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燃える尽きる時間

少し太いチョークを擦り合わせるような、後から考えると少し耳障りに思える音が耳に残る

初めて人の火葬に立ち会った

正確に言えば、燃えてた1時間でビールを1L飲んでたただの酒飲みであるが。

ほどよく酔いながら、火葬が終わりましたのアナウンスを聞いた

長い箸で骨を器に入れた

ドラマなどである描写で想像してたものでは、
手で少しずつ拾い集めたりするものだと思ってたから、ほとんど職員の人がやってしまって、悲しかった

老衰だったから、火葬の待ち時間も、家族を懐かしむ時間になって、久しぶりに会う従兄弟たちの、それぞれの変化を楽しみながら、ご飯を食べた

おばあちゃんは、薬がないと車椅子がないと動けないけれど、薬が効いた途端すごい元気になって、

嗚呼、これが現代の医療だなぁと思った

老いる命より、これから生まれてくるかもしれない命の方がよっぽど大事なのに

私が爺婆っこじゃないからそう言えるのだろうな、とこの文章に対しての暴力性に対しては、お詫びをしなければいけないかもしれない

それでも、今の日本の出生率の圧倒的な下がり方を考えると、私は上記のような主張を止めることはできない

人は、生物は、それが喋れる哺乳類であっても、何も分からない植物であっても、いつか朽ちる

そして、燃えるなり何なりして、土に還る

それでも、人が、親しい人が死んでしまうのは悲しいことなのだろうな


母親は葬式なんかしないでくれと言っていて、
父親とは縁が切れていて、
兄弟もいない一人っ子だから、
自分の一生で、喪主をすることがない、かもしれない

経験してみたかったようと、母に言ったけれど、
そんな経験なんて別に要らないんだよと言われてしまった

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