ちゃんとするのやめた!
もうやーめた!
・・・
え、「日向田寧々さん2025年500本noteチャレンジ」
もう終了ですか
ちがうちがう。むしろ逆です
(てか自分に「さん」付けすんな)
何をやめるのかというと「お行儀のよい」文章です
去年1本しかnote書いてないし、それより前はどんなだったか
もう忘れたけど
ひとまず今年10本ぐらい書いてみて
(ちゃんと長いのは6〜7本かな)
このままだと間違いなく行き詰まると思った。
書くネタも好きなものを選んでいるしすごい楽しいけど
実は書いている途中で細かいところを何度も書き直していました
「〜だよね!」て書きたいところを「ですよね」
「〜なの」を「〜なのです」
「〜する?」を「〜しますか?」
ですます調撲滅キャンペーンな訳じゃないのだけど
ほんとはこう書きたいと思うところをいちいち直してまで
文章を整えようとしているのはなぜか
「ちゃんとした文章を書きたい」
もっと言えば
「ちゃんとした文章を書ける人だと思われたい」
これは突き詰めればエゴかも。
ෆ˚*
クラウドソーシングサービス上でライティングの仕事をいただくために
プロフィールやポートフォリオの中にこのnoteのリンクを貼ることもあるから
もしかするとこのアカウント内の文章を
クライアントさんが見に来てくれる可能性もあって
そんな時に「こんなくだけた文章書くひとなのね、はは〜ん。」
てなって、そっこー提案却下(落選)になったらどうしよ
っていう変な下心というか
よく思われたい気持ちがちょっとあったかも。
でも、別にそのためだけにnote書いてるのかって言えば
全然そんなことないし
素のままでもきちんとした文章書けてしまう人や
あまり抵抗なく書けてしまう人はそれでいーだろうし
そういう文章や文体を必要として読みに来たり
「きちんとした文章を求む」なクライアントさんの目には留まるかも
けど、なんか無理してがんばって
ちゃんとしようと思って書いた文章なんて
すぐに見透かされる
わたしが自然と書けてしまうだらっとした文章が
「お仕事もらう」という点では不利だとしてもそれは仕方がないし
さっきも言ったけど、そもそもそんな限定的な目的で
わたしはnoteを書いてない。
じゃなんで気にしてたんだっけ?
と思ったわけです。
ෆ˚*
たぶん、そうゆうブロックを外すことで
もっと肩の力を抜いて素のわたしを出していけるし
書ける話題もどんどん広がるし
「きちんとしてなきゃだめ」
「みんなと同じじゃなきゃだめ」
「社会人としてちゃんとしなきゃだめ」
「こんなわたしじゃだめ」
みたいなの、ほぼ捨ててるつもりでいたけど
改めて、全すてします。
誰かに気に入られようとか
立派な文章とか
わたしには向いてないのでいらない。
それが出来るひとに任せます。
わたしはパスです・・・笑
ではでは
またあとでー