中央公論新社編 『少女たちの戦争』 : 戦後を生きた 〈凛とした女〉たち
書評:中央公論新社編『少女たちの戦争』(中央公論新社)
強く強くオススメしたい、真に「精華集」と呼ぶに値する1冊だ。
とのことで、企画としてはそんなに目新しいものだとは思えない。しかし、書き手が素晴らしい。
私は女性作家の本をあまり読まないのだが、それはたぶん女性作家の作品には、私好みの「強靭さ」「過剰さ」といったものが、あまり期待できないと感じていたからだろう。私の好みというのは、わかりやすく「マッチョ」だったのである。
しかし、長年、文学に親しんできた者として、このアンソロジーに収録された書き手たちの名前はいろんなところで目にしているし、皆それぞれに一本筋の通った人だという印象があって、女性だからと甘く見たら、きっと痛い目に遭わされるだろうと、そんな認識を持って、一定の距離を保ってきたように思う。
昨年(2021年)暮れ、書店の平台でたまたま本書を見かけ、こうの史代のカバーイラストに惹かれて手に取り、カバー背面に刷られた27人の執筆者名を見て、これは、これまで読んだことのなかった女性作家たちの文章に触れるのに最適な本だと直感して、迷わず購入した。そして、その結果は、期待以上のものであった。
まず何より、すべての文章が素晴らしい。
普通、アンソロジーというものは、10作収録されていたら、そのうちの2、3作に惹かれれば、まずまず買った値打ちがあったという感じなのだが、本書に収められた27本のエッセイは、本当に、すべて素晴らしいのだ。
一流の人たちの仕事の中から「戦争という稀有の体験」を綴った文章を採ったのだから、どれも素晴らしくて当然だと言われるかもしれないが、アンソロジーを愛好する読者なら、実際のところ、そう理屈どおりにはいかないことの少なくないのを、知っているはずだ。
なぜ、傑作ぞろいであるはずのアンソロジーでありながら、しばしば楽しめた作品が集中のいくつかだけ、などということになりがちなのか。その理由として、読み手自身の「幅の狭さ」ということもあるのではないだろうか。
このアンソロジーだって、若い頃に読んでいたら、きっとここまで感心しなかっただろうし、その凄みを感じ得なかっただろう。
しかし、いつまでも子供のような私でも、それなりに齢を重ねて、世の中のあれやこれやを見聞きし、悲喜こもごもを体験してきたからこそ、それぞれの文章の行間に秘められた「語られざる思い」を、ある程度は読み取れるようになったのではないだろうか。
私はこれまで、男性的な「重厚」な作品の中から、効率的に「濃い中身」を求めてきたけれど、やっと女性作家的な「抑えた筆致の中に秘められた思い」や、その「強さ」というものを、少しは読み取れるようになったのではないか。また、そう感じられてことが、とても嬉しかった。
本書巻末には、編者による次のような、紹介文が添えられている。
このように、編者の意図としては『戦時下の何気ない日常が垣間見えるもの』『少女たちの戦争』『弱く小さき者の声』を伝えたい、ということだったのがわかる。
しかし私は、そんなふうには読まなかった。
私は、本書のそれぞれに、「戦争体験」そのものよりも、「戦争体験を抱きしめて、戦後の日本を生きぬいてきた女たちの、凛とした美しさ」を読み取って感動した。
そこには確かに「男たちの戦争」とはまた違った、戦後における、女たちの「戦争の記憶との戦い」があり、その戦いを生きぬいてきた人間の、静かな強さが、その文体に表れていたのである。
今の私には「持てるものの全てをふりしぼり、なりふり構わずに、時代と戦わなければ負ける」という気持ちがあって、彼女たちのような美しく抑制された文章を書くことはできない。「今は、そんな時ではない」という気持ちが抑えられないのだ。
だが、あと20年くらいやりたい放題をやった後でなら、このように美しく抑制された文章を書けるようになりたいとは思う。それは無論、技術的な問題ではなく、自分のすべき最低限のことはやりきったという余裕の上に立った、静かな文章でありたいのだ。
ともあれ、本書を多くの人に読んでほしい。これを読まないのは、読書人生の損失だ。
本当なら、本書を、中学高校の「国語」の副読本にでもしてほしいところだが、しかし、その年代では、まだこれらの文章を味わうことは難しいだろう。しかしまた、これだけの文章なのだから、その時はわからなくても、心の何処かに生き続けて、その人の人生に少なからぬ影響を与えるのではないかと、そんな気がしないでもない。
ともあれ、ここには間違いなく、誇るべき「日本の、強く優しく美しい心」がある。
(2022年1月21日)
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