026 天安
天安
天安(てんあん) 857年−859年
平安時代
天皇:文徳天皇、清和天皇
出典:不明
別読み:てんなん
身長・誕生日・性格
161cm
3月20日生まれ
かなりデキる人。クールでお仕事が大好き。
年号について
斉衡3年(856年)、常陸国(茨城県)から連理木が献上されました。連理木とは、一度枝分かれした木の枝が再び結合したもので吉事の前兆とされているそうです🌲
同じ年に美作国(みまさかのくに:岡山県東北部と兵庫県の一部あたり)から白い鹿🦌も献上され、この2件を瑞兆とした文徳天皇により改元されたと言われています。
天安2年(858年)に文徳天皇が崩御、清和天皇がわずか8歳で践祚しました。幼い天皇が即位したのはこれが初めてで、もちろんそんな小さい子に政権運営なんて無理です。そんなわけで外戚であり太政大臣の藤原良房が天皇に代わって政権を握ることになりました🫅
天安3年(859年)には、「陶山の薪争い」と呼ばれる訴訟事件が起きました。
現在の大阪府あたりの河内国と和泉国で発生した須恵器生産用の薪採取のための山林をめぐる争いです。
日本では古墳時代に朝鮮半島から窖窯(あながま)が伝わったことで本格的な窯業が始まります。大阪府の和泉北丘陵には窖窯に適した斜面や森林・湧き水・粘土が豊富で、日本最古・最大級の須恵器生産地となる陶邑窯(すえむらかま)が開かれました🏺
その周辺は令制国制以降、河内国と和泉国の国境地帯になります。
河内国と和泉国の間で、焼き物を作るのに大量に必要な薪を採る山の帰属や薪の採取権をめぐって争いになったのがこの陶山の薪争いです。
河内国と和泉国がお互いに陶山はウチのもんだよ!とバチバチしたってことですね〜😠
結局陶山は和泉国に属するとされましたが、この頃すでに陶邑では木々を採り尽くしていたようで、薪不足が深刻だった可能性もあるのだそう。陶山を手に入れたとて、もう時間の問題だったのですね🤔
かつて最大級といわれた窯の数も、事件の起きた9世紀ごろは15基ほどしか操業していなかったらしく、陶邑窯は廃絶に向かっていたようです。
陶邑窯は、福岡県の牛頸窯(うしくびかま)、愛知県の猿投窯(さなげよう)と並び、「三大古窯」と呼ばれています。