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母になったねねどん①

今日は長女の誕生日。

腹立つことがあったら妊娠中や生まれた日、小さい赤ちゃんだったときを思い出すといいっていうけど、たった9年前なのに、意識するか、何かのきっかけがないと思い出さなくなるのね。


母に人生を投げ出させなかった子

25歳、もうボロボロの最低のエグい時期だった。人生諦めかけ。もうええわ、このまま天涯孤独かな?結婚なんか絶対無理やしなーって思ってた。お金ないし、薬飲んだって何も変わらんし、病院行くのもやめた。

父親、キレたよね。あ、このキレ方ガチのやつだわ…てなって、とりあえず旦那の家に転がり込んだ。何もないときはただひたすらクッソ狭いワンルームマンションでぼーっと過ごして、あとは旦那に付き合わされてパチ屋行く生活。

旦那は当時、お金は普通に持ってたから、私、一銭も払わず寄生。ただただ寄生。少額でもお金を入れることもなく、料理をするでもなく、あれこそまじで寄生。

そんなとき、妊娠した。

妊娠判明のシチュエーションも我ながら何やそれみたいな感じだったけど、とりあえず子供できた。

え?私って妊娠できる体だったんですね〜

と思った(笑)

とりあえず、『はじめてのたまごくらぶ』買ってみた。病院にも行ってみた。この時点で、未婚ね。つまり、デキ婚

産婦人科に行ったら、週1で病院に来てとのことで、まだどうなるかもわからないまま、何週目かまで過ごしたかな。入籍したときに母子手帳交付を受けたから、結構通ったことになる。

『堕ろすとかありえない』と思うようになっていった。あの気持ちが母性だったのか、本気でわからない。ただ、打算はなかった。これも本当。子供できたから責任取れ!とかラッキーこれで結婚に持ち込もう!とかそういうのはなかった。

ただ、この子を諦めるのは嫌だった。
どうしても。
結婚しなかったとしても産んでた。
人生諦めてる場合じゃなくなった。

信じてくれよ、食べづわり(初期)

あれやこれやあって、私と旦那は結婚。
まず、自分でもビックリしたけど、今よりチェーンスモーカーだった私が、ピタリとタバコをやめた。吸いたくてたまらなくなることもなかった。

妊娠初期といえば、つわり。

『はじめてのたまごクラブ』はつわり関連のページがこれでもかというほどあった。先輩ママのつわりエピソード、つわりのとき食べられたものランキング(ちなみに1位はポテトだった)、私はこうしてつわりを乗り切りました、つわりが始まったのは何週目?の円グラフ。

あれだけ書かれてたら、
いつ来るかいつ来るか?と思うよね。

『ザ・つわり』というものは、なかった

ただ、1週間ちょいくらい、食べづわりがあった。しかし…普段全然食べない人が突然ガーッと食べ出して『食べてないと気持ちが悪い、食べづわりでつらい』と訴えたら周りも心配するだろう。

私は元から人の何倍も食べる巨デブだったため、誰一人として食べづわりだと思わず、『いや、アンタ普段から食うやん』という反応だった。

唯一信じたというか、信じるしかなかったのは旦那。『あのとき、1日の食費5,000円ぐらいやったよな』と今でも覚えてるくらい。さすがの大食いのこいつでもこれはエグい…と思ったのだろう。

おまけに、大体の食べづわりは、『とにかく何かを食べていないと気持ち悪い、吐き気がする(吐く)』とかそんな感じらしいんだけど、私はただ普通に自分でもビビるほど食べ続けただけだった。

それも1週間かそこらで終わり、『嘔吐恐怖症で吐くことができない+元々大食いで胸焼けひとつしない』私の体にはもってこいのつわりだった。

不安との闘い、待ち遠しい健診(中期)

安定期を迎えると、今度は不安が襲ってきた。妊娠中期は、妊婦健診が4週に1回になる。特に何の変化もない自分の体。それでも、あれほど長いと感じた1ヶ月もないと思うほど長かった。

大丈夫なのかな?
まだ2週間しか経ってない…
見なくてもいいサイトを見てヘラる…
月1って放置しすぎじゃないん?!(怒)

明確にこれとわかる胎動が始まるまでは本当に全く体に変化がなかったので、1ヶ月のあいだに何かあったらどうしようという強烈な不安とひたすら闘った。次女のときは、『え?もう4週経った?はっや…でも疲れてるからちょっと予約日変えてもらお』だった。

『安定期は健診が月1やから楽になるよ』

とか言われ、どこがやねん!毎日診察してくれるなら毎日でも行くわ!と初産のときは本気で思ってた。『何もなければ4週に1度』ということなので、通院するようにと言われなかった私は、普通に健康な妊婦だったんだけどね。

でも、だんだんと後期に近づくにつれて、病院に対しても不安が募り始め…

セレブ産院に転院(後期)

もう無理!!ここの病院無理!!メリット、家から近い以外ない!!検査結果を他人のと間違えて次の健診まで私に伝えないって何ィ?(他にも色々あった)もう、ほんまもう、さすがにないわ!!!嫌やここ嫌!!病院変わる!!

…と爆発したものの、実はこれがとても難しい。『分娩予約』というシステムがあり、妊娠初期の段階で、『ここの病院で出産します』と予約し、いくらかお金も支払う。私は10万円支払っていた。人気の病院はあっという間に予約が埋まるので、初診から自分が産みたいと思う病院に行って、その分娩予約をしておく。出遅れると『締め切りました』という場合もある。

このとき、私はもう妊娠後期。28週目くらいだった。家から通えそうな産婦人科のホームページを見てみたが、受け入れてもらえそうなところはない。どこも大体分娩予約制。自分が通っていた病院に『ここの病院イヤになったから他に行きたいんで、どこかありませんか?』なんて言えないし。


どういうきっかけで見つけたかは今パッと思い出せないが、二人の娘を出産することになる病院のホームページにたどり着いた。分娩予約は必要ない、と書いてあった(後に変わった)。ダメ元のダメ元でメールを送った。

里帰り出産でも何でもない28週目の妊婦を、何ともあっさり受け入れてくれたのだ。それまで通っていた病院にキャンセル料2万円を払い(予約金の残り8万円は当然返金された)、紹介状を書いてもらって転院。

転院先は、市でいうと隣の隣だが、隣の県。そして、バリバリのセレブ産院。その割に、前の病院よりも出産費用は安いという謎。品がある…いや、品しかない!

でも、そんなこと別にどうでもよかった。仮にセレブどころかボロボロの病院でも、ちゃんとしてたら何でもよかった。転院先があっただけでよかった。

メールの対応から優しいし、おシャンティなカフェスペースで看護師さんが私だけのために説明の時間をとってくれて…とにかく転院から産後まで、あの病院で嫌な思いをしたことはひとつもなかった。

母は微妙に転院に反対したが、一度何かの機会に病院に連れて行ったら、見た目と内装だけで気に入った。『あかんわ、こんな上品なとこ来るんやったらママ、ここ来るとき用に服買うわ』とか何とか、娘の初産において(大抵の場合は)最も頼りになるはずの実母が謎のムーブをかましていた。

子宮が0点、ヘラって懇願(出産直前)

後期は健診が2週に1度、臨月になると週1になる。ビショップスコアというのがあって、何か色々な項目を合計した点数を出し、検診のたびに何枚かもらえる葉書みたいな紙に書かれた。

さっき出してきた実物。懐かしい。

合計点数 0点
ちなみに私の最高獲得点数、1点。
「ビショップスコアが4点でした。とても不安です」と知恵袋に相談してる人がいたりして、毎回0点の私、ビビる。1点になったときは上から2項目が『40〜50』になっただけだった。2人目のときは気にもせず忘れてたので今見てみたら、やっぱり0点か1点で、同じだった。

そして、私の母系は妊娠、出産で悲しいことになった人が多い。祖母は第1子を死産。母は私を出産するときに冗談抜きで死にかけた。(同じ祖母をもつ)従姉妹も妊娠後期に子宮内胎児死亡。そして、母と私は婦人科系の体質が酷似。

私だけが何事もなく出産できるわけがない…

そう思った。
私はこれをメールに書いて送った。精神的に限界。遺伝は関係ないかもしれないが考えずにはいられない。どうにかならないか…みたいなメール。

これに対し、病院の先生はしっかりと説明してくれた。問題が何もなければ『希望』で帝王切開を行うことはできないが、何だったか忘れたが一応あるにはあったらしく、遺伝も『絶対に無関係だとは言えない』として、出産予定日直前に予定帝王切開が決まった。

さすが0点、前駆陣痛ひとつ起こらず、出産予定日まで何も起こらなかった。たまにいるらしい、陣痛が来ない体質の人。次女のときの先生に、『多分だけど、陣痛が来ない人だと思う』と普通に言われた。

いよいよ迎える出産。
それがもう、9年も前か。

つ づ く

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