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035 天慶


天慶

天慶(てんぎょう) 938年−947年
平安時代
天皇:朱雀天皇、村上天皇
出典:漢書
別読み:てんきょう、てんけい

デザイン:春宮あいな

身長・誕生日・性格

162cm
6月22日生まれ
いつもニコニコとしている。
おとなしい人かと思いきや、イタズラ好きでイタズラをしてはその様子を見てにやーっと笑っている。

年号について

京都での大地震発生に加え、日本の東西で反乱が起こったことをきっかけに改元されました。災異改元です。

天慶2年(939年)、平将門は常陸国(茨城県)の国府を襲い、攻略。続いて下野国(栃木県)の国府、上野国(群馬県)の国府を攻略します。
関東一円を支配した将門は、自らを「新皇」と名乗り関東諸国の国司を勝手に任命。関東に独立王国を築こうとしました🫅
もちろん朝廷に対する謀反なわけで⋯⋯。朝廷は「誰でもいいから将門を討ち取ったらご褒美あげるよ」とまで布告しています。
天慶3年(940年)、平貞盛とその叔父である藤原秀郷が将門追討の兵を挙げ、朝廷もこれを支援。秀郷・貞盛軍は将門の本拠地の下総国に侵攻し、幸島の戦いで将門軍を破り、将門を討ち取りました🏹
秀郷は将門の首を京都へ運び、朝廷は東市に梟首。秀郷には従四位下、貞盛には従五位下が与えられました。約束の褒美ですね〜。


関東でそんなことが起こっていた頃、西でも反乱が。
瀬戸内海を荒らす海賊を鎮圧するため伊予国(愛媛県)に赴いた藤原純友が、待遇への不満から逆に海賊たちを配下に入れ反乱を起こします🏴‍☠️
純友軍は、備前国・備後国・讃岐国・伊予国・長門国・周防国・土佐国(瀬戸内海のあたり一帯!)を襲い焼いたり略奪したり⋯⋯🔥
天慶4年(941年)には、大宰府を襲撃して焼きます。しかし、関東地方から戻ってきた兵力を純友討伐に集中させた朝廷軍には敵わず大敗。純友は伊予に逃れますが結局捕らえられ獄中で没し、反乱は終結しました。


この2つの反乱、平将門の乱と藤原純友の乱をあわせて承平天慶の乱と呼ばれます。武士のおこりを象徴するものともいわれますね。
乱の鎮圧には、関東では平貞盛と藤原秀郷、西では源経基たちが活躍。源平の武士が躍進するきっかけとなりました。
「天慶」とは、天から授かった賜物という意味です。この年間に天が授けてくれたのは相次ぐ反乱か、それとも勇ましい武士たちか⋯⋯?


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