して、ありがちな「心得違い」を正すような内容だと考えればいい。そのため、「個別具体的に、批判攻撃するのが、本書の目的ではない」と、くり返し強調されてもいる。
しかしながら、「具体例」がわかりやすく示されており、そうした欺瞞的な手法が、どのあたりから出てきたのかということまで解説してくれているから、私たち「利用者」の側にも十分に役立つ一書である。
私のように、もともとこうした問題に興味を持っていた人間であっても、その問題意識が裏づけられただけではなく、「なるほど、そういうことだったのか」と教えられる部分も少なくなかったのだ。
無論、本書が語るのは、あくまでも「現実に即した理想論」であり、なかなかそのとおりにはいかないだろうとは思うのだが、「基本的な考え方」としては、まったく正しいと評価し得るものとなっている。
本書の具体的な内容は、次のようなものである。
Amazonの本書紹介ページには、本書の中身が一部紹介されており、それは本書の特徴をよく伝えて、図版の多い、わかりやすいものとなっている。試しにでも覗いていただければ、本書の雰囲気がよくわかるはずだ。
本書の版元は、ウェブデザインの書籍などを刊行している、技術系の出版社なのである。
さて、本書の内容は、決して難しいものではないので、私がここでさらに解説を加えたり、特に論じたりする必要はない。
ただ、ひとつ強調しておきたいのは、前記のとおり、本書の基本的なスタンスは「個別具体的に、批判攻撃するのが、本書の目的ではない」というものなのだか、それでも、「悪い例」として何度か名前が挙がっている(挙げざるを得なかった)のが、われらが「Amazon(アマゾン)」なのである。
さすがは、Amazon(ダダダ!!)といったところではないだろうか(その逆に「良い例」として挙げられているのが「Netflix」である)。
じつは私が本書に興味を持ったのも、テレビの報道番組『クローズアップ現代』で「Amazonが、ダークパターンで米政府系の消費者機関から問題を指摘されながら、うちは何もやましいところはないと突っぱねていたところ、アメリカの顧客から訴えられ、裁判で負けそうになって、同様の被害者全員と和解し返金することになった」という趣旨の事実を知ったからである。このとき初めて「ダークパターン」という言葉の存在も知ったのだ。で、そのあとネットで「ダークパターン」の解説記事を読んで大筋を知ったあと、本はないかなと検索した結果、本書に行き当たったという次第である。
要は、「AI規制」などでも明らかなとおり、アメリカや日本とは違って、「企業の権利よりも市民の権利を守ることを優先する」EUなどのヨーロッパにおいて、まず「Amazon」に厳しい制裁が課され、その影響で「後追い」的にアメリカなどでも、監視規制が進んでおり、その結果、政府機関からの「警告」などがあった後に、ついに消費者から訴えられて、敗訴確実という流れになったので和解した、と大筋このようなことのようである。
また、そこで、日本もやっと、その重い腰を上げつつある、というのが現状のようだ。
だから、2年前に刊行された本書は、日本では、一足先に世界の流れを踏まえて、警告を発していた一書だと言えるだろう。
大きな流れとしては以上のようなものなのだが、私個人の話に即して言えば、私が「Amazonの投稿レビュー無断削除」について、Amazonに対し「われわれ(Amazonと私)は、対等の取引契約関係(レビューを無料提供する代わりに、それを公開してもらう)にあるのだから、そのレビューを削除するのであれば、その根拠を具体的に示せ」と要求したのは、「完全な正当なものであった」ということである。
こうした私の態度を「身の程知らず」とか「無駄な抵抗」だと、冷笑したり冷ややかな態度で見ていた人が多かったというのは、もちろん私自身、重々理解していた。
なにしろ多くの日本人は、戦わずして負ける「負け犬」なのだから、巨大企業である「Amazon」に対して、一個人が「蟷螂の斧」を振りかざすような行為に対しては、冷笑して「我賢し」というポーズを取りたがるだろうというのは、容易に推測のつく話だからである。
ただ、こうした抵抗は、その時は、良い結果に結びつくことは無くても、決して無駄なものではないと、私は思う。
肝心なのは、たった一人であっても「抵抗した人がいた」という事実なのである。そのことによって励まされ、絶望を回避することのできる人だっているからだ。
なお、すでに指摘済みのことではあるが、「Amazon」が、自身の「優位」な立場に立って、どんな「小理屈」や「屁理屈」(例えば「ガイドラインに書いてある」等)を返してきたところで、「Amazon」という会社は、本質的に「人を人とも思っていない、非倫理的な営利企業だ」と私が確信し得たのは、「なぜレビューを削除したのか、その根拠を示せ」と真っ向から問い合わせた際、「個別の案件については回答しておりません。利用ガイドをご確認ください」という、例によっての「逃げ口上」メールを返すしか能がなかっただけだはなく、そのメールの「フッター」として添えられていた、次の「定型句」が、決定的なものであったからだ。
「嘘」と呼ぶにも値しない、ほとんど騙す気すら放棄して、顧客を「舐め切って、馬鹿にしている」としか思えないこの一文に、私は「Amazonは、悪徳企業だと決めつけて良い会社だ」という確信を得たのである。
言うまでもなく、まともな企業であれば、こんな「空々しい言葉」など、会社内でもそのまま通すわけがない。
少なくとも、カスタマーサポート関係者の部長なり課長なりが、利用者を舐め切っているからこそ、こんな、ある意味では「隙だらけの文章」を、公然と公にすることもできたのである。
ともあれ、巨大企業の「体質改善」というのは、一朝一夕に進むようなものではなく、少しは痛い目を見て反省し、自己防衛的に表面を繕うことくらいはするようになったとしても、上のような文章を公然と世間に晒せるほど思い上がり、腐りきった企業の体質というものは、そう簡単に変わりはしない。
では、どうするのかと言えば、「Amazon」自身が「このままでは潰れるかもしれない」というところまで追い込むことしかないのである。
無論、これは簡単にできることでもなければ、個人でできることでもないけれど、しかし、一人一人が、諦めることなく、粘り強く、執拗に、「Amazonの悪口」を言い続けることが重要なのだ。
無論、「無根拠な誹謗中傷」ではなく、「根拠ある悪口」を事実に即して言い続けることが、やがて「蟻の一穴」となることもある得るからだ。
そして、万が一にもそうなった日には、「なんと痛快なことだろう」と、そう考えてみるのである。
キング牧師の言葉ではないが、まさに「私には夢がある(I Have a Dream)」なのだ(笑)。
(※ なお、ヘッダーに使った、Amazonのメールの画像は、自由にお使いください。Amazonの宣伝にもなるので、文句は出ないはずです)
(2024年4月29日)
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