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ダンテ・アリギエーリ 『帝政論』 : 教会と敵対した 〈ダンテの 信仰と論理〉
書評:ダンテ・アリギエーリ『帝政論』(中公文庫)
本書を頭から読み始めた人は、必ずや面食らうことになるだろう。某漫才コンビのギャグではないが「ちょっと何言ってるか分からない」と言いたくなるような、理解不能な議論が展開されているからである。
なぜそうなるのかといえば、それは本書『帝政論』が、「統治形式としては、皇帝政治が最も優れていますよ」といった「世俗的統治論」ではなく、「皇帝政治」の合理性を「キリスト教神学」において立証しようとした書物であったからだ。
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したがって「キリスト教神学」の、かなり専門的な知識がなければ、「ちょっと何言ってるか分からない」と言いたくなるのも当然。
なにしろ、何の説明もなく「可能理性」なんて言葉が出てきて、それが中心問題的に議論されたりするのだが、この「可能理性」というのは、人間の持つ「理性」ではなく、それ以前に、独立的に存在する可能体としての「理性」といったような神秘的なものなのだから、今の私たちの常識だけで読んでいって、理解などできるわけがないのである。
Amazonのカスタマーレビューで、レビュアーの「a prayer」氏が紹介しているように、本書は、
『本書全体のうち、本文と傍注が約半分の200頁、註解が約130頁、訳者あとがきが約70頁と驚異の構成となっている。註解は笑えるほど専門的な水準で、さらに訳者あとがきの大半は恐ろしく詳細なフィレンツェ政治史である。』
そんな、とんでもない「専門書」であり、よくもこんなものを文庫本にしたなと呆れてしまうような代物で、素人が何も知らずに頭から読んでいったら、「ちょっと何言ってるか分からない」と言いたくなるのは、むしろ当然のことなのである。
したがって、本書を読むのであれば、まず「訳者あとがき」を読み、それから「本文と傍註」を読み、さらに「註解」を読むと良い。そうすれば、理解することはできないまでも、雰囲気くらいはつかめるし、「まあ、おおよそ言いたいことはわかった」というレベルに達することなら、できるはずだからだ。
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しかし、それでも本書が難しく、一読した程度で理解できるものではないというのは、ダンテによる本書が書かれた背景となる「フィレンツェ政治史」が、一筋縄ではいかないほど複雑だからで、しかも、「a prayer」氏が『恐ろしく詳細なフィレンツェ政治史』と表現している「訳者あとがき」ですら、実際には、非常に大まかな、フィレンツェ政治史の「あらすじ」程度のものでしかないからだ。
つまり、この「訳者あとがき」だけを読んでも「フィレンツェ政治史」が頭に入ってくることはない。むしろ、この「訳者あとがき」における簡便な「フィレンツェ政治史」は、もとから「フィレンツェ政治史」を精通している人が読めば、「短くよくまとめている」と評価できるような代物なのである。
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ともあれ、解説者である訳者自身が「訳者あとがき」の冒頭で、
『 皇帝権と教皇権の抗争の支脈として生じたイタリアの諸党派の内戦状態は一三世紀に頂点に達していた。極めて複雑なこのイタリアの政治的状況を記述する有益な表現が、教皇を支持するグェルフィと皇帝を支持するギベッリーニである。ただしこのような単純明快な区別を一三世紀イタリアの政治的現実にそのまま適用することは、過度の単純化であるとの謗りを免れないだろう。』(P330)
と、ダンテの生きた、一三世紀から一四世紀初頭のイタリアの政治状況は、決して単純化できるようなものではないとわざわざ断っており、その上で、単純化の弊を避けようとしながらも、40ページほどにまとめられたこの「フィレンツェ政治史」が、おのずとむやみに複雑で、とうてい頭に入ってこないものになったのは、必然的な帰結であったのだと言えよう。
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(教皇ボニファティウス8世・ダンテの『神曲』のなかで「地獄に堕ちた教皇」として描かれた)
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(フランス王フィリップ4世・教皇ボニファティウス8世と激しく対立した)
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(ダンテが崇拝した、ドイツ王・ローマ皇帝 ハインリヒ7世)
無論、こうした異様に圧縮された「フィレンツェ政治史」であっても、これまでそんなものに縁も所縁もなかった素人には、無いよりはあったほうが良いに決まっているし、大方のところ理解できないにしろ、「教皇派と皇帝派の間で、いろいろ複雑な攻防があったんだな」と、その雰囲気がわかるだけでも、ありがたい解説だとは言えるだろう。
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しかしまた、本書の難解さは、本書成立の「背景の複雑さ」だけに起因する訳でないのは、最初にも書いたとおりである。
本書(ダンテによる本文)は、決して長いものではないけれど、異様に凝縮された文章で、この日本語文庫版でたかだか150ページ余りほどの本文テキストの翻訳に、訳者はなんと15年もかけたという。そして、その後も改稿を重ねて、この改訂版の刊行までに、さらに25年かけたというのである。
小説の翻訳ならば、せいぜい数年というところで、5年もかけていたら翻訳業者は勤まらないだろう。著者は学者であったから、研究を重ねながら、このように徹底的に時間をかけることもできたのだろうが、それにしても、一読すれば明らかなとおり、本書は、「中世西欧政治史」と「キリスト教神学」は無論、「論理学」や「法学」の知識がなければ、とうてい翻訳することなどできない難物。したがって、翻訳の擁した15年という歳月は、むしろ必要なものだったと納得できるはずだ。
無論、本書訳者の小林公は、その著書に『合理的選択と契約』『法哲学』『ウィリアム・オッカム研究:政治思想と神学思想』があり、翻訳書には、法学者のロナルド・ドウォーキンや、中世政治史の歴史家エルンスト・カントロヴィチの著作があることかもわかるとおり、専門は「法学」と「中世西欧の政治史」であるから、本書の翻訳にあたって、相当の予備知識はあっただろう。だが、本書の翻訳に取り掛かったのが40年も前ということを考えれば、訳者はきっと、さらに深く広く研究を重ねながら、翻訳を進めていったのであろうことは想像に難くないのである。
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したがって、本書を、ざっと読んで、なにがしかわかった気になる読者は、端的に愚かであろう。本書はそんなに薄っぺらは書物ではない。
ただ、本書からひしひしと伝わってくるダンテの、そして訳者の「本気」に触れられるだけでも、読んだ甲斐は十二分にあったと、私はそう思っている。
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後先になったが、本書の著者ダンテ・アリギエーリとは、無論、あの『神曲』三部作を書いた、大詩人ダンテである。
ダンテは、下級貴族の家に生まれ、フィレンチェの皇帝派の政治家として活躍した人だが、時に利あらず、その立場と信念のゆえに、フィレンチェを追われ、20年も客地に生きた不遇の人であった。
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そんな大詩人が、本書のような、極めて硬質な「理論書」を書けたのは、彼が文学的素養の持ち主であっただけではなく、ドミニコ会に所属しながらも、聖フランチェスコの「清貧」思想に傾倒した修道士であり、かつまた、トマス派の「神学」の延長として「論理学」を学び、教会の権威を後ろ盾にした「教会法」の定めるところに、「神学と論理学」を持って抵抗した人だったからだ。
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(上から、聖フランチェスコ、トマス・アクィナス、アリストテレス)
つまり本書は、「教会法」という絶対権力に対し、「神学と論理学」に基づいて、「皇帝権」の(教会権力からの)独立を論じた書物なのである。
したがって、現代の非キリスト教徒の日本人である私たちが、本書を容易に理解できないのは、こうした点からしても当然なのだが、キリスト教徒であったとしても、本書を十全に理解するためには、相当の知識と思考努力が必要なのだ。
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もちろん、本書を十全に理解するために数十年も勉強しようという読者は、ほとんどいないだろう。かくいう私だってその一人だが、前述のとおり、本書を読むことで、ダンテとその翻訳者の、損得打算(資本主義リアリズム)を超えた情熱に触れるだけでも、本書は十分に一読の価値を持つ書物であったと、確言できるのである。
(2022年3月20日)
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