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沈まない子
繋いだ手の先にいる、我が子を眺める
すやすやと眠るその顔に、5年分の私たちが写っているような気がした
夫の恭大に君の子供が欲しいとプロポーズされてから、もう7年が近い
22歳だった私はその勢いに圧倒されながら、特段子供願望もなかったけれど、人生を委ねてみようかと二つ返事で答えた
2年も経たないうちに我が子がお腹にいることを知って、ひよっこ社会人の身分ながら、産休に入った
子供は恭大の方が欲しかったのと、育休を取るほどのブランクをキャリアに残したくなくて、恭大の育休と、両家の孫バカの召喚を重ねて、ここまできた
子供はどれだけ小さくても、1人の人間だからと考える私だったので、あまりいい母親ではないのかもしれないが、我が子はそれなりに育ってくれている
恭大は子供が本当に好きなようで、我が子のことに関すると、本当に熱くなる
名前も最終的に恭大に決めてもらった
私は人生強く生きて欲しいとの想いを伝えたまでだった
太陽のように、どこに沈んだとしても、必ず昇るそんな人になるようにと最終的に理由をつけて「陽昇 -ようしょう-」と名付けてくれた
まだ、5歳のこの子の未来は無限だ
同時に親としての私もまだ無限大だと思った
この5年間、陽昇と向き合って嫌というほど自分の情けなさや、未熟さを感じた
恭大はあまり感じなかったようで、普段喧嘩のない私たちでも、そこだけは譲り合えなかった
だから、子育ての決定権は恭大に持ってもらっている
でも、本当の決定権というのは、最終的には陽昇のものだとも思う
数ある選択肢の中から、必死に選んだ貴重な選択が、二メートル進めば飛んだ落とし穴かもしれない
3歳の時に、近所の敬人くんに憧れて始めたピアノは、3ヶ月で根を上げた
僕は敬人くんみたいになれない、とか言っていた
恭大は諦めが早いと説得しようとしていたけど、この年齢に何を言っても無駄だと感じたので、私は早々に手続きをした
陽昇はもう少し頑張りたかったな、と最後のレッスンの時後ろ髪を引かれながらも、自分で辞めることを決めたことに少しスッキリした様子でもあった
その顔を見て、普段はパパっ子なのに、妙に私に誇らしげな顔を私にしてきて、この子は本当に私のことなのだと認識させられた
陽昇の本当の意味は、ハプスブルク朝スペイン帝国のような沈まぬ太陽なのかもしれない
私はこの子の永遠のライバルでありたい
陽昇が私にこれから求めてくるのは、きっとそこだ
ベタベタに甘やかしてくれる恭大や、ジジババのことはふと羨ましくなるが、この子のこの顔はきっと私だけしか見れない
私というライバルがいれば、一生この子は沈まない
私の名前を考えて読むと、面白いかもしれません