034 承平
承平
承平(じょうへい) 931年−938年
平安時代
天皇:朱雀天皇
出典:漢書
別読み:しょうへい
身長・誕生日・性格
146cm
5月16日生まれ
少し粗暴だが仲間と認めた相手には優しいアネキ。
盗みぐせがあり、バレても堂々としている。
年号について
朱雀天皇の即位に伴う代始の改元です。
この頃、都では藤原氏が権力を握りつつあるなか、地方では群盗が横行していました。瀬戸内海の海賊も減ることなく、治安が悪化していたようです。
承平5年(935年)、平将門の乱が勃発します。
当時、常陸国・下総国・上総国一帯は桓武平氏の一族が土着し、在地勢力と結んで勢力を広げていました。平将門もその一族であり、下総国を拠点としていました。
将門の父・良将は下総国の佐倉を拠点に広大な領地を持っていました。しかし、良将がが早くに亡くなると、良将の兄・国香が遺領を横取りしてしまいます⛳️
この頃、将門は常陸国の国司・源護の娘と婚姻関係を結ぼうとしますが、それも国香ら叔父たちの妻となってしまうのです。娘は3人いたそうですが全員⋯⋯。
土地を奪い、国司との結びつき邪魔をする叔父たちと将門との対立が激しくなった結果、関東地方を巻き込む平将門の乱を引き起こしたと考えられています。
平将門は、叔父に佐倉の領地を奪われたと知り、ひとまず豊田郡に拠点を構えました。
将門は年貢を減らすなど、国司の圧政に苦しむ農民を周囲から集めて勢力を強めていきます。そんな善政をされると、自分のとこから農民いなくなっちゃうよ!と思った源護、国香は将門の殺害を計画します。そこで殺そうって発想になるのがこの時代らしいなあなんて思いますな⋯⋯🗡️
承平5年(935年)、源護の子・扶(たすく)ら3人が将門を待ち伏せし襲いますが、返り討ちに遭って殺害されるという事件が起こります。将門はそのまま常陸国へ突っ込み、国香の屋敷を攻めて国香を殺害しました🔥
これに対し、国香の弟・良正と良兼、国香の息子・貞盛が将門に対し兵を挙げますが、はじめは将門軍が有利にバトルを進めていったようです。
源護は、朝廷に将門の非を訴え、朝廷は将門を京都に召喚する太政官符を下します。
承平6年(936年)、将門は良兼軍を破ると、朝廷の召喚に応じ上京します。朝廷は将門を罪に問い京都に留め置きましたが、翌年朱雀天皇が元服すると恩赦により罪を許されます。
承平7年(937年)、将門が関東に戻ると、再びバトルが始まります。なかなか決着がつかず、今度は将門が良兼らを朝廷に訴えます。すると朝廷は良兼・源護らを朝敵として捕らえる命を関東諸国に下します👮
バトルが続く中、朝廷は関東の状況を把握するため、皇族の興世王(おきよおう)を武蔵権守、清和源氏の源経基を武蔵介として武蔵国に赴任させます。
しかし、両者は荘園の調査をめぐり足立郡の郡司と対立、そこに将門が介入して、将門の乱はさらに面倒になっていくのです⋯⋯🥺