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約20年前から始まった話 障がい者と呼ばれる日まで①

昨日から、両親が旅行に行っている間、いぬと植物の面倒を見るために実家に泊まっている。
朝、化粧もせず寝癖も直さず犬の散歩に行って
冷たい風に当たりながら土手沿いを歩いていて
何故かフッと思った。

そういや20年くらい前は、今こんな風にしているなんて考えもしなかったな、と。

11月は事故して一命を取り留め、ICUから一般病棟に移った頃。
そこから両足に、まさにフランケンシュタインみたいなボルトを刺した状態で約半年を過ごすことになる。

もともと引きこもりだったから、生きることにも絶望していたけど
これからはさらに、厳しい世界が待っている。
どこまでも、どこまでも、現実は厳しい。

だけど、その病院で出会った人たちに生きる気力をもらうことになる。


ICUから一般病棟に移った人の病棟は、眼科と難病の人の病棟も同じで
他にはない、不思議な雰囲気を醸し出していた。

眼科で入院する人は、大体はご年配の方で緑内障の手術が多かった。
緑内障での入院は、当時で約2週間。
救急上がりの私と、緑内障手術のおばあちゃんは同じ部屋だった。

目を手術するって、結構な不安があると思うのだけど、向かいに孫ほどの私がいるからか
よく話したり、色々もらったりした。

他にも同じく救急で運ばれたと思われる
難病でもう何度目かわからない入院の人、
何かに挟まれて足切断になった人、
冷凍庫に閉じ込められて、指を何本がなくした人

眼科は病気だけでなく
仕事中に目に鉄粉が目に入った人とか
怪我でも入れ替わり立ち替わりで入退院されていた。

みんな、生きる力を失ったボルト刺しの私に、
ただ優しかった。
同情とかではなく、純粋に、当たり前のように、心配し、接してくれた。

みんなそれぞれの想いを持って、たまたま同じ病院に来て、短い時間を共有した。
それだけの見知らぬ他人同士の距離が近くなるのは
自分がしんどい時、同じ空間で過ごすところにある のかもしれない。

気が向いた時に、続き書きます。

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