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006 和銅


和銅

和銅(わどう) 708年−715年
飛鳥時代
天皇:元明天皇
出典:不明

デザイン:響雷レオ

身長・誕生日・性格

147cm
2月7日生まれ
信心深い性格。

年号について

武蔵国で「和銅(にぎあかがね)」と呼ばれる純度の高い自然銅塊が発見され、朝廷に献上されました。純度が高いので、精錬の必要がないスグレモノです。これを祝って改元したといわれています。
元号の由来は、ほかにも中国の古典から、「調和」を意味する「和同」を引用したとも言われていますが、字が違うのでどうなんでしょう……。

有名な日本初の流通貨幣の和同開珎も和銅元年に発行されました。でもこれ、和銅が発見されたから作ったわけでもなさそうなんですよね。貨幣の発行は数年前から計画されていて、和銅の発見は和同開珎発行の理由付けなのでは……という考え方もあるそうです💰
和同開珎の「和同」は、交易が活発になるようにとの祈願でつけられたといわれていますが、銅の字の略字で同を使ったという説もあるそうです。
「開珎」は、「初めてのお金」という意味です。
読み方の説は「わどうかいちん」と「わどうかいほう」と2つあり、どっちで読むのが正しいか論争が江戸時代からあるそうです。
「珎」の字が、「珍」の異体字派と「寶」の異体字派がいて、しかも和同開珎の名前が正史に出てこないので当時実際になんて呼ばれていたかはわからないそうです。どうやったって正解がわからないんだから終わりのない論争ですね🤔
私は学校で「わどうかいちん」と習ったので「珍」派です✏️📖

その他大きな出来事は、藤原京から平城京への遷都です。
平城京はむちゃくちゃ広くて、東西約4.3km、南北約4.8kmあったそうです。
唐の都、長安城をお手本にして大和国に建造されました。碁盤の目みたいにきっちり区画されています。絶対迷う。たぶん私は一生出られない。
平城京も読み方論争があって、「へいじょうきょう」か「へいぜいきょう」かまたこれも問題。一般的には「へいじょうきょう」と読まれますが、研究者の間では「へいぜいきょう」と読まれることが多いそう。
でも発掘された遷都当時の木簡には「奈良京」と書かれていたそうです。タイムマシンはやく発明してくれ。

ちなみに、平城京に勤める役人は、朝6時半ころ出勤してたそうです。定刻になると門が閉まって、遅刻すると入れなくなっちゃうそうです。当時も出勤はきちんとチェックされるみたいです。タイムカード的な木簡に記されるそう。
退勤は正午ごろだそうです。でも、部署によっては帰れなくてもっと遅くまで仕事をしていたとか。「あっちの部署いいな〜」とか言っていたのでしょうか。
お給料は最低ランクの役人が今の200万程度なので、写経のバイトをしてた下級役人もけっこういたとか。今も昔も変わらんなあ😭


古事記が完成したのもこの時代です。日本最古の歴史書ですね。天地のはじまりから推古天皇までをまとめた全3巻。原本はもう残っていませんが、写本はいくつか伝わっているそうです📚


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