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ジョン・シュレシンジャー監督 『真夜中のカーボーイ』 : 都会の孤独と ささやかな友情
映画評:ジョン・シュレシンジャー監督『真夜中のカーボーイ』(1969年・アメリカ映画)
「アメリカン・ニューシネマの名作」ということなので、見ることにした作品である。
私の場合、「アメリカン・ニューシネマ」の代表的な作品として、『カッコーの巣の上で』(1975年)、『タクシードライバー』(1976年)『俺たちに明日はない』(1967年)、『イージー・ライダー』(1969年)と順不同に見てきて、今回が5本目ということになるのだが、結果として、この5本の中では、最も気に入った作品となった。
これまで、上の4本のレビューで論じてきたように、「アメリカン・ニューシネマ」というのは、多かれ少なかれ「ベトナム戦争」に由来する「否定的な気分」の広がりの中から生まれてきたものだと言えるだろう。
当然のことながら、ベトナム戦争もまた、その当初においては「反自由主義・反民主主義たる共産主義勢力の拡大から、世界を守る」という、アメリカの大義において始められたものであった。
ドイツ、日本、イタリアなどの枢軸国を破ることで、第二次世界大戦は、連合国の勝利によって幕を閉じたわけだが、その連合国には、自由主義経済大国であるアメリカと、共産主義を掲げる大国ソ連という2大大国が併存しており、この2大大国いずれが、戦後世界の覇権を握るかで対抗し、手段を選ばずに競い合ったのが、「冷戦」である。
そして、そうした「冷戦」構造の中で、「ベトナム戦争」も勃発したのだ。
第二次世界大戦が終了すると、世界各地で「社会主義国家」が誕生した。
「経済的搾取による貧富の差」が拡大する一方の自由主義経済に絶望した人々が、「人民のため、労働者のための社会」を実現するために、それまでの政治体制を転覆する「社会主義革命」が世界の各地で起こった。無論、その際には、ソ連や中国などからの援助があった。当時の「共産主義」の建前は、「共産主義社会」の完全な実現とは、一国内だけで可能なものではない、と考えられたからである。
そして、これに危機感を覚えたのが、自由主義経済国の雄アメリカだ。
それまで世界をリードしていたイギリスなどの旧帝国は、戦争の勝ち組にはなれたものの、総力戦を戦ったために疲弊して国力を落とし、さらにその植民地は「民族自決」の名の下に次々と独立国家となってゆき、もはや植民地支配による帝国の維持は不可能になってしまった。
その点、発展途上にあった若い国アメリカは、その国土を戦火に焼かれることもなく、また戦争末期には世界初の原子爆弾の開発に成功し、それを使用して日本との戦争に決着をつけたことにより、世界唯一の「最終兵器保有国」という、圧倒的な優位に立ったのである。
しかし、そうしたアメリカの優位を、ライバルであるソ連が指を咥えて黙って見ていたわけではない。
戦争終結前から、アメリカに対し多数のスパイを送り込んでいた(あるいは、現地スパイ要請していた)結果、原子爆弾の機密情報をも早々に入手して、アメリカに遅れること数年で原子爆弾の開発に成功したのである。
これにより、ソ連は、唯一アメリカと並び立つことのできる大国となったが、両者ともに「最終兵器」を保有することになったため、両者の直接対決は不可能となった。
そのかわり、「残りの世界」をどちらが制するのかの分捕り合戦が始まったのだ。それが「冷戦」である。
「ベトナム戦争」もまた、こうした「冷戦」構造によって生み出された「代理戦争」である。
要は、第二次世界大戦の終結とともに、ソ連や中国の支援を受けた、社会主義国の「北ベトナム」と、アメリカの支援を受けた「南ベトナム」の2国に分断されていたベトナムに、1962年になって、アメリカが南ベトナムの首都サイゴンに援助司令部を設置して軍事介入をしたことにより、それに先行する「朝鮮戦争」と同様の南北対決である、ベトナム戦争が始まった。アメリカが直接指導に入れば、南が優勢になると、アメリカはそう驕っていたのである。
だが、これこそがアメリカにとっての「泥沼のベトナム戦争」の始まりであった。
当初は「自由主義の同盟国を守るための支援」という建前において、アメリカ軍が直接介入することはなかったのだが、それでは埒があかず、ケネディ大統領が暗殺された後のジョンソン大統領時代に謀略を仕掛け、アメリカ軍が攻撃を受けたという口実のもとに、アメリカ軍による直接介入が開始されたのだ。アメリカの近代兵器と物量の力で、前近代的な武器しか持たない北ベトナムを、一気に押し潰そうとしたのである。
ところが、ベトナム兵たちは、地の利(密林など)を生かしたゲリラ戦によって、アメリカ軍を苦しめ抜いた。そのため、アメリカはついに、北ベトナムに対する「焦土作戦」を開始する。今も影響の残る「枯葉剤」の大量散布による、壊滅的な自然環境の破壊や、国際法違反である無差別爆撃(北爆)によって、決着をつけようとしたのだが、それでも北ベトナムを屈服させることはできなかった。
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その一方、アメリカ国内でも、ベトナム戦争の現実が徐々に知られるようになり、その非人道性が批判を受けるようになる。
同時に、アメリカ兵の死者数も、止まるところを知らず、しかも、戦死者の多くは、貧しい庶民階級の子弟が多かったために、アメリカにおける「戦争の大義」は完全に地に落ちて、「大義なき戦争」に対する嫌戦気分がアメリカ国内で一気に広がると同時に、アメリカ国内を含む世界的な「ベトナム反戦運動」が広がることになった。もはやアメリカは、完全に「悪役(ヴィラン)」となってしまったのである。
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「アメリカン・ニューシネマ」とは、このようにして生まれた。
第二次世界大戦では、ドイツや日本などの「ファシズム国家」と戦って勝利し、その誇り高い「自由と正義」の理念を信じることのできたアメリカ人が、祖国アメリカの「正義」を信じられなくなると同時に、終わりの見えない戦争に対する怒りと絶望的な気分に満ちた、そんな時代のアメリカ社会の中から生まれてきたのが、「アメリカン・ニューシネマ」だったのである。
「アメリカの正義」を信じ、「アメリカの未来(更なる発展)」を信じていたからこそ作れた、楽観的だが好日的な、それまでのアメリカ映画ではなく、「悲観的な気分に満ちた映画」が続々と生み出されることになり、いつしかそれを「アメリカン・ニューシネマ」と呼ぶようになった。
「新しい」というのは、良い意味でのそれではなく、「希望を失った」という意味での「新しさ」だったのだ。アメリカもついに「大人の悲しみ」を知るにいたったのである。
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さて、本作『真夜中のカーボーイ』だが、私がこれまで見た「アメリカン・ニューシネマ」5本の中で、最も気に入った理由とは、本作が、他の作品のように、直接的に、その「不信」や「絶望」や「反抗」を描くのではなく、そうした感情を向けるべき「敵」もわからないまま、「非情な都会」の中で孤立する若者たちの孤独を、その痛ましくも健気な姿を通して描いていた点にある。
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つまり、本作の主人公の二人は、決して絶望してはいないのだ。まだ「夢」を、そう、かつて信じられた「アメリカン・ドリーム」を信じて、「いつかは俺も成り上がって、幸せを掴んでみせる」と、そう信じている素朴な若者たちなのだが、しかし、彼らを取り巻く社会は、すでにそんな夢を許してくれるような、甘いものではなくなっていた。
自分さえ良ければいいし、また自分が生きていくことに精一杯で、他人にかまっている余裕などないといった人たちばかりの、荒んだ社会に変わっていたのだ。「陽気で前向きな正義漢であるアメリカ」という「夢」は、彼らが気づかないうちに雲散霧消しており、そんな都会の中で、彼らは置き去りにされ、見殺しにされていくのである。
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だから、私は、それまで見た4本の「反抗する若者」たちよりも、何がどうなっているのかもわからないまま夢を奪われていく「普通の若者」たちを描いた本作の方に、親近感を覚え、同情を感じた。
なんでそうなるのかもわからないまま、もがき続けながらも、やぶれ去っていく若者たちの悲劇に、胸を揺さぶられたのだ。
本作の「ストーリー」は、次のとおりである。
『男性的魅力で富と名声を手に入れようと、テキサスからニューヨークに出てきた青年・ジョー(ジョン・ヴォイト)。カウボーイスタイルに身を固めた彼は女を引っ掛けて金を要求するが、逆に金をふんだくられる。女こそ名うての娼婦だったのである。ジョーはスラム街に住むラッツォ(ダスティン・ホフマン)というびっこの小男に出会い、売春の斡旋人を世話してくれるという約束で10ドルを手渡すが、斡旋人は(※ 宗教)狂信者であった。騙されたと知ったジョーは、ラッツォを捕まえて問い詰めるが、既にラッツォの手には金がない。その代わり、罪滅ぼしにラッツォは、カモ探しに協力する。二人はラッツォのねぐらである廃墟のビルで共同生活を始める。ジョーとラッツォの間に芽生える奇妙な友情。しかし、ラッツォの身は病魔に冒されていた。冬のニューヨークで暖房もない貧苦の生活。ラッツォは温暖なフロリダ移住の夢を語る。ひょんな切っ掛けからジョーのジゴロ稼業がうまくいきそうになるも、ラッツォの病状は次第に悪化する。ジョーはゲイの紳士から強奪した金で、ラッツォとマイアミ行きのバスに乗る。既に身体の自由の利かなくなっていたラッツォは車中で小便を漏らす。ジョーはバスの停車中に二人の新しい衣服を購入して自分のカウボーイ装束とラッツォの汚れた衣服をゴミ箱にぶち込み、フロリダの明るい服装に着替える。しかしラッツォはバスのマイアミ到着を目前に息絶える。』
(Wikipedia「真夜中のカーボーイ」)
つまり、「非情な都会」の中で、「夢」を追いながら、現実にはそれから遠ざかるばかりの「うまくいかない」2人の若者が、肩を寄せ合うような生活の中で、唯一真実の「友情」を育み、最後は、もともとはお人好しの田舎者であるジョーが、親友であるラッツォの夢を叶えるため、犯罪を犯してまで金を作るものの、ラッツォが夢見た「明るいフロリダでの生活」を見る前に、ラッツォは死に、ジョーはただ一人の親友であり、心の拠り所であったラッツォを失うのである。
この両者に共通しているのは、それぞれに「孤独」を抱えている、という点である。
ジョーは子供の頃、「おまえは立派なカウボーイになるよ」と褒めてくれた祖母を愛していたが、その祖母は彼の与り知らぬところで死んでしまい、彼に安心感と居場所を与えてくれる存在にはならなかった。彼のかつての恋人も、彼しかいないと言いながら、結局は彼のもとに止まり続けることはなかった。
一一このあたりの事情については、フラッシュバック映像によって断片的かつ暗示的に語られるだけで、はっきりと説明されるわけではない。だから、私のこの理解も、事実関係において誤認があるかもしれないが、ただハッキリと言えることは、彼は故郷のテキサスにおいて、自分の居場所を見つけられなかったからこそ、都会に出てきて「本来の自分」になろうとした、ということなのである。
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一方、ラッツォの方は、親兄弟からも縁の切れた貧民の子であろう上に、小男で片脚に障害を持つ「びっこ」であったことから、人々から「ネズ公」と呼ばれて馬鹿にされ、仕事もないために、閉鎖されたアパートビルの一室を不法占拠でねぐらとし、スリや置き引きや万引き、あるいは、口から出まかせのケチな詐欺といったことで、なんとかその日暮らしの生活を支えていた、そんな社会から見放された人間である。
だが、ジョーと出会った頃のラッツォには、まだ夢があった。電気ガスの来ない、暖房のない廃アパートで生活しているからには、極寒のニューヨークの冬が来る前に、暖かいフロリダに移住して、長閑な生活を送りたいという、ほとんど現実味のない夢を、彼は持っていたのである。
そんな「孤独な二人の若者」が、「非情な都会」でまたまた出会い、ささやかな共同生活を送る中でささやかな友情を育むのだが、その結末は、すでに「ストーリー」に紹介されていたとおりである。
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だから、私には、この作品については、何も「論じる」べきことがない。一一ただ、これが「人間社会の実像」なのではないかと、そんな気がするだけなのだ。
今の社会は、この当時に比べれば「社会保障」も充実しているだろうし、昔に比べるならば、人々の意識も「弱者に優しくなっている」だろうとは思う。
これは、「社会制度の改革」と「人道教育」の賜物であり、「現実」問題としては、たしかに世の中は良くなったと言ってもいいと思う。
だが、それで、人間が「本質的に変わったのか」といえば、私は、悲観的な見方ながら、そうではないと思っている。「人間は、本質的には変わらない」という悲観的な人間観を、私は捨てることができないのだ。人間を信じ切ることができない。
つまり、「表面的な改善」は確かになされただろうけれども、そのぶん、抑圧された感情が、どこか別のところで、別のかたちで噴出しているのではないかという、そんな疑いを捨てきれないのだ。
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例えば、今の日本人は、昔に比べれば「優しくなった」と思う。そしてそれは、アメリカ人だって、たぶん同じことだろう。
こう書くと、今のアメリカの「政治的分断」状況をテレビニュースなどで知っている人は「アメリカ人が、優しくなった? そうは思えないけどな」と感じるかもしれない。
しかしそれは、日本のテレビニュースなどで見るアメリカとは、その「負の側面」ばかりの強調されることが多いから、そのように見えるだけなのではないだろうか。
政治的にどうであろうと、直に触れるアメリカ人の多くは、おおむね、気さくで「良い人」ばかりだと、そう感じられるのではないかと思うのだ。
だからこれは、日本人も同じことで、日本のテレビの登場する日本人は、みんなや「優しく親切な人」ばかりなのだけれど、では、ついこないだまで暴れ回っていた「ネット右翼」に代表されるような人たちは、どこから湧いてきて、どこへ消えたというのだろうか。
私が思うに、彼らもまた「優しく親切な日本人」の中から出てきて、その中へと帰っていった人々なのではないか。
日本の「ネット右翼」であろうと、アメリカの「Qアノン」などの気狂いじみた陰謀論者であろうと、そうした政治的な素顔を知らずに、個人として知り合えば、彼らもきっと、当たり前に「親切で優しい」日本人であり、アメリカ人なのではないかと、思うのだ。
つまり、本作『真夜中のカーボーイ』で描かれた「非情な都会」における「非情さ」とは、今の私たち自身が、その、自覚の有無に関わりなく抱え持っている、もうひとつの「素顔」なのではないかと思うのだ。
そうした意味において、私には「人間は、本質的には変わらない」と思えるし、言い換えれば「表面的な改善がなされるだけ」なのではないかと考える。無論、それとて、現実問題としては、無いよりはあったほうが良いことだとしてもだ。
私は本作のラストを見ていて、子供の頃に見て印象に残っている、あるテレビドラマの最終回を思い出した。
そのテレビドラマとは、萩原健一と水谷豊の主演による『傷だらけの天使』(1974年10月5日 - 1975年3月29日)である。
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この作品は、シリーズ全体としては次のような内容であった。
『若者コンビの怒りと挫折を描いた、アンチヒーロー型の探偵ドラマである。ストーリーはバラエティに富んでおり、暴力団の抗争から捨て子の親探しまで幅広い。
初期ではほとんどの回でヌードシーンが盛り込まれており、内容面では修と享が汚れ仕事をやらせる所長綾部(岸田今日子)に一泡吹かせようと反攻を試みるも、失敗するという展開が多かった。しかしこれで主婦層などの視聴者からそっぽを向かれたり突き上げに遭うなどされたために視聴率が1桁寸前にまでダウンする事態が起こり、これを受けて清水欣也プロデューサーが「第8話(1974年11月23日放送)から路線変更します」と宣言するまでに至った。
後期では暴力やエロチックなシーンを抑え、歌謡曲や童謡などの音楽を主軸に据えた“ロマンチシズム”をイメージに、修と一人息子の健太とのエピソードも増やしてオーソドックスな探偵ものへの軌道修正が図られた。しかし表・裏両社会の権力からの理不尽な仕打ちに挫折する若者二人の姿は、最終回まで貫かれた。』
(Wikipedia「傷だらけの天使」)
なにしろ、子供の頃に見たきりだから、細かいところは覚えておらず、ただ、ときどき「懐かしのテレビ番組」といった懐古番組で紹介された「オープニング」と、こちらはテレビの本放映で見たっきりてあろう、その「最終回」だけが、私の記憶に残っている。
問題はこの「最終回」で、私立探偵社に勤める、ちょっとクセのある青年・木暮修(萩原健一)と、彼を「アニキ」と慕う若者・乾亨(水谷豊)の「奮闘と失望」を描くドラマだったと思うのだが、その最終回で、修と亨の務める探偵社は、廃業となってしまう一一。
修は、いつもなら行動を共にする亨を、アパートの部屋に残して、仕事に出ようとするのだが、亨は風邪をひいた様子で、高熱を出して「寒い寒い」と言いながらも「アニキー、アニキー、俺を置いてかないでくれよ。連れてってくれよ」とまとわりつく。だが、そうもいかないので、修は亨をひとり部屋に残して仕事に出るのだが、出先で「今の風邪は、すぐに肺炎を起こして、下手するとイチコロって話だぜ」という話を耳にして、心配になって部屋に戻ってみると、その時にはすでに亨は冷たくなっていた。
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修は、最後に亨を一人にしてしまったことが悔やんでも悔やみきれず、アパートビルの屋上だったかで、ドラム缶の五右衛門風呂を炊いて、それに亨を入れてやり、「これであったかいだろ、あったかいだろ」と亨の体を洗ってやり、亨が好きだったエロ本から外人ヌードのグラビアを破り取って、「アキラ、お前の好きなヌードだぜ」と言いながら、それを物言わぬ亨の濡れた身体に貼りつけてやりながら涙を流す。一一そんなシーンである。
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たぶん、この『表・裏両社会の権力からの理不尽な仕打ちに挫折する若者二人の姿は、最終回まで貫かれた。』という『傷だらけの天使』というテレビドラマは、「アメリカン・ニューシネマ」から少し遅れながらも、同じような気分を共有したものとして作られた作品なのではないかと、推測する。
そして、この「最終回」は、ほぼ間違いなく『真夜中のカーボーイ』のラストを意識したものだったと思うのだ。
ことの当否が問題なのではない。
私にとって問題なのは、たぶん今の若者には、もうピンとは来ないであろう、これらの主人公たちが抱えていた「疎外感」は、今どのようなかたちに変形されて、生き残っているのだろうか、ということである。
前述のとおり、私は、それが消えて無くなって、いくらかでも「優しい世界」に近づいたとは思えない。
テレビニュースに映し出される、テレビの向こうの世界は別にして、総体的には「豊かで平和になった」はずの私たちの社会において、それでも心の満たされない人の方が、多いのではないだろうか。
例えば、私がよく問題にする「承認欲求社会」の問題である。
なぜ「豊かな社会」をある程度実現しながらも、私たちはそれに満足することができず、他者からの「承認」というかたちで、自分の「居場所」を求め続ける「孤独」に囚われ続けているのだろうか。
そんなことを考えると、時代が変わり、社会の様相が変わったとしても、『真夜中のカーボーイ』や『傷だらけの天使』に描かれた若者たちの「都会の孤独」は、何も変わってはいないとしか、私には思えないのだ。
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(2024年8月17日)
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