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慈悲の心を持つ

photo essay by nene


今年の夏は過去最多、綺麗な海で泳ぐ事 を
ほぼ毎日出来た幸せなひと夏だった

過去も未来の事も考えすぎず
ただ目の前の事に没頭した時間でもあった。

ご飯前にアイス2つも食べても誰にも怒られなくって、それなのに子供みたいに、

綺麗なものを綺麗だあってすごい大きい声で叫んじゃっても良くて、あー大人って最高!って
まあそんな贅沢すぎる時間だった。


そんな日々、自然の中に居て、
ありのままで居る感覚を思い出した気がした。

ありのままでいるという事は
透明性をもち、正直であり、リアルであることを意味する。と思う。
そんな言葉通りの意味なんて誰でも
頭では簡単に理解出来るのに

大人になると他人の顔を伺ったり
欲が勝って嘘つきになったり
トラウマが邪魔しにきたり

ありのままでいる事からいつのまにか遠ざかってしまうタイミングが絶対にある

それに加えて誰かの事を思うが故に
りあるである事を故意に放棄したりする事もあって、大人ってほんとに厄介でいやんなる

自分も含めて誰かが
不透明なフェーズに居ても

ああ、今はそんなフェーズにいるんだ!
そんな経験を通してまた一段とレベルアップするんだろうなあって

俯瞰して見る目、そして待ってみる余白を持つ事が大切だなあって。

それが近しい人に対して、
慈悲の心を持つ って事だと思う。

愛は、見返りがなければ憎むということは、
相手のためといいながら、
結局は自分のためになされている心なのです。
ですので仏教では、愛を愛欲と言われ、
煩悩の一つと教えられます。

一方で慈悲は、利他の心です。
相手の幸福を願うこころです。



色んな背景を持つ人が居て、
色んな速度で進んでる人間同士が
同じ土地で生息するってことは

お互いの変容する側面を受け入れ合う事が
平和への一歩で

色んなフェーズの人をまるまるっと
ハグしてあげられる心でいたい

かといって、見返りを求めると、争いにたどり着いてしまうから、利他の心を忘れない事。


写真、絵、どんな作風でも
私というフィルターを通して伝える世界が

暖かくどこかの誰かさんに
寄り添える事を願ってる。


結局、夏が去り際までも美しくって
季節の変わり目がある国に生まれてラッキー
よねって言いたい訳でした。

2024年のナツノオワリ

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