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ユージン・スミスの 〈ピエタ〉 : 映画 『MINAMATA -ミナマタ-』
映画評:アンドリュー・レヴィタス監督『MINAMATA -ミナマタ-』
私は1962年生まれなので、ことさらに勉強しなくても、「水俣病」についてなら大筋のところで知ってはいた。なにしろ、子供の頃にテレビで見た水俣病に関わる「映像」は、あまりにもショッキングで、一度見たら忘れられない、言ってしまえば「悪夢的」でもあれば「トラウマ」的に恐ろしいものだったからだ。一一そう。歪んだ人体、狂ったように踊る猫…。
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見てはいけないものを見てしまったという印象とともに、それは私を含む多くの人の脳裏に、恐怖の記憶として深く焼きつけられたのだが、しかし、そうした「映像」も、もしかすると今では、テレビでは見られないのかもしれない。
ユージン・スミスという写真家の名前も、何度となく耳にしてきたのだと思う。どこかで聞き覚えはあったのだが、絵画美術派の私は、写真芸術には興味がなかったので、写真家のこともよく知らなかった。
知っている写真家といえば、子供時代に雑誌のグラビア写真家として知った篠山紀信か、何かおどろおどろしく、まったく私の趣味ではないエロ写真を撮っていたアラーキー(荒木経惟)くらいであった。
だから、ユージン・スミスに興味を持ったのは、ジョニー・デップが「水俣の写真を撮って、世界に知らしめた写真家ユージン・スミスを演じる」という第一報を聞いた時だと思う。
長じて文学愛好家となった私にとって、「水俣」と言えば、まず「石牟礼道子」だという印象がすでに出来上がっていたが、その代表作である『苦海浄土』を、読もう読もうと思いながら、今だに読めていない。それは、ユージン・スミスに興味を持った4年ほど前も同じだったので、私は「水俣」へのとっかかりとして、ユージン・スミスの写真を見ようと、彼の写真集を購った。写真集『MINAMATA』ではなく、ユージン・スミスの生涯を通じての代表作品集だった。
「水俣」を撮ったような写真家だから、私はてっきり彼を「社会派」のジャーナリスティックな写真家だと思い込んでいたのだが、その写真集の表紙を飾っていたのは、暗い森の抜け道から出て行く幼い兄妹の後ろ姿を写した作品「楽園への歩み」で、それはまるで「童話本の表紙絵」ような「絵画的作品」だった。
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また、それだけではなく、その写真集に収められた作品のかなりの部分、特に初期の作品には、きわめて構成的で「絵画的な作品」(「アート写真」と言うのだろうか)が多く見られた。意外なことに、ユージン・スミスは、いわゆる「リアリズム」の写真家ではなかったのである。
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今回、ジョニー・デップの主演で、アンドリュー・レヴィタス監督によって劇映画として撮られた『MINAMATA -ミナマタ-』では、ユージン・スミスの遺作写真集となった『MINAMATA』の中でも、特に世界に衝撃を与えたであろう作品「入浴する智子と母」の撮影シーンが再現されている。
この作品は、一見すれば分かるように、きわめて作り込まれた写真であり、決して実際の入浴シーンを切り取ったノンフィクション写真ではない。だからこそ、(詳しくは知らないが)いろいろと物議を醸した作品であり、そうしたこともあって、水俣でも撮影時にスミスを支え、のちに妻となる、アイリーン・美緒子・スミスは、長らくこの作品を封印してきたという。
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写真界では、写真は「現実を切り取る」ものだという意識が、やはりどこかで強かったのであろう。だから、意識的、意図的に「構成された写真」つまり「作った写真」というものは、どこか「邪道」だと見るむきがあったのかもしれない。「売らんかなの商業写真」であれば、せいぜい売れるように「こぎれいに撮った写真」でもいいだろうが、写真の本領とは「そういうものではない」という意識が、多くの真面目な写真家に持たれていたのではないだろうか。
だから、ユージン・スミスの写真というのは、きっと評価が分かれていたはずだ。たしかに題材的には「社会派」的なものが多く、その点でインパクトのある内容なのに、それでいて「絵画的に構成された、美しい写真」だった。だから、多くの人から「素晴らしい」と絶賛された反面、「これは偽物だ」という評価をする人も少なくなかったのではないかと、容易に推測ができる。
しかし、ユージン・スミスは、自分の感性や美意識にしたがって、彼にしか撮れない、彼の「ドキュメンタリー写真」を、信念を持って撮ったのではないだろうか。
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前述のとおり、映画の最後で、写真集『MINAMATA』を象徴する作品「入浴する智子と母」(映画では、智子ではなく、アキコ)の撮影シーンが再現されているが、本物の、つまりユージン・スミスの撮った「入浴する智子と母」が、西欧世界の人々に、どれほどの衝撃を与えたかは、この写真がミケランジェロの「ピエタ」にそっくりだということに気づけば、容易に理解することができるだろう。
磔刑に処せれた後、地面に降ろされたイエスの亡骸を膝に横抱きにして嘆き哀しむ母マリアの姿は、「ピエタ(嘆き)」として、キリスト教世界の多くの画家や彫刻家たちによって作品化されてきたテーマだから、キリスト教に縁のない日本人でさえも、見たことくらいならあるのではないだろうか。
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「入浴する智子と母」が、「ピエタ」を踏まえた作品であろうという私の推測は、たぶん当たっているだろうし、すでに多くの人たちに指摘されてきたことであろう。
だが、いずれにしろ、「ピエタ」に重ねられた「入浴する智子と母」が伝えるメッセージは明白だ。
「水俣病に苦しめられた人たちは、人間の原罪を一身に引き受けて死んだ、贖罪の神にも等しい存在だ」ということであり、それと同時に「人間としての母子の、嘆きと苦しみ」を、荘厳かつ脅迫的なまでに伝えるものだったのではないだろうか。
主演のジョニー・デップも、監督のアンドリュー・レヴィタスも、水俣で闘った人々、そして彼らとともに闘ったユージン・スミスのこと伝えたいと、この映画の製作意図を語っているが、しかし、私がここで指摘しておきたいのは、私たちが、工場廃液を垂れ流して悲惨な水俣病を引き起こした肥料製造会社「チッソ」と闘う水俣の人々や、その共闘者であるユージン・スミスのような立場を選ばないのであれば、私たちは無自覚に、今も原罪にまみれたまま「チッソ」の側に立っている人間だ、という事実である。
だから、私たちは『MINAMATA』に描かれたものを、まずは知るべきであろう。特に、テレビでも見ることのできなくなった「水俣病」の残酷な現実を、それを知らない若い人たちには、是非見てもらいたい。そして、考えてもらいたい。なぜならそれは、若い人たちの「未来」の姿かもしれないからだ。
「MINAMATA」は、今も終わっていないのである。
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(2021年9月26日)
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