ルッキズムってどう祓う?
こんにちは。久しぶりのnote更新になってしまいました。
ここ最近ルッキズムについて、思う事があったので書き記していきたいと思います。
ルッキズム。ルッキズムって数年前からよく耳にするけれど、ちゃんとした意味を理解できているか不安なのでググりました。ざっくり言うと、
ルッキズム・・・「人の外見や容姿を基準に人を評価したり、差別的な言動を取ったりする思想の事。外見至上主義とも言う。」だそうです。
外見のいい人(かわいい、きれい、かっこいい、スタイルがいい)は得をして、そうじゃない人は社会的に不当な扱いを受けやすい。
世の中、建前は他人を外見や見た目で判断してはいけないとなっていても、現実にそうじゃない場面は多々ありますよね。でもこの考え方ってなにも、今に限らず昔からある考え方ですよね。私も少なからずそういう考え、根っこの所にあります。
じゃあ何が、どこに思うことがあったのかというと、
それは今の若い子たちが、ルッキズムに呪われているという事なんです。
そう思ったきっかけは、小学5年生の娘と撮ったプリクラです。
先日、子供たちを連れて、原宿に行ってきました。お目当てはキディーランド。大好きなちいかわグッズを買えて大満足。
次は原宿の竹下通りに行きたいというので、表参道方面の出口から進みました。竹下通りでいちごあめやら、クレープを買って食べて、娘がみたいという服屋さんに入りショッピングを楽しみました。買わなかったですが、10円パン(10円の形をしたパン、600円くらいするw)、トルネードポテトなんかも売ってましたよ。
こぶたカフェやかわうそカフェ。犬や猫じゃないんだ…!となんだか異空間な竹下通りでした。私、ちゃんと竹下通り歩いたの初めてでした。竹下通りって、若い子の街というイメージですが、若い子通りこして、娘と同年代の女子だらけで小学生女子の街という印象を受けました。
最後にプリクラを撮りたいというので、しぶしぶ付き合うことに。
たくさん機会があってよく分からないので、適当に選んだら、推し活専用のプリクラ機でした。それも???ってなるけど。
撮った感想。もう自分じゃなくていいじゃんって思いました。原形残ってないじゃん。誰これってなります。目は2倍、輪郭変わる、肌つやつやで行き過ぎた加工に、撮ってる間にマジで気分悪くなりました。
可愛く映りたい気持ちはわかる。痛いほどに。でも可愛く撮れたとかのレベルじゃなくて別人、自分ではないようで…不気味すぎる。でも娘はこれがいいんじゃんっていうんですね。これが若い子が求めている加工なのか。需要があるからこれだけ高性能なプリクラ機があるんだよなと思いながら。
娘は普段から、写真うつりを過度に気にします。
年頃もあると思うけど、やっぱりKPOPアイドルの影響は強いと思います。
あの子達って本当に人間離れしているというか、AIかと思うくらい。
顔がすんごく小さくて、瞳が大きくて、色が白くて、手足も長くて、ありえないくらいに細い。
あれを頻繁に目にするものだから、やっぱりそこと自分を比べだすんですね。自分は目が小さい、脱毛したい。ダイエットするなど。小学5年生で。
大人になったら整形する!とか母に堂々と風を切って言ってくるあたり現在を生きる女子なんだなって思います。youtube、tiktok、instagram…こんなにSNSまみれでどこに行ってもSNSから逃げ場がない状況。こんなご時世に、飲み込まれずたくましく生きてほしい。
同じ年頃のお子さんを持つ、親御さんに聞きたい。
私は今の美の基準、行き過ぎたルッキズム、それを持ち上げる風潮は、若い子たちに呪いをかけてる様だと思います。
顔、髪、体形にとどまらず骨格までいいだす始末。もう全身。怖いのはそうじゃないといけないと囚われること。
親としては色んな美を知る機会を作る、子どものありのままを愛す努力をする、など成長を見守るしかないでしょうか。
みなさんは行き過ぎたルッキズム、どう祓ってますか?