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013 天平宝字


天平宝字

天平宝字(てんぴょうほうじ)757年−765年
奈良時代
天皇:孝謙天皇・淳仁天皇
出典:不明

デザイン:響雷レオ

身長・誕生日・性格

150cm
9月6日生まれ
風流人。
文字中毒で和綴じの本をいつも持ち歩いている。

年号について

国家の統治に苦しんでいた朝廷に、駿河国から珍しいものが献上されました。なんと蚕の産んだ卵が文字をなしたものだそうです。
その卵の並びは、「五月八日開下帝釈標知天皇命百年息」と読めたとか。
この文の意味を朝廷に学者さんたちが頑張って調べ、
「五月八日というのは聖武天皇の一周忌法要の最終日であり、これを行った天皇の至誠に感じ入った帝釈天(仏教の守護神)が百年の治世を授けてくれる」ということを意味しているとの結論を出しました。
つまりは、橘奈良麻呂の乱で混乱しきった国家を帝釈天が力を貸して安泰を約束するよ!って感じですかね🐛
これを慶事として孝謙天皇は改元を決めます。すごいな蚕。お前は国家を動かしたんだぞ。
(蚕の卵ってどんなだろ?って検索をかけたら虫が苦手な私は後悔しました。もし調べるときは自己責任でお願いします🐛🥚🥚🥚🥚🥚🥚)

天平宝字2年、孝謙天皇は譲位し、淳仁天皇が即位します。淳仁天皇は天平勝宝の記事のときに「大炊王」と呼ばれていた人物です。淳仁天皇の践祚(せんそ:天皇の位を受け継ぐこと)後もほとんどの実権は藤原仲麻呂が握っていたので、孝謙太上天皇はなんだかなあ…とあんまり良く思わなくなっていったそうです。あんなに仲良かったはずなのに。
天平宝字4年、仲麻呂の後ろ盾だった光明皇太后が亡くなると孝謙太上天皇と仲麻呂の関係はさらに悪化……🙁
さらにこの頃体調を崩した孝謙太上天皇の看病をして治してあげたとかで、僧の道鏡が太上天皇のお気に入りに。なんてこった🙀
仲麻呂は淳仁天皇を味方につけて巻き返しを図りますが、俺が俺がな仲麻呂に不満を持つ者も多く、孤立した仲麻呂は挙兵します⚔️

天平宝字8年、仲麻呂軍は平城京を脱出し、長年国司を務めた近江国府を目指します。
しかし朝廷軍に先回りされ、近江国へ続く橋を焼き落とされて目的地を越前国に変更。琵琶湖西側を北上します。
越前国行くんだろうなと予測していた朝廷軍は琵琶湖東側を北上し、仲麻呂軍を待ち伏せて愛発関(あらちのせき:越前国の南あたりの近江国との関所。琵琶湖の北側あたり)で撃退します。
仲麻呂軍は南下して態勢を立て直そうとするものの、三尾(みお:琵琶湖の中ほどの陸地が出っ張ってるあたり)で朝廷軍の追撃に遭い敗れます☠️
この事件は「藤原仲麻呂の乱」と呼ばれ、圧倒的な権力をもっていたの仲麻呂のわずか1週間での転落劇です。

乱が鎮圧された20日後、孝謙太上天皇は淳仁天皇を捕らえ廃位を告げ、淳仁天皇を淡路に流します。淳仁天皇の廃位後、孝謙太上天皇は重祚(ちょうそ:退位した天皇が再び即位すること)し、「称徳天皇」として天皇の座についたのでした。
お忘れかもなので改めて言いますが、孝徳天皇(称徳天皇)は女性の天皇です。女性だろうと関係なしに強いです。すごいな…(語彙力無し)

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