ウィリアム・ワイラー監督 『ローマの休日』 : 『ローマの休日』論
映画評:ウィリアム・ワイラー監督『ローマの休日』(1953年・アメリカ映画)
「名作」の誉れも高き傑作だが、「ロマンティック・コメディ」ということで、長年、積極的に見ようとは思わなかった。
あまりにも有名な、ローマの街をスクーター(ベスパ)で二人乗りするシーンだとか、偽りの心のある者が手を口に入れると、手を噛み切られる、あるいは手が抜けなくなるという伝説のある、直径2メートルほどもあるギリシャ神話の海神の顔のレリーフ「真実の口」に、新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)が、アン王女(オードリー・ヘプバーン)の前で手を突っ込んで、手首を噛み切られたふりをしてアン王女をびっくりさせる、というあまりにも有名なシーンなど、楽しげなデートシーンの数々の印象が強すぎて、それ以上の作品だとは思えなかったのである。
私個人の趣味として、「恋愛もの」には、あまり触手が動かなかったのだ。
ところが先日、漫画家・山本おさむの『赤狩り THE RED RAT IN HOLLYWOOD』(全10巻)を読んだ際、本作『ローマの休日』がその第2巻で大きく取り上げられており、作品の背景を知ることになって、これは見なければと、そう思ったのだ。
当時のハリウッドは、すでに「マッカーシズム」とも呼ばれた「反共産主義社会運動」の標的とされ、その最中にあって、いわゆる「赤狩り」が、猛威をふるっていた。
共産党員はもとより、中立、あるいはリベラルな立場に立つ者さえ、反国家的な「赤(共産主義者とそのシンパ)」として、下院の「非米活動委員会」の調査対象となっていた。
容疑をかけられた者は、下院議会に召喚され、嘘をつかないと宣誓させられた上で、自らの思想信条の弁明するとともに、知り合いに「赤」がいるのであれば、その名を挙げろと要求されたのである。
当時のハリウッドには、共産党員や元共産党員が、少なからずいた。戦中は、米ソはともに連合国だったので、共産主義を敵視してはいなかったからなのだが、要は、そうした同僚を「売れ」と要求されたのだ。
しかも、それを拒否すれば、「議会侮辱罪」に問われ、懲役刑まで課されるという、思想信条の自由も言論の自由もあったものではない、それはきわめて過酷な、「魔女裁判」だったのである。
こうしたことの背景としては、戦後の東西(米ソ)二大陣営の対立と、その主導権を握るための原爆の開発競争、またそれにかかわるスパイ事件の発生などがあった。
アメリカにおける原爆開発を主導し、世界初のそれを実現して「原爆の父」と言われたロバート・オッペンハイマー博士までが、その後の水爆開発に反対したがために、同様の取り調べを受け、世間から「裏切り者」呼ばわりされるに至ったというのは、映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督、2023年)にも描かれて、いまや有名な話なのだが、それと同じことが、萎縮効果を狙った「みせしめ」的な意味合いから、ハリウッドを標的にしても、なされていたのである。
ハリウッドでこの召喚を受けたのは、映画監督や俳優、脚本家たちだったのだが、そうした中で証言を拒否した脚本家ダルトン・トランボなどの10人が、「ハリウッド・テン」と呼ばれて、世間からその去就に注目を集めることになる。
その後の10人の運命はさまざまで、トランボのように、懲役刑をくらっても最後まで抵抗した者もいれば、途中で挫折して証言するのを受け入れた者もいる。
いずれにしろ彼らは、証言拒否をしたがために、ハリウッドでの職を失って、追い詰められていったのだ。
では、トランボは、ハリウッドでの仕事を干されて、どのように糊口を凌いだのかといえば、彼の場合は、ゴーストライターとして脚本を書き続ける道を選んだ。偽名を使ったり、実在する他の脚本家の名義を借りて書いたり。収入が激減することにはなったが、彼にはそれしかなかった。
偽名で脚本を書けば、足元を見て脚本料を叩かれる。名義を貸してもらえば、名義人への謝礼を払ってもまだマシなのだが、無論、名義を貸してくれる者がいなければ、それもかなわぬこと。
「赤」のレッテルを貼られてハリウッドを干されているトランボに名義を貸すというのは、それ自体が極めて危険なことだったのだから、普通は恐ろしくて、不労所得の謝礼と引き換えでも、彼に名義を貸そうなどという者は、なかなかいなかったのだ。
だが、脚本家イアン・マクレラン・ハンターの「名義貸し」によって脚本が書かれ、そしてアカデミー賞まで受賞してしまったのが、本作『ローマの休日』だった。
そのロマンティックな作品イメージとは裏腹に、生々しく苦々しい現実が、この作品の裏には隠されていたのだ。
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本作『ローマの休日』の「ストーリー」は、次のとおりである。
要は、公務で外遊中の、ヨーロッパ某国の王女であるアンが、忙しくて退屈な公務にうんざりして、ある夜、宿泊先の大使館(※ にしては立派すぎる宮殿。迎賓館的な施設かも)をひとりで抜け出してしまい、たまたま通りがかった新聞記者のジョーと知り合う。
もちろん、アンは身元を隠そうとしたが、ジョーは彼女がアン王女であることに気づき、気づいていないふりをしたまま、王女の望む「たった一日の自由な時間」におつきあいし、それを特ダネとして、あとで売ろうと考えたのであった。
ところが、二人はデートに等しい1日をすごすうちに、本気で惹かれ合うようになる。
一方、王女の脱走に気づいた某国外遊スタッフは、王女急病のため予定の行事はいっさい中止すると発表し、本国に王女捜索のための応援部隊を要請して、秘密裏の捜索が開始される。
デートを楽しむ二人に捜索の手が迫り、そこでドタバタが演じられ、二人は辛くも追っ手から逃れる。
しかし王女は、当初の予定どおり、一日限りの自由を味わったあと、自ら公務に戻ることをジョーに告げ、ジョーもそれを受け入れて、二人はそこで別れることになる。
そして、翌日、病気療養中とされていたアン王女が姿を表して、ローマを去るにあたっての記者会見を行い、そこへジョーと、その仲間で、アンとジョーのデートの様子を隠し撮りしていた、気の良いカメラマンのアーヴィングも出席する。
そして、3人はお互いに初めて会うふりをして挨拶を交わし、アンはその眼差しに、ジョーとアーヴィングへの信頼と感謝を込め、二人はそれに応じて、彼女が記者会見の場から去るのを見送るのである。
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本作が、並々ならぬ「名作」となったのは、どういう点にあったのか。
それは、アンとジョーの「身分違いの恋」が描かれたから、ではない。
二人の、絵に描いたように明るく楽しいデートシーンや、その後のドタバタ。そして、最後の別れといったドラマチックさが、本作を「歴史的名作」にしたのではない。
本作を名作にしたのは、ありがちな「身分違いの恋の成就」あるいは、悲劇的な「泣きの別れ」を描いたからではない。
本作を無類の名作にしたのは、「恋の成就」以上のものを二人が共有して、つらい別れを共に受け入れた、その「崇高な同志」性が描かれていた点において、本作は、凡百の作品を軽々と超えて行ったのである。
私が見たところ、最も感動的なシーンは、最後の記者会見における、アンとジョーの「眼差しの交換」である。
見知らぬ同士を装っているから、直接的に目線を結ばせる瞬間はほとんどない。
それでも、二人が無言のなかで、溢れる想いを交わし合っているというのが、見る者にはひしひし伝わって来るのだ。
ヘタなセリフなどではなく、その「眼差し」の演技と演出によって、二人の万感の想いが見事に描かれているからこそ、このシーンは「崇高」なものにさえなったのである。
では、ここでの二人の想いとは、どのようなものであったのだろうか。
アン王女の場合は、「公人としての自覚」であろう。
それは、生まれによって強いられたものなどではなく、天から与えられ、そして彼女自身が選び取った、崇高なる「使命」なのである。だから彼女は、その使命を果たすために、涙を流しながらも、自ら帰っていった。
若い女性として、当たり前に求めた「自由」、そして、期せずして出会った「恋」。
一一けれども彼女は、それを体験させてくれたジョーに感謝しつつ、自らの「使命」を果たすべく、帰っていったのだ。
そして、ジョーの方は、彼女のことを、自分が独占して良い存在ではないのだと認めて、彼女を、その望む道へと、むしろ、その背中を押して、送り出したのだ。
「そうだ。それこそが君の果たすべき使命なのだ。だから僕は、君を黙って見送ろう。だが、僕がいつでも、君を見守っていることだけは、おぼえておいてくれ」
一一そうした想いが、ジョーの少しうるんだ瞳には込められていたのである。
本作の脚本を書いたトランボは、本作を書くにあたって、フランク・キャプラ監督の名作 『或る夜の出来事』 を下敷きにしたという。
なるほど、両者はともに典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」であるだけではなく、逃げ出した令嬢が、新聞記者の男性に救われ、時間を共にする中で惹かれあっていく、という基本構造において、そっくり同じだと言えよう。
だが、それにもかかわらず、両者がまったく違ったものに見えるのは、「ヒロインの性格」の違い、といったことだけではない。
『或る夜の出来事』のヒロイン、富豪令嬢エリーは、気の強い、どちらかと言えば、わがまま娘である。
したがって、新聞記者ピーターとの出会いの当初は、ピーターに突っかかっていくことが多かったが、それがやがて変化していく、その「ツンデレ」ぶりに、エリーの魅力はあったのだ。
一方、本作『ローマの休日』のヒロインであるアン王女は、初めから素直で可愛い女性であり、それがジョーとの「恋」へと素直に発展していく。
だから、『ある夜の出来事』のエリーとは、ずいぶんと違った印象を与えるのだ。
だが、『ある夜の出来事』と『ローマの休日』の決定的な違いは、そこではない。
両作の決定的な違いは、物語の最後で、ヒロインとヒーローが「結ばれる」か否か、にあったのだ。
『ある夜の出来事』の方では、エリーとピーターの旅は、あるすれ違いと誤解によって中断し、そのことに失望したエリーは、好きではないから逃げ出した、親の決めた婚約者との結婚をいったんは決意する。しかし最後は、その結婚式から逃げ出して、迎えに来たピーターの腕に飛び込む、という、この種の作品の「王道」パターンとなっている。
つまり最後は、二人が無事に結ばれるハッピーエンドで、良かった良かったとなる作品なのだ。
だが、『ローマの休日』は、この「王道」パターンには従わず、かと言って、バットエンドを描いたわけでもない。
『ローマの休日』のラストもまた、いささか変則的なものではあろうと、恋人たち双方の選んだ、ハッピーエンドだった。
だからこそ、私たちは、二人の別れで幕を閉じる、このラストシーンに感動するし、本作は無類の傑作ともなり得た。
恋人たちが結ばれるという、当たり前のハッピーエンド、当たり前の「幸福」の選択以上の何かを描いたからこそ、本作は「崇高さ」さえ湛える、無類の作品となったのである。
しかし、ここで勘違いしてはならないのは、その「崇高さ」とは、単に、アン王女が、「身分に由来する使命」を選んだという点にあるのではない。
彼女は「生まれにかかわる義務」としてそれを選んだのではなく、自分にしか果たし得ない「使命」、最初は与えられたものではあれ、今は自分が果たしたい使命として、自ら選び取ったものだったからこそ、その選択は、崇高なものたり得たのだ。
当たり前の「男女の恋愛感情」を犠牲にしてまでも選び取ったものだからこそ、それはそれほどに「崇高なもの」たり得たのであり、そしてそのことを理解したからこそ、ジョーは彼女を、その使命へと送り出してやったのだ。
しかし、このあまり「当たり前」とは言いがたい「崇高な使命の選択」というは、どのあたりから生まれてきたものなのであろうか?
一一それは、本作の脚本を書いたダルトン・トランボ自身の、生々しい「覚悟」に発し、そこから自然に生まれてきたものだと私は思う。
つまり、アン王女の「使命感」であり、その「あえて為された、つらい選択」とは、トランボ自身の「闘いにおける使命感と痛切な覚悟」を反映したものだと思うのだ。
彼だって、当たり前の人間だから、「表現や思想の自由」を守るため、あるいは、友人知人への「信義」を守るためとは言え、あえて「職を失う」という選択が、容易にできたわけではない。
彼には妻とまだ幼い3人の子供もいたのだから、彼が家族のために「節を屈した」としても、それは「やむを得ないこと」だし、多くの人も、その選択に理解を示したことだろう。
また、トランボ自身、生活のために泣く泣く仲間を売った人たちに対して、同情的な理解を持っていたのである。
だが、それでも彼は、その「当たり前の道」を選ぶことはできなかった。
彼には「当たり前の生活」を守るために、その節を屈し、憎むべき敵の前に、膝を屈することは出来なかったのだ。
そんなことをすれば、自分が信じられなくなるとか情けなくなるとかいったことではなく、それ以前の、彼がこれまで信じてきたものが、決定的に損なわれてしまうと感じたからであろう。
だから彼は、当たり前の生活を捨ててでも、その「信じたもの」を守るために、あえて困難な道を選んだのである。
一一つまり、それが「アン王女」の選択でもあったのだ。
当たり前に「女の幸せ」を選ぶのではなく、それ以上の、「人としての理想と希望」のために、彼女は、あえてジョーとの恋を諦めた。
自分自身がつらいのは無論、ジョーを悲しませることになるのを重々承知しながら、それでも彼女は、自分にしか果たし得ない「使命」を、自ら選び取った。
そして、ジョーは、そのことを十分に理解したからこそ、個人的にはつらいことでも、しかし、アン王女のために、喜んで彼女を、その「使命」へと送り出したのである。
一一いったい、これ以上の「愛」があるだろうか?
つまり、トランボは、自身の想いをアン王女に託していたのだ。
そして、そんな彼の選択、「自分勝手」とも非難できようその選択を、黙って支えてくれた、家族や仲間への感謝を、この作品のラストに込めていたのである。
言い換えれば、『ローマの休日』のラストシーンである記者会見での、二人の「言葉を交わすこともない別れ」は、トランボが「議会侮辱罪」で入獄する際、入獄する彼と、それを黙って見送ったであろう家族や友人たちの姿が重ねられていたのであろう。
「僕はこれから、闘いに行くよ」
「ええ、行ってらっしゃい。くれぐれもお身体にだけは気をつけて」
そんな想いの込められたラストシーンだからこそ、見る者はそこに、尋常ではない、重い「崇高さ」を感じ取らざるを得なかったのではないだろうか。
(2024年9月16日)
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