スーザン・ソンタグ 『ラディカルな意志のスタイルズ』 : 徹底的なものが面白い
書評:スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』(河出書房新社)
1974年に翻訳刊行されたものの、2018年の新訳版である。
この新訳「完全版」は、「完訳版」という説明にはなっていないので、どこがどう「完全版」なのか、旧版と比較していない私には、よくわからない。
ただ、わかりやすい違いとしては、旧版のタイトルが『ラディカルな意志のスタイル』なのに対し、新訳完全版の方は『ラディカルな意志のスタイルズ』と、「スタイル」が複数形になっている点だろう。
もちろん、複数形の方が原題なのだろうが、日本語に訳される際には、複数形が略されるのは普通にあることだから、旧版の邦題が間違っていたということではない。ただし、旧題の単数系だと、タイトルが示している「ラディカルな意志のスタイル」の主体が、著者スーザン・ソンタグ自身を指しているかのように受け取られてしまう怖れがあるのだが、本書の内容からすれば、それは本書で扱われている複数の人たちのスタイルを指すものであろうから、日本語としては耳慣れないものでも、複数形の方が誤解されにくい、ものだとは言えるだろう。
さて、私にとってのソンタグは、これが2冊目である。前に読んだのは、1990年に邦訳された『エイズとその隠喩』で、それ以来だから、実に30数年ぶりということになる。
ちなみに、同書『エイズとその隠喩』は、1982年に邦訳の刊行された『隠喩としての病い』のバージョンアップ版続編的な著作だと言っても良いだろう。
『隠喩としての病い』が、当時はほとんど「不治の病」だった「癌」を、「お前は、この会社の癌だ」といったような「隠喩」として使うことの問題を扱っていたのに対し、『エイズとその隠喩』の方は、癌が「不治の病い」ではなくなる一方、新たな「不知の病い」として登場した「エイズ」を隠喩として使うことの問題を扱った書物だったと、大雑把にいえばそのような内容だったと思う。もちろん、この二つの病いの、性質の違いに沿っての議論が、そこで展開されているのである(例えば、癌は伝染しないが、エイズは伝染する)。
で、私はその頃、後の「BL小説」へと発展する「少年愛小説」や、アメリカで流行していた「ゲイ文学」に興味を持っていたので、その関係から「エイズ」にも相応の興味を持っていたし、また「隠喩としての不治の病」という点では、「表現の自由とその限界」の問題としても、本書を読んだのだと思う。
ちなみに『エイズとその隠喩』は、翻訳の2年後1992年に、先行の『隠喩としての病い』と合冊されて、今は(日本では)『隠喩としての病い エイズとその隠喩』として刊行されている。
このように、30数年前に読んだきりだったのは、当時としては、扱われている題材に興味はあっても、著者その人には、さほど興味が持てなかったからだろう。内容的には勉強になったし、著者の誠実な思考に好感も持ったはずだけれども、著者の別の本を読もうというほどの興味は持てなかった。
特に、ソンタグの他の著作が、演劇や写真、映画といった、当時の私には興味のないジャンルだったことも大きかったはずだ。
だから、今回ひさしぶりにソンタグを読むことにしたのは、もっぱら、ここ2年ほど前から研究を始めた「映画」との関連からである。先日読んだ、植草甚一『映画はどんどん新しくなってゆく』で、本書の初訳本『ラディカルな意志のスタイル』が紹介されており、同書所収の「ゴダール論」の引用紹介があったのだ。
で、この引用部分がなかなか面白かったので、それなら全部読もうと思った、という次第である。
しかし、本書の収められているのは、ゴダール論だけではないし、映画論だけでもない。
大まかに言うと、本書は三部構成になっており、第一部が「美術と文学」、第二部が「演劇と映画」、第三部が「ベトナム戦争」ということになるだろう。「目次」は、次のとおりである。
ソンタグのそれぞれの文章を、ごく簡単に紹介していこう。
「沈黙の美学」は、現代の芸術が「沈黙」を理想とする(指向する)ような態度になってきていることの意味を考えたものである。平たく言えば、鑑賞者(オーディエンス)に対して「語る」「訴える」「説明する」といった態度を採るのではなく、むしろそれをしないことに「芸術」の究極の姿を見るようになってきた。そんな、「前衛芸術」に代表される、各種芸術の最前線的な状況の意味を問うているのである。
「ポルノグラフィ的想像力」では、フランスにおいては文学として深められているのに、英米では「所詮はエロ本」的な扱いに止まっている「ポルノグラフィ」について、その最良の成果である、ジョルジュ・バタイユの『眼球譚』、ポリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』、マルキ・ド・サドの諸作などを扱いながら、「ポルノグラフィ的想像力」の「独自性」とその意味と価値を論じたもの。
「みずからに抗って考えること一一シオランをめぐって」は、悲観的で否定的な哲学を語る文学者としてのエミール・シオランに、『4分33秒』などで知られる前衛音楽家のジョン・ケージの思想を対置して、シオランの思想の限界を指摘したもの。
「演劇と映画」は、映画の世界でよく語られる、両者の関係性を論じたもので、そこに「文学」も絡んでくる。
「ベルイマンの『仮面/ペルソナ』」は、映画作家イングマール・ベルイマンの『仮面/ペルソナ』を擁護した作品論。
「作者が何を考えて作ったかではなく、作品から何が読み取れるのか」という観点において、同作を擁護するとともに、ソンタグの批評的な基本姿勢としての「解釈」の、その意味と価値を語ったものだと言えるだろう。
「ゴダール」は、先に「植草甚一が紹介していた」と紹介したジャン=リュック・ゴダール論。映画の可能性を、傍若無人とも言える態度で押し広げていくゴダールのスタンスを、最大限に高く評価している。
ゴダールの映画の作り方の理解については、私が先日書いたゴダール論と大きくは違わないと思うが、私にとって重要だったのが「ゴダールは、なんであんな変なことをしたがるのか?」だったのに対し、ソンタグは「ゴダールの動機」ではなく「ゴダールのやっていることの意味と価値」を論じ、擁護していると言えるだろう。
「アメリカで起こっていること」は、このエッセイが書かれた「ベトナム戦争」当時のアメリカについて、アメリカが世界で何をやっているのかということを、怒りを込めた激越な言葉で綴った短文で、それまでソンタグを高く評価した人の中にも、この文章には批判的な評者(無論、アメリカの)も少なくなかったという事実が、「訳者解説」で紹介されている。
だが、逆に私は、この短文によって、決定的にソンタグ支持者になってしまった。要は「こいつの怒りは本物だ」と、そう共感したのである。
「ハノイへの旅」は、タイトルどおり、ベトナム戦争当時に、アメリカの知識人として、ベトナムの首都ハノイを訪問した際に考えたことを綴った文章だ。
ちなみに、ベトナム戦争当時のベトナムは、ソ連の支援を受ける北ベトナムと、アメリカの支援を受ける南ベトナムの間で戦争が行われていたのであり、ソンタグが訪れたのは「北ベトナム」の方である。
つまり、当時のアメリカでは、ベトナム国民の望んだ社会主義体制化に対する、アメリカによる妨害的な介入は、お節介以上の不正義であるとする「ベトナム反戦運動」が巻き起こっており、ソンタグはその運動に関わっていた代表的な知識人の一人として、北ベトナムから招かれ、そこで見たこと考えたことについて書いたのが、この文章だということだ。
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さて、前述のとおり、私が本書を手に取った理由は、本書所収の「ゴダール」論に興味を持ち、それを読みたかったからで、ほかの文章は、いわば「おまけ」であり「ついで」に読んだようなものなのだが、結果としては、どれも面白い文章だった。
現代芸術が「語らないことを理想としている」と捉える「沈黙の美学」は、その捉え方に、なるほどと膝を打った。
私も若い頃に澁澤龍彦の影響で読んだ、フランスのエロティシズム文学について論じた「ポルノグラフィ的想像力」も、ポルノグラフィの独自性の捉え方として「なるほど」と感心させられたし、噂でしか知らなかったシオランについて論じた「みずからに抗って考えること一一シオランをめぐって」は、シオランの紹介部分で、シオランがおおよそ私の想像していたタイプの作家だというのがわかった(ソンタグは、無宗教のシオランの心性を、ある意味で「保守派カトリック的」だと評している)し、それに対置されるジョン・ケージについては、私はこれまでは前衛音楽家ということで興味はなかったのだが、相応に独特な思想の持ち主であることを教えられて、ケージの方にこそ興味を持った。近々、ケージの著作を読みたいと思っている。
映画作家ベルイマンについては、そのうち見たいと思っていたので、ソンタグの「ベルイマンの『仮面/ペルソナ』」は、ちょうど良い紹介文になった。
「ゴダール」については、おおむね期待どおりの内容だった。
そして、本書を読んで、最も収穫だったのが、実は、「ベトナム戦争」がらみの第三部の2篇だった。
ソンタグがリベラルな「反戦知識人」だというのはおおよそ知っていたので、この章については「読めば共感する内容だろう」とは思っていた。だが、だからこそ、特に何も新しいことは期待していなかった、とも言えるのである。書かれていることが「想定の範囲内」であろうと、予測していたのだ。
だが、だからこそ、その予想に反して、「知識人らしくない」と言ってもよいくらいの激越な言葉で綴られた「祖国批判」文である「アメリカで起こっていること」には、「おお、同志よ!」という共感を感じて、すっかりソンタグが好きになってしまった。
一一しかしだ、それでも、そんなソンタグのハノイ旅行記である「ハノイへの旅」については、おおよその内容の予想がつくようで、やはりあまり期待しなかった。きっと「アメリカがベトナムで、こんな酷いことをしている」とか「ベトナムの人々は、こんなに善良な人々だ」といったようなことを書いているのだろうと、そう予測したのだ。
だが、そうではなかった。そんな甘い、ありふれた内容ではなく、この人の「ラディカル」さがとてもよく表れた、読者の予想を何度も裏切って、読む者に心に食い入り、深く反省を強いるものだったのである。
無論、私も、自分の甘さを反省させられることになった。しかしまただからこそ、本書を読んだ価値は、まさにこの「ハノイへの旅」にあったと、そう言い切れるものともなったのである。
しかしながら、この「ハノイへの旅」の凄さを紹介するのは、正直言って、とても面倒だ。
というのも、このエッセイは、ある意味では「ミステリ小説」的に、二転三転する内容のもので、このエッセイの凄みを説明するためには、そのそれぞれの段階についての、けっこう丁寧な説明が必要になるからである。つまり、要約的な説明ではその魅力が伝わらないし、かと言って、丁寧に説明していたら、原文(邦訳で83ページ)にも負けないほどの長さになってしまう恐れが十分にあるのである。
だから、ここでは、ごく簡単に外形的な紹介で済ませたいと思う。それで、面白そうだと思えば、是非とも原文を読んでいただきたい。
さて、ソンタグは、北ベトナムからの招聘を受けて、「ベトナム戦争」の現場を見に行くことに対し、当初は懐疑的であった、と語る。
要は、アメリカにいて得られる情報は十分に得ていたし、知識人づらして「現地見物」へ行くことに、どれほどの実質的な意味と価値があるのか、という疑問を持っていたのである。
だが、それは行ってから考えればよいということで、彼女は迷った末に、招聘を受けての自費での旅行に旅立ったのだった。
予定外に行きと帰りの行程に時間がかかり、11日間の旅程なったハノイへの旅であったが、ハノイでの最初の5日間ほどは、ソンタグは、ベトナム人たちの歓迎ぶりに引っかかりを覚え、スッキリしないものを感じて、ある種のフラストレーションを募らせた。
彼らベトナム人たちは、型通りの歓迎をして、見るべき場所へと連れてゆき、彼らの考えを語るのだが、それがソンタグらにとっては「型通りの綺麗事(建前)」であり、「西側の友人」への「プロパガンダ」のようにしか感じられず、そのため「彼らの素顔が見たい。本音で語り合いたい」という苛立ちを募らせたのだ。
だが、そのうち、ベトナム人たちのそうした態度や語る言葉が、決して「建前」や「綺麗事」や「プロパガンダ」ではなく、言うなれば「国民性の違い」に由来するものであることに気づいて、腑に落ちることなるのである。
どういうことかというと、欧米人にとっては、人間には「本音と建前」があって、本音で語ることが誠実であり、言い換えれば、「表面を繕うことは、偽善である」と考えられがちだ。つまり、「中身を反映しない外面」は「悪しきもの(偽り)」だと考えられるから、「立派すぎる言動」や「好意的すぎる態度」を示されると、つい「建前はいいから、本音で話そうよ。あなただって、アメリカに対して思っていることは色々あるはずでしょ」という気持ちになるのである。
だが、ベトナム人は、そういう態度を決して採らない。例えば、面と向かって相手を痛罵するようは態度は、決して採らない。アメリカと敵対していても「アメリカ政府が悪いのであって、アメリカ国民が悪いわけではない。むしろ、アメリカは本来、尊敬に値する民主主義先進国なのだ」と、そんなふうに、ニコニコしながら語るので、つい「建前はもういいから」とそう感じて苛立ってしまう。
しかも、そういう態度が、ベトナムの高官だけではなく、道で行き合う人々でさえそうなのだ。彼らは、そうした「節度」を、決して崩さないのである。
もちろん、庶民は、ソンタグらを見てアメリカ人だとはわかっていないのだが、しかし、ベトナム人の庶民は、外人に対して非常に礼儀正しく親切なだけではなく、お互い(同国人・身内)に対しても礼節を重んじる。同国民の間でもそうした「節度」の重視という点では同じなのだ。つまり、そうした「節度ある態度」は、決して「外国人向けの仮面」というわけではないのだ。
また、そうしたことは、例えば、貧しい東南アジアの仏教国の中でも、ベトナム人は特に「身綺麗」だといった特徴にも通底するのである。ベトナム人は、だらしない自分をさらけ出すのを、潔しとしないのだ。
一一で、ソンタグは、そうしたことから、ベトナム人の、欧米人とは違う倫理観を洞察するのである。
それは、ベトナム人の倫理観とは、「立派な振る舞いをする人間が、立派な人間なのだ」というものだ、ということである。
つまり、彼らには、基本的に「本音と建前」というのが無いのだ。
「たとえ痩せ我慢であっても、立派な振る舞いができるのなら、それは立派な生き方であり、その人は立派な人間だ(言い換えればそれは、見栄や建前といった、否定的な意味は持たない)」ということであり、彼らには「他人を欺くための立派な行い」というものが、基本的には無い。
そんなものは所詮長続きしないものなのだから、言うなれば、そんなものは、そのうち「廃棄するための、仮の仮面」でしかないのだが、ベトナム人の「立派な言動」というのは「斯くあらねばならない」という理想に従っての積極的に倫理的な選択行動であり、それがやれている自分に、彼らは誇りこそ感じても、虚偽や偽善だなど感じたり、卑下したりすることはない、ということなのだ。
言い換えれば、ベトナム人は「心に中でどんな欲望を持っていようと、それを押さえつけて立派な言動ができるのなら、それこそが尊敬に値する生き方(人間)だ」という「美意識」を持っているので、「本音は、そうじゃないだろう?」みたいな「本音主義」の「勘ぐり」など意味を持たない。
またその点で、「表面的な言動」を疑い、「本音」を(腹を)探り合うことが習慣化し、「本音」こそが、その人の真理であり素顔だと考える「欧米的思考」とは、大いに違っていると、ソンタグは、そんな「ベトナム人理解」に至るのである。
だからこそ、彼らベトナム人は、理想に献身的であり、愛国的であり、そのせいで、巨大なアメリカを相手に、捨て身の徹底抗戦もできるのだと、そう気づいたのである。
要は、彼らには「裏」など無く、見たままの「本気」だということである。だから、誤解されるほどに単純ではあるけれども、強い。
もちろん、ソンタグは、それがベトナム人のすべてだとまでは言わない。
だが、アメリカ人である自分が、ベトナム人たちに感じた「違和感」も、このように考えれば、スッキリと論理的に呑み込めると考え、それを否定する(論理的な)理由(説明)など無い、と考えたのだ。
これは、ソンタグが、ベトナム人的な考え方が正しいとか、ベトナム人的な考え方にならなければいけないとか、ベトナム人的な考え方を世界中の人が持てば世界から戦争がなくなるのに、などと考えたわけではない、ということである。
そうはならないだろうけれども、目の前のベトナム人の現実を、このように「解釈する」ことで、彼らの言動の、善きにつけ悪しきにつけて感じられる「奇妙な偏り」が理解できると考えた、ということなのだ。
で、私は、このソンタグのベトナム人理解に、心底驚愕し、感心してしまった。
私の書く文章を、ある程度読んでくれている人であれば、私が「本音主義」であり、その点で、かなり「汚い言葉」も意識的に使うということをご存知だろう。
もちろん、私はそれを、この「偽善社会」に対抗するためには必要なものだと考えて、方法的に採用してきたわけなのだが、ソンタグのこのエッセイが示しているのは、私のこういう「人間理解」が、きわめて「西欧的」なものでしかない、という事実なのだ。
言い換えれば、そうではない価値観や倫理観も、世界にはあるのだということを、私はソンタグに、ここで教えてもらったのだ。だから私は、目から鱗が落ちるが如く驚いたし、勉強にもなった。
頭では「そういうこともあり得る」とわかっていたとは言え、自分の価値観の相対性を、実証的かつ論理的に、ハッキリと教えてもらえたのである。
したがって、私がソンタグの立場だったら、ソンタグと同様に「自分が現地視察したところで」と考えただろうし、ベトナム人の歓迎と礼儀正しい敬意表明に対しても「建前はいいから、本音で話しましょうよ」という気持ちになっただろう。
だがしかし、ソンタグのように「ベトナム人の態度」の意味を深く読み取って、自分たちの考え方を相対化することは、私にはできなかっただろうと、そう思わずにはいられなかったのだ。その意味で、ソンタグの「他者に誠実な、読みの徹底性」に、私は心から敬服したのである。
そして「この人なら、信頼できる」と、そう感じた。一一だから、もっとソンタグを読みたいと思ったのである。
ともあれ本書は、多くの人に強くお薦めしたい、文字どおりの「名著」である。
(2024年8月4日)
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