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やきもの沼⁎⁺˳✧༚沖縄出身が語る“やちむん”の魅力

やきもの(陶磁器)の魅力に気がついてからだいぶ経ちましたが、今でも1番好きなのは “やちむん” 。

やちむんは沖縄の方言で「焼き物」という意味。土で作られた器やお皿などのことです。
今では、有田焼や波佐見焼などと同じように、沖縄で作られた陶器の総称として使われるようになりました。

私の自慢のやちむん

と、いう事で、今回は私のウンチクにお付き合いください。

ちなみに、日本全国のやきものの事を勉強したい!という方には、こちらの本がおすすめです。

■やちむんの歴史

約6600年前に作られた土器が沖縄から見つかっています。おそらくこれがやちむんのルーツ。
縄文時代…!

その後、中世には鹿児島や中国、さらに15世紀には朝鮮やタイ、ベトナム、日本の陶磁器とその技術が沖縄に入ってきます。
ミックスカルチャーです…!

そして、今のやちむんの基礎を築いたのが、1616年に薩摩から招いた朝鮮人陶工の一行。
湧田窯(現在の那覇市泉崎)で朝鮮式技法の指導にあたり、陶磁器の技術を広めました。

さらに、琉球王府も製陶産業を支援し、技術官僚を中国や薩摩に派遣して新しい技術を積極的に学ばせました。
今でいう海外留学…!

こうして、現在まで受け継がれる“やちむん”ができたのです。

■やちむんの産地

壺屋の「やちむん通り」と読谷の「やちむんの里」が二代産地です。

もともと産地として有名だったのは、現在の那覇市「壺屋」
遡ること1682年。琉球王府の政策によって壺屋に工房が集められたことで、産地として発展していきます。

しかし、第二次世界大戦後に壺屋一帯に住宅街ができ、煙が出るやちむんの窯“登り窯”の使用が禁止されます。
そのため、煙が出ない電気釜を使って壺屋で製作を続ける陶工と、登り窯を使える新天地を求める陶工に別れました。

そして、新天地を求めた陶工が辿り着いたのが「読谷村」でした。
読谷のやちむんの里では、今でも登り窯を見ることができますよ。

※登り窯については、こちら↓

今は2つの場所で共にやちむんを盛り上げています。

壺屋と読谷は、兄弟みたいな関係…?!(ちがうか)

■伝統の柄と色

やちむんで使われる伝統の色は、青、緑、茶色、赤。昔は、赤は神聖な色だったそうです。

描かれる絵柄で多いのは、自然に関すること。
唐草、魚、水玉、縞が伝統的です。

青と言っても色んなバリエーションがあります


現代風にアレンジされた唐草と水玉の模様

■現代の陶工さん

伝統的な色や柄は「古典」と言われて今も大切に受け継がれていますが、伝統の型にハマらない色や柄の新しいタイプもたくさん。
特に、民藝運動によって多くの陶工が影響を受け、“サトウキビ” の模様などが生み出されたとか。

今ではさらに進化をつづけ、色んな作家さんが新しいやちむんを作っています!

鮮やかなブルーが美しい
洋食器を思わせる配色

どれも素敵で、つい財布の紐が緩くなります。

■最後に

やちむんの魅力をおわかりいただけたでしょうか?沖縄旅行の際は、ぜひお気に入りのやちむんをお土産にしてください。

詳しく書かれているおすすめのサイトを貼っておきます。

・壺屋 やちむん通り

・読谷 やちむんの里


\やきもの沼で待ってます/


おわり

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