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野呂邦暢 (著)、 岡崎武志、 古本屋ツアー・イン・ジャパン (編) 『野呂邦暢 古本屋写真集』 」 : セピア色の写真と 〈失われしもの〉

書評:野呂邦暢(著)、岡崎武志、古本屋ツアー・イン・ジャパン(編)『野呂邦暢 古本屋写真集』(ちくま文庫)

野呂邦暢は、1945年に長崎市に生まれた。今では珍しくはないが、作家になったのちも上京することなく、同じく長崎県の諫早市を拠点に活動した地方在住の小説家で、1974年(昭和49年)に、自らの自衛隊経験を基にした作品『草のつるぎ』で芥川賞を受賞している。
野呂は古本屋が好きで、後年には『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』という、ミステリ要素のある『古書店を舞台に人間模様を描く「古本青春小説」』も刊行している。

今回、刊行された『野呂邦暢 古本屋写真集』は、2015年に刊行された単行本の文庫化だが、この元版が500部限定、定価2500円の売り切りであったため、刊行即完売となり、一時は古書価が1万円近くにまで高騰したそうだ。
内容は、野呂の没後に見つかった「古本屋を撮った写真」をメインに、野呂の古本がらみのエッセイを収録し、それに編者らの対談や解説を付したものである。

やはり、本書の圧巻は「古本屋を写した写真」の数々。撮影されたのは1970年代で、野呂が仕事で上京した際、神保町を中心とした東京の古本屋を撮ったものが多い。
編者らも語っているとおり、古本屋好きは多くとも、古本屋の写真を撮っていた古本屋好きというのは、ほとんど聞いたこともないくらい珍しいため、今となっては、野呂の写真は大変に貴重な資料だと言えるだろう。

なにしろ1970年代と言えば、スマホ以前の携帯電話は無論、使い捨ての簡易カメラすらなかった時代(富士フイルムが発売した、レンズ付きフィルム「写ルンです」は、1986年(昭和61年)の販売開始)で、写真を撮るためには、かさ張り、持ち重りのする写真機を持ち歩き、安くはないフィルムを装填して撮影しなければならず、撮ったフィルムも、カメラ屋に現像に出し、印画紙に焼き付けをしてもらわなければならないという面倒な時代だった。
今のように小さなスマホで、何枚でも好きなだけ撮影し、それをモニター上で見て、不必要なものは消去すれば良い、という便利さしか知らない世代には、この説明でも、きっとピンと来ないのではないだろうか。
ともあれ、写真というのは、よほどのマニアでないかぎりはやらない、手間とお金のかかマニアックな趣味だったのである。

(※ 野呂の写真ではありません)

しかし、そんなマニアックな人達の多くが撮ったのは、やはり風景と人物であり、後に鉄道列車などを撮る、今で言う「撮り鉄」なんかも出てきたとは言え、趣味で、古本屋の写真を撮る人など、およそいないと言っても過言ではなかったのだ。

だが、そうした希少性やマニアックさを抜きにしても、本書に収録された「古本屋写真」はとても魅力的だ。
「芸術写真」的に素晴らしいということではなく、その色褪せ具合や素人くさいピンぼけ具合まで含めて、あの時代の空気を見事に写し取っている。いや、封じ込めていたのである。

同じ時代の、同じような街頭風景写真でも、それはそれなりにノスタルジックな作品になっていただろうが、普通は誰も撮らない古本屋を撮っている点で、野呂の「古本屋写真」には独特の魅力がある。

無論、それは「古本屋好き」には、特に強く働きかけてくる魔力なのだろうが、「古本屋写真」の独特の魅力とは、古本屋というものが、言うなれば「小さなバベルの図書館」であるという特異性に発するものなのではないだろうか。つまり、写真の中の古本屋は、ただ「本を売っている店」ではないのだ。
そもそも「本」自体が「小宇宙」と呼ぶべきものだが、古本屋の場合、店ごとに品揃えが違い、その棚にはその独自の品揃えで「当時の古本」がずらりと並べられ、共鳴しあっている「階層宇宙」なのである。

(※ 野呂の写真ではありません)

したがって、「古本屋」の写真は、おのずとその店内の様子を想像させずにはおかず、その棚を、棚に並んだ本を、想像させずにはおかない。
そして、そのちょっと薄暗い店内の棚の片隅には、今では考えられないような稀覯本が、当たり前のように挿されていたりする。……なんて妄想を、ついついたくましくしてしまうのだ。
つまり「古本屋写真」は、そこには写っていない「奥の奥」までをも、強く想像させるのである。

実のところ、1970年代では、私もまだ子供だったので、古本屋に興味はなかった。むしろ、幼い頃の記憶にあるのは、近所の小さな「貸本屋」の方で、私が古本屋巡りを始めたのは、社会人になってからの1980年代も後半のことでしかない。
そんなわけで、1970年代の古本屋の写真を見て「懐かしい」と感じても、それは実際にそれを知っているから「懐かしい」というわけではないのだろう。たぶん、子供の頃に見た貸本屋と、後年に見た古本屋の記憶を無意識に合成し、それを過去に投影して、一種の既視感にとらわれている、といったことなのではないだろうか。

(※ 野呂の写真ではありません)

例えば、野呂の写真を見ていて「この頃の古本屋は、木枠ガラス引き戸の店構えで、中には土間の店もあった」ような気がするのは、昔見た貸本屋や駄菓子屋などの記憶が渾然一体となって、記憶のごときイメージを形成し、それを「懐かしい」と感じているのであろう。実際には見ていない、景色風景としての古本屋であり、そして古本屋の棚である。

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編者二人による対談では「古本屋の時代的な変化」が語られている。

岡崎 あとは怖い店主のイメージもあるね。昔は通路に本が積んであるお店が多くて、それを触ると「触るな!」と怒られる。店の中にある本を触って怒られるって(笑)。「これ商品じゃないの?」となる。
小山 まだ値がついていない未整理の本ってことですね。独特のルールで一見してわからない。「触っちゃっいけない」「丁寧に扱わないといけない」、だから、普通の商店とちょっと店内のルールが違っている。古本屋の店主は王様、一国の主だった。
岡崎 売れるまでは自分のもの、ということだな。だから昔の古本屋は客をよく怒ったね、買わへんなら帰ってくれと。京都の古本屋で怒られている客を何度も見た。そんなことも知らんのかと説教されて。おいおい、そこまで言うかって。
小山 逆に、最初は怖そうに見えて、本の話をすると店主が乗ってきて、私なんか帰してもらえないをお店もあった(笑)。そういう状況が変わってきて、近年のニューウェーブ系の古本屋が出てきて、いわゆる「ふつう」の商店として機能するようになってきたから、女性の進出も始まるということですね。』

(P191〜192)

岡崎 (略)かつての古本屋とふつうの小売業との間には独自性があった。ブックオフはそれを解放し取り込んだ。
小山 特殊性に馴染めない人の支持を得ましたね。スーパーで「ものを買う」のと同じ。家族でも楽しめる。悪口を言う人も多いけど、ブックオフが果たした功績も大いにあると思います。
岡崎 ただ、ブックオフやファミレスなんかの大型チェーン店が、客を持ち上げ過ぎた気はしている。すべて客の言いなりで受け身でしょう。もし、今の古本屋が客に怒ったら、びっくりするだろうね。物を買ってるのに怒られるって。でも、それも楽しいかもしれない。怒られたこともよく覚えているし、なぜ怒られたのか考える。一軒一軒、その店主の個性と棚、並べ方、売り方が違う。それは図書館や新刊書店ともまた違うんですよ。さっき言った、同じものが店によって違うという値段のゲームもある。だからぼくは古本屋でいろんなことを知ったな。たくさんのことを勉強させてもらった。これまで古本を買って、ほとんどのものは後悔したことはないし、一冊一冊しっかり思い出がある。』

(P194〜195)

私も最初は「未整理本」に触るなと注意されたけれど、それでもそれ以降も店主の目を盗んでのチェックはしたし、欲しい本があれば、無理を承知で交渉もした。たいがいは売ってくれないのだが、後日「おたくには、これこれという本はありませんか?」などと素知らぬ顔で電話して、うまくいけば購入することもできた。このあたりが「駆け引き」であり、勉強なのだ。

そもそも、古本屋で怒られる人というのは、本の扱いを知らない、日頃あまり「まともな本」を読まない人が多かったはずだ。
例えば、本の扱いがぞんざいだとか、抜いた本を元の場所に戻さないとか、やたらと棚から本を抜き差しするだけで買わないとか、立ち読みするとか、値引き交渉をする、とかいった人である。

例えば、最後の「値引き交渉」の問題だと、外国ではよく「値引き交渉は当たり前」だというので、その真似をしたがる人が多い。しかし、それは文化の違いを無視した、短絡的模倣でしかない。
特に古本屋の場合、「値付け」は店主の見識を示すものであり、相場より高くつけていれば、それはその本にはそれだけの価値があると、店主が考えているからなのだ。つまり、店主の価値観や思想の反映だと言っても良いだろう。
それを高々数百円くらいのために、ケチな交渉を仕掛けてくるんだから「お前には、この本を買う資格などない。帰れ」となるのは当然なのである。
また逆に言えば、その本に不相応な値段をつけていれば、客の方が心の中で「この店主は、この本の値打ちがわかってないな」と馬鹿にして、安ければ買い、高ければ「いつまでも売れないだろうよ。値下げしたら買ってやるから、せいぜい頑張ってね」と、買わなければいいだけの話なのである。

要は、本の値打ちのわからない素人が、単純に「値段」だけで本を買おうとすることに、古本屋の主人は抵抗していたのである。
そもそも、古本屋というのは「古いから安く売る」という単純な価値観では成立していない業種だったから、「本の中身」や「その本の来歴」といった「中身」には興味がなく、ただただ「商品」として本を見るような客を、古風な古本屋の主人は嫌い、その悪しき「資本主義経済的あるいは新自由主義的な価値観」に抵抗していたとも言えるだろう。

そんなわけで、私には、古本屋の店主に「怒られた」という経験が、ほとんどない。少なくとも、記憶にはまったく無い。
むしろ「話し相手(聞き役)をさせられて、ウンザリした」経験の方が、山ほどあるくらいで、どちらかと言えば、古本屋の主人には可愛がられた方だと思う。

例えば、神戸の元町商店街には「黒木書店」という有名な古本屋があったが、私はそこが有名だとは知らないで、しばしば立ち寄っていた。

『古い話になるが、日本古書通信1990年6月号の「往信 返信」欄に背広・ネクタイ姿の神戸黒木書店 黒木正男氏とラフな格好の東京石神井書林内堀宏氏の御両名が写真入りで登場している。
小生の大学時代の昭和40年代前半には、神戸元町の「黒木書店」には時にお邪魔していたが、10坪もない広さの店に少し気難しい印象を受ける黒木さんが座っていたように記憶している。
黒木書店が「近代文学」に関する品揃えでは第一級の店であったと知ったのはかなり後の、谷沢永一氏の文等を通じてであり、当時、本に関する基礎知識のない20歳前後の小生(今も知らないことばかりだが)には、同店の凄さは分からなかった。また、もともと小遣いの少ない学生のことで購入できる本もしれてはいたが、時に詩集などを同店で購入していたように思う。
(中略)
この古書通信での対談で両氏の古書店経営に対する真摯で厳しい態度には、古本屋一年生の小生としては、若干の違和感の残る部分もあるが、見習わねばと思う。』

ブログ「古本屋的日常」、2005年8月5日付「神戸元町 黒木書店のことなど」より)

たしか、この黒木書店で、客が叱られている現場を見たことがあったと記憶する。怖い店主が多かったとは言っても、客を叱りつけたり説教したりするような豪の者は、そんなに多くはないから、記憶に残っているのだろう。

その時のことだったかどうか、記憶は定かでないが、黒木書店の主人から「本の値打ちが分からない奴には売りたくない」とか「本を買うのにケチってはいけない。自分の頭にはカネをかけるべきだ」といった趣旨の話を聞かせてもらった記憶がある。
「主人の話がとにかく長くて困り、捕まらないようにこっそりと棚をチェックして、逃げるようにして帰った古本屋」というのは、大阪市旭区の千林にあった(今もあるかどうかは知らない)某古書店の若い主人だったから、黒木書店の主人の話が長かったという記憶はなく、ただ頑固なまでに古風な古本屋なのだと、今もどちらかと言えば好意を持って記憶している。

そんなわけで、岡崎武志の語る『ブックオフやファミレスなんかの大型チェーン店が、客を持ち上げすぎた気はしている。すべて客の言いなりで受け身でしょう。』というのは、とてもよくわかる話だ。そんな事情だからこそ今は、「お客様は神様」であると思い込んでいる、「甘やかされた客」が多いのである。

(※ 野呂の写真ではありません)

だが、物の売り買いというのは、本来は売り手の買い手の「対等取引」であって、アプリオリに「客が偉い」などということはない。
ただ、客を「おだてて」持ち上げたほうが「売りやすい」ということでしかないのだが、それが分からない、頭の悪い人たちが「買ってやるんだから、客の方が偉いに決まっているだろう」などという、浅はかな「勘違い」をするのである。
売買交渉は「売ってやる人」と「買ってやる人」の交渉。あるいは「売ってくれる人」と「買ってくれる人」の対等取引。また、だからこそ、その駆け引きの中で「学ぶこと」も少なくなかったのである。

話は変わるが、先日の「書評家・豊崎由美による、TikTokerけんご批判」の問題も、言わばこれと同じで、「本を売る」「本を紹介する」というのは、「売れれば良い」というだけのことではない。だからこそ、古風な豊崎は、つい「怒った」のだろうが、今の「客」たちには、そんな説教は通じなかった。

(※ このツイートで傷ついた人が、大勢いたそうである)

「けんごの紹介から入って、本を読むようになる人も少なくないのだから、頭ごなしに否定すべきではない」といった「今風に物分かりのよい意見」が大勢を占めるが、そんなところから入った読者の多くは、そんなところ止まりになるのが関の山、とまでは言わないが、そうなる蓋然性の方が、はるかに高いだろう。むしろ「その程度で満足するな。おまえなんて、本のことを何も知らないんだから」と言ってくれる「頑固な古本屋の主人」のような言葉を耳にして、自分の立ち位置について「考えた」人の方が、深く「書物の世界」に踏み入っていくのではないだろうか。
例えば「TikTokerけんご」が、この先「売れにくい専門書」を紹介するようなことのできるレベルに成長するだろうか、という話である(ましてや、そのファンが)。

ともあれ、古本屋が変わったように、読書の世界も変わっていくのは必然で、おのずと、その「波に乗り遅れまい」とする者が大半だという現実は、今も昔も変わらないだろう。

そして、そうした中で、若者が「新しいもの」に目を奪われるのは仕方がないし、年寄りが「失われゆく古いもの」を惜しむのも仕方がない傾向だ。
だが、それを「老害」などという「年齢差別」で排除し続けていれば、年寄りの「経験」は活用されることもなく廃棄され、ただ「消費者である若者」に媚びる者だけが、搾取されている当の若者から「感じの良い人」として活躍することになるだろう。

『筆取られぬ老残の身となるとも、口だけは減らないから、ますます悪しくなり行く世の中に、死ぬまでいやなことをいって、くたばるつもりなり』

(1985年10月15日付け日記より・『成城だより3』)

私がしばしば引用する、大岡昇平の言葉だが、ここでのポイントは『いやなこと』を言う、というところだろう。今は、こうした言葉が「商品にならない」からと忌避される時代なのである。

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ともあれ、昔には昔の「美点と難点」があり、今には今の「美点と難点」があるというのは間違いなく、昔をむやみに持ち上げるのも正しくない、というのは確かである。

ただ、セピア色に変色した「昔の写真」のようになった過去は、その難点を洗い落として懐かしまれるその一方で、もう決して取り戻すことはできないのである。

(2021年12月19日)

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