リンク切れ「論争ログ」の再録
※ 当ページは、「2021年7月12日 00:21」アップの、note記事「非・日本人的な〈議論〉の実践: Amazon「6月問題」をめぐって」を補足するものとして、新たに作成しました。
あくまでもこのページは、「論争のログ」をアップするためのものであり、詳しい経緯については、元ページをご参照ください。
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【Solaris1さんとの、やりとり一覧(全18件)】
(01 =Sー1)
「Amazonレビュー投稿削除の件」
(Solaris1:2021年 6月19日(土)18時42分42秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3091
(02 =Sー2)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月21日(月)00時35分7秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3093
(03 =Aー1)
「お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり)」
(園主:2021年 6月22日(火)02時14分46秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3094
(04 =Sー3)
「Amazonレビュー末尾表示の件」
(Solaris1:2021年 6月23日(水)00時48分51秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3095
(05 =Aー2)
「「コンテキストの違い」は、現実には「力関係としての立場に依存する。」
(園主:2021年 6月25日(金)10時06分58秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3096
(06 =Sー4)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月28日(月)01時51分44秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3097
(07 =Aー3)
「運命の賭け」
(園主:2021年 6月28日(月)17時52分31秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3098
(08 =Sー5)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月29日(火)22時55分57秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3099
(09 =Aー4)
「理系と文系の判断能力の差?」
(園主:2021年 6月30日(水)23時30分27秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3100
(10 =Sー6)
「無題」
(Solaris1:2021年 7月 1日(木)20時07分41秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3101
(※ Amazonからの「警告メール」)
(11 =Aー5)
「恣意的な「情報の限定」は、何を意味するか?」
(園主:2021年 7月 2日(金)08時35分55秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3102
(12 =Aー6)
「ユダの〈駆け込み訴え〉」
(園主:2021年 7月 2日(金)15時40分1秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3103
(13 =Sー7)
「無題」
(Solaris1:2021年 7月 2日(金)21時03分0秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3104
(14 =Aー7)
「Solaris1さんは、「システムエンジニア」ではなく「コールセンターのマネージャー」でした。」
(園主:2021年 7月 3日(土)22時45分6秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3105
(15 =Sー8)
「無題」
Solaris1:2021年 7月 4日(日)00時05分41秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3106
(16 =Aー8)
「やはり、Solaris1さんは「システムエンジニア」でした。」
(園主:2021年 7月 4日(日)11時54分20秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3107
(17 =Aー9)
「Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑について」
(園主:2021年 7月 7日(水)20時21分16秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3108
(18 =Aー10)
「Solaris1さん「人間性」について」
(園主:2021年 7月 9日(金)22時15分43秒)
https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3109
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(01 =Sー1)
「Amazonレビュー投稿削除の件」
(Solaris1:2021年 6月19日(土)18時42分42秒)
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Amazonレビュー投稿削除の件 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 6月19日(土)18時42分42秒
はじめまして。突然失礼いたします。
『一度きりの大泉の話』のレビューと昨晩の記事を拝読いたしました。私もAmazonの今回の措置に巻き込まれて投票を削除された者です。当方長年米国西海岸系IT企業の日本法人で勤務してきておりまして(Amazon社での勤務経験はありませんが)、今回の処理とAmazon社の対応についてある程度解説できるところがあると考えております。もしご興味があれば解説文をお送りいたしますのでご連絡ください。ただし、ご認識の誤りを指摘することになると思われる内容も含まれるため、強く申し出るものではありません。私がどういうスタンスにいるかは、過去ブログに記載した以下の記事が参考になるかと思いますので、必要であればご参照ください。
最近のアマゾンの検索機能の劣化がひどい
http://shahr.seesaa.net/article/470685093.html
アマゾンレビュー500冊&17周年
http://shahr.seesaa.net/article/468216618.html
Amazonプロフィール
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AHITAJUPYJZ4PT7PGR2SRU53S7ZQ
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(02 =Sー2)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月21日(月)00時35分7秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 6月21日(月)00時35分7秒
年間読書人様
前回のコメントをご掲載いただけているのを確認いたしました。
特にご興味の有無の記載は無いようですが、もしご関心があれば、
幣ブログにコメント経由でご返信をいただこうと考えていたところ、
掲示板に反映された前回のコメントを見ますと、幣ブログのコメント欄にて
ご返信ください、との文言を入れ忘れていたことに気づきました。申し訳ありません。
更に、現在幣ブログのコメントは原因不明で書き込みができない状態で、
これは現在問い合わせ中です。
このような方法をとっている理由は、別にもったいぶっているわけではなく、
突然長文の内容を送り付けてお怒りを買うことを懸念していることと、
内容を一般公開したくないためです。取り合えず解説文を送りますので、必要そうであればご参照ください。なお、このコメントは非公開/転載不可でお願いいたします。
以下の記事も火曜の夜には削除する予定です。
http://zae06141.client.jp/algorizm.html
よろしくお願いいたします。
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(03 =Aー1)
「お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり)」
(園主:2021年 6月22日(火)02時14分46秒)
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お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり) 投稿者:園主 投稿日:2021年 6月22日(火)02時14分46分
★ Solaris1さま
初めまして。ようこそ「アレクセイの花園」においで下さいました。
今回の「Amazonカスタマーレビューの不審な挙動」について、技術的な観点からご説明をいただけるということですね。
喜んで拝聴したいと思いますので、ぜひ遠慮なくこの掲示板に、そのご解説をそのままお書き込み下さい。
そうすれば、他の方も読めるし、好都合かと存じます。
(なお、この掲示板のメール機能は、あまり信用なりません。以前に、送られているはずのメールが届かなかったことがございました)
もちろん、私の『認識の誤りを指摘することになると思われる内容』が含まれていても、いっこうに構いません。
もともと私の「推測」は、あくまでも誠意を欠いた、ろくに「説明もしない」Amazonの対応に対する批判を含んだもので、あまりAmazon側の「事情」を忖度せずに書いたものですから、やや邪推に傾いた部分もあるものと自覚しております。
ご紹介いただきました、貴兄の、下の三つのご文章、
については、ざっと拝見いたしましたが、ずいぶん前から「Amazonカスタマーレビュー」を書いてこられたというのと、さすがは理系の方、数字が多いという点に圧倒されました。
正直に申しますが、私はとにかく「数字」が苦手で、ほとんど数字アレルギーですので、「Amazonの不審な挙動」についてご説明いただけるのであれば、できれば「数字」は少なめにしていただけるとありがたく存じます。
お察しのとおり、私は典型的な文系で、その読みも「人間心理」に重点を置いたものですから、私とは真逆と言っても良いであろう、貴兄の理系的な視点でのご説明がいただけるのであれば、それは大変ありがたいことでございます。
遠慮なくお言葉に甘えさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、これを機会に、この「アレクセイの花園」に、お書き込みにお出でいただけるようになればとも期待いたしますので、こちらもご検討のほど、よろしくお願いいたします。
ではまた。
以上を投稿しようとして、Solaris1さまの「第2信」である
が届いていたことに気づき、それをアップしてから、これを書き足しております。
以上、了解致しました。
こちらも了解致しました。
せっかく書いていただいたものを非公開にするというのは、間違ったことを書いているわけでもなし、ちょっともったいないとも思うのですが、まあ、技術的なお仕事に関わる内容ですから、仕方がないかもしれませんね。
上にご紹介いただきました「解説文」による「状況説明」は、おおよそ同意できます。
要は、今回の「役に立った数」の減少問題は、ステマ対策として、Amazonが不審なアカウントを削除するなどした結果、そのアカウントによる「役に立った」も同時に消滅した、というようなことでございますね。
2019年にも似たようなことがあったとのことですが、私にはその際は、特に影響もなく、全く気づかなかったので、今回が初めてのことだと思いました。
もしかすると、『一度きりの大泉の話』のレビューの「役に立った」数は、特別にカウント数が多かったので、減った数が目につきやすかったのかもしれません(それ以外の、「役に立った」数が「20」から「19」になっていたとかいったレビューも、5、6本はありましたが)。
あと、『一度きりの大泉の話』レビューの「役に立った」数の減少は、実際には、もっと多かったと存じます。
と申しますのも、「数値」が変わらない時でも、実際には減少分と同時に、新たな得票分があったから、それらが拮抗しているために、一見したところは「変わりなし」に見えていた公算が高いと思うのでございます。
『一度きりの大泉の話』のレビューについては、それくらいハッキリと「役に立った」数が増えていた時期だった、ということでございますね。
あと、レビューの掲載順が、後に回るのは、閲覧者の何者かの「削除要請」によりレビューが削除され、それに気づいた私が再アップした場合には、再アップされたレビューは「投稿日付」が変わるのと同時に、掲載順が最後尾に回るようです。
ただ、そうした「閲覧者による削除」による最後尾まわしがしばらく止まると、「役に立った」数は私のレビューがダントツですから、徐々にレビューが前の方へ移動します。そこでまた削除され、また再アップして、最後尾への繰り返し。
これはシステム上、仕方のないことなのですが、問題は、少なくとも削除されていない時には、私のレビューは、最も「役に立った」数が多いのですから、トップレビューの場所には載らないまでも、「上位の肯定的レビュー」にはならなければいけないし、当初はそうなっていたのですが、ある時期からは決して、そこには載らなくなった。これはどう考えても、管理者の恣意的な措置だとしか考えられません。
これを「忖度」するならば、私のレビューは「星五つ」ではあるけれど、内容は「萩尾望都に批判的」だから「肯定的なレビュー」とは言えないと判断して、意図的に「肯定的レビュー」から外したと、そういうことであるのなら、これは恣意的な主観的判断でしかありません。
と言うのも、私は、萩尾望都には批判的ですが、あの本自体については「非常に興味深い本だから、ぜひ読むべき」だという意味で「星五つ」をつけているからで、これはこれで間違いなく、あの本に対する「肯定的レビュー」と言えるはずです。しかし、それを「そうではない」とする判断は、価値観の違う人間による、恣意的判断であり、それによる有無を言わせぬ措置は、説明責任を果たさない、アンフェアな措置だと考えます。
ただ、いずれにしろ、政治的な背景など全くない、少女マンガ家のエッセイ本に対して、そんなに多くの「不正な投票行為」があったとは考えにくいのですね。
例えば、分母が大きいから、投票者の中に、不審なアカウントの人がいたのかもしれませんが、しかし、アカウントが怪しいから、投票内容がたちまち「不正」なものだとは申せません。その人が不審な投票者だったとしても、その人の投票が全てインチキだなどとは言えない、ということです。
それなのに、アカウントが不審だからと、その投票まで一絡げにしてぜんぶ削除するというのは、アカウント主には落ち度もあって仕方のないことでしょうが、投票された私個人には、なんの落ち度のないのですから、良い迷惑でしかありません。
つまり「巻き込まれる」いわれのないことに巻き込んだのであれば、謝罪まではしないとしても、それなりの説明をするのが、当たり前ではないか。個別的な説明はできないまでも、公式見解的な誠意のある事情説明が、技術的に問題の出ない範囲で、なされるべきだったのではないのか、ということでございます。
Amazonの回答メールで腹が立ったのは、
という部分です。
ここでは、『有効な投票と判断されなかった場合には、今後自動的に調整されるかと存じます』と書いて、要は「不審な投票分は削除します」ということでしょう。それは納得できる。
しかし『無効な投票と判断されなかった場合には、現在の票数が継続されますのでご了承ください。』とは、無効な投票じゃなかったとわかっても、一度削除したものは元には戻さないので、そこはそっちで納得しろ、という一方的な要請で、この物言いがけしからんと、私は言いたいのです。
同じ説明するのでも「不正じゃないとわかったら、元に戻せとおっしゃる気持ちはわかりますが、コスト的にそれは不可能ですので、どうかご容赦ください」とでも書いてくれば、こちらも「仕方ないな」となりますが、Amazonの「こうなってるから、それでよろしく」みたいな、上からの物言いが私は許しがたいのでございます。もっと、手紙の書き方を考えろよ、ってことですね。
つまり、私が『あまりAmazon側の「事情」を忖度せずに書いた』云々と書いたのは、私の方でAmazonの事情を忖度すれば、大概のことは「まあ、いろいろあるだろうから、仕方ないだろうな。そんなに細やかな配慮なんかできないだろうし」ということになってしまい、本来、Amazonが引き受けるべき「義務」や「コスト」まで、利用者が一方的に被らされることになってしまうからでございます。
これは「特定のレビューが掲載拒否される」件についても同じで、そりゃあ、Amazonも商売でやっているのだし、企業としての力関係や、商売上の忖度もはたらかせざるを得ないだろう、などと、こっちが「原理原則」を曲げてまで、Amazonに「忖度」する義理はない、ということでございますね。
実際問題としては、コストの問題として「仕方がない」としても、それを「原則論=筋論」で批判された場合は「すみません。そこまでは対応しきれませんので、どうかご容赦ください」と頭を下げるのが、社会的な常識ではないでしょうか?
それを大企業だから、巨大システムだからといって「できないものはできないんだから、つべこべ言うな」みたいな態度なのを、私は黙認できないし、私としては「駄目元でも、言うことは言わせてもらう」というスタンスなのでございますよ。
そして、それでも必要な説明をしないのであれば、悪く勘ぐられても、それはそちらの「自業自得」なんだから、その「現実にそぐわない批判」にも堪えろ、ということなのでございます。言い換えれば「誤解されるのが嫌なのなら、できる範囲で、精一杯説明せよ」ということなのでございます。
したがいまして、私の「Amazon批判」は、故意に「悪く解釈している」部分が、確かにございます。
しかし、それは、Amazonが説明責任を進んで果たさないが故に、自ら呼び込んだものなのだから、それでも、説明をして誤解を解く気がないのなら、その「誤解を甘受せよ」ということなのでございます。
私の「Amazonへの不信表明や批判」の意図は、おおむねこういうものでございます。
これについても、ご意見をいただければと存じます。
本日はこれにて、失礼いたします。
.
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(04 =Sー3)
「Amazonレビュー末尾表示の件」
(Solaris1:2021年 6月23日(水)00時48分51秒)
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Amazonレビュー末尾表示の件 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 6月23日(水)00時48分51秒
年間読書人様
ご返信ありがとうございます。
また、拙解説文をお読みいただきましてありがとうございます。
いくつか細かい誤解があるようですが、あまり重要ではないため省きます。大きな2点だけ記載させていただきます。
拙解説文3-3で記載しようと考えていたロジックの話です。恐らくAmazon社のロジックでは、
Amazonの商品ページから年間読書人様のレビューに来て投票した票と、直リンを貼ったレビュー頁にTwitterやその他SNS等から来て投票した票では、1票の価値が異なっていると思われます。仮定の数値で書けば、商品ページからの投票5票=直リン経由の票2票 という感じです。
また、ご存じかと思いますが、Amazonで購入していないレビューに対する1票は、購入しているレビューアのレビューの半分くらいの価値と計算されます。
後者は単純に、「レビュー表示の順位を上げたければAmazon社に利益を入れろよ」ということだと思われます。これはAmazonの取り扱い商品に非書籍が増えてきたため、例えばスマホなど、実際に使いもしないのにレビューを書いていると想定される人(ステマや、或いはその反対のクレーマの商品を貶めるためのレビュー)の影響力を削ぐための措置です(これはAmazon社がどこかで説明していた筈です)。個人的には書籍は(Amazonで購入していなくても、書店で購入するにしろ図書館で借りるにしろ)実際に読まずにレビューを書く人は少ないと思われるため、書籍とそれ以外ではわけて欲しいと思っているのですが、一応のところは納得しています。
前者は、政治家や有名タレントの書籍等ではファンや支持者たちによる党派性の高い投票行為が行われ易く、SNSによるレビューアや著作関係者の扇動により購入もせず読みもしない投票行為が大量発生し、大きく歪められてしまうことを防ぐためのものです。Amazon社からすれば「レビューの宣伝をレビューア自身がSNSに直リン貼って宣伝しているのだから、Amazon社はレビュー上位に表示してレビューの宣伝する義務はない」ということだと推測しています。
私は削除レビューとその再投稿に関する知見はありませんが、SNS等外部サイトに直リンを貼り、かつそこから投票があるとレビュー末尾に回されるのは、削除や再投稿とは関係なく、レビューに関する一般仕様です(私がこの仕様に気づいたのは今年1月のことですが、もっと以前から実装されていたかも知れません)。私のレビューにもこのケースに該当するものが幾つもありますし、他の方のレビューでも、もっとも得票の多いレビューが末尾にあるのを見つけた場合、有名SNSをすこし検索するだけで直リンが出てくるため確認できます。
現段階では(そもそも私は年間読書人様のレビューが削除されているのを直接目撃したこともないため)、年間読書人様のレビュー順位が末尾に落ちたのは、直リン経由での投票がトリガーとなっているのではないかと見ています。反対に順位が上がるのは、商品ページから投票された場合だと一応仮定することができるのですが、わざわざ200近いレビュー末尾まで確認してから投票する人はまずいないと思われるため、末尾表示から元に戻るロジックが現時点では不明です。もっとも、いくつかの想定はあります。例えばTwitterは例外、というものです。私のレビューでも私ではない別の方のアカウントに直リンが貼られ、そこからの投票が多いと思われる書籍はレビュー表示順位が下がっていませんので、Twitterは例外かも知れません。或いは、SNS毎にランクをつけていて、一定のランク以下のSNSから来ての投票があると末尾に移動させる、こちらの方がありえそうです。
さすがにここまでは(コストがかかるため)やっていないと思いますが、TwitterやSNSの個々の投稿のURL毎に、OKかNGかをAmazon社の社員かAIがデータ登録しておく、ということも考えられます。登録済のSNS投稿から来ての投票があると末尾表示へ、未登録のSNS投稿から来ての投票があると上位表示に復元される、というロジックです。ここまでやるとはとても思えませんが、100を越すような得票のあるレビューについては、Amazon社もこのくらいのコストをかけてロジックを実装しているかも知れません。このあたりの仕様について特に知りたい場合には、実際にTwitter等を用いて想定ロジックの検証実験を行ってみてもいいかも知れません(一応ダメ元でAmazonに問い合わせてからの方がいいかも知れません。私もまだしばらくは『一度きりの大泉の話』のレビュー(に限らず同様に上位順位回復動作をしているレビューが発見された場合には)動向を注視していますので、確度の高そうなロジックが判明しましたら、(年間読書人様がお嫌でなければ)お知らせいたします。
2点目は、「無効な投票と判断されなかった場合には、現在の票数が継続されますのでご了承ください。』とは、無効な投票じゃなかったとわかっても、一度削除したものは元には戻さないので、そこはそっちで納得しろ、という一方的な要請」という件です。これは、無効と判断されなかった場合は有効扱いになります、という意味だと思います。失礼ですが、この文言の意味を、Amazon社の担当者に返信して確認されましたでしょうか? お怒りになっている年間読書人様は当事者ですので、悠長になんどもやりとりしている余裕はない、と思われるかも知れませんが、メールベースなら最低でも5回はやりとりしないと、双方の認識のギャップは狭まらないものと思います。
ところで、Amazon社に限らずこうした対応をする企業は多いわけですが、これは確かに問題であると私も思います。しかし同時に、今回私が解説文をお送りしているように、ITを介して行われる未知の人同士の会話は、膨大なコンテキスト情報を埋めてからでないと、会話が成り立たない、ということもその通りであり、年間読書人様も、長文のレビューが多いのは、誰が読んでも誤解しないようコンテキスト依存部分を圧縮するために、長文とならざるを得ないところがあるのではないでしょうか?
今回私はもしかしたら余計にしゃしゃり出てしまったのかも知れませんが、IT業界での顧客とのトラブルでは、両者まったく異なったコンテキストを前提に判断/会話していることが多いわけですから、今回の一件も、かなり日常的な内容に思えます(そうして私のような者がトラブルシューターとして通訳のような形で入るのも)。
私はAmazon社やこうした対応をする企業の立場や言い分を理解したり忖度して欲しいと思ってるわけではありませんが、うまくやり取りする方法については、取り入れていった方が良いのではないかと僭越ながら愚考する次第です。私の書いた拙文が、今後のご活動の何かのヒントになれば幸いです。
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(05 =Aー2)
「「コンテキストの違い」は、現実には「力関係としての立場に依存する。」
(園主:2021年 6月25日(金)10時06分58秒)
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「コンテキストの違い」は、現実には「力関係としての立場」に依存する。 投稿者:園主 投稿日:2021年 6月25日(金)10時06分58秒
★ Solaris1さま
早速のお返事、ありがとうございます。
その『細かい誤解』の方も気になりますが、それはまた後日ご解説をお願いするとして、本日はお書きいただいた2点についての感想を書かせていただきます。
なるほど。それは十二分にあり得ることでございますね。
特に、レビュアー順位などにそれを感じますが、順位づけの基準が示されておらず、考慮される要素がいくつもあると考えられますから、実質的にはブラックボックスであり、Amazonの恣意のままでございますよね。
ただ、前者の「直リン」問題について言えば、私の場合は、Twitterを使っておりませんから、直リンは、ほぼこの「アレクセイの花園」に限定され、ここの閲覧数は多くて、日に「30」くらいですから、あまり影響はないと存じます。
それにしても、そういうロジックを採用するのであれば、そしてそれが「やましい行い」ではないと言うのであれば、本来なら、そのロジックを公開すべきでございましょう。
なぜなら、普通の利用者や閲覧者は「1票1ポイント」だと思っているからで、その「当然の誤解」を知りながら、こっそりやるのはフェアではない(半分はペテン)だからでございます。
また、その「一方的な理屈」としての「ロジック」が公開されても、黙って従う義務はありませんから、その「ロジック」の正当性を問う意味でも、反対表明をすべきでございましょう。
「レビュー表示の順位を上げたければAmazon社に利益を入れろよ」というのは、そもそも大きなお世話で、それはレビューを投稿する者(レビュアー)との契約上には表れてこない(裏)事項でございます。
もちろん、Amazonの「本音」はそうでしょうが、それは本来「公言」はできない「恣意」でしかない。
それでも、どうしてもそうしたいのなら「Amazonでの購入者しかレビューは投稿できません」とか「Amazon購入のレビュアーの得票数は、そうではないレビュアーの得票数の2倍計算となっております」といった具合に、最初に明示しておかなければ、それこそフェアではございません。数字だけを見た人たちを、故意に「騙す」ことになるからでございます。
レビュアーはレビューを無償提供する。Amazonはそのコンテンツ無償掲載して収益につなげる。両者はそういうギブアンドテークの契約関係であって、そこには「Amazonが儲かるようなものを書け」とか「Amazonからの購入者に限る」とかいう契約条件は無いのでございますから、そんな「分けへだて」をするのは「不当な差別」と言うべきでございましょう。
ただ、利用者は利用規約には従わなければなりませんから、その範囲でAmazonは「本音としての搾取」を、「建前」ではあれ、明示的かつ合理的に自己正当化をしなければならない。
また、それくらいの努力はさせなければならない。野放しの好き放題にさせてはならない、ということでございます。
ちなみに、書籍のレビューだって、「パヨクの本」に対し、読まずに否定レビューを投稿する「ネトウヨ」は現に大勢いますから、『実際に読まずにレビューを書く人は少ないと思われるため』書籍は例外にする、というのは無理でございましょう。
まして、Amazonは自ら進んで、レビューを書かないでも点数だけの商品評価レスポンスをできるようにしてしまったのですから、これは「読まないで投票する」人を、わざわざ歓迎しているようなものでございますよ。
しかも、これなら、Amazon自身がいくらでも点数をコントロールできてしまう。
するかどうかは別にして、しやすくしたというのは間違いございません。
> 前者は、政治家や有名タレントの書籍等ではファンや支持者たちによる党派性の高い投票行為が行われ易く、SNSによるレビューアや著作関係者の扇動により購入もせず読みもしない投票行為が大量発生し、大きく歪められてしまうことを防ぐためのものです。
ここでございますね。これは「不正利用を防ぐ」という「建前」のもとになされていることですから、Amazonがこのような対策を取ることも、事前に、抽象的ではあれ利用規約に書かれているので、利用者は従わなければならない。
しかし、言い換えれば、問題は「Amazonで買うか買わないか」ではなく「組織票か否か」であり、そこに対してピンポイントで対応するかたちを採らなければ、そのやり方には問題があるということにもなりましょう。
これはまた「Amazonの本音」の部分であり、これも公言できません。
利用者は「利用規約に沿った範囲でのAmazonの対応」には従わなければならない。
しかし、「レビュアーは、他所に自身のレビューへの直リンを張ってはいけない」という規約はございません。ですから、「利用規約」的に説明のできない、このような恣意的な対応に対しては、当然、契約当事者として苦情を申し立て、改善を要求する、正当な権利があるので、その権利は主張されなければならない。
でないと、実質的にシステムを押さえているAmazonに、契約に反してのやりたい放題まで認めてしまうことになるからでございます。
言うまでもなく、法治国家の下での契約や営業において、違約行為は許されることではありません。実際には、あらゆる有力者側の違約行為がまかり通っていても、でございます。
> 私は削除レビューとその再投稿に関する知見はありませんが、SNS等外部サイトに直リンを貼り、かつそこから投票があるとレビュー末尾に回されるのは、削除や再投稿とは関係なく、レビューに関する一般仕様です(私がこの仕様に気づいたのは今年1月のことですが、もっと以前から実装されていたかも知れません)。私のレビューにもこのケースに該当するものが幾つもありますし、他の方のレビューでも、もっとも得票の多いレビューが末尾にあるのを見つけた場合、有名SNSをすこし検索するだけで直リンが出てくるため確認できます。
これは、前記のとおり、私のように、他所様の「有力サイト」で直リンが張られることなど、ほぼ無いと言って良い者としては、あまり説得力のない仮説でございます。
たしかに『一度きりの大泉の話』のレビューについては、直リンを張ってくださった見も知らぬ方がかなり多かったようですが、それもほとんどはTwitterだったようでございます。ですから、あとで書かれている「Twitter」例外説を採るならば、余計に私には関係なくなるわけでございます。
ちなみに、『一度きりの大泉の話』のレビューについては、削除→再アップにより「投稿日が変わって」最後尾まわしになっても、少しずつですが「役に立った数」は増えております。
これはたぶん、Twitterの直リンから見に行った人が、いまだに多いのだと思われますが、いずれにしろ、一週間くらいで2ページ目くらいまでなら戻るのは、やはり「役に立った総数」が無視できないからではないでしょうか。「役に立った数」がダントツなのに、上位評価されないと、多くの人は、せっかくのレスポンスが、システム的に、つまりAmazonによって、蔑ろにされていると感じ、Amazonの公正さを疑う蓋然性が高いからでございます。
可能性はあると、存じます。目立つレビュアーというのは、レビュアーが1万人いたとしても、そのごく一部でございますからね。
私は到底、そんな面倒なことはする気はございません。仮にそれで、ある程度のことがわかったからと言って、ではそれでAmazonに改善が要求できるのかといえば、それは無理でございましょう。ならば、やる意味がない。
調べるからには、改善を要求できるほどの、客観的証拠能力のあるものでないと、あくまでも「個人的には、だいたいわかった」という、自己満足に終わってしまうからでございます。
しかしながら、そういう手間を惜しまないとおっしゃるのであれば、Solaris1さまのロジック研究の成果をお聞かせいただけるのは、誠にありがたいことだと存じます。
ふ~む、おっしゃる意味で、問題の下の回答文を、Amazonの担当者が書いたのだとしたら、担当者は日本語が不自由なのでございましょうね。
『有効な投票と判断されなかった場合』つまり「無効と判定された場合」も、『無効な投票と判断されなかった場合』つまり「有効だったと判定された場合」も、ともに「削除された後のカウント数」が正しいから「削除された後のカウント数」のままである、ということを、Amazonの担当者は言いたかったのであろう、ということでございますよね。
しかし、問題は「現在の票数」という表現で、私がAmazonに問い合わせたのは「現在の減った票数」が、おかしいのではないか、こんなことは前例がなかったではないか、ということでございます。
ですから、担当者が、貴兄の理解に沿って説明するとすれば、例えば、
「これまでにも、このような不正投票に対する機械的な削除対応はしてまいりましたが、その削除数が少ないためにお気づきにならなかっただけではないでしょうか。この機械的削除は確かなものであり、その判定結果である削除結果は、必ず正しいものなので、削除された後の数字が正確な票数だとご理解ください」
とでも書くべきでございましょう。
しかし、この説明では「なぜ必ず正確なのか」の説明をしておらず、単に「我々は間違わない」と断言しているだけでしかありません。
ですからこそ私は、『今後自動的に調整されるかと存じますので、しばらくお待ちのうえ様子を見ていただきますよ
うお願いいたします。』とか『なお、無効な投票と判断されなかった場合には』などと書いている以上は、「票数が減った現状からの変更」が示唆されている、と理解したのでございますね。
判断の根拠説明もなく、「不正だったら○○しますが、不正じゃなかったら××します」という場合、普通は、自分たちの判断が100%ではないこと(事後訂正の可能性の考慮)を前提としていると理解しますし、どちらの場合でも「判定後の現状変更の可能性の存在」を思わせます。
しかし、Amazonの意向が「我々の機械的判定は、絶対に正しいから、減っても文句を言わず、それを承認しろ」というのであれば、それはその、絶対だという根拠を(つまりロジック)を説明すべきでございましょう。
でないと、私が危惧したように、システムエラーやハッキングがあってのこ事故だとしても、回復が面倒だと思えば「変更された数字が、機械的に判定した正しい数字だから、それを追認しなさい」という理屈になってしまうからでございます。
つまり、私はAmazon側に「常識的対応」を期待したから、結果として「誤読」してしまったということになり、一方の貴兄は、Amazonが「説明責任を果たさない」ことを自明の前提であると考える立場から、あの説明文を読んだので、Amazonが言っているのは「どっちにしろ、結果が正しいのであり、判定が間違っていたから事後修正するなどという事態はあり得ない」と強弁しているのだろう、と理解解釈されているのだと存じます。
しかし、問題は、Amazon側のそんな「説明(になっていない説明)」は到底容認できないし、すべきではないし、あんな「説明にならない説明」文を、回答文として書いてはならない、ということではないでしょうか。
例えば、犯罪者にも理屈はありますし、彼らなりのコンテクストはある。
それは、どういうものなのかを知ることは重要ですが、知ることと容認することは別ですから、客観的に見て明らかに「説明としておかしい(不十分なもの)」であれば、それを根拠に批判すべきでござましょう。
また「これはどういう意味?」「その説明の、ここはどういう意味?」といくら問いただしても、そもそもまともに説明する気のない人間が、まともな説明をするわけがございませんし、仮に説明をしても、その基本的な立場を改めはしないでしょう。
また、しつこく問い質せば、返事を打ち切られるだけなのは目に見えております。
つまり、「担当者名」さえ記してこないAmazonの説明に、文章上に書かれていない細かい意味を問いただしても、それは徒労にしかならないものと存じます。
実際、貴兄がこの状況に対して、Amazonに何度問い合わせても「機械的に正しい削除が行われましたので、それでご理解ください」という以上の、説明にならない説明しか返ってこないものと存じます。
コンテキストを埋める気のない者どおしが、いくら相手を理解しても、結果は「有利な立場にある者=構造的強者」が自己の現状認識を「不利な立場の者=構造的弱者」の側に押し付けるだけではないでしょうか。
そもそも、レビュアーである私と、それを利用して金儲けを目論むAmazonとでは、「立場」がまったく違っているのですから、主張の「コンテキスト(文脈)」が違うというのは、むしろ当然であり、しなければならないことは「すり合わせ」ではなく、「どちらの主張が、客観的公正さに適っているか」「契約に基づいた正当な行為か」ということでございましょう。だからこそ私は「Amazonの意向を忖度する気は無い」と何度も書いているのでございます。
例えば、私の『長文のレビューが多いのは、誰が読んでも誤解しないようコンテキスト依存部分を圧縮するために、長文とならざるを得ないところがある』と言っても、それは「不利な立場の者=構造的弱者」が「有利な立場にある者=構造的強者」に対して、「すり合わせ」をして「妥協点を見出す」ためにやっているのではございません。
「有利な立場にある者=構造的強者」というのは、おおむね「弱者の正論」など、無視できればしたいと思っているので、いくら言っても無駄な場合がほとんどだからでございます。
ですから、私の「長文による説明」は、「有利な立場にある者=構造的強者」に向けて書かれているのではなく、「客観的第三者」に向けての説明なのでございますね。
たとえ形式上「有利な立場にある者=構造的強者」に向けて書いているようでも、じつは「第三者」に向けて説明して、公正な判断を求めているのでございます。
だからこそ、相手の返答が、いい加減なものなら、それを公開して「不誠実な回答」の証拠として示し、批判するのです。
> 私はAmazon社やこうした対応をする企業の立場や言い分を理解したり忖度して欲しいと思ってるわけではありませんが、うまくやり取りする方法については、取り入れていった方が良いのではないかと僭越ながら愚考する次第です。私の書いた拙文が、今後のご活動の何かのヒントになれば幸いです。
問題は『うまくやり取りする』とは、「誰のために、何を目的として」そうするのか、ということでございます。
結局、「有利な立場にある者=構造的強者」と「うまく」付き合おうとすれば、彼らが喜ぶような「妥協」をするしかないというのは、理の当然でございましょう。
彼らだって馬鹿ではないし、そもそも「商売でやっている」のですから、こちらがいかに「うまいこと言った」としても、結果としてAmazonが損をするような選択肢は選びません。
つまり、「不利な立場の者=構造的弱者」に可能なのは、「妥協」して「多少なりとも権利を守る」か、論理的正当性において「第三者の支持」を取り付けて、その監視下において「有利な立場にある者=構造的強者」に対し、完全な権利保護を約束させるかしかないのでございます。
もちろん、前者は、限りない「忖度と妥協」の道となるでしょうし、後者は「100を要求して、10を得る」ということにしかならないでしょうが、私が選んでいるのは、後者だということでございます。
これを、別の言葉で言えば、こんな感じになりましょう。
これは、テレビで「沖縄の基地問題」を取り上げようとしても視聴率が取れず、「韓国政府のスキャンダル」といった、お隣の国の話題の方が視聴率が取れてしまう現状の意味を問い、また、沖縄の基地建設反対運動の人たちを、大阪から派遣されていた機動隊員が「土人」「朝鮮人」呼ばわりをした事件に関し、「どっちもどっち」論を語る人(例えば、維新の会の、松井一郎大阪市長)の問題を語った部分でございます。
つまり「沖縄と日本政府」との権利闘争においては、「どっちもどっち」ではない。それぞれに「コンテキスト」があるから、それを「摺り合わせる努力が必要だ」といったことではない。
なぜなら、両者は明らかに力関係で「非対称」なのだから「お互いに対等に話し合えば」と言っても、それは無理であり、「立場が違う」ということでございます。
しかし、人びとがどうして、その「大きな違い」を無視して、上から俯瞰するように「お互いに」と、まるで対等な関係の者どおしの話し合いが可能であり、それを促すかのように言うのかといえば、それは自分が、その力関係の存在を当然のこととして、知らぬうちに内面化しており、不正義な「非対称」関係を直視できなくなっているからなのでございますね。
「沖縄と日本政府」が話し合えば、最後は、立場の弱い沖縄の方が力で押し切られてしまう。だから基地反対運動の人たちは「非妥協」的に「自分の立場の正当性」を訴えるのだけれども、そうせざるを得ない「弱い立場の側」に立てないからこそ、多くのお見物衆は「どっちもどっち」論でお茶を濁し、さも自分が客観的な第三者としての正当な判定者ででもあるかのように思い込んで、自己免責してしまう。しかし、それは違う、ということでございます。
また言い換えれば「総理大臣と一官僚」も、「政府と日本学術会議(あるいは、専門家会議)」も、立場が違い、その主張すべきところの依って立つ「コンテキスト」が違いますが、だからと言って、決定権を持たない立場の方が、決定権を持つ方の「コンテキスト」に合わせるべきではないし、合わせてはならない。
それをすれば、それは「忖度」であり、決定権者への先回りの妥協、ということになるのでございます。
ですから、私とAmazonとの関係でも、Amazonのロジックやコンテキストを知ることは、「敵を知る」という意味では必要でしょうが、「お互いのコンテキストの違いを理解して、足して2で割る」みたいな考え方は違う、ということであり、貴兄の『トラブルシューター』という「中間的立場」の考え方(イメージ)には、こうした誤認の危うさがあると思うのでございます。
貴兄ご自身がおっしゃるとおりが、Amazonの側つまり「有利な立場にある者=構造的強者」ではない「当事者」であるのならば、貴兄の立場は「不利な立場の者=構造的弱者」でしかあり得ないという事実を、貴兄が『トラブルシューター』を名乗る時には、忘れてしまっているのではないか、と思えるのでございますね。
もちろん、Amazonは「有利な立場にある者=構造的強者」なのですから、「彼らなりに公正な視点からのコンテキスト」に立っているのではなく、「自分たちに都合の良いコンテキスト」に立っていると考えるべきだし、それが貴兄も指摘されているリアリズム的な視点であり、ほぼ間違いなく現実でございましょう。
しかし、そうであるならば、私たち「不利な立場の者=構造的弱者」である者こそが、非妥協的に、「公正さ」の場に「有利な立場にある者=構造的強者」を引きづり出して、建前だけであろうとも、公正な対応をさせなければならないのだと思います。
私が「忖度」はしない、と言うのは、そういう意味なのでございます。
私も、以上のとおり、感じたままを率直に書いておりますので、貴兄もまた、忌憚のないご意見をお聞かせくださいまし。
私たちのような議論こそが、本当の意味での「対等の議論」であり、そこでこそ「コンテクスト」の確認の意味もあるのだと存じます。
ではまた。
.
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(06 =Sー4)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月28日(月)01時51分44秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 6月28日(月)01時51分44秒
年間読書人様
長文のご返信ありがとうございます。
まず、前半のレビュー評点についてですが、
私も昔のAmazonはこのように考えていましたが、今は以前と比べるとかなり収益優先となっていて、個人的には諦めモードです。Amazonにレビューを書いてはいますが、新刊の購入は殆どなくなりました。
>そもそも大きなお世話で、それはレビューを投稿する者(レビュアー)との契約上には表れてこない(裏)事項でございます。
これはどの商品の頁にも「評価はどのように計算されますか?」のところに、以下の個所に記載されています。ロジックは公開されてはいませんが、明確にAmazonでの購入を考慮する、と書いてあるので、私は一応のところは納得しています。
「全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。」
なお、利用規約の点をずいぶんご指摘されていますが、以前私がAmazon社に問い合わせたところによると、一度投稿されたレビューの著作権はAmazon社に帰属し、Amazon社の許可なく、転載することは規約違反となるとのことでした。
後半のAmazon側の回答の件について
恐らくAmazon社の一次ラインの回答者は外国人だと思います。商品や質問の内容、更に時期によって拠点が分かれており、最近私はAmazon社に問い合わせをすることはなくなってきておりますので直近の状況は不明ですが、以前問い合わせた時はシンガポールの日本語ができる中華系社員や中華系マレーシア人でした。こういう人たちは、基本的にマニュアルに従ったコピペ文しか寄越しませんから、日本人の社員に対応させるには、2、3回やりとりをして「日本人でなければ対応できない」とアサインを変えさせなくてはなりません(上記著作権の問い合わせとした時は、日本の著作権法は日本人しか対応できないことから、最初から日本人が返信してきました)。そんなAmazon社の社内事情はは年間読書人様にとってはあずかり知らぬことである、ということであれば、それも良いのではないでしょうか? 私はこうした対応をして、それなりに納得できる回答や修正を引き出してきましたので、それは私の処し方であり、押し付けるわけではありません。今回も、最初はスルーしようと思っていたのですが、年間読書人様が投稿したレビュー自体の削除にあったとされる恣意的な対応を感じてきたことに対し、「6月前半の投票の削除が証拠である」、との明らかに見当違いの方向へいってしまっていたため、それはむしろAmazon社からすれば間違った風聞ともなってしまい、仮にAmazon社から有力レビューアのコメントとして見過ごせない、と判断されてしまうと、無意味な紛糾となりかねないため、IT業界の在り方をいくつかご説明申し上げた次第です。
しかしながら、これは事実として外国人の可能性が高い、ということであって、実際のところでは日本人社員でも同じ文面が返信されてくると思います。そうしてこのマニュアル対応の趨勢は、外資系から日本の大企業一般へ、更に中小へと拡大してきていますから、ある意味小役人的対応は止められなくなってきています(ので私は 後述の、「妥協して権利を守る」となってしまっているのかも知れません)、
私の場合、自分自身が少ないコストで順位を維持する方法を知るためにやっていますので、年間読書人様の件については、その範囲で何か知ることがあれば、お知らせすることもあるかも知れません。
そういう可能性はありますが、寧ろ私は、まったく取り合ってくれないだろう、と考えていたところ、対応が見られることが(以前は割と)あったため、Amazonを利用してきた、という背景があります。このあたりは、もしかしたら最近は酷くなってしまっている可能性はあるとは思っています。
よって、私は、
という立場からこの一連のやりとりをしていることに気づきました。実際これまではおおむね前向きな対応を得てきましたから。しかし、最終的にはAmazonが嫌なら使わなければいいのだから、見切りをつけたらそうしますし、他の人々にもそうして欲しいと思っています。ユーザーに見放された企業は退場すべきですし、そうなって困ってユーザー対応が改善すれば、それはまた良いのではないでしょうか。
妥協して権利を守る点では年間読書人様とは立場の相違は明白であるけれども、
ということで、今回の情報のいくつかがお役に立てたのであれば幸いです。
申し訳ありません。ご指摘の通りです。この点は、最初の自己紹介に記載した通りです。私は中立的ではなく、似たような業務経験(海外コールセンター含め)や知見があるため、その立場から、うまくコミュニケーションする方法があります、と指摘させていただものです。しかしながら、この点ではあまりお役には立てないようですね。映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』で「市民が制度の使い方を知るためのコストが高すぎる」というような点が描かれていました。あれに出てくるダニエルブレイクに柔軟に対応した職員がいましたが、気持ちとしてはああいう人物でありたい、と思いながらも、結局は何もできずダニエルブレイクの死を受け入れるしかない、という結果となってしまったような、そういう無力さを感じています。。。
ひととおり記載してきて思ったのですが、もしかしたら、私は、年間読書人様よりももう、Amazonに期待していないのかも知れません。駄目なら他を使えばいい、ということで実際の国内購入では他を使ってますし(海外はまだAmazon中心ですが)、よりベターなものが出てくればより前面的にそちらに移行するでしょうし、Amazonのロジックを推定して自分のレビュー順位を労少なくして維持する方法を考えていますし、Bookmeterが長文を掲載できるようになったらAmazonへの投稿も終わりにするかも知れません。しかしそのようにいっていても、Amazon社が新たな企画を出してくると、そうした企業努力は非常に好もしく思っているため、ずるずると利用を続けることになってしまっている次第です。。。。
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(07 =Aー3)
「運命の賭け」
(園主:2021年 6月28日(月)17時52分31秒)
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運命の賭け 投稿者:園主 投稿日:2021年 6月28日(月)17時52分31秒
★ Solaris1さま
お返事、ありがとうございます。
理解できます。むしろ、好ましい結果が出ないことはほぼ確実なのですから、普通は「諦める」でしょうし、それが賢いやり方だとも思うのですが、私の場合は「結果を出す」ことよりも「あきらめないで筋を通す」ことの方が重要なのでございます。
なぜなら、私は、アマチュアであるとは言え「物書き」であり「言論人」であり、その「本物」であらんとしているからでございます。
つまり、「プロ」であり「有名」であったとしても、「物書き」「言論人」としての筋を通せなければ、その人は「ニセモノ」であり「二流」であって、要は、私以下だ、ということなのでございます。
私にとっては、何より「本物」であること「肩書きに恥じない」存在であること重要でございますから、たとえ「無駄な抵抗」であり「好ましい結果は出ない」とわかっていても、「堂々と」「対等に」「筋を通して」「言うべきことを言う」のでございます。
ですから、そうした意味で「決してあきらめない」のでございますよ。
無論、これを他人に強いるつもりはございませんし、そもそも、強いてやらせることの出来ることでもない(=強いられて出来ることではない)。
これができるのは「天に選ばれた人間」だけだと、私はそう自負しているので、余計に「妥協」などする気にはならないのでございます。そんな妥協は、「目先の小さな利益」のために、「天国への切符」を手放すようなものでございますからね(笑)。
なるほど、そのようにしているのなら、買わずに組織票を投ずることもできない、というわけでございますね。
しかし、基本的な問題として「Amazonで買った者には、論評する権利がある」というのは、完全に「権利」だけの問題であって、「権利」さえ得れば「犬でも猿でも宇宙人でも死人」でもAmazonカスタマーレビューに点数レスポンスを送る「資格を有する」ということでございますよね。つまり、Amazonカスタマーレビューの点数レスポンスは、その中身の価値についてはまったく保証されていないものだ、ということになるのでございます。
なるほど。
でも、それは「事実」を伝えているだけで、「説明」にはなっていませんよね。「考慮」するだけなら、「何もしない」場合だって、一応は「考慮(考え慮る)」ことはしているわけでございますから。
つまり、「説明」とは「考慮して、どうするのか」「どうかする場合の、基準とはどういうものか」といったもので、「考慮する」では、説明になっていないし、それはむしろ「ごまかし」「はぐらかし」の類いだと、正しく評価すべきでございましょう(こうしたものは、現首相の菅義偉が好きな言い回しでございますよね。「全力で取り組みたい」「当然配慮する」など、何の具体性もない、説明にならない説明)。
ですから、そんなことで「納得」すべきではないと、私は考えます(望月衣塑子のように、しつこく食いさ上がれ、と)。結果として「納得できない苛立ち」を抱え込むことになったとしても、「一応のところ納得する」といった「自己欺瞞」「自己慰撫」よりは、「納得できないまま」の方がマシだと思うからでございます。
「考慮されます」「検証されます」ってのが、ごまかしの肝でございますね。
問題は「単純な平均は使用しないのなら、どのように正当性の担保された計算を使用するのか」「考慮して、それでどうするのか」「検証した結果、どうするのか」という肝心な部分を、何も書かずに「こっちも考えているから、すべてこちらに委任しろ」という、これはきわめて居丈高な物言いでございます。
ええ、私もそのようにすればいいと思いますし、それならそれで、また「Amazonは、人を利用し、搾取し、捨て去る、非人道的な企業である」と適切に評価し、それを公言するだけでございます。
そんな利用規約は「無効」だと考えますから、私はそうした「不当契約」を認めない立場で、Amazonを批判いたします。
そりゃあ、利用規約のどこかには書いてあるのでしょうし、私もそれを端から端まで読まずに「承認する」スイッチを押したのでしょうが、だからと言って、そんな「非常識」が許されるのなら、多くの「悪徳商法」が容認されなければならないでしょう。
言うまでもなく、著作物には、著作者固有の権利として、著作権や利用権など、各種の権利が保証されており、それを譲り受けるためには、それ相応の契約や手続きが必要でございます。
したがって、あんな「不親切な説明」と「スイッチひとつの承認」で、法的な権利が完全に奪えるなどということを認めてはならないのでございます。
もし、私が自分の書いたAmazonレビューを、自分のSNSにアップしたのが、権利侵害になるというのなら、Amazonは、私に対して損害賠償の民事訴訟を起こせばいい。私も喜んで受けて立ち、大騒ぎをして世間にアピールし、Amazonに大恥をかかせてやりますよ。
それに万が一、裁判に負けて、賠償金を払えと言われても、払ってはやりません。民事では逮捕もできないでしょうし、世間の耳目を集めるであろう、差し押さえまでやる覚悟が、Amazonにあるかを見たいところでございます(笑)。
まず『担当者は日本語が不自由なのでございましょうね。』と書いたのは、もちろんAmazonの「日本人社員への皮肉」でございます。
私はこれまでに何度かAmazonに問い合わせをいたしました。その時期によって、電話、メール、チャットと色々でございましたね。
多分、現在では直接の電話連絡先は無くて、チャットで問い合わせた後、解答不能な場合は「担当者からお電話を差し上げます」みたいな感じで、日本人担当者から電話があり、それに問い合わせ事項を伝えると、簡単な技術的問題以外は「調査の上、後日メールでご回答差し上げます」みたいなパターンになっていると存じます。
たしかに以前は、直接の電話問い合わせ番号がありましたが、その場合、おっしゃるとおり外国人が出て、片言の日本語で対応してくれるのですが、その場合でも結局は、良くて「メールでご回答させていただきます」だったと存じます。
貴兄が親切心からご助言をくださったという点は、私は毛ほども疑ってはおりません。ただ、そうした「常識的な対応」が必ずしも「正しい対応」「責任ある対応」ではないのではないかということご説明させていただきたかっただけで、私も、私のやり方を人に押し付けるつもりはございませんし、前記のとおり、押し付けてどうなるものでもないと思っております。
ただ、「考えるきっかけ」を与えることはすべきだし、きっかけを与えられれば、考えられる人であれば、考えることだけはできるでしょうから、それは無駄ではないと考えて、やっていることでございます。もともと「批評」とは、そういうものでございますしね。
とのことですが、ここでの私の推理は「明らかに見当違い」ということはございません。あくまでもそれは、Solaris1さまの技術者としての常識からすれば「ほぼ間違いなく、見当違いであろう」ということでしかない。なぜならば、Amazonが詳細な説明をしていない以上、Amazon以外には「誰にも真相はわからない」からでございます。
ですからこそ、私のような「推理」も出てきて(色々な推理が出てきても)当然ですし、それは、いかに蓋然性が低くても「確実に間違った認識」だとは、誰にも言えません。
それを言うためには、Amazonが、自分たちのやっていることを公開するしかないのでございます。
そして、それで仮に、私の「推理」の間違っていたことが判明したとしても、その間違いは、Amazonが「情報隠蔽」をしたために、完全な推理が不可能だっただけ、だということにしかならず、私の「推理」の間違いを、一方的に責めることはできない、ということになるのでございます。
ですから、「推測」が語られ、それが「風聞」になって流布することが迷惑だというのであれば、Amazonは「情報公開」をして正々堂々とやればいいのでございますし、それは私の望むところでもございます。
つまり「紛糾」となって、損をするのはAmazonなのでございます。わざわざ、事を荒立てて、世間の耳目を集めるのは、どう考えても得策ではない。馬鹿でなければ、私のような「社会的影響力のない一個人」など「相手にしない」というのが、いちばん賢い対応策であり、だからこそ、私も、不必要にビビることなく、可能な範囲で、言いたいことを言うわけでございます。
私は、基本的に、営利企業に「誠意」は期待しておりません。だから、文句を言って「改まる」ことなど、基本的にはないし、どうしても結果を出したいのであれば、裁判による判決という「強制力」を使うしかないと考えております。
しかし、それをするのは、端的に面倒でございますし、私は「言論人」として「言葉」で批判し、強制力=暴力にはたのまない、という立場を選んでいるわけでございます。
それに「妥協して権利を守る」と言っても、こちらが妥協して初めて守られるような権利とは、もともと保証されていてしかるべき当然の権利でございましょう。ですから、もともと保証されている権利もあるから、ほかに本来保証されていてしかるべき権利が保証されていなくても「我慢しよう」という理屈にはなりません。「それはそれ、これはこれ」だからでございます。
よろしくお願いいたします。
ちなみに、私も人間ですから、順位が上がれば嬉しいのですが、しかし、それに「縛られないように」心がけております。
「物書き」や「言論人」や「芸術家」が、志を失うのは「地位と名誉と金(の損得勘定)」に執着してしまうからでございますし、ささやかながら、こうした「順位」というものも、その一つでございましょう。ですから、気にはなるが、気にしないようにする。
だからこそ私は、しばしば、新刊書を差し置いてでも「古い本」を読んで、そのレビューを書くのでございます。新しい本のレビューの方が得票的に有利なのはわかっておりますが、そこに固執すると「新しい本ばかり読んで、読むべき古い本を読めない」ということになってしまうからでございますね。
で、そういうレビュアーは現に大勢いますが、私はそういう人たちを見て「君らとは、そもそも物書きとしての格が違うんだよ」と、嫌味なことを考えているのでございます(笑)。
そういうこともございましょうし、Amazonのカスタマー担当者も人間でございますから、それは親切な人もいれば、そうでない人も当然いることでございましょう。
ただ、ここでも問題は、そうした個々の問題ではなく、基本は「顧客には、誠実に対応しています」という、Amazonの「公言された立場=建前」なのでございます。つまり、「親切で、当然」。
もちろん、私とて「お客様が神様」だとは思っておりませんから、誠実に対応してくれる人には、誠実に返します。しかし、そうでない奴は許さない。それだけなのでございますね。
ですからこれも、「良い人もいたから、悪いやつも許してやろう」という話ではないのでございます。
> よって、私は、
>> 、「不利な立場の者=構造的弱者」に可能なのは、「妥協」して「多少なりとも権利を守る」
> という立場からこの一連のやりとりをしていることに気づきました。実際これまではおおむね前向きな対応を得てきましたから。
問題は、Amazonの「前向きな対応」を、「当たり前だ」と考えるか、「有難いことだ」と考えるかでございましょう。
叩かれ慣れた人間は、たまに親切にされると、その親切を過剰に高く評価して「有難いことだ」と思ってしまいます。しかしそれは、本来は、単なる「当然なすべきこと」だったのではないでしょうか?
例えば、警察の取り調べで、刑事が机をバンバン叩き「この嘘つきやろう!」「卑怯者!」「人間のクズ!」「おまえなんか、死んだ方が世のためだ!」と厳しく取り調べ(?)をした後、別の年配刑事が「まあまあ、それくらいにしておけ。そんなに一方的に怒鳴りつけたら、話す気があっても話せないだろ」などと割って入り、その年配刑事が「君だって、好きでやったわけじゃないことはわかっているんだよ。人間、誰にだって魔が差すことはある。まあ、腹も減ってるだろうから、牛丼でも食って、ちょっと休め」などと親切げにされたら、つい「地獄に仏」に見えてしまい、「この刑事さんの手柄になるのなら、もう俺がやったことにしよう。どうせ誰も俺の言うことになんか耳を傾けてなんかくれないんだから、ここらが妥協点だろう」なんてことになってしまうのではないでしょうか。
> しかし、最終的にはAmazonが嫌なら使わなければいいのだから、見切りをつけたらそうしますし、他の人々にもそうして欲しいと思っています。ユーザーに見放された企業は退場すべきですし、そうなって困ってユーザー対応が改善すれば、それはまた良いのではないでしょうか。
これが、一番いけない考え方だし、相手の思う壺だと存じます。
私のAmazon批判は「損得」だけでやっているわけではございません。だから「結果」すら求めない。
個人的にメリットのないことだから、そんなことは放り出せば良いという考え方も、切羽詰まれば「あり」でしょうが、そういう安易な「逃避的選択」が常習化すれば、その人は「筋が通せない」「筋を通して、負ける覚悟のない」つまりは「負け犬」になってしまい、自分に自信を持てなくなってしまうのではないでしょうか?
「どうせ俺なんて」みたいに、自身を卑下すれば、それはいろんなものに妥協できて、ある意味では大変に楽に生きられるでしょう。しかし、それで失うものも、実はとても大きいのではないでしょうか。
つまり、問題は、Amazonがどうか、どうなるか、ではなく、この私がどうするのか、何を選ぶのか、そこが重要なのだと存じます。
はい、とても貴重なご意見をいただけたと、心から感謝しておりますし、貴兄の誠意を微塵も疑うつもりはございません。
ただ、私がどうして、ここまで個人的には無益に見えることにこだわるのか、それを貴兄にもご理解いただきたいと思ったので、少々批判的に聞こえるであろう厳しい言葉も、ごまかさずに書かせていただいたのでございます。
お謝りいただくことではございませんし、このように、現に貴兄は、非凡に正直で真面目な方だと存じます。
ただ、私のように徹底的に筋を通そうとするような、そうした面での非凡な人間ではなかっただけでございます。
もちろん、私は自慢で自身を「非凡」だと評しているのではございません。私は、非凡であろうとし、それをある程度は実行しているという自負を持つので、状況を説明するために必要な客観的な事実として、そう書くしかないのでございます。
私は、その映画をまだ見ておりませんが、おっしゃりたいことはよくわかります。そして、私もできることならば、そして「柔軟な立場」で済まされるのであれば、そういうものでありたいと思います。
しかし、現実は、それほど甘くはないということを既に知っておりますから、そのあたりでお茶を濁すことは、最前線で体を張って戦ってくれている人の存在を無視することであり、彼らを見殺しにして、所詮は「向こう三軒両隣」の幸せに引きこもることだと感じてしまいます。
つまり、そのように「世界の現実」が見えてしまった人間には、小手先だけで「うまくやれば良い」みたいな考え方は、じつは視野を限定する自己欺瞞でしかない、としか思えないのですね。ですから、自己嫌悪なしには、そんな立場は選べない。だから、選ばないのでございます。
したがって、「無力」ということでは、貴兄も私も同じでございます。ただ、その「無力」という現実を受け入れた上で、それでも自分の選択に、「誇り」を持てるか持てないか、なのでございます。
私が「座右の銘」としてしばしば引用する、大西巨人の「運命の賭け」もまた、そうした覚悟を語ったものなのでございます。
「強弱」とは「力関係における強者か弱者か」、「正邪」とは「論理的に正しいか間違っているか」という意味でございます。
つまり、仮に、力でねじ伏せられることになろうとも、私は「正しいと思うことを正しいと言い続ける覚悟だ」という、これは「人生の賭け」なのでございます。
前にも申しましたが、今回の「Amazonの件」に限らず、どんな話題でも結構でございますから、どうかこれからも、この「アレクセイの花園」に、気楽に書き込みにお出でくださいまし。
心より、お待ちしております。
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https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(08 =Sー5)
「無題」
(Solaris1:2021年 6月29日(火)22時55分57秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 6月29日(火)22時55分57秒
年間読書人様
ご主張は個人的には賛同できないことばかりですが(言論人って面倒くさい生き物ですね、くらいの印象です)、これらは価値観の違いですし、確信してやっておられることのようなので、特に口を挟むものではありません。また、いくつか私への暴言・侮辱ととらえられるようなことも発言されていますが、営利企業は敵だと公言されていますから、そういう立場であれば、そうなのでしょう。
これも確かに年間読書人様から見ればその通りでしょう。しかし私から見ると、「徹底的に筋を通そうとする」というのは単なる固執、自身の間違いを受け入れられない頑固さに結びついているように見えます。
実際、今月の票削除の件について
「ここでの私の推理は「明らかに見当違い」ということはございません。あくまでもそれは、Solaris1さまの技術者としての常識からすれば「ほぼ間違いなく、見当違いであろう」ということでしかない。なぜならば、Amazonが詳細な説明をしていない以上、Amazon以外には「誰にも真相はわからない」からでございます。」
というご認識となってしまっています。確かに実証という点でいえばその通りです。私がAmazonの社員でプログラム仕様とデータを直接確認でもしなければ、確実な真相はわかりません。しかし、もともとの話は、年間読書人様の以下の文言から始まっている話です。そこで質問に仕方を変えましょう。
例えば今回の票の削除が、「「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューを書いているレビューアの場合は総獲得票の10%が失われ、他のレビューアの事例では、1%前後しかない」というような状況証拠となりうるデータ(これこそ客観的なデータです)がありますか? もし何かあるのであれば、ご提示ください。
たったの数票が失われ*1、それについての質問の回答から妄想を膨らまして「証拠である」といつまでも言い募るとは、もはや筋を通そうというより誤りを認めたくなくて頑固に言い張っているように見えます。
*1 私の削除票と比べて少ない、との指摘に、「削除期間中にも投票はあったのだろうから、実際はもっと削除されているに違いない」とのご指摘もありましたが、それをいうのであれば、私の削除票も同様に、実際はもっと削除されている、との同一条件で仮定をしなくては、論理的とは言えません。つまり、私の削除傾向と年間読書人様の削除傾向の単純比較に問題はありません
この件は、そもそも、以下の文言についての話です。
「「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー、言い換えれば、Amazonに不利益になるレビューについては、具体的な説明なしの「利用規約違反」という決めつけだけで、Amazon管理者によって一方的に、レビューが掲載拒否されたり、削除されたりするのである。実際、これは、私の個人的な憶測ではなく、下に示すように証拠がある。」 として、今回の削除の問い合わせへのAmazon社の回答を提示し、その文言にある「この『自動的に』というのが、いかにもあやしい。というのも、仮にAIなどによってレスポンス投稿に「あやしい動き」があるとされても、それが「不正投稿であり、削除などの具体的な対処が、必要か否かの判断」は、当然「人間」がやるはずだからだ。」と進んでいます。
私が申し上げているのは、今回の票の削除はどう考えても、恐らくAmazon社が仕様と削除ログを公開したとしても、「「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー」に関する票の削除には該当ないい、この論旨展開は見当違い、という話です。それとは別に、年間読書人様の結論部分である、Amazona社が特定のレビューを圧迫している可能性については、年間読書人様のご指摘の通り妥当性がある、とお伝えしてます(その背景は以前差し上げた解説文の4項目の内容です)。この部分について見当違い、と申し上げているわけではありません。
もし、上述の状況証拠のようなデータをご提示できるわけではなく、現在の手持ちの情報だけから「今回の票の削除の件(のみの限定で)」をどうしても、「証拠である」とあれこれ理屈をつけて疑うのであれば、それは推理でもなく単なる妄想であり、もう単なる頭の固い頑固者としか思えません。先の米大統領選挙で大規模な不正投票があったと信じる人々と同じカテゴリーに見えます。
なお、技術者からの観点をもう少し書かせていただきますと、
例えば、昨年コロナワクチンの10万円支給では、Webで申請すると役所では、コンピュータの前に人がいて、そこで申請画面を見て、その後手動で書類の処理をしている、という驚くべき事態が発覚しました。実際日本の役所のシステムはこういうものが他にも多いのが実態です。年間読書人様のご返信を読んでいますと、今回の票削除ついても、このような対応を手動でしている、と思ってしまっているのではないか、と思えます。当然そんなことはありません。Amazon社の商品は数億点あると言われています。1商品あたり平均5つのレビューが書かれ、1投票あたり10票獲票していると仮定しても、250億票となりますから、人手で個別のデータをチェックすることはできません。これらを精査して削除するには、プログラムを一本書いて、データベースに対して一括処理を行います。そのプログラムは、投票データに対する複数の(恐らく数十の)検出条件が書かれ、すべてのロジックに該当したデータを削除する、というような内容となっている筈です。こういう処理をしていますので、プログラムコードを公開したところで、実際に年間読書人様個人の、個々の投票の削除状況がわかるわけでもありません。通常このような非常に大規模なデータ更新をする場合は、ログは膨大になりすぎるため適切ではなく、削除前と削除後のデータデースをそっくりコピーしてバックアップをとっておく方法をとります。バックアップ前とバックアップ後のデータベースを比較することで、削除されたデータについてのログを取得することはできます。或いは、バックアップデータベースに、プログラムの条件に年間読書人様のデータだけを検出する、という条件文を一つ追加してプログラムを走らせる、という方法もあります。しかしこのような特別対応をするには、それこそ年間読書人様に訴訟でも起こされない限り、民間企業が問い合わせベースで実施することはまずありません。
私が思うのは、Amazon社がプログラムロジックを公開したところで、年間読書人様は「これでは自分の削除票に関する「真相はわからない」」と主張するのだろうな、と思えます。
ここまでくると、もはや不可知論の世界に近くなりますから、上述したような、状況証拠のデータから攻めることになるものと思います。エビデンスのない単なる推理は妄想と同じですから、そうした状況証拠をお探しになる方が生産的です。
>私のように徹底的に筋を通そうとするような、そうした面での非凡な人間ではなかっただけでございます。
なので、私も筋を通させてもらいたいと思います。
メールの文言ではなく、今回の票の削除が「「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー削除」の証拠であるとの状況証拠のデータを出していただけますか? 他の方の削除数もデータとして使えますし、ネットを検索すれば、情報は得られると思いますよ。もしそうした客観的な証拠があれば私も納得できます。メールの回答文が何かの証拠になるとお考えであれば、もはや、(推理と称する)ご自分の信念や情念、断定や決めつけの方が事実性や論理性を上回っているのだろう、という判断せざるを得ません。この事実性を決めつけが上回る固執ぶりこそ年間読書人様のレビューが信頼できない証拠だ、と見られたら、年間読書人様も不本意だと思うのですが。
ところで、年間読書人様が本当にご立腹で指摘したいことは、「Amazon社が一方的に、理由もなくレビューを削除したりするものである」ということの方なのではないでしょうか?私にとってはこれは自明のことでしたので争点にすらしていませんでしたが、もし上記のことをする証拠として、「今回の投票の削除とそれに関するメールの回答があるのだ」、という論旨展開である、というのであれば、それは見当違いではなく、正しい論旨だと同意します。
もしそうであれば、それは利用規約に記載されています。以下の文言が相当します。
「アマゾンは、いかなる行為またはコンテンツも監視し編集または削除する権利を保有しますが、義務はありません。アマゾンは、お客様または第三者から投稿されたいかなるコンテンツに対しても、責任を負わず、義務が生じることもありません。」
前段で、レビューを削除する権利について記載し、後段で、「責任を負わない」と記載されています。後段は普通に読めば、その内容が誰かを誹謗中傷するコンプライアンス的にアレなものであっても、その責任は投稿者にあるのであって、Amazon社にはない、との意味ですが、事故やトラブル等なんらかの理由で投稿が紛失してしまってもAmazon社は責任を負わない、という意味にも読めます。
もしそうであれば、今回のメールの回答と同じような意味の内容が規約に書かれていることになるため、これは年間読書人様のおしゃっている「証拠」に該当するように思えます。少なくとも今回の票の削除の話よりも、よほど直接的・全般的にAmazon社の姿勢が記載されているものと思う次第です。
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(09 =Aー4)
「理系と文系の判断能力の差?」
(園主:2021年 6月30日(水)23時30分27秒)
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理系と文系の判断能力の差? 投稿者:園主 投稿日:2021年 6月30日(水)23時30分27秒
★ Solaris1さま
今回も忌憚のないご意見をお聞かせくださり、ありがとうございます。
そうでなくては、深い議論はできません。
賛同できないのは、私の立場に賛同すると、今のご自身の立場を恥じなければならないから、ではないでしょうか。今のご自身の立場を反省したくなければ、私の立場に賛同できないのは、理の当然でございましょう。
また『言論人って面倒くさい生き物』と思うのは、貴兄の今の生き方が「自身を誤魔化しながら、要領よく生きる」というものだからでございましょう。
つまり、Amazonのやり方がおかしいと思いながらも、結局は徹底的に主張すべきとことを主張せず「長いものに巻かれる」生き方を自分に許し、しかもその事実を直視したくない、からでございます。
よって、これは単なる「価値観の違い」では済まされない問題でございます。
例えば、貴兄が「本土の日本人」であるとすれば、
・ 沖縄への過重な基地負担をさせても平気
・ 外国人差別をしても平気
・ 犯罪を犯すのも平気
といった「価値観」を持っていたとしても、これは「価値観の違い」では済まされないのと、同じことでございます。
つまり、ここで問われているのは「価値観の中身」であり「貴兄の価値観の中身の是非」であって、単なる「違いますよね」というような話ではございません。
人それぞれで価値観の違いはあって当然ですが、問題は個々の価値観の是非なのでございます。
このようなわけで、私であれ、貴兄であれ、その価値観を「確信してやっておられることのようなので、特に口を挟むものではありません。」では済まないので、このように議論しているのでございますよ。
『いくつか私への暴言・侮辱ととらえられるようなことも発言されています』とのことですが、「どの点について、何を根拠に、どのようなロジックで」そうおっしゃるのかを明記しなければ、それは貴兄のこの物言いの方が『私への暴言・侮辱』となりましょう。
と、これも、いい加減な要約による、私への誹謗でございます。
私は「営利企業は敵だと公言」などしておりません。
私が言っているのは「不適切な契約や、契約違反は許せない(正義に反する)」ということであり、それが「巨大企業」であっても「無名の個人」であっても同じで、弱い者には威張って、強い者にはヘイコラするようなことはしない、とそう申し上げているのでございます。
そして「営利企業」はしばしば「是非善悪」よりも「営利」を優先するものだから、その公式見解を「鵜呑みにはしない」と言っているのでございます。
貴兄が、なぜこのような「非論理的」なことを主張し、私の意見を捻じ曲げてでも否定し、Amazonを擁護するかのようなことをおっしゃるのかと言えば、それは貴兄の場合、Amazonの利用者への対応が「公正」なものではない部分が多々あると感じていながら、それを批判しきれず、実質的な「自主撤退」としての「あきらめ」を選んでしまったからでございます。
つまり、実質的に、Amazonの巨大さに負けてしまった自身の現実を認めたくないから、それをそうではないと思うために、貴兄とは違って徹底的にAmazonを批判し疑惑を追及する私の方を否定することで、ご自分の立場を相対的に「勇退者」的なものにしようとしているのでございます。
私は前回、「負け犬」という言葉を使いましたが、これはきっと貴兄に突き刺さったことでしょう。しかし、なぜ突き刺さったのか?
「負け犬」という言葉の意味は、「戦って負けた敗者」を意味するのではなく、「戦わずして負けた者」のことであり、さらに言えば、そんな自分を「正当化して自他に誤魔化そうとするような人」のことだと申せましょう。
貴兄が、なぜ私に「Amazonのロジック」を教えて、少しでも納得させようとしたのか。
それは、自分はすでに「あきらめて(負けて)しまっている」のに、まだ「あきらめずに戦っている奴」がいて、それがどこかで目障りに感じられたからでしょう。
つまり、ご自分が、Amazonとの戦いで撤退を選んだのは「自分が賢く」、私がAmazonとの戦いから撤退しないのは私が「無知だから」だと考えたかったのでございます。
だからこそ、私に「Amazonのロジック」を教えて、私が「なるほど、それでは仕方ありませんね」と言えば、貴兄が「撤退」したことも正当であったと思えると、そう感じていたからでございましょう。
つまり、貴兄の今回の行動の根源にあるのは、ご自分の「あまり立派とは言えない敗北」からの「観念的自己回復」であり「自己正当化」でございます。
認知心理学の言葉で言えば「自己中心的公正バイアス」。「自分が正しいとしたら、自分と違う人達の方が間違っている」という「認知の歪み」でございます。これは「自分が正しい」という「前提」から、物事を見るという「誤った認知」でございますね。
貴兄の場合で言えば「Amazonへの当然の要求をあきらめた(撤退した)」今のご自分、つまり、以前の「正しさ」からすれば「負けた」「逃げた」と言ってよいであろう「今の自分」を正当化するために、「以前の自分」と同じような「正しさ」を保持している人(私)の方を否認するという、「転倒したロジック」でございます。
貴兄との今回のやりとりでは「ロジック」という言葉が多用されておりますが、しかし、この言葉には、微妙なニュアンスの幅がございます。
つまり「Amazonのシステムが採用しているロジック」などという場合の「ロジック」とは、「是非善悪」には関係のない、純粋な理屈。例えば「基地負担は沖縄に押し付ける」「外国人には十全な人権を認めない」といったものも、ここでいう「ロジック(論理)」でございます。
一方、私が「ロジック」「ロジカル」「論理的」などち言う場合には、単なる「ロジック」が問題ではなく、「社会的に公正なロジック」ということなのでございます。言い換えれば「ただ理屈があれば良いというものではない」ということでございます。
で、貴兄は「Amazonのロジックは、こういうものなのだから、仕方がない」とおっしゃる場合、「Amazonのロジック」の是非善悪を問おうとはせず、「それが事実なんだから、仕方がないじゃないか」という、単なる「現状追認」なのでございます。
しかも、当然のことながら、貴兄だって、何でもかんでも「現状追認」しているわけではなく、今回の場合は、相手が「巨大企業たるAmazon」だから仕方がないと「あきらめ(ムードになっ)」ているのでございます。
言い換えれば、「勝てそうな相手」なら、決してあきらめないで追求したであろう、という「ダブル・スタンダード」なのでございます。
だから「後ろめたい」。だからこそ、自己欺瞞によって「自己を観念的に回復しないでは、いたたまれない」のでございますよ。
○ ○ ○
たぶん、貴兄は、ご自身の知能や経歴に、それなりの自負をお持ちでしょう。それは、一般に当然のことだと私も思います。
しかし、その自負が、Amazon相手では通用しなかったので、抵抗をあきらめた。
それなのに、貴兄のような「理系的知識」を持たない私のような「文系の単なる趣味人」が、貴兄にできない「徹底的抵抗」をしている。これが、貴兄のプライドを傷つける部分があった。素直に「よく頑張っているな、応援します」とは言えない屈折があった。
貴兄が、Amazonの理屈を認めようとしない私に苛立つのは、「背教者」が「殉教者」を憎むような心理と同じだと申せましょう。
また、熱心な「権力の手先」となるのは、もとからの「体制側の人間」ではなく、「反体制側からの転向者」であるというのも、同じ心理でございます。
「自分は裏切り者ではない。正しい方を選んだだけだ。だから、何の後ろめたさもない」と、そう思いたいから「熱心」に、自己の「裏切り」を正当化するための活動に邁進するのでございますね。
たしかに貴兄は「システムの専門家」でございましょう。しかし、ならば私は、貴兄よりもずっと「人間心理の専門家」だと言うこともできます。
「肩書き」などなくても、それは事実ですし、ひけらかさずに隠している「肩書き」を示されてから、途端に恐れ入るような恥ずかしい真似は、貴兄とてしたくはないでしょう? 私とて、そういう恥ずかしいことはしたくないのでございます。私にとって大切なのは「実力」であり「現実」なのでございます。
ここまでの、貴兄の「認知の歪み」についての説明で、残りのご意見に対する「論評」はあまり必要ないかとも思いますが、それではちょっと不親切かも知れませんから、一通りの説明をしておきましょう。
いいえ、「今の貴兄」には『頑固』に見えましょうが、それは「頑固だからだ」ということにしないと、「今の貴兄」の立場がないからで、Amazonの問題点に不満を抱き始めた頃の貴兄であれば、決して「頑固」だとは思わなかったでしょう。
「今の貴兄」は、ご自身を「柔軟」な人間だと思いたいのでしょうが、その柔軟さとは「沖縄に基地を押し付けるのもOK」「外国人差別もOK」という「柔軟さ」であって、「沖縄に基地を押し付けることなどできない」とか「外国人差別など、決して容認できない」といった立場を「頑固」で「うざい」と言う、「ネトウヨ」の立場と大差のない「悪しき柔軟さ」であり「節操のなさ」なのでございます。
まるで「疑惑」を否定する「官僚」の答弁でございますね。
「証拠はありますか?」「そんな怪文書みたいなものについては、コメントしかねる」。
「情報」を押さえている側に立つならば、そういう物言いになるのも当然でございます。
そもその証拠がないから「妄想」だと言えるのであれば「推測」は意味をなさなくなり、「事実究明」も出来なくなります。
要は、情報を隠蔽している側が、徹底的に「情報開示」を拒否しているかぎり、陰で不正をしていても安泰だ。赤木さんが自殺したのも、情報開示がなされないかぎり、「犬死」になるのも仕方がない、というのが「貴兄のロジック」でございますね。
まさに、私が先に指摘した「背教者のロジック」でございます。
どうして、今回の件が、単純に「システム変更だけ」によるものだと言えるのでしょうか? そうして「システム変更」に併せて、個別の作為もなされた可能性はない、と言えるのでしょうか? どこにその証拠があるのでしょう?
私が申しているのは、個別に「削除」や「掲載拒否」がなされている以上、今回の件にも「個別対応」が組み込まれていても、何ら不思議ではない、ということでございます。それは貴兄も、前に、
とお書きのとおり、特に影響力のあるレビューやレビュアーならば、「個別対応」があっても不思議ではないし、それが十分疑われる事例もあるのでございます。
なのに、それが「ない」ということを前提にして考えようとするのは、貴兄が「Amazonの側」に立ってものを見ているからでございます。
大統領選の両陣営は、私とAmazonほど「非対称」ではございませんでしたよね。なにしろ、トランプは前大統領の大金持ちで、支持者も山ほどいた。集めようと思えば、正しい情報をいくらでも集まられたけれど、あえてそれをしなかっただけです。
そんなものと、私個人を同列に扱うのが、貴兄の「平等」感覚でなのございます。
ともあれ、今回の問題以前に蓄積されていた「Amazonを疑うに足る情報」ついては、Amazonの「自己紹介」の方でも、長らく紹介しておりましたとおりで、明らかに「個別的」「例外的」事例はございます。
例えば、私のレビューで繰り返し削除されるものは、
・ 萩尾望都『一度きりの大泉の話』
・ 中川右介『萩尾望都と竹宮惠子』
・ 福永武彦訳『古事記』
・ 高山羽根子『オブジェクタム』
・ 岡本有佳他 編:『あいちトリエンナーレ』
・ 稲垣良典『神とは何か』
・ 高橋昌一郎『20世紀論争史』
・ 志賀直哉『暗夜行路』
・ 斉藤幸平『人新世の「資本論」』
・ 若松英輔、山本芳久『キリスト教講義』
・ 三井誠『ルポ 人は科学が苦手』
・ 善教将大『維新支持の分析』
・ 安田浩一・倉橋耕平『歪む社会』
・ 山崎雅弘『歴史戦と思想戦』
・ ニック・ランド『暗黒の啓蒙書』
・ 金子夏樹『リベラルを潰せ』
・ 望月衣塑子『菅義偉 不都合な官邸会見録』
・ 小林拓己『愛国少女ウヨ子ちゃん』
・ 倉橋 耕平『歴史修正主義とサブカルチャー』
・ 玉川透『強権に「いいね!」を押す若者たち』
・ 門井慶喜『定価のない本』
・ 大塚英志『感情天皇論』
・ 宏洋『幸福の科学との訣別』
・ 将基面貴巳『愛国の構造』
・ 永江朗『私は本屋が好きでした』
・ 将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』
・ 日野行介『除染と国家』
などがございます。
萩尾望都の『一度きりの大泉の話』のように、今も毎日のように削除されるものもあれば、最近は削除されなくなったものもございます。これまでに、90回近く削除されたものもございます。
しかし、これらについては、削除されても、「補記」を付け加えるなどして上で、また投稿ページから同じ内容を投稿すれば、そのまま再反映され、投稿日は新しくなるものの、「役に立った」数は、削除前のものが引き継がれます。
ところが、こうした一般的な「よく削除されるレビュー」とは違うものとして、
・先崎彰容『バッシング論』
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2533)
・物江潤『ネトウヨとパヨク』
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2515)
・谷本真由美『世界でバカにされる日本人』
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2418)
・津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2522)
・新海誠 監督『天気の子』(および『小説 天気の子』)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/2615)
の5本がございます。
この5本は、いったん反映された後、何度かの削除の後、「再投稿しても、二度と反映されなくなった」レビューでございます。
これらは、再投稿の後に「レビューをご投稿くださりありがとうございます。このレビューは採用できませんでした。ガイドラインをご確認ください」という趣旨のメールが返ってきたものもあれば、何の「説明」もないままにものもあり、いずれにしろ「二度と反映されなくなった」のでございます。
しかし、問題は「説明の有無」ではございません。
私のレビューは、かなり徹底的に作品や作者を批判したレビューも多々ありますし、他のレビュアーに言及しているものもありますから、それがガイドラインに抵触すると解し得る場合も、たしかにあるのでございます。
しかし、問題なのは、そういうレビューというのは、何もこの5本だけではなく、先にご紹介した「27本の、よく削除されるが、再アップが可能なレビュー」でも、「削除されたことのないレビュー」でも同様だ、という点でございます。
つまり、「ガイドライン違反」だから「二度とアップ出来なくした」というのであれば、この5本に限られる必要はない。他の27本もそうなっていれば「そのような基準において、一貫した方針したがってに削除したのだな」と、納得はできなくても、行為の一貫性としては理解できます。
ところが、現実に「二度とアップ出来なくされたレビュー」は、削除されるものの一部なのですから、これは「特別扱いにした理由」があると考えるのが、至当でございましょう。(つまり、27本を削除したのは、管理者通報などからの自動的な対応である蓋然性が高いが、5本についてはAmazonの主体的な個別対応としか考えられない)
そう考えた場合、『バッシング論』の先崎彰容は、日本大学の危機管理学部教授であり、危機管理学部は、安倍政権になってからできた比較的新しい学部で、警察官僚の天下り先になっており、権力との癒着の受け皿ある。しかも、危険タックル問題で話題になった、同大学理事長の田中英壽は、大学生時代は、全共闘潰しの右派体育会系武闘派学生だった人で、暴力団との付き合いもある人物。さらに、この『バッシング論』は、要は「首相批判」を牽制する内容だったのでございます。
で、私のレビューは、著者が同書の著者紹介では明かしていなかった、著者のこうした背景を指摘して、その糊塗された意図を指摘するものでございました。
『ネトウヨとパヨク』の物江潤は「松下政経塾」出身者であり、当然のことながら、この組織の性格は、左よりは右に傾いています。また、同書は「ネトウヨとパヨクは、どっちもどっち」とするものであり、結果として政治的傍観主義を奨めるものとなっているのでございます。これが何を意味するのか。詳しくは、前記のリンクからレビュー本文をご確認ください。
ちなみに、『バッシング論』『ネトウヨとパヨク』は、近年、表看板だった文芸書が売れなくなって右傾化したと、もっぱらの評判であった「新潮社」からの刊行でございます。
ネトウヨ化した新潮社といえば、杉田水脈の「LTBGは生産性がない」論文で、廃刊になった、あの『新潮45』の新潮社でございます。
谷本真由美『世界でバカにされる日本人』については、私は同書を褒めて、いつものようにネトウヨを批判しておりますが、これがなぜか、二度とアップ出来なくなった。
津原泰水の『ヒッキーヒッキーシェイク』も褒めレビューでございますが、この本は、もともとは幻冬舎で単行本を刊行し、文庫本の刊行準備が進められていたのに、津原が安倍政権批判をした途端、文庫化の話が潰されて大騒ぎになり、多くの作家が「もう幻冬舎では書かない」と批判した結果、社主の見城徹が公式に謝罪し、文庫は早川書房から刊行されたという、曰く付きの本。
当然、見城徹は、安倍晋三首相の取り巻きの一人として、知られた人物でございますし、レビューは、この辺りにも触れております。
最後の、新海誠監督『天気の子』については、今のところ「政治的背景」は見当たりません。
しかし、この作品が「ドル箱」作品であったのに、私のレビューは、この作品を、根拠を示して徹底的に批判したものでしたから「スポンサーから注文がついたんだろう」と容易に推測できるものでもございました。
ちなみに、このレビューは、映画公開後すぐに鑑賞して書いたもので、当時はDVDがまだ出ておりませんでしたが、新海本人によるノベライズが角川文庫から出ておりましたので、私は細かいセリフなどをチェックするためにも、その文庫を読み、まずは文庫本のレビューとしてアップし、それはDVDが発売されるまでの約1年間は、一度も削除されることなく反映されていたのでございます。ところが、同じものをDVDのレビューとしてアップして数日でレビューは削除され、またしばらくしてから文庫本のレビューも削除されてしまい、どちらも二度とアップできないようブロックされた、という次第でございます。
このように「削除された後、二度とアップ出来なくなった」レビューの対象作品には、「政治的背景」「大きな営業的背景」の窺われるものが多く、単に「ネトウヨ批判」「保守派批判」といった一般則だけでは、この例外的なシステム的対応(個別的な投稿ブロック)は説明できず、これは「個別案件」以外の何物でもないのでございます。
私の場合には、このような、具体的な「事例」が、現にあるのでございますが、貴兄には、このような「事例」があったのでしょうか?
また、そもそも、削除された場合に「再アップを試みる」などの抵抗をなさったことがおありなのでしょうか?
○ ○ ○
上にご紹介した「例外的取り扱いの、5本のレビュー」という事実からして、この「一般的事例」での説明は、妥当ではありませんし、いくら「文系」の私でも、Amazonが、それほど暇とも、人海戦術をするとも思ってはおりません。
実際、レビュアーが10万人いたとしても、私のようなことをやっているのは、せいぜい10人ほどいればいいところでしょう。また、抵抗を試みていた人でも、Amazonのこうした扱いに耐えかねて、利用をやめて去ってしまった人も多いでしょうから、今、残っているのは、もっと少ないかもしれません。
言うまでもないことですが、私のような「徹底抗戦」は「例外中の例外」であり、個別対応しても、それほどの労力は必要ないのですよ。たったの数人のたった数本のレビューについてなら、狙い撃ちでの「例外的扱い」も十分に可能なのでございますし、だからこそ、私も疑うのでございます。
プログラムロジックでは説明できない、「個別対応」についての説明もないかぎり、納得しないのは当然でしょう。
貴兄のおっしゃっているのは、肝心なところは黒塗りにした、形ばかりの情報開示で納得しろという、情報隠蔽側のロジックでございます。
私は『「「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー削除」の証拠であるとの状況証拠のデータを出して』おりましたが、貴兄がご存じなかったので、再度、説明させていただきました。
せっかくですから、上に示した「アレクセイの花園」へ転載したレビュー自体もお読みください。それらが、私の「平常運転」であることもご理解いただけるでしょう。
ともあれ、私のレビューを読まないで、それが信用できるとかできないとかといった議論が可能だと考えること自体が、臆見に毒された発想であり、おかしいのではないでしょうか。
○ ○ ○
しかしまた、逆に、貴兄の方こそ、未知の情報が与えられたからといって、本当に納得してくださるでしょうか?
最初に書きました通り、貴兄が納得できない理由は、情報不足であるよりも、むしろ「自己中心的公正バイアス」のせいだと、私は見ております。
貴兄は「理系」的知性に自負を持ち、多分、文系より客観的、データ的に判断できると自負なさっているのではないでしょうか? これは理系によくある勘違いでございます。
ご存知のとおり「マンハッタン計画」に参加して、原爆をつくり、多くの人を死に至らしめ、後で間違っていたと反省したのは、世界最高クラスの「理系脳」の持ち主たちでした。そんな彼らさえ、「人間らしく」判断を間違えたのでございます。そして、その誤りに「知的慢心」があったのは、間違いないでしょう。
ともあれ、こうした例が意味するのは、「理系的」学力や知識があっても、判断するときは「人間的に、個人的な認知バイアスが働く」のだという当たり前の事実であり、なまじ「理系は論理実証的だなどという、単なる一般論」で、自身を理解していると、かえって「人間的に誤る」ということでございます。
これは明らかに違いますね。上に書いた「二つのロジック」の問題でございます。
Amazonは『理由もなくレビューを削除した』のではなく「正当な理由もなくレビューを削除した」のでございます。Amazonには、私のレビューを削除したい「理由」ならいくらでもあるでしょう。しかし、それは「公言できない理由」であり「不当な理由」だからこそ、公言しないのだろう、隠すのだろう、だがそれは不正だ、ということでございます。
そういう意味でしょうね、普通に読めば。
Amazonは、それくらい臆面もないのでございますよ、普通に理解すれば。
まったくそのとおりでござましょう。そう思わないほうが、認知的に歪んでいるのです。
どうして、こうしたAmazonの文章を知っていながら、システムの部分でのインチキや、個別操作があった可能性を疑わないのでしょうか。
Amazonとしては、最初に「権利は全部こっちでいただきますよ、それを承認できなければ、利用しないでください。あなたの著作権も認めません。一般法に保証されている権利でも、ここでは認めません。嫌なら利用しないでください。後で文句を言わないでください。文句のある人は、さっさと出て行ってください」ということを言っているのでございます。
で、これで多くの人は黙り込んでしまう。「よく読んでいなかったけど、いちおう約束したからな」とか「スラップ裁判は怖い」とか。
しかし、これは前回も書いたとおり「不当な契約」でございます。
例えて言うなら「法定外の暴利をむさぼるサラ金の契約書」みたいなもの。だから、守る必要などない。
もちろん、Amazonとしても、そのように公然と尻をまくる人が例外的に出てくれば、それは「例外的に、柔軟に対応する」でしょう。しかし、泣き寝入りする弱者からは、絞れるだけ絞る。
お示しの文章が示しているのは、Amazonの、そんな「世界的営利企業」らしい「非情な駆け引き」であり「裏表」だと存じます。
無論、Amazon側が「そうではない」というのであれば、法廷に出なくても、その証拠をきちんと開示せよ、ということでございますね。
しかし、大方の人が泣き寝入りし、被害者が増えることを黙認する以上、非情な営利企業が、その御都合主義的な態度を改めることなど、金輪際ないでしょう。
だから、貴兄と同様、多くの人は「身の程を知らされて、あきらめる」。でも、それは、繰り返しますが、さらに犠牲者が出ることを「黙認する」ということでもあるのでございます
前回ご紹介した「沖縄人のデモがヘイトの罵声を浴びているのを、平気で無視して通り過ぎた銀座の人々」や「沖縄の記者が無視されているのを、平気で無視した本土の記者クラブ記者たち」と同様に。
遅すぎても、立ち上がっただけ、彼は立派だった。
多くの人は、最後まで立ち上がらず、むしろ立ち上がった人たちを「傍迷惑なスタンドプレイヤー」くらいに謗って、権力に迎合する自己を、正当化したりしていたのではないでしょうか?
ご感想をお待ちしております。
.
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(10 =Sー6)
「無題」
(Solaris1:2021年 7月 1日(木)20時07分41秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 7月 1日(木)20時07分41秒
>そうでなくては、深い議論はできません。
申し訳ありませんが、私はあなたと深い議論をする気はありません。深いと称するあなたの主観に満ちた議論に引き込んで何か私の考えを変えさせることができる、或いは論駁できる、と考えているとするのなら、誤りです。
今回の件は、徹頭徹尾、年間読書人様の6/18日の投稿の以下の部分です。
-------------------------引用開始------------------------------
-------------------------引用終了------------------------------
年間読書人様の論旨展開は、
1.Amazonが気に入らないレビューを勝手に削除する証拠を見つけた
「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー、言い換えれば、Amazonに不利益になるレビューについては(略)Amazon管理者によって一方的に、レビューが掲載拒否されたり、削除されたりするのである。 → その証拠がある → 6/2-13日の削除に関する回答がその証拠だ
というものと、
2.自動処理ではなく、人間がやっている筈だ(以下の部分)
「しかし、この『自動的に』というのが、いかにもあやしい。
というのも、仮にAIなどによってレスポンス投稿に「あやしい動き」があるとされても、それが「不正投稿であり、削除などの具体的な対処が、必要か否かの判断」は、当然「人間」がやるはずだからだ。」」の二点です。
私が6/20日にお送りした回答文の要点は、
1.については、
①「政治的有力者」や「商業的有力者」が嫌がるようなレビューや、そうした人たちからクレームのつくレビュー、言い換えれば、Amazonに不利益になるレビューについては(略)Amazon管理者によって一方的に、レビューが掲載拒否されたり、削除されたりするのである。 → これはその通りである。
② ただし、6/2-13日の削除の件はまず間違いなく関係がない。メールの回答も6/2-13日の票の削除という個別の事態への回答というものなので、レビューの削除とは関係がない。
という点です。①については当初から同意していますので、昨夜の年間読書人様の投稿の「レビューで繰り返し削除されるものは」以下「削除された場合に「再アップを試みる」などの抵抗をなさったことがおありなのでしょうか?」までの部分は、直接関係ないので読んでません。私は恣意的な個別の削除がないなどとは一度もいっておりません。恣意的な削除の件は同意しているのに、どうして延々とこれらの話を記載してくるのか理解に苦しみます。もはや私がお送りした文書をまともに読んでいないのではないかと疑われます。
それともこの人(年間読書人のこと。以下同文)は、削除されたレビューの方でも私に協力して欲しいと思っているのだろうか? などとまで思えてしまいます。6/2-13日の票の削除とレビュー削除の件を分けて考えらることができない方とは、それもいくら説明を試みてもわからないような方とは協力のしようもありません。
かなりシンプルな理屈なのに年間読書人様の頭にどうしても入っていかないらしいのが不思議です。その背景として考えられるのは、年間読書人様が私に対して決めつけれおられる、以下の内容が、年間読書人様ご自身のことだからではないかと思われます。
>だからこそ、自己欺瞞によって「自己を観念的に回復しないでは、いたたまれない」のでございますよ。
これには吹き出してしまいました。こういう人にどう思われても何も思いません。
本日は、6/2-13日の間に失われた年間読書人様の票数のうち、プロフィール票にに現れなかった削除数を推定してみましたのでその結果をお伝えしようと思っていたのですが、ここまで酷いとは思っていませんでしたので、取りやめにします(基本的には数票程度の上澄みにしかなりませんでしたが)。
それにしても・・・突っ込みどころが多すぎます。
6/2-13日の削除の件だけの話をしているのに、それがご自身自体が否定されていると思い込んでいるのだから、もうお手上げとしかいいようがありません。
いや、まったく刺さってません。そんな文言があったことも忘れてまして、今検索しました。
米国外資系でアマゾン社と同じような業務に携わっているだけだから、戦うもなにも自社で革命でも起こせというのでしょうか?同様な業態の社員なので抵抗というより、寧ろこうした規約や削除プログラムの仕様を決めたりしている方なのですが、なぜその私が抵抗をしなくはならないのが、抵抗とやらをあきらめなくてはならないのか、意味不明です(社や業界のやり方に不満がない、という意味ではありませんよ)。
撤退しなさい、とは一度もいっておりませんよ。ただ、6/2-13日の削除の件の認識は違います、といっているのです。それをいつまでも認めないのは、その点についてだけ、「無知だから」だとは思います。
6/2-13日の件については仕方がないと思いますよ。レビュー削除の件は一度も仕方がないとは言ってません。
何度も申し上げますが、レビュー削除の方の話はしていません。仮に「一緒に実施された」としても、「票の削除及びそれに関する問い合わせのメール回答がその証拠である」、という因果関係にはなりません。メールの回答も票の削除の話への回答だけとなっています。これがどうしてレビュー削除の話までしている、と読めるのか、理解に苦しみます。仮にメールの内容についてAmazon社に再度問い合わせをしたとしても、このメールの回答がレビュー削除の話まで及んでると知れば困惑するでしょうね。また、今回は、「システム変更」ではなく、削除プログラムを走らせただけ、のことです。
この人が自分を特別視している記述は多数出てきますね・・・
どうやら「理系」にコプレックスを持っているらしい・・・ 私にはここでも「理系」の定義がよくわからないのですが。大学で理系学部に進学した人のことをいっているのでしょうか。そういう区分自体、特定の時代的なものを感じます。こういう決めつけをしてしまうところが、この人の世界が狭いというかなんというか・・・・ 仕事はコンピュータです、と自己紹介するだけで怖がる年代の人がいて、彼らの一部には、逆に理系などおよびもしない文系の凄さ、みたいなものをアピールしてくる人もいたりするわけですが、この人にも同じ感触を感じます。
なんどもいうように、今回の6/2-13のようなプログラムの実施と、個別操作はまったく別の、質的にも内容的にも異質な話だからで、システム運用する側からすれば一緒にやろうとするという発想自体がありえません。社員の一部がどさくさに紛れて何かを仕込む可能性はゼロではありませんが、もしそういうことがあったとしても、今回のアマゾン社の回答メールはなんの証拠にもなりません。これがどうしてわからないのか。
まあしかし、ここまで酷いと、突っ込みを入れる娯楽になってきました。
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(※ Amazonからの「警告メール」)
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(11 =Aー5)
「恣意的な「情報の限定」は、何を意味するか?」
(園主:2021年 7月 2日(金)08時35分55秒)
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恣意的な「情報の限定」は、何を意味するか? 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 2日(金)08時35分55秒
★ Solaris1さま
早速のお返事、ありがとうございます。
いいえ、人の「誤った考え」を変えることが容易ないことくらいは、私も「ネトウヨ」や「信仰者」といった「盲信・依存の徒」と何度も議論して、貴兄よりはずいぶん経験豊富でございますから、当然、理解しておりますよ。
自身の誤りを、他人から論理的に指摘されても、たいがい人は素直に認めない、というのは、何しろそれが、本人のアイデンティティに関わることだからでございます。それ認めたら、自分が信じていた「美しい自己像」を、引き下げる方へ改訂しなければならなくなるからでございます。
○ ○ ○
さて、今回、貴兄がおっしゃりたいのは、
(1)自分が話題にしているのは、Amazonカスタマーレビューにおける6月初旬の「役に立った」数の変動の問題(6月問題)である。
(2)Amazonが、恣意的にレビューを削除するという事実は、別の話題として承認している。
(3)6月問題は、あくまでも「システム的な問題」であって、(2)の、恣意的かつ個別的な削除の問題とは、無関係だ。
(4)(2)については自分も認めているのだから、(1)の問題に(2)を絡めてくるな。そんな話はしていない。
というようなことでございますね。
といった部分が、それでございますね。
しかし、私が最初に、Amazonがその「返信メール」で、機械的(システム的)な対応を強調しているところが「いかにもあやしい」と書いたのは、6月問題に機械的な対応が絡んでいない、という意味ではない、というのは当然のことございます。
私の指摘は「それ(システム的対応)がすべてではないだろう」「意図的に、すべてをシステム的判断の結果ということにして、責任逃れをしているだろう」という意味であり、こうした意味であるというのは自明なことだと存じます。
なにしろ、私だけを狙い撃ちにするのなら、理由をつけてレビューを削除することはできても、「役に立った」数を減らすことはできない。なぜならば、「役に立った」数の行為主体は、私ではなく、レスポンスをした人だからでございます。つまり、「役に立った」への対応は、おのずと「システム的」なものにならざるを得ない。
したがって、それを承知している私は、システム的な問題が「すべてではなく」、それに併せて(紛れて)「個人攻撃」をしたのではないか、という「推理」を、初めからしているわけでございます。
それは、前回示しました「削除されたまま、二度と再アップできなくなった、5本のレビュー」という、個人攻撃の証拠が、過去にあるからでございます。
ところが今回、貴兄は、私の判断の基礎情報となるこの部分の説明を、「関係ない」として無視しております。
しかし、この「5本のレビューの問題」を基礎として、私は「6月問題」について、Amazonに対し疑義を呈しているのですから、貴兄が、私の判断に疑義を呈するのであれば、当然、私の判断材料に含まれる「5本のレビューの問題」は無視できない。
もちろん、「5本のレビューの問題」のことを貴兄が知らなかったために、私が「6月問題」だけを見て「システムの問題ではない」と判断したのだと思い込み「その判断には無理がある。あれはどう見たって、システム的な対応の結果だ」とおっしゃった、と言うのであれば、まだわかります。
しかし、貴兄は、私が前回、「27本の削除されたレビュー」と、それ以外の「5本のレビュー」の問題をご説明しても、今回「それは関係ない」として、はっきりと無視しておられます。
しかも、貴兄は、ご自分の体験と、私の体験を同等に扱っておられますが、それらは明らかに質が違う。
貴兄は、何か不満があっても、問い合わせをして、すこし説明をされたら、それで満足して「まあいいか」と「柔軟の引き下がってきた」方ですから、Amazonにマークされるほど、目立つ存在ではございません。
まさにこの点が、「徹底抗戦」している私とは「格が違う」のでございます。
そんなわけで私は前回、貴兄が、私のように徹底的にやったという経験を持った上で言っているのかと確認したのですが、貴兄は、そうしたことをやっていないからこそ、その点についてもスルーしたのでございます。
要するにこれは、私のように徹底してやった結果、Amazonから「目をつけられて、個別攻撃」をされたといった経験のない貴兄が、その「ごく平凡な経験」の範囲だけで、私の「特異な経験」に基づく「推理」を誤って判断していた、ということが明らかなるので、「5本のレビュー」の問題には触れたくないのでございます。
その「違い」の部分まで認め、含めてしまったら、ご自分の判断の「早とちり」を、認めなければならなくなるからでございますよ。
つまり、今や貴兄は、子供のように意地になって、ご自分の主張を押し通そうとしておられるだけなのでございます。
しかし、このように、恣意的に「情報を限定」したのでは、その狙いはバレバレでございましょう。
私が、改めて、「5本のレビュー」の問題をご紹介した以上、貴兄の、
(1)自分が話題にしているのは、Amazonカスタマーレビューにおける6月初旬の「役に立った」数の変動の問題(6月問題)である。
(2)Amazonが、恣意的にレビューを削除するという事実は、別の話題として承認している。
(3)6月問題は、あくまでも「システム的な問題」であって、(2)の、恣意的かつ個別的な削除の問題とは、無関係だ。
(4)(2)については自分も認めているのだから、(1)の問題に(2)を絡めてくるな。そんな話はしていない。
という理屈(ロジック)は、もはや完全に「ご都合主義の強弁」にしかならないのでございます。
○ ○ ○
ちなみに、私について、
という「事実」について、
と、皮肉めいた「揶揄」をしておられますが、
上に書いたことは「事実」なのですから、仕方ございません。
つまり、貴兄が「海外でシステムエンジニアをしている」ということ以外には、特にこれというものを持たない「凡庸」な方であるために、私の「非凡」な行動力を妬んだとて、私の非凡な行動力自体は、事実として否定できないのでございます。
じっさい貴兄は、私よりもずっと長くAmazonレビューを利用し、Amazonの不適切な対応も経験してこられた方ですが、しかし、私のように徹底的にAmazonに注文をつけている人を、他に何人知っておられますか?
おおぜい知ってるとおっしゃるのであれば、具体的にその名を挙げてごらんなさい。
そんな人は、ほとんどいないからこそ、具体的には挙げられないはずでございます。
無論、貴兄の今回のような幼稚な憎まれ口は、前回も指摘しましたとおり、貴兄が「敗走」した人だからでございます。
「多くの人と同様」に、つまり「人並み=凡庸」に、Amazonに押し切られた人だから、押し切られない「非凡」な人の非凡性を、素直に認められないのでございます。
外国で仕事をしているシステムエンジニアの人がどれくらいいるのか知りませんが、特別に「非凡」というほどの少人数ではないでしょう?
その意味で、貴兄が「海外で仕事をしているシステムエンジニア」だとしても、それだけでは、別にどうということはなく、ただ、私を含む「普通の人(専門家ではない人)」よりは「システム」については詳しい、というだけの話で、「経営」に詳しいわけでもなければ、「人間」に詳しいわけでもございません。
しかし、Amazonの活動というのは、単に「システム」だけで、自動的に動いているわけではございません。
システムの背後には、必ず「営利目的を持つ人間の恣意」が働いているのですから、それをすべて「システム」の問題に「切り詰めて考える」のは、「システム」のことしか語れない貴兄の、自己正当化のための「ご都合主義」でしかないのでございます。
「システム」に話題を限定すれば、ご自分が「圧倒的に有利」だという姑息な計算に立って、貴兄は恣意的に「話題を限定」しようとする。
しかし、これはAmazonが「すべてはシステム的な対応だ」と説明したがるのと同じ、人間の部分での「責任回避」の強弁でしかないのでございます。
私が「理系人間の陥りがちな自己誤認」について指摘すると、貴兄はそれを、文系である私の「理系コンプレックスだろう」と反論する。
しかし、これは「反論」ではなく、子供の「言い返し」レベルの、単なる憎まれ口に過ぎません。
私が何万人に一人かの行動をしているのは事実であり、その意味で「非凡な行動」であるというのは、否定できない事実でございます。
また「理系人間の陥りがちな自己誤認」というのも「一般論」として否定し難い「事実」であり、その実例は枚挙にいとまがございません。
しかし、私が「理系コンプレックス」の持ち主であるというのは、「一般論」ではなく、私個人についての個別論なのですから、貴兄は、その証拠を示さなければ、それを単なる「負け惜しみの憎まれ口」と言われても仕方ないことなのでございます。
今回、貴兄は、
と「開き直って」おられますが、貴兄が最初に書き込みをされた時には、
と、ご自分の「過去」ログを示して、ご自身が「エンジニアではあるけれども、決してAmazonにべったりの人間ではなく、むしろ批判もしてきた人間」だ、ということ強調しておられました。
つまり、自分は「中立」であり、「システム管理者側の人間ではない」ので、だから自分の「中立的な意見」に耳を傾けてみないか、と提案なさっていたのでございます。
それに、中立的な「トラブル・シューター」だとも、自称なさっていましたよね。
ところが、私に「Amazon」からの「敗走」の事実を指摘されると、それを認めたくないものだから「Amazonのシステム的対応の正当化」を語り始め、とうとう、自分は元から「システム側の人間」だと開き直ってしまわれた。
しかし、人間は、単純にどっち側の人間というわけでもないからこそ、矛盾に引き裂かれもするのですが、貴兄はそうしたご自身の現実に耐えることができないので、「システム側」の人間であることに開き直ってしまったのでございます。
それは「沖縄に基地を任せて何が悪い。それだけの金は払っているだろう」とか「在日特権を非難して何が悪い」などと言っているような人たちと、まったく同じでございます。
彼らは、自分に都合よく「沖縄に対する歴史的差別」や「朝鮮半島に対する侵略の歴史」といった事実を「関係ない」と無視して、話を恣意的に限定し、その上で「金で済んでいる問題だ」「平等に扱え」などと言っているのでございますね。
それはちょうど、貴兄が「不都合な事実」には触れないよう「恣意的に話題を限定する」のと、まったく同じことなのでございますよ。
○ ○ ○
ともあれ、「負け犬」は、むやみに強がってみせますが、それが「傷ついた自分」を見抜かれないための「わかりやすい強がり」だというのは、多くの人の目に明らかでございましょう。
他人は、貴兄が期待するようには、都合よく見てくれませんし、なにしろ、ここでは「ログ」は残ってしまうのですから、よくある「余裕ぶったお芝居」をするにしろ、そんな勢いだけの「強がり」では、保たないだと存じます。
まあ、今は反省できなくても、今回の私の指摘は、貴兄の胸にずっと残って、貴兄がご自分なりに反省なさらないかぎり、貴兄を責め苛み続けることでございましょう。それが、言葉の「呪」というものでございます。
私としては、今ここで反省していただけないのは残念でございますが、貴兄が、嫌々ながらでも、徐々に反省せずにはいられない「種」を植え付けただけで、満足でございます。
いつか、私の知らないところで「反省」なさるも良し、生涯「意地」を張って反省せず、自己正当化のために、他者を無視する、意固地で凡庸な人間として生き続けるのも、それは貴兄の選択であり、責任でしかないのでございます。
山のように存在するシステムエンジニア(SE)としては、「海外で仕事をしている」とわざわざ「自称」することでしかご自分の特別化をはかれず、せめて「Amazonのレビュアーランキング」でご自分を特別性を客観的に示そうと、あれこれ「ランクアップ対策」を考えることしかできなかった貴兄は、残念ながら客観的には、特別になりたかった「平凡」な人だ、ということにしかならないのでございましょう。
またの、ご感想をお待ちしております。
.
https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(12 =Aー6)
「ユダの〈駆け込み訴え〉」
(園主:2021年 7月 2日(金)15時40分1秒)
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ユダの〈駆け込み訴え〉 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 2日(金)15時40分1秒
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「海外でシステムエンジニア」をなさっているという「Solaris1」さまと、ここまで五往復ほどやりとりをさせていただきましたが、その中で「Solaris1」さまが、とうとう「自分は、システム管理者側の人間だ」と開き直ってしまわれた途端、Amazonから、次のようなメールが届きました。
はたしてこれは「偶然」なのでしょうか?
このメールは、私が前回の投稿「恣意的な「情報の限定」は、何を意味するのか?」(2021.07.02.am 08:35)をアップした後に気づいたものですが、タイミングとしては、私の前々回の投稿「理系と文系の判断能力の差?」(2021.06.30.pm 11:30)がアップされ、「Solaris1」さまが、私の「27本の、削除されるが、再投稿でアップできるレビュー」と「5本の、削除されたまま、再アップできないレビュー」の存在をハッキリと知らされた後だと申せましょう。
その前の書き込みで、私が、Amazonの恣意的かつ個別的な削除を疑う、その根拠の「証拠を示せ」と、しきりにおっしゃってましたからね。
ともあれ、どのレビューが、どのように問題なのか、その具体的な説明が無いのは、いつものAmazonでございますが、匿名者の「通報」を受けて、いよいよ私の排除に乗り出す準備を始めたようでございます。
また私の方も、それを事前に感じていたからこそ、「note」を始めたわけで、やるならやれよ、というところでございます。
それにしても、このメールの到着のタイミングを「偶然」だと言うのは、たぶん、第一容疑者である「Solaris1」さまくらいでございましょうね。
これは、自分の期待どおりに評価してもらえず、不満と妬みを抱えていた者が、各地に伏在している反体制派メンバーのリストを手に入れたので、これ幸いと権力側に寝返り、そのリストを手土産として、権力側に「通報」した、そんな「駆け込み訴え」とでも呼ぶべき行いなのではないでしょうか。
理系の「Solaris1」さまは知らないかも知れませんが、聖書には、似たようなエピソードがございます。
イエスに期待どおりに高く評価してもらえなかった、「十二使徒」の一人であったユダは、その不満と仲間への嫉妬から、イエスを官憲に売り渡しました。
そのせいで、イエスは十字架に掛かって死にましたが、では、ユダの方はどうなったのか?
彼は、イエスを売り渡した対価として、官憲側から「銀貨30枚」を渡されたのですが、そのあと、自分のしたことの愚かさに責め苛まれながら、死ぬことになります。
聖書に描かれた「ユダの死」は、2種類ごさいまして、一つは「マタイ福音書」が描く「首をくくって自殺した」というもの。
もう一方の「使徒言行録」では、ユダは裏切りで得た金で買った土地に真っ逆様に落ちて、内臓がすべて飛び出して死んだ、ということになっており、いずれにしろ、罪を背負って「非業の死」を遂げたのだと申せましょう。
その一方、ユダの讒言によって官憲に捕らえられ、十字架の上で死んだイエスは、どうであったか。
彼は、十字架の上で死んだからこそ、「預言者」の一人ではなく、その死後に「キリスト(救世主)である主(神)」だと考えられるようになったのでございます。
そんなイエスは、彼を十字架につけ、犯罪者呼ばわりする、人びとについて、どう言ったのでしょうか。
そして、福音書は、こう続きます。
.ユダは、こうしたイエスの処刑を見ることもなく、独りで死んでいったようでございます。
イエスは、彼を裏切ったユダも、彼を謗った無知の人びとも、みんな「自分が何をしているのか、知らないでやっているのだから、許してやって欲しい」と父なる神に訴えましたが、ユダは、その言葉を聞く前に死んでしまいました。
「Solaris1」さまが、Amazonへの「駆け込み訴え」をなさった、証拠はない。
「証拠はないだろう。それなら、それは推理ではなく妄想だ」というのが、「Solaris1のロジック」なのでしょうが、それで逃げおおせたつもりでも、自分の心だけは誤魔化せないのが、人間というものなのでございます。
憐れまれるべきは、「承認欲求」に捉われ、妬みによって、人の子を権力に売り渡した、ユダその人なのでございますよ。
「銀貨30枚」で、Amazonレビュアーの順位でも買う、おつもりなのでございましょうか?
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https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(13 =Sー7)
「無題」
(Solaris1:2021年 7月 2日(金)21時03分0秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 7月 2日(金)21時03分0秒
最新のご返信について
「海外でコールセンター業務をしていた」が正しい引用です。過去の話です。当時はマネージャーでしたのでシステムエンジニアでもありません。どうもこの方は、先入観で断定してしまうことが大変多いように思えます。米国西海岸系IT企業という話は、最初にお送りした解説文でもしている筈ですが、どうも年間読書人という人はきちんと読んでいないようです。
そうですね。驚くべき偶然です。しかしあのようなNoteがアマゾン社に発見され(それだけでは問題にならないかも知れませんが、逆に問題となる可能性もあり)、対応される可能性がある内容であるため、Noteの掲載をされてから一定期間を経たタイミングで何か対処がなされる可能性は(低いけれども)ある、と見ていました。
そもそも当初私が年間読書人様にアドバイスをしようと考えたのは、このNoteの内容の論旨展開に無理がある、撃つなら無駄玉を打たずに核心部に打たなければ駄目です、という趣旨のものでした。年間読書人様の活動を否定するとか妨害する、という意図はまたっくなく、寧ろ、こうした業種の大企業とのやり取りではそれなりのやり方があるので、うまくやりましょう、との、応援する意図だったのです。
しかしどうにもNoteの内容を、たとえ一部でも否定されることが我慢ならないらしい年間読書人様の膨大な言い訳に振り回されているうちに日数(約10日)経ってしまった、というものです。10日間もあれば(それでもなかなか絶妙なタイミングですが)、Amazon社が何かしらの対応をしてきてもおかしくはない、とは思います。ただ、まあ、このタイミングだと、私が直接の関係者でないと、いくら言い張っても、難しくなってしまった、というのはその通りです。
年間読書人様の想像力豊かな妄想を駆使したレビュー文学という、変わったジャンルを確立されているように見える年間読書人様の描く独自世界に登場するSolaris1の物語に、「自分の期待どおりに評価してもらえず、不満と妬みを抱えていた者が、各地に伏在している反体制派メンバーのリストを手に入れたので、これ幸いと権力側に寝返り、そのリストを手土産として、権力側に「通報」した、そんな「駆け込み訴え」とでも呼ぶべき行いなのではないでしょうか。」 という絶妙のドラマチックな脚本ネタを与えることになってしまいました。
苦笑いするしかありませんが、今後私は年間読書人様の妄想世界の文学の中でどのような活躍や悲劇(?)が待っているのか、妄想Solaris1の今後の展開は私も楽しみです。
その前のご返信について
私の指摘は「それ(システム的対応)がすべてではないだろう」「意図的に、すべてをシステム的判断の結果ということにして、責任逃れをしているだろう」という意味であり、こうした意味であるというのは自明なことだと存じます。
これは昨晩記載し忘れた、以下の2の部分です。
これについてご返信では以下のように年間読書人様は認識しておいでです。
これも1.と同じです。年間読書人様もはっきりかいておられます。「レスポンス投稿に「あやしい動き」 があるとして、それに対する「削除などの具体的な対処が、必要か否かの判断」は、当然「人間」がやるはずだからだ。」と。ここで指摘されている内容は、6/2-13日の票の削除処理に関する話です。レスポンス投稿(票の話)とはっきり書いてあるのにも関わらず、年間読書人様は、その後、誤解、或いは拡大解釈してしまい、「これはあやしい、そんなはずはない、人間がやってる筈だ」と決めつけているわけです。レビュー削除の方なら、人間が介在する可能性はありますが、票の削除ではありえません。
よって、今回のご返信でも、レビュー削除云々の部分は読み飛ばさせていただこうと思いましたが、一つ返信が必要な部分が見つかりましたので、ざっとは読みました。
指摘とは、最初のレビューの削除は自動で行われ、その後の再掲載依頼や、削除合戦などの紛糾となった場合に、人間が介在される、というものです。これもIT業界では一般に行われている方法で、IT関係者であれば、容易に想像がつくような内容です。これについては、少し検索しても、以下のようなアマゾン社の回答が見つかります(ただし孫引きしか見つからず、Amazonからの回答そのものの転載ログは見つからない)。
https://ameblo.jp/rig-lam/entry-10203445517.html
「閲覧者が「報告する」というボタンをクリックさえすれば、それが一定数に達すれば機械的にレビューが削除されるしくみになっていることを認めました。」
もし、年間読書人様が、今回も一度であきらめずに、アマゾン社にレビュー削除について返信して問い合わせれば、上記のような自動削除についてのAmazonからの回答を見つけることができたかも知れません。しかしこの人は、「どうせ何度質問しても同じような回答しか得られない」と勝手に決めつけ、そうした対応は「悪しき柔軟」だと決めつけて、行動に移しません。プログラムの件は、確かに業務に携わった人か趣味でコンピュータに詳しい人しかわからないことも多いかも知れませんが、この人は、そういう前向きに知ろうとする努力を放棄して、なんだかんだと言葉をあやつり、自分は、「徹底抗戦」している私とは「格が違う」と 自己妄想の世界に引きこもっているのです。
以上にも記載しましたが、レビュー削除で仮説を語ったのは、解説文の3-3の部分で、ここは根拠が浅いと割愛した部分です。その後議論の行き掛かり上から、返信本文で3-3の部分の推理をしましたが、これも、「3-3で割愛した部分ですが」と断ってから行っています。よって、「3-3」の括りで行った推理の部分は、あくまで推理です。なので、この部分について年間読書人様が誤解をしていた、というのであれば、申し訳ありませんでしたが、それでもこの部分で行っているのは、6/2-13日の票の削除の件とは別の話です。よって、Noteに書かれたレビュー削除の件については、アマゾン社からのメールの回答は証拠になりません。
理解も整理もしきれていないのだから、これはこういう意味ですか?と確認することをしないで決めつけるのがこの人の特徴です。↑の文章は、そっくりそのまま年間読書人様ご自身のことです。
とりあえず、せめて、アマゾン社からの回答メールの内容を、何度も確認する返信をしたりするところで非凡や行動力をお示しください。人間の部分云々は、最低限のことをやってから主張しないと説得力がありません。あとコンピュータにももう少し詳しくなっておいた方が良いと思います。
これは凄いですねえ。ご自分が特別だといいたいばかりに、こんなことを言ってくる人は初めてです。
これは「理系」の人へ「文系」の人がよくいう常套句ですね。
「中立」だというのも、「システム管理者側の人間ではない」とも一言も言ってません。捏造しないで下さい。顧客と企業、或いは企業間で「トラブルシューターとして間に入る」のは、第三者だけではなく、同じ会社の別部門というパターンも多いのですよ。そもそも、「解説文」の4節で管理者の役割についてかなり言及していますが、ここまで管理者業務に詳しい人は、システム管理者そのものであってもおかしくない、とは年間読書人様は思わなかった、ということは理解しました。このあたりは実業務にかかわり過ぎるため非公開をお願いしたわけですが、非公開をお願いした以上、そこが直接Solaris1にかかわる話だからだ、とはお考えにならなかったのでしょうか?
開き直るといいますか、どうも頭が固くて先入観や思い込みの強い年間読書人という方に説明さしあげるには、簡略化した方がいいだろう、とは思いました。アマゾンの検索機能劣化批判の話は、書籍検索の変更とそれにつながった経営方向の変更問題だけについて批判したもので、企業における利用規約やコールセンター批判をしているわけではありませんから。年間読書人様にとっては、アマゾン批判はどの要素も全部一体化しているので、私が個別に批判している状況が良く理解しにくいのでしょう。
よほどこれを繰り返さないと我慢がならないようです。
業務経験がある、と過去形で書いてますが・・・この掲示板ではSEとは一度も名乗っていませんが… これはアマゾンのコールセンターが海外と国内横ぐしでグローバルフォーメーションをとっており、その特性をお伝えするには、私も同種の業務経験がある、と書かないと年間読書人様の見当外れな妄想が留まるところを知らないため、記載したものですが、このような意図で記載したところ、何を勘違いしたのかコンプレックスの表現としか思えない反応を何度も繰り返される結果となっているものです。
本日は、少し精彩がないように感じられました。同じことを繰り返すことしかできないからでしょうか。そろそろネタ切れでしょうか。アレクセイの妄想世界に登場するSolaris1は、なかなか面白いので、今後の展開も注視しています。しかし、物語としては面白くても、時間の無駄であるともいえます。アマゾン社から何らかの警告とともに削除のような対応がされたのであれば、もうNoteの内容を修正しても遅いようにも思いますので、今後は毎日は来なくなるかも知れません。年間読書人様は「尻をまくって逃げた」とでも書くものと思いますが。
ところで、本日末尾として少し書かせていただきますと、当初私がNoteにアドバイスを差し上げようと思ったのは、きっかけとしては『一度きりの大泉の話』の長文のレビューに文学として感服し、内容が削除依頼されそうだったので、しばらく注視していたところ削除&再投稿が繰り返されるようになり、あまりにも類例のない長期的展開に興味を持ち、更に注視していたところ、Noteの存在を知った、というものです。当初の目標は、Noteの論旨展開に問題があるため、修正をお薦めする、コールセンターとのコミュニケーションをうまくとるやり方をお伝えする、という意図だったのですが、見ての通り、この結果となってしまいました。残念ではありますが、途中から私も方針が変わり、レビューア年間読書人は、事実認識における些細な誤りさえ認められず、ご自分の先入観や妄想の方を優先させる方だということがわかりましたので、その証拠を残すために続けることにしたものです。
>なにしろ、ここでは「ログ」は残ってしまうのですから、
というのはこちらこそです。ログは保存し、更に画面ショットも取得済です。この人のレビューにおいて、その事実性に疑問をもった方がおられた場合には、ここを参照するよう案内できる貴重なログですので、ぜひ永遠に保存して欲しいと願う次第です。
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(14 =Aー7)
「Solaris1さんは、「システムエンジニア」ではなく「コールセンターのマネージャー」でした。」
(園主:2021年 7月 3日(土)22時45分6秒)
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Solaris1さんは、「システムエンジニア」ではなく「コールセンターのマネージャー」でした。 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 3日(土)22時45分6秒
★ Solaris1さま
早速のお返事、ありがとうございます。
ところで、一つ前の「2021年7月1日」付けのお書き込みに、貴兄は次のように書かれていましたよね。
この点について、私は、
と書きましたが、私の『深い議論』という言葉についての、誤解を解いておこうと存じます。
まず『深い議論』というのは、「議論の内容が深い」というのと、「議論を通じて、深い人間の真実が見えてくる」という2種類の意味がございまして、私が申し上げたいのは、後者でございます。
つまり、「議論の内容」が仮に瑣末でつまらないものであったとしても、徹底的に議論をしていると、だんだんと論者の「素顔=本当の人間性」が見えてくるものなのでございますね。
それが、読む者には「興味深い」し「深い人間の真実(の姿)」を伝えるものになる、ということでございます。
ですから、貴兄が理解されたような『考えを変えさせることができる、或いは論駁できる』といったような、即物的なことではないのでございます。
前回も書きましたとおり、一般に、人の考え方というものは、「論駁」して改めさせることはできません。
むしろ、かえって相手を「意固地」にさせてしまうことの方が多いでしょうし、その証拠が、貴兄の「今の姿」であり、貴兄の今のご意見なのでございます。
貴兄は、勝手に「情報を限定」したり、バレバレな「Amazonへの通報」について(佐川宣寿・元理財局長も斯くやと)「臆面もなく、しらばっくれたり」、相手論者の「欠点」を挙げつらうことで、自分が「議論」において「優勢であると見せかける」ことが可能だと、そうお思いなのでしょう。
しかし、ネトウヨなどの議論でもよく見られますように、自ら殊更に「余裕ぶって見せ」、相手を「必死だ」などと言いたがるのは、彼らが「見せかけ」しか気にせずに、要は「議論において不誠実」だという何より証拠でしかない。
しかし肝心なのは、そうした「欺瞞的な姿勢」は、読者にもおのずと伝わり、論者の「本質」を問わず語りに感じ取らさせてしまう、という事実なのでございます。
例えば、その典型が、今回の貴兄の書き込みでの、
などが「憎まれ口」や「煽り」であり、これはネトウヨが頻用する「(苦笑)」「www」「必死だな」などというのと同じ性格のもので、同じような人間性から出たものだと存じます。
例えば、私だったら「あなたはバカですか?」などと率直に書いてしまう。それが当たっているかどうかは別にして、こうした書き方に、私の性格が色濃く出ているというのは、多くの方の認めるところでございましょう。
つまり、「文は人なり」であり、逆に言えば「その主張するところは、必ずしも人柄を反映するものではない」ということでございます。
ですから、もちろん「主張の内容」も大切ではございますが、むしろ、論者の本質は「主張の仕方(語り方の誠実性)」に表れる。
そして、私が『深い議論』という場合の「深い」とは、表面的な「議論」もさりながら、それによる「人間性の露呈」ということなのでございます。
これは、馴れ合いの議論とか、有名人同士の議論などでよくある「褒めっこ」では、なかなか達成することはできません。
お互いに、遠慮なく相手の欠点や問題点を突く手加減なしの議論の応酬の中で、その論者の「素顔=人間性」が表れる。これを私は『深い議論』と言うのでございます。
また、そうした意味で、Solaris1さまが、私の議論につきあって下さるのは、大変ありがたい。
最初は「いい人」を演じていても、厳しいツッコミがなされ、かつ議論が長引いてくると、人はいつまでも「仮面」をつけたままでいることが困難になり、どうしても自ら「仮面」を剥ぎ取って、議論に集中しようとする。しかし、それでこそ「建前」や「偽りのキレイゴト」ではない、「素の人間性」を露呈させる『深い議論』になるのでございますよ。
もっとも、こういう考え方は、きわめて「文学的」なもので、Solaris1さまのように、非「文学的」であり、『論駁』することに執着して「目先の実効性」に捕らわれている方には、理解が困難かもしれませんね。
さて、今回、Solaris1さまは、例えば、次のように書かれております。
これは、私が「粗雑」な人間だ、という指摘でございましょう。
たしかに私は、少々「粗雑」だし「大雑把」な人間でございます。
そもそも、そうでなかったら「あなたはバカか」みたいな直截な言い方、書き方はいたしません。
よく自分でも書いておりますが、私は「せっかち」であり「面倒くさがり」なので、「懇切丁寧」「正確無比」ではないというのは、正しいご指摘でございましょう。
しかしながら、私に「正確」な『引用』を求めておられる、Solaris1さまの「正確さ」とは、どれほどのものでございましょうか?
例えば、上で引用なさっている、
の『「海外でシステムエンジニア」』という部分でございますが、そもそもこれは『引用』ではございません。
たぶん、Solaris1さまは、この言葉が「」(カギ括弧)で括ってあるから『引用』だと思い込まれたのでしょうが、これまでの私の文章を見てくだされば明らかなとおり、私は「引用」をする場合は『』(二重カギ括弧)を使用します。
つまり、「」(カギ括弧)の部分は、ある意見の「要約」や「主意」の場合もあるし、その言葉を「強調」する場合にも使っているのであって、決して、正確な『引用』を意図したものではないのでございます。
無論、この使い分けは、いちいち説明してやっているわけではございませんし、Solaris1さまが期待するような「例外なしに完璧」なものでもございません。なにしろ、私は基本的に「大雑把」な人間でございますから、文章を「流れ」で書くことも少なくないので、使い分けが厳密ではない場合や「例外」もございましょう。
しかしながら、Solaris1さまの場合は、このように私と長々とやりとりをしておりますし、私のレビューもいくつかは読まれていらっしゃるのですから、今更、こんな「初歩的な誤認」による、筋違いの「非難」はいただけません。
などと、ご自身の「瑣末な思い違い」で、鬼の首を取ったように書かれるのは、いかがなものかと存じます。
「非難」なり「批判」なりするのであれば、それに値する部分が他にあったのではないでしょうか?
それとも、ここくらいしかなかった、ということでございましょうか?
そんなわけで、私も「粗雑」で「大雑把」でございますが、それを非難なさっているSolaris1さまもまた、十分に「粗雑」なのだということにお気づきいただければ、つまらない「揚げ足取り」などしなくても良いのではないかと存じます。
話を戻しましょう。
そうでございますか。『米国西海岸系IT企業』という部分が「印象的」であり、Solaris1さまが「システム」のことばかり強調なさるものですから、てっきり「システムエンジニア」の資格を持っておられる「専門家」であり「理系」の方であって、その「専門性」に基づいて、ご助言くださっているのか、と思い込んでおりました。
いや、正直に申しますと、ご指摘の『どうも年間読書人という人はきちんと読んでいないようです。』というのは、まあ、だいたい当たっております。
最初にお示しくださった、「時限消去予定」の長文については、はっきり言って、とても長かったので、斜め読みにしてしまったところもございます。
これは、大変に申し訳なかったのでございますが、でも、Solaris1さまもご自身で、私の文章について「斜め読みにした」と書かれていたのですから、これは「お互いさま」ということで、ご勘弁いただければと存じます。
さて、そんなわけで、Solaris1さまは『米国西海岸系IT企業』に勤務した「過去」があり、そこでは『コールセンター』の『マネージャー』をなさっていただけで、「システムエンジニア」ではなかった。
要は、専門は「顧客対応係(オペレーター)の管理者」という、じつに「文系」的なお仕事をなさっていた、ということでございますね。
言い換えれば、『米国西海岸系IT企業』で『コールセンター業務』をしていたのですから、顧客からの問い合わせて対し、一定の対応が可能な程度の「システムについての、ひと通りの知識」は持っていたけれど、決して「システムの専門家」ではなかった。むしろ「説明・説得の専門家」だったと言えるかもしれませんね。
と申しますのも、『コールセンター』において、一時的に顧客対応をする「オペレーター」の皆さんは、必ずしも専門的な知識があるわけではございません。
なぜなら、顧客の問い合わせの大半は「専門知識が必要なもの」ではないからで、オペレーターの方は、簡単な質問、問い合わせ等については説明もするけれども、「専門性」が絡んでくるものについては、適切に「専門家」に橋渡しをするなど、各種の「顧客からの問い合わせ」を的確にさばくことが、その主たる任務だと申せましょう。
つまり、「システム」に関する「専門的な問い合わせ」であれば、自分では回答せずに「専門家」につなぐ。つなぐと言っても、必ずしも、その場で電話を取り次ぐというわけではなく、検討を要するものについては「担当の者から、後日、結果をおしらせします」というかたちにするでしょう。これは、前にもご紹介したとおり、私の「Amazonへの問い合わせ」経験でも、普通にあることでございます。
いくら専門家だと言っても、複雑な問題や、責任問題が絡むことであれば、すぐには答えられないのが当然で、よく調べたり、合議してからでないと、責任ある回答はできません。下手に拙速な回答をすれば、そのことが、のちにも問議されることにもなりかねないから、そのまま「技術の専門家」に電話を換わるのではなく、「担当の者から、後日、結果をおしらせします」というかたちにするでございましょう。
しかしながら、『コールセンター』の仕事は、以上のような、シンプルなものばかりではございません。
よく知られるように、『コールセンター』の仕事で、最も重要なもののひとつは「クレーマー対策」だからでございます。
もちろん、「クレーマー」と言っても、それは『コールセンター』を置いている「企業」の側から見た場合の呼称であって、企業への「抗議/批判」は、日本語における「クレーム」や「クレーマー」といった言葉の持つ「難癖」的なものとは限りません。
「クレーム」をつける人の側からすれば、「企業」の側に「問題がある」と判断して「クレーム」をつけるのですから、始終注文をつけているとか、クレームに対して誠実に対応したのに、それでもあれこれしつこく言ってくるといった「極端な場合」でもないかぎり、「おかしいことをおかしい」と言っているだけで「クレーマー」呼ばわりされるのは、不本意なことでもあるし、客観的にも、顧客に対して「不適切」な、「差別的」呼称だと申せましょう。
しかしながら現実には、「企業」の側は、「企業」に対して「非難」「批判」「注文」をつけてくる人物を、その人に面と向かって「クレーマー」とは言わないけれど、内部的には「クレーマー」と呼んで、その対応に腐心しておりますし、それはよく知られているところでございます。
で、厄介な「クレーマー」から電話などがあった場合、オペレーターはどうするか?
自分では「対応しきれない」と判断された場合は、どうするか?
相手の言い分が「間違っていて、しかし話を聞いてくれない」といった場合は無論、「企業の側の問題点を正しく突いてきた」場合などは、どうするか? 自分の判断で「謝罪」するのか? そんなことができるのか?
そこで登場するのが「クレーマー対策」に馴れた『コールセンター』における、オペレーターの「上司」。
「ややこしい相手」への対応に馴れた、「上司」なのではないでしょうか。
当然『コールセンター』の『マネージャー』であった、Solaris1さまも、それなりに「クレーマー対策」の「専門家」だったのではないでしょうか?
「システムエンジニア」ではないから、「システムの専門家」ではないけれど、口下手な「システムエンジニア」などより、よほど上手に「クレーマー」を説得したり、丸め込んだりという「スキル」をお持ちなのではないしょうか?
それが無いことには、『コールセンター』の『マネージャー』は務まらない、と思うのですが、いかがでしょう。
この場合、『コールセンター』の『マネージャー』の「仕事」とは、「企業」と「顧客」の間にあって「公正中立」に判断して、問題を解決すること、ではございません。
彼は「トラブルシューター」として「企業」に雇われているのですから、当然「企業」の利益を優先するかたちで「顧客のクレーム」に対応し、それを解決しなければならない。
言い換えれば、明らかに「企業」の側に問題があっても、それをそのまま認めて謝罪する、なんてことはできない。下手な謝罪は「賠償」にもつながりかねないからでございます。
したかって、『コールセンター』の『マネージャー』の仕事とは、「企業のためのトラブルシューター」であり、要は「企業」にやとわれた「火消し役」であり「もみ消し」の「専門家」だということでございます。
しかし、『「火消し役」であり「もみ消し」の「専門家」』である『コールセンター』の『マネージャー』の仕事は、「クレーマー」を「論破して撃退する」ということではありません。
そういうのはむしろ例外で、ほとんどの場合は、「お客様のご意見」を「傾聴」し「ありがたく、参考にさせていただく」ということで、「クレーマー」の「ガス抜き」をするのが、主たる任務でございましょう。
前にも申しましたとおり、「論破」などしても、相手は決して「反省」したり「自分の意見を変えたり」はしません。むしろ「論破」などしたら、相手はよけいに「意固地」になって「企業」への攻撃を強めるでしょうから、これは「プロ」の仕事としては、あまり上手くない。
ですから、『コールセンター』の『マネージャー』さんなどは、
といった感じで「私は、お客さまのご意見に真摯に耳を傾け、お客さまの身になって、誠実な対応をさせていただきます」という「ポーズ=演技」を採り、自身を、クレーマーの「味方=良き理解者」だと誤認させることで「懐柔」して、企業のために、「火消し」であり「もみ消し」をするものなのでございますね。
そして、場合によっては、「裁判になって高額の賠償請求」をされないために「1万円の菓子折を下げて謝罪」に行き「誠意を見せる」ことで、相手を「丸め込む」ことだってする。そういう、ある意味では「ダーティー」な部分も含めて、「給料分の仕事」だということでございしょう。
したがって、Solaris1さまは、「システムの専門家」ではなく、以前は「企業のためのトラブルシューター」としての「専門家」であったとは言えるのではないかと存じます。
私も当初は、その「専門職芸」に騙されて「中立的な助言者」だと思い、そんなSolaris1さまが、私に「批判」されて「豹変」したのは、ご自分が「企業の不公正」に対して徹底抗戦できずに「敗走」した事実を指摘され、そのために「一時的に逆上」したのだと解釈したのでございますが、これは誤解であり、今回の場合は「親切ごかした善意の助言者」というお得意の「演技」が上手く功を奏さず、私が「Amazonへの矛を収めなかった」ので、「トラブルシュートの専門家としてのプライド」を傷つけられ、つい苛立って「素顔」を見せてしまった、ということなのではないでしょうか?
『コールセンター』の『マネージャー』として磨き上げた「専門家」としてのテクニックが、これまでのように功を奏することなく、そればかりか「あなたは、自分が負け犬であることを認めたくないがために、私にも妥協することの賢明さを納得させようとしに来たのだろう」などと指摘されたので、こいつは何を言ってるんだ「私は最初から、企業側の人間だよ」と、つい正直に言ってしまっただけなのではないでしょうか。
そうした意味では、私の貴兄への理解は、ずっと間違っておりました。
私は貴兄を、基本的には「自己の本音に無自覚な、善意の人」だと高く評価しておりましたが、そうではなく、貴兄は初めから「確信犯の演技者」だった(その意味では、「ユダ」の名にも値しない)。
「システムの専門家」であり「理系的教養の持ち主」だと誤解しておりましたが、そうではなく『コールセンター』の『マネージャー』という、実に「文系」的なお仕事の「専門家」でしかなかったのでございます。
そういう意味で、私は「早とちり」の「お人好し」で「文学的ロマンチスト」で「大雑把」な人間であったというのは、貴兄のご指摘どおりだったのだと存じます。
まあ、この掲示板でも、私が死んで利用料が滞れば、ログは消されてしまうでしょうから、現実的には『永遠に保存』というわけにもいかないでしょう。
しかしながら、貴兄が『ぜひ永遠に保存して欲しいと願う次第』とまで、おっしゃるのですから、私としてもその希望に沿って努力したいと存じますので、そのために、この「私たちのやりとり」をできるかぎり拡散して、多くの場所にログを残し、多くの人にログを残してもらえるようにしたいと存じますので、どうぞそれでご勘弁ください。
では、またのご感想をお待ちしております。
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(15 =Sー8)
「無題」
(Solaris1:2021年 7月 4日(日)00時05分41秒)
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(無題) 投稿者:Solaris1 投稿日:2021年 7月 4日(日)00時05分41秒
年間読書人様
私もあなたについて、このように思っています。
了解です
いえ、システム担当のエンジニアでもありましたよ。35年の業界歴ですからいろいろな職務をしてきましたから、コールセンターのマネジメントもそのうちの一つ、ということに過ぎません。こういう人は普通にいます。日本の年功序列と異なり、外資はプレイングマネージャなんですよ。年間読書人様は、ご自分の知見の範囲が全てのようです。その狭い範囲の知見で物事を決めつける、そうして構築された狭い世界でお暮しになっていることがよくわかります。
どうしてこういう理解になるのでしょうか。35年のキャリアのうち、10年間はプログラマ、次の10年間はシステムエンジニア、次の10年はプレイングマネージャ、その後はコンサルタント、とでも書けば納得しますか。なお、解説文でも記載しておりましたが、日本企業はどうか知りませんが、私がいたところではコールセンターのマネジメントはプログラムやロジックの決定者の一人でもあるのですよ。システムに詳しいエンジニア上がりでなくては務まらないのですよ(私の所属当時も今も)。
>この「私たちのやりとり」をできるかぎり拡散して、多くの場所にログを残し、多くの人にログを残してもらえるようにしたいと存じますので、どうぞそれでご勘弁ください。
ご自由にどうぞ。拡散の方法によっては、私もブログ等で反論させていただきますので、ご了承ください。
なお、最初にお送りした解説文を読んでいないというのは、失礼な話ですね。あれを斜め読みしている程度では話が通じないのは当然でしょう。話が通じないから、やりとりが拡散してしまい、要らぬ言い合いを続けることになってしまった。その最初の切っ掛けをつくったのあなたの方だとわかりました。お互い様ではありません。
そういうことなら、再び解説文をお送りしても構いませんが、年間読書人様は、「以前非公開でお願いします」。とした私の書き込みを、この掲示板で公開しています。私は、「このコメント」と「以下の記事」と使い分けているのだから、誤解のしようもありません。
にも拘わらず年間読書人様は公開したわけですから、私は当時から不信感を持っておりました。解説文のログを見ますと、合計11回、7種類の異なったアドレスからアクセスされていました。これもログは保持しておりますので、ご安心ください。「解説文」の再送付はいたしませんので、これもご了承ください。
なお、議論の蛇行で埋もれてしまいましたが、『一度きりの大泉の話』の失われた票数の件ですが、年間読書人様がご指摘された疑問について、やはり不明瞭な部分はあったものと認識しておりましたので、プロフィールの票数に現れていない部分をすこしまじめに回帰分析を用いて推計してみましたが、それによると6月11日頃で毎日4票程度の得票に、遅くても18日頃には毎日1票以下の得票に落ちる、という結果となりました。プロフィールに表示された減少数と比べて多くても総削除数は数票程度上乗せできる程度だと思われます。よって6/2-13の間に削除された票は、個人アカウント狙い撃ちの恣意的な削除ではなく、今回の削除プログラムの一般動作の範囲内で実施されたものと思われます。
それでは失礼いたします。
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(16 =Aー8)
「やはり、Solaris1さんは「システムエンジニア」でした。」
(園主:2021年 7月 4日(日)11時54分20秒)
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やはり、Solaris1さんは「システムエンジニア」でした。 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 4日(日)11時54分20秒
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★ Solaris1さま
早速のお返事、ありがとうございます。
そうですか。それなら、お互いに、この議論が面白くて「深い」ものになったということですから、結果として良かったのではないかと存じます。
こういうところなんですよね。
やっぱり、私が貴兄を「エンジニア」だと理解し、そう書いたのは間違いではなかった。
それなのに、前回、
なんて、「引用」でもないものを「引用」だと決めつけてまで、わざわざ「揚げ足取り」をなさる。
今は何のお仕事をなさっているのかは知りませんが、少なくとも貴兄が「システムエンジニア」をなさっていたというのは、これまで明示されなかったとしても事実だったのであり、私の理解は間違っていなかった。
それに、今回は、次のようにも書いておられますよね。
つまり、「システムエンジニア」としての技能や資格を持っているから「コールセンターのマネジャー」もできた、ということなら、それは貴兄が「システムエンジニア」でもある、ということじゃないですか。
そもそも「システムエンジニア」などの、特殊な「専門技術系」の方というのは、その「職業的専門技術や資格の保有」において、そう名乗られる場合が多々あって、例えば「私は、システムエンジニアです。今は無職ですが」と説明しても、別に間違いではない。
他人が「あなたはシステムエンジニアなんですね」と尋ねても間違いではないし、「あの人はシステムエンジニア」なんだそうだと言って、わざわざ「元」を付けなくても、間違いではない。本人が、仕事のない時に「私は、システムエンジニアです」と自己紹介しても「嘘」にはならない。
ならば、私が貴兄を、
と紹介したことを取り上げて、
などと言うのは、「ためにする批判」あるいは「難癖」と言われても、仕方ないのではないでしょうか?
「クレーマー」でもないかぎり、少なくとも「普通」の人は、そんな「瑣末」な「揚げ足取り」なんかしませんよ。
したがって、私の、
という紹介に対して、
なんて言うのも、「反論」と言うよりは、同種の「瑣末」な「為にする揚げ足取り」で、貴兄の「人間性」をよく反映していると存じます。
それに、そもそも『年間読書人様は、ご自分の知見の範囲が全てのようです。その狭い範囲の知見で物事を決めつける、そうして構築された狭い世界でお暮しになっていることがよくわかります。』とのことですが、私は、私の知識など多寡が知れていると思うからこそ、いろんなジャンルの本を読んでいるのでございまして、まあ、そうして得た知識も、最終的には『自分の知見の範囲』なのでしょうが、それが『全て』なのは、仕方がないと申しましょうか、誰でもそうなのではありませんか?
つまり、貴兄だって、その時点での『自分の知見の範囲が全て』であり、それで判断なさっているのでしょう?
それとも、自分が知らないこと(他人だけが持つ知識)まで、自身の判断に繰り込めるとでもおっしゃるのでしょうか?
さらに言うと、今回の場合、私が知らないのは『米国西海岸系IT企業』の内部の職掌についてのことであり、普通は「当事者」である貴兄のようには知らなくて「当然」なのではないでしょうか?
その意味では、私に『『米国西海岸系IT企業』の内部の職掌』への理解まで、当然のことのように期待なさる貴兄こそ『ご自分の知見の範囲が全てのようです。その狭い範囲の知見で物事を決めつける、そうして構築された狭い世界でお暮しになっている』と言われても、しかたがないのではないでしょうか?
なにしろ、「個人的な事情」について、ろくに説明もしていない相手が「それを知っていて当然だ」などという調子でお話しなさるのですからね。
私が、日本の「企業」の「コールセンター」の「一般的イメージ」で、『米国西海岸系IT企業』の内部の職掌を「類推」するのは当たり前で、いちいち「全て」を把握してから語るなどというのは、端的に「不可能」です。
なのに、それをことさらに
> 年間読書人様は、ご自分の知見の範囲が全てのようです。その狭い範囲の知見で物事を決めつける、そうして構築された狭い世界でお暮しになっていることがよくわかります。
などと断じてしまうところに、むしろ、貴兄の「為にする揚げ足取り」体質がよく表れている、と見るべきではないでしょうか。
そんなわけで『どうしてこういう理解になるの』かが、ご理解いただけましたか?
要は、「エンジニアである(~である)」という「言葉の問題」なのでございますよ。
それを「本質的属性」と考えるか、「現時点の職業」と考えるかで、貴兄を「エンジニア」と呼ぶか否かが変わってくる。
言うまでもなく、私は前者の意味で言ったのであり、貴兄はそれを後者の意味に限定して、私の言い方が、ことさら「間違い」であるかのようにおっしゃったわけで、そこに貴兄の「性格」が表れているわけでございます。
例えば、ある人が、ある人のことを「あの人は最近ぶらぶらしているけど、あの人、システムエンジニアなんでしょ? 最近は、システムエンジニアって、よほど有能な人じゃないと仕事がないのかねえ?」と言った場合、貴兄なら「いや、あの人はシステムエンジニアではなく、無職だよ。正確に、元システムエンジニアと言うべきだ」などと訂正し、そのことをして「あなたは、ご自分の知見の範囲が全てのようです。その狭い範囲の知見で物事を決めつける、そうして構築された狭い世界でお暮しになっていることがよくわかります」なんて、病的な指摘をなさるのですかね?
どうぞどうぞ。ログの一括紹介は、著作権の問題もあって、ご本人の許可を得るべきものですが、反論をなさるのは、許可の必要などないことでございますからね。
それに、貴兄がご自身のブログで、有る事無い事を書かれても、私はいちいちチェックしませんからご安心を。
なにしろ私は「大雑把」な人間ですから、「どこかで誰かが、私を批判しているかも」なんてことは、いちいち気になど致しません。
ネット上で、目立った批判的言論を展開すれば、悪口を書かれるくらいは元より覚悟の上ですし、現にいろいろ書かれていることでしょうが、それはアマチュアとは言え、言論人として甘受すべきことですからね。
したがって、貴兄がブログで話題にして下さることも、今回の「ログ」を少しでも確実に、後の世に残すための宣伝としては、大いに価値のあることですから、『拡散の方法によっては』などとケチな限定はせずに、大いにご宣伝いただければと存じます。
そうすれば、貴兄が『貴重なログですので、ぜひ永遠に保存して欲しい』とおっしゃる、そのご希望の実現に、より一歩近づくのではないかと存じます。
これは完全に「読み落とし」ておりました!
私はてっきり「非公開」というのは『火曜の夜には削除する』『以下の記事』つまり『http://zae06141.client.jp/algorizm.html』のことだと思い込んでおりました。
この記事は「削除」しなければならないほどの「機微に触れる文章」だから、勝手に「引用したり紹介したりするなよ」という意味であると思い込んでしまったのでございます。
というのも、ここで貴兄が「非公開」を望んでいらした「二度目の書き込み」、つまり「6月21日付けの書き込み」は、
と書かれており、ここでの『このコメントは非公開/転載不可でお願いいたします。』というのは、てっきり『http://zae06141.client.jp/algorizm.html』のこと、つまり『火曜の夜には削除する予定』の『解説文』を指していると理解してしまったからでございます。
なぜ、そう誤解したのかと言えば、この「6月21日付けの書き込み」は、特別「隠さなければない」ほどの内容があるとは、私は思っていなかったからでございますね。
ですから、私は、このお書き込みのレスとして書いた「6月22日付けの『お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり)』」に次のように書いたのでございます。
無論、ここでこのように書いているのは、後日削除予定とされていた、貴兄の長いご解説文「http://zae06141.client.jp/algorizm.html」のことでございました。
つまり、この時点では、私は貴兄の希望を「裏切った」などという意識は、まったく無かったということでございます。
それに、私のこのレスに対する、貴兄のレスである「2021年6月23日付けの『Amazonレビュー末尾表示の件』」でも、
と、私が、誤って「公開」したことについての指摘はなく、ただ『いくつか細かい誤解がある』という書き方をなさっているだけですよね。
ですから、私は、その後もずっと「誤って公開した」ということに気づいてはおらず、ただ『いくつか細かい誤解がある』という点について「6月25日付けの『「コンテキストの違い」は、現実には「力関係としての立場」に依存する。』」で、
というふうに書いたのでございます。
つまり「私に何か誤解があったようだが、それほど重大な誤解ではなかったのだろうな」と思った、ということでございます。
そうですか。私が「解説文(http://zae06141.client.jp/algorizm.html)」を覗いたのは一度か二度ですから、他に5、6人の方が、貴兄の「解説文」ページを覗いたのでしょうね。
ちなみに、私も、後で読み返す必要があった時のために、一応、この「解説文」のログは採っておきましたが、実際には読み返してはおりません。それを、今後、公開することもございませんので、どうぞご安心ください。
私は、相手がわざわざ「公開しないでくれ」と書いてきているものを、それと知っていながら、わざわざ公開して、わざわざ自分の信義を傷つけるようなことはいたしませんよ。
「公開」したのは、あくまでも「誤って」したことであり「故意」ではございません。
つまり、申し訳ございませんが、『誤解のしよう』はあった、のでございます。
それは無論、Solaris1さまのせいではなく、私の「過失」なのでございますがね。
このあたりが「論理の飛躍」でございますね。
「斜め読み」にしたのは申し訳ありませんが、前回も書きましたとおり、そう言う貴兄ご自身が、私の文章を斜め読みしたとも書かれていたのですから、これは『お互い様』でございましょう。
それに私は「6月22日付けの『お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり)』」で、ご紹介いただいた貴兄のご文章について、
と正直に書いております。
『ざっと拝見』したが『できれば「数字」は少なめにしていただけるとありがたく存じます。』と。
ですから、私が、それ以前に書かれていた貴兄の『解説文』についても『ざっと拝見』しただけというのは、おおよそご理解いただけていたのではと思っておりましたが、コミュニケーションというものは、なかなか100パーセントとはいかないものでございますね。
しかしながら、「過失」であろうとも「読み落とし」や「誤解」は、私の罪ですから、それは申し訳なかったと存じます。
なにしろ私は「あなたはバカか」とか書くほど、開けっぴろげでもあれば「大雑把」なところがある人間なので、どうしてもこうした「ミス」があるのでございますよ。ですから、それはまったく否定しませんが、私が「公開」したことについて「故意」だとお疑いなら、それはたぶん「後知恵」による誤解だと存じます。
つまり、後で私に「批判されたから」、前の『誤解』による「ミス」まで、「故意」であったと「悪く解釈してしまった」という「後知恵」の『誤解』でございます。
ちなみに、
とのことですが、ここで貴兄がおっしゃっているのは、「先に手を出した、お前が悪い」という、子供っぽい「ロジック」でございます。
結局は『お互いに』斜め読みを「良し」としているのであり、それで『言い合い』になった、つまり「双方とも手を出した」のなら、これは、どっちもいわば「暴行罪が成立する」みたいなもので、「先に手を出した方が悪い」ということにはなりません。だからこそ、どちらが「きっかけ」を作ったかに関係なく「喧嘩両成敗(双方とも、被害者であり加害者)」だということになるのでございますよ。
それに、
とのことで、私も前記の通り、
としているのですから、この『言い合い』には、「きっかけ」こそ「過失」や「誤解」ではあれ、結果的に「やった価値があった」ということになるのではないでしょうか。
この『言い合い』によって、私の、そして貴兄の「偽らざる人柄」が露呈したのですから、私は良かったと思っておりますし、貴兄にもご同意いただけたものと理解いたします。
まあ、私は、システムのことは、ほとんどわからない素人ですので、この解析やご説明が、どこまで信憑性を持つものなのかは判断できませんし、それは「Amazonへの通報」について、貴兄が「否認」しているのと同様、貴兄が解析なさったというデータ自体が「嘘かもしれない」からでございます。
したがって、そういう「解釈・理解」も当然あるのだということで、いちおう承っておきたいと存じます。
では、またのご感想をお待ちしております。
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https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(17 =Aー9)
「Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑について」
(園主:2021年 7月 7日(水)20時21分16秒)
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Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑について 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 7日(水)20時21分16秒
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皆さまご承知のとおり、このところハンドルネーム「Solaris1」さまと、このbbs「アレクセイの花園」上において、本年6月初旬に「Amazonカスタマーレビュー(サービス)」で発生した、「役に立った=参考になった」数の「減少現象」(便宜的に「6月問題」と名付けますが)について、連日のようにやり取りをいたしました。
もちろん、私にとって「Solaris1」さまは未見の方であり、Solaris1さまがどのような方なのかについては、Solaris1さまの最初のお書き込み「Amazonレビュー投稿削除の件」(2021年6月19日付)に示された、次のような記載が、すべてでございました。
このように、Solaris1さまは、Amazonに対して、一定の「批評的距離」を取った方であると、私はそう理解した上で、やり取りをさせていただいたのでございますが、最終的には、Solaris1さまはご自身を、「Amazonの側」に立っている人間だと、次のように「自認」なさいました。
>> 貴兄が「Amazonの側」に立ってものを見ているからでございます。
> 当然でしょう。何度も書いていますが、米国系IT企業に勤め、海外コールセンター勤務もあると書いているのですから、アマゾン社と同じような業種に携わっていると考え及びませんでしたか?その上で、批判をするにしても見当違いの指摘をいくらしても相手に響かない、だから、見当違いにならないように今回の6/2-13日の件についてご解説申し上げた次第です。
つまり、Solaris1さまは、最初から、「第三者」として「システムエンジニアの観点から助言」をしに来たというわけではなく、「システムエンジニアとして、システムの側にある者として、その立場から」私を「説得」しに来た、ということだったようでございます。
○ ○ ○
まずは、そんなSolaris1さまと私とのやりとりを、時系列に沿って、まとめておきましょう。
(※ 投稿者名「園主」は、掲示板「アレクセイの花園」の「園主」である、アレクセイ、年間読書人のことです)
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【Solaris1さんとの、やりとり一覧】
(01 =Sー1)「Amazonレビュー投稿削除の件」(Solaris1:2021年 6月19日(土)18時42分42秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3091)
(02 =Sー2)「無題」(Solaris1:2021年 6月21日(月)00時35分7秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3093)
(03 =Aー1)「お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。(追加分あり)」
(園主:2021年 6月22日(火)02時14分46秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3094)
(04 =Sー3)「Amazonレビュー末尾表示の件」(Solaris1:2021年 6月23日(水)00時48分51秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3095)
(05 =Aー2)「「コンテキストの違い」は、現実には「力関係としての立場」に依存する。」
(園主:2021年 6月25日(金)10時06分58秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3096)
(06 =Sー4)「無題」(Solaris1:2021年 6月28日(月)01時51分44秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3097)
(07 =Aー3)「運命の賭け」(園主:2021年 6月28日(月)17時52分31秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3098)
(08 =Sー5)「無題」(Solaris1:2021年 6月29日(火)22時55分57秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3099)
(09 =Aー4)「理系と文系の判断能力の差?」(園主:2021年 6月30日(水)23時30分27秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3100)
(10 =Sー6)「無題」(Solaris1:2021年 7月 1日(木)20時07分41秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3101)
(※ Amazonからの「警告メール」)
(11 =Aー5)「恣意的な「情報の限定」は、何を意味するか?」
(園主:2021年 7月 2日(金)08時35分55秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3102)
(12 =Aー6)「ユダの〈駆け込み訴え〉」(園主:2021年 7月 2日(金)15時40分1秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3103)
(13 =Sー7)「無題」(Solaris1:2021年 7月 2日(金)21時03分0秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3104)
(14 =Aー7)「Solaris1さんは、「システムエンジニア」ではなく「コールセンターのマネージャー」でした。」
(園主:2021年 7月 3日(土)22時45分6秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3105)
(15 =Sー8)「無題」(Solaris1:2021年 7月 4日(日)00時05分41秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3106)
(16 =Aー8)「やはり、Solaris1さんは「システムエンジニア」でした。」
(園主:2021年 7月 4日(日)11時54分20秒)
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3107)
(17 =Aー9) 本稿「Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑について」
(園主:2021年 7月 7日(水))
(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3108)
○ ○ ○
見てのとおり、本年6月19日の、Solaris1さまからの最初の書き込み(01 =Sー1)から、ほぼ毎日、交互に書き込みをしてやり取りをしてきたのですが、前回の私の書き込み(16 =Aー8)の末尾を、いつもどおりに『では、またのご感想をお待ちしております。』としましたが、3日目の本日も、いまだに、Solaris1さまからの書き込みはございません。
もしかすると、Solaris1さまはもう、私とのやり取りを打ち切っておしまいになったのかもしれませんが、ともあれ、私としては、まだいくつか大事なことを書いてはおりませんので、本日は、Solaris1さまからのお返事を待たずに、そのあたりの補足説明をしておきたいと存じます。
さて、まだ説明しきれていない点というのは、本日のタイトルにもお示ししましたとおり、『Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑』についてでございます。
○ ○ ○
「6月問題」についての、Solaris1さまのご意見は、一貫して「Amazonのシステム変更に伴う弊害であり、故意に個人を狙ったものではないだろう」というものでございます。
しかし、私が、Amazonの「故意の個人攻撃」を疑ったのは、次のような事情がございました。
私が「6月問題」について、Amazonに問い合わせをした結果、Amazonからのメールでの回答は、
という、「こちらには、一切問題はないし、細かい説明をする気もない」という、木で鼻をくくったような、不誠実なものでございました。
だからこそ私は、Amazonが「6月問題」によって生じた問題のすべてを「システム上の適切な対応」ということで、問答無用で片付けて、そこには「人による恣意的判断」が一切関与してなかったことにし、その責任を避けようとしているのだと疑い、このことを「Amazonカスタマーレビュー」の自身のページの「プロフィール」欄で告発するとともに、「note」にも同様の記事を書いたのでございます。(下は、Amazonの「プロフィール」文)
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それから、しばらくして、Solaris1さまが、ここ「アレクセイの花園」に登場なさいました。
Solaris1さまが、私の側の事情をどこまで理解した上で「助言」にいらしたのかは、ハッキリいたしません。
私は、この数年間に、「27本以上」ものレビューが、閲覧者からの「管理者通報」等によってでしょう、何度も「削除」され、その度に再アップしてきたのでございますが、そうした「再アップ可能」なものとは別に、「削除されて以来、二度と再アップできなくなった、5本のレビュー」がございました。
つまり、この「5本」については、再アップできないように「管理者であるAmazonによって、システム的に個別ブロック」された、というのは明らかな事実なのでございます。
ですから、今回の「6月問題」についても、何らかの「システム上の操作」がなされ、その対象が私個人に止まるものかどうかは定かではないにしろ、システム的な操作に併せて(あるいは、事寄せて)、私個人をも対象として「役に立った=参考になった」数の「削除」を行うことで、評価の引き下げを行なった蓋然性は、十分にある、と疑ったのでございます。
一方、Solaris1さまは、そのあたりの、私個人に関する「過去のトラブル」を(「プロフィール」欄で長らく「再アップできなくなったレビューが4本ほどある」と報告していたとしても)詳しくは知らなかったせいで、今回の「6月問題」を、単純に「システム改修上の弊害的トラブルであって、個人を狙ったものではない」と理解したのかもしれません。
Solaris1さまは、私とのやりとりの中で何度も「個別にレビューが削除されることがあるのは、認めている」と書いておられ、Amazonが「個別対応」をすることは認めておられるにも関わらず、今回の「6月問題」については「システムの改修にともなう弊害」だと断じ、「システムエンジニア」らしく、「個別的操作がそこに含まれる可能性」を否定して、要は、私の「Amazonへの懐疑」が「勘ぐりすぎ」であり、当たっていないのではないか、という立場だったのでございます。
で、私としては「削除されて以来、二度と再アップできなくなった、5本のレビュー」というハッキリとした前例があり、私がAmazonから「目をつけられている」可能性だって、十分にあるわけですので、仮に、今回の「システム改修」の「大きな目的」が、利用者(カスタマーレビュアー)全体にわたるものだとしても、それに併せて「個人攻撃」が無かったとは言えない、と反論したのでございます。
私が、このように申しましたのは、単に、過去に「削除されて以来、二度と再アップできなくなった、5本のレビュー」の問題があっただけではなく、今回の場合は、直近で「萩尾望都『一度きりの大泉の話』レビュー問題」があったからでございます。
○ ○ ○
本年4月に刊行された、マンガ家・萩尾望都の長編エッセイ『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)は、「半世紀も前の大泉時代において、萩尾が、竹宮惠子と増山法恵から一方的にかけられた「盗作」疑惑の冤罪トラブルを暴露して、竹宮らを告発的に批判するスキャンダラスな内容」を含んだものであり、刊行と同時に、少女マンガ界には止まらない衝撃を、出版界、読書界にも走らせ、それは2ヶ月以上たった今もまだ、完全には沈静化せず、くすぶり続けております。
で、問題は、この『一度きりの大泉の話』についてのレビューを、私は、同書の刊行後まもなく、Amazonへ投稿したのでございますが、その内容が、同書における萩尾望都の姿勢を厳しく批判するものであり、しかもそれが少なからぬ人々に支持されて、短期間で「役に立った」数が「1000」を超えるほどの評価を得た一方、萩尾望都のファンからの反発や批判も激しく、同レビューがアップされてから約1ヶ月すぎたあたりから、執拗に同レビューが削除されるという事態が続いていたのでございます。
つまり、同レビューの存在を嫌う人は少なからずおり、それは、萩尾望都を「少女マンガの神様」と崇めるファンはもとより、出版界にも少なからず存在したため、萩尾本人が私のレビューを読むことはなくても、こんな「神聖冒涜」的な、言い換えれば「天下の天才作家・萩尾望都」を「人間扱い」にするようなレビューの存在は認められない、と考えた人が、出版業界の中にも多数いるであろうし、また、そちらの方面から、Amazonへ何らかのアプローチがあっても不思議ではないと、私はそう考えたのでございます。
○ ○ ○
そんなわけで、私は「Amazonの個別攻撃」の可能性を疑っておりましたが、Solaris1さまか「今回の件に関しては、それはないだろう」という立場でしたので、私は「どうして、(全体攻撃と個別攻撃の)合わせ技が無かったと言えるのか」と反論いたしました。
端的に言って、これまでもさんざAmazonのやり方に異議を唱え、批判してきたせいで「目をつけられている蓋然性が高い」私と、そこまではやってはいないSolaris1さまとでは、そもそも「Amazonの現実についての経験的情報量」が違い、「Amazonを見る目の厳しさ」も違うのでございます。
そこで、Solaris1さまが、6月29日の書き込み(08 =Sー5)で、
と書いてきたので、私は、この問いへのレスとして書いた、6月30日付けの書き込み(09 =Aー4)で、前記の「削除されて以来、二度と再アップできなくなった、5本のレビュー」を具体的に紹介し、なぜこれらへの「特別措置」について「外部からの圧力」を疑うのかを、詳しく説明いたしました。
ところが、Solaris1さまの、その次の7月1日付けの書き込み(10 =Sー6)は、せっかく私が説明して差し上げた点には触れずに、従来の説明を繰り返すという、きわめて不自然で不誠実なものでございました。
そして、その翌日の7月2日の深夜(2021.07.02 am3:28)に、Amazonから、次のような「警告メール」が、実にタイミングよく届いたのでございます。
これを読んで、私は、Solaris1さまが「Amazonに通報したな」と考えました。
このメールの「文面」で注目すべきなのは、
『お客様より最近ご投稿いただいた1件あるいは複数の投稿が、コミュニティガイドラインに抵触していることを確認しました。』の『最近ご投稿いただいた1件あるいは複数の投稿』の部分でございます。
Amazonが『一度きりの大泉の話』のレビューについての何らかの「通報」をきっかけとして、私への対応を決めたのであれば、私の「700本あまりもあるレビュー」をすべて調べ、その結果として、他の『複数の投稿』についてのガイドライン違反を見つけるまでもなく、こうした「警告メール」を送ってきたことでございましょう。
ところが、ここでAmazonは、いかにも「あなたのレビューを調べたら、いくつも違反レビューが見つかった」という趣旨のことを書いてきている。
しかし、Solaris1さまもおっしゃるとおり、Amazonとて暇ではございませんから、「700本あまりもある私のレビュー」を、いまさら全部チャックするなどということは、普通はしませんし、考えられません。
一一ならば、どうして『複数の投稿』のガイドライン違反を、短時間で見つけることができたのか?
それは、あらかじめ「何度も削除されている、ガイドライン違反の疑いが濃厚なレビュー」を「特定した情報」を得たから、だと考えるのが合理的ではないでしょうか。
つまり、私が、Solaris1さまの、
という要求に対し、その回答として、6月30日付けの書き込み(09 =Aー4)で具体的に説明差し上げた、その情報を、そのままAmazonに「通報」した蓋然性が高い、とそう考えたのですが、これは不合理な「疑い」でございましょうか?
じっさい、私がこの「合理的な疑い」を、2021年7月2日付けの書き込み(12 =Aー6)で、
と、Solaris1さまに、直接、疑惑をぶつけましたが、一連のやりとりの中で「(直接的な)証拠がなければ、合理的な疑いとは言えない」と、しきりに繰り返していた Solaris1さまらしく、予想どおりに、自身が「通報」したことについては、そのレス(13 =Sー7)の中で、次のように「否認」なさいました。
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『驚くべき偶然です。』とは、いかにも「盗人たけだけしい」物言いではないでしょうか?
要は、私が「note」で報告した「6月問題に関するAmazonへの疑惑」を、Amazonが目にして、私とSolaris1さまが議論している間の『10日間』に、警告メールをお送ることを決定し、私の「700本あまりもある私のレビュー」を全部チャックした上で、あの警告メールを送ってきた「可能性」も否定はしきれない、という理屈でございます。
しかしこれは、さすがの Solaris1さまも、
と認めざるを得なかったように、話をこの『10日間』に限定するのは、いかにも無理がある。
と申しますのも、『一度きりの大泉の話』についての私のレビューに大きな反響があってからでも、ゆうに「1ヶ月」は経っておりますし、まして、今回の問題の遠因ともなる、中川右介著『萩尾望都と竹宮惠子 大泉サロンの少女マンガ革命』(幻冬舎新書)のレビューが再々「削除」されるようになってからは、すでに「2年」近くも経っております。
また、それ以前にも、例の「5本の、削除されたまま、再アップできないレビュー」があって、私がAmazonからマークされていたのは、この『10日間』などという「昨日今日の話」ではございません。
つまり、2年以上も前からマークしていながら、これまでは、私のレビューのガイドライン違反を、まともにチェックしてこなかったAmazonが、どうして、この『10日間』ほどの間に、急にそれをやろう決断し、実行し、警告メールを送ってきたのか、ということでございます。
それは無論、この『10日間』ほどの間に、調査を簡単に済ませることのできる「有力情報」が、Amazonに寄せられた(通報された)からだと、そう考えるのが合理的ではないでしょうか。
となると、その「最近」に限定される「通報容疑者」の要件を満たすのは、Solaris1さま以外にはいないに等しいのでございます。
まただからこそ、Solaris1さま自身も、前記のとおり『まあ、このタイミングだと、私が直接の関係者でないと、いくら言い張っても、難しくなってしまった、というのはその通りです。』と認めざるを得なかったのでございましょう。
無論、これはすべて「状況証拠による推理」でしかなく「直接証拠」はございません。だから、Solaris1さまが「直接証拠がないかぎりは、通報したことを認めない」というのは、事実「通報」していたとしても、当然の行動でございましょう。
そもそも、Solaris1さまが「そういう人間性」であるというのは、私との今回のやりとりで、十分に立証されているのではないかと存じます。
そんなわけで、私が「説明のために与えた情報」を、Solaris1さまは「信義に反して、Amazonへ通報提供した」蓋然性は、極めて高い。
繰り返しますが、ご当人が『まあ、このタイミングだと、私が直接の関係者でないと、いくら言い張っても、難しくなってしまった、というのはその通りです。』と認めざるを得ないほど、これは「合理的な推理」である、ということでございます。
しかしそれでも、「直接証拠がない」かぎりは、薄ら笑いを浮かべて、犯行を否認するのが、Solaris1さまという方だということなのでございましょうね。
本当に、自身が通報していないのに、あまりにも「悪いタイミング」で、たまたま、他の誰かが通報したために、そのとばっちりで自分が「合理的な疑い」を掛けられたとすれば、その人の反応とは、果たして、今回のSolaris1さまのようなものになるでしょうか?
普通の人なら「信じてもらえないかもしれないけれど、私は、そんな信義にもとるような通報などしていません。無理は承知で、それでも、そこだけは信じて欲しいところです」くらいの「真情のこもった」書き方をすることでしょう。
しかし、私にコテンパンに「論破」されたせいで、自分が何をしたとしても、私に「お願いする」とか「すがる」といったことができない「犯人」は、ただ「直接証拠はないんだろう?」と、薄ら笑いを浮かべて、勝ち誇りたがるものなのでございます。
それは、正当なクレームをつけた顧客を、誠実ぶった「舌先三寸」で丸め込み、裏で舌を出しているような人間には、いかにもふさわしい行いなのではないでしょうか。
○ ○ ○
Solaris1さまが、このような方であるのかどうか、Solaris1さまの「ブログ」や「Amazonレビュー」を、直接ご確認いただき、それぞれにご判断いただければと存じます。
ブログの記事には『高齢者(90歳前後)の両親と同居』とありますから、私とほぼ同世代の、自称「昔、米国西海岸のit企業で、コールセンターのマネージャーをやっていた、システムエンジニア」だということなのでございましょう。
・ Solaris1さんのブログ「古代世界の午後雑記 古代世界の午後更新履歴と雑記」(Seesaa BLOG)
(http://shahr.seesaa.net)
・ Solaris1さんの「Amazonレビューのカスタマーページ」
(https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AHITAJUPYJZ4PT7PGR2SRU53S7ZQ)
・ Solaris1さんの旧ブログ「古代世界の午後雑記」(excite blog)
(https://shahr.exblog.jp/profile/)
(https://shahr.exblog.jp/i7/)
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https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGMUSJ6KNMQ2DS44MESN2HLTV2TA
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(18 =Aー10)
「Solaris1さん「人間性」について」
(園主:2021年 7月 9日(金)22時15分43秒)
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Solaris1さん「人間性」について 投稿者:園主 投稿日:2021年 7月 9日(金)22時15分43秒
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皆さま、私の前回の書き込み「Solaris1さんによる「Amazonへの通報」疑惑について」(https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3108)では、タイトルのとおり、Solaris1さまの「人間性」への否定的評価を決定的なものにするであろう「Amazonへの通報疑惑」について書かせていただきました。
私の個人的な見解としては、Solaris1さまが「Amazonへの通報」をしたと確信しておりますし、前記の文章について、いまだに Solaris1さまから反応がないのも、さすがに疚しさがあって、これ以上、嘘に嘘を重ねたくないせいであろうと推測しております。
無論、「否認」を重ね続けるだけで「世間からの信用」が回復できるというのであれば、Solaris1さまなら、臆面もなく「嘘に嘘を重ねる」ことでございましょう。しかし、ご当人が、
『まあ、このタイミングだと、私が直接の関係者でないと、いくら言い張っても、難しくなってしまった、というのはその通りです。』
と書いていらしたとおり、状況証拠的にはSolaris1さまが「濃厚な容疑者」であることは、衆目の一致するところでございましょうから、いまさら、いくら「否認」を重ねても「第三者の心証を悪くする」だけ。
それに、私の告発とて「直接証拠」のないものなのですから、Solaris1さまは、またこの問題に触れて私を刺激し、寝た子を起こすようなことをするのは得策ではないと、そう判断をなさったのだと推測いたします。
「状況証拠による告発」と「単なる否認」の水掛け論では、長引かせるだけ自分が損だとSolaris1さまが考えるのは「米国西海岸のIT企業で、コールセンターのマネージャー」をやっていた方らしい、ある意味では(狡くも)賢明な判断だとも申せましょう。
ですから、「直接証拠のない告発」である「Amazonへの通報疑惑」とは別に、これまでまだ指摘していなかった「直接証拠のある事柄」について、今回は書きたいと存じます。
つまり、Solaris1さん「人間性」をはっきりと窺わせるに足る、「直接証拠」についての紹介解説でございます。
○ ○ ○
それは、Solaris1さまの2021年7月4日付けの書き込み(「(無題)」 https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3106)での、私の指摘に対する、次のような、じつに素っ気ない応答でございます。
これは、Solaris1さまが、その前の2021年7月2日付けの書き込み(「(無題)」 https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3104)で、
と、私のことを指して『どうもこの方は、先入観で断定してしまうことが大変多いように思えます。』などと難じたものの、この指摘自体が「(きちんと読んでいない)思い込みによる」間違いでしかなかったことを、私が2021年7月3日付けの書き込み(「Solaris1さんは、「システムエンジニア」ではなく「コールセンターのマネージャー」でした。」 https://8010.teacup.com/aleksey/bbs/3105)で、次のように論駁した結果でございました。
つまり、Solaris1さまは、私の文章の「引用ではない部分」を勝手に「引用だと思い込んだ」上で「それだけを根拠に」して、私のことを、
と謗り、逆にその誤りを指摘され、それが認めざるを得ない事実だとわかると、「一片の謝罪もなく」、ただ、
で済ませてしまえる「反省もなければ、誠意のかけらもない人間」だということでございます。
「普通の人間」であれば、公然と、人のことを『どうもこの方は、先入観で断定してしまうことが大変多いように思えます。』などと謗っておいて、それが明らかな間違いであったと分かれば、かたちだけでも「それは失礼しました」とか「申し訳ありませんでした。私の早とちりでした」などと書くことでしょう。
それが「まともな社会人」の常識だと思うのですが、「米国西海岸のIT企業で、コールセンターのマネージャー」をやっていた「システムエンジニア」のSolaris1さまには、そうした「常識」が、このとおり、完全に欠落しているのでございます。
しかし、このことにこそ、Solaris1さまの「人間性」が、端的に「露呈」していたのではないでしょうか。
「自分が間違っていたとわかっても、謝罪しない」一一それが、Solaris1さまという方なのだと断じても、これは十二分に根拠のある断定だと言えるのではないでしょうか。
そして「そうした人なら、バレなければ、信義を欠く行動だってするだろう」という類推も、妥当なものと言えるのではないでしょうか。
この「自分が間違っていたとわかっても、謝罪しない」という「事実」もまた、Solaris1さまが「Amazonへの通告をし、それを臆面もなく否認して、嘘をついている」とする「私の推理」を補強する「(容疑者の人格を浮き彫りにする)間接証拠」(傍証)だと言えるのではないでしょうか。
一一いかがでしょう、Solaris1さま?
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(2024年4月23日)
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